7 『空の王座』
ノエルと別れゲートをくぐってベルリアへ赴いた。
かつてアミラが支配していた幻想の国。その名の通り自然豊かで、しかし紛れもない都だった。建築物は中世ローマのそれ、あるいは異世界ものお決まりのそれと言うしかないレンガ造り。今日一日の愚痴を吐きながら妻の待つ家へ帰る者が群れをなしていたり、喫茶店のメイドが忙しく食器を運んでいたり、酔っぱらった野郎共がそれを見てにやけていたり。
夜の街。恐らく昼になればより心地の良い場所になるだろうが、宿屋にも泊まらず、俺は城を目指す。
刻一刻と懸念が現実となりうる可能性が高まっているのだ。まったく、俺は彼女の後を継ぐことなど望んでいないというのに。
ノエルに石碑の破壊を妨害されたあの後、巨人器官なる最悪の存在を知った。そして知ってしまった以上、俺は巨人を殺さねばならなくなった。それゆえにまた、このベルリアの「国王」に会いに行かねばならなくなった。
勘違いが起こりやすいが、国には神とは別に人間の王が存在する場合がある。その王の席を王座と呼ぶのは納得がいくが、支配者である神の座る席も言葉の綾として「王座」と呼ぶ場合もある。現在の状況、空席である王座は神の方のだ。
アミュステラの巨人。
幾ら死んでいるとはいえ疑似的に作られ管理されている存在、やはり俺の敵に間違いなし。自由を求める俺の、最悪の敵だ。だが巨人は眠っている。壊そうにも壊せないらしい。その原因はあの石碑が自動で固有の魔法を発動しているカラクリにある。
どうやらあの石碑に魔力を供給している者は管理者ではなく、神々、そして人間全員だという。つまり神は疑似巨人を製作するにあたってまるで「生存税」を徴収するように魔力を持つ全ての者から奪っているのだ。
逆に言えば、魔力を供給している者々は巨人を維持するための術式を潜在的に把握していることになる。魔法発動の際術式はイメージであっても良い。この条件に鑑みれば、石碑を壊しても何の意味もないことがわかる。
ここで「巨人器官」の登場だ。
これはどうやら巨人の力を分配したものだという。
そもそも巨人は覚醒状態であるほど対極の差異が狭まり、昏睡状態であるほど広がる。どうやら神々はこの理屈を利用し、まずは覚醒状態の――中途半端ではない完全な巨人を疑似的に作り、その支配力を神に分配することで巨人を睡眠状態に保つ方法を考えたらしい。
その分配された力こそが巨人器官。
しかし巨人は特別魔力の強い存在ではなかったとも彼女は言っていた。ここが曖昧なのだ。ぱっとしない。何故巨人器官を持ったものが特出した何らかの魔術が使えるようになるのか、わからない。
彼女は「わたしが無知なだけだから、ひょっとしたら知っている人もいるかもよ」と言っていたので、追究のしようがありそうだが。
それでもって、巨人器官は睡眠状態にさせるために必要な分神々に分配されたため、必ずしも国の支配神だけが持つものではない。ゆえに、そんな神は支配神とはまた別に区別され「上階級」と呼ばれているのだ。
だが問題が浮き彫りになる。
巨人器官を持つ者の死はイコール巨人の覚醒への一歩前進を意味する。これは神にとって避けねばならぬ事態だ。そこで神々は新しく別の神に巨人器官を分配する策を練った。
これが今の俺にとって最悪の問題なのだ。
巨人を殺したい俺は「巨人器官を持つ神を全員殺して巨人を完全状態で復活させ討伐する」必要があり、新たな器官を分配されるなどあってはならぬこと。
唯一の救いとしては、器官の分配はそう簡単なものではなく、ちょっとした奇跡が伴わないと行えない儀式なのだそう。
その奇跡は、現在確認されている中では「新たな支配神となり、信仰を受けること」ただ一つだ。この信仰という力を使わないと行えない。それほど難しいものなのだ。
だが、これが今まさに俺をベルリアに赴かせた理由である。
俺は新たな分配を阻止するために国王へ交渉しに行く。
「すみません、道をお尋ねして良いでしょうか」
ベルリアの街で、若い男に尋ねた。
「ええ、良いですよ。でもこんな時刻にどこか用なんですか?」
「実は夜の城を見たくて来た観光客なんですが、道に迷ってしまって、その上財布と地図を落とし最悪の状態なんですよ。城の近くまで行けば仲間がいますから、ご心配なさらず」
「一人……で、ですか?」と不思議に、彼は俺の奥の方を見ながら言った。
「ええ。一人です」と特に何もない背後を見つつ答える。
「大変ですね」と笑みながら彼は道を教えてくれた。
「ありがとうございました」俺は頭を下げる。
「いえいえ。この街を楽しんで行ってください」
「はい。……っと、訊き忘れました。少し踏み入った話になるのですが、良いですか?」
彼は首を傾げたが、やがて縦に頷いた。
「ここの神様が死んだという話を耳にしました。実際この国の住民はどう捉えているんですか?」
「ううーん、悩ましい質問ですね。なんか彼女山奥に引きこもっていたし、その上別に面倒見の良い神様でもなかったし、けど多分統治者としての自覚がなかったんじゃなくて、支配者としての自分を嫌っていた節があるから、ぼくは嫌いじゃないですよ。まあ、それで王様を困らしていたのは、好感度を下げる原因ですけれどね」
「それで良いと思います。我々人間は自由を追い求める生き物ですから。支配者である自分を忌み嫌う……そんな彼女は優しい神だったのかもしれませんね。……与太話までわざわざありがとうございました。では、あなたに自由あれ」
「なんですかその挨拶は」彼は笑って手を振った。
良い人がいるものだと深々感心した。
城に到着した。
しかし妙に慌ただしい様子だった。これもアミラが死んだ影響だろうか。割と神の信仰は強いのかもしれない。
「あの、すみません。何を慌ただしくしているのですか?」門番へ尋ねる。
「突然城内の兵と連絡が取れなくなった挙句、結界を貼られてしまったのだ。くそっ、何が起こっている」
門番よ、それは十中八九敵襲だ。
俺のことなどどうでも良いようだ。上の空で考えた予想は完全に外れたようだ。とにかくいち早く国王に会わねばならないのだ、裏へ回り未来視を使って監視の眼を盗んで敷地内へ。影に紛れながら城の裏の螺旋階段へ。
一歩ずつ上る。上る。上る。
そのまま寄り道せず螺旋階段で行ける最上階へ。
さて結界が張られているのだったか、ならこういうときにこその『螺旋の鍵剣』だ。俺は右手に意識を集中し、あの螺旋のエングレーブをイメージ。ドアノブへ手をかけ、ひねる。
呆気なくドアは開いた。
「…………?」
だが全く手応えがない。俺が開けたのか?
いや、最初から開いていたような感覚だ。
だがそれより目的を果たすことを優先し、城内に足を踏み入れた。
王城内に灯りはない。本当なら明るい場所で済ませておきたかったが、ひとまずここで右眼を閉じ、そのまま奥へ進んだ。中心へ、中枢へ。王の間へ。進む。
鼻につく臭いを無視しながら、そこそこ時間をかけてひときわ豪華な扉の前に到着した。
俺はここで未来視を使う。
得られた結果は、この扉は結界によって施錠されていること、この王室の中に敵がいること。そして――
国王が殺されていること。
右手に螺旋のエングレーブを想像し、扉を開く。今回は手応えがあった。とすると先刻のドアはやはり開錠されていたことになる。
だだっ広い皇室に入るなり声が届いた。
言わずもがなだが、王を殺した人物のものである。
「意外とおさかったね。……噛んじゃっら。意外と、遅かったね」
まさに幼女の声だ。酷く幼い。しかしその声質を一度聞けば察せる。こいつは狂気的だ。人殺しを愉悦とするような、異形。絶対に仲間を作らないタイプ。俺とは異なる死神。
俺はここで右眼を開けた。
その死神の隣に王座があり、そこには国王の屍が腰をかけている。また良く見れば周辺に兵士の死体が死屍累々と連なっている。悪臭はこれだったようだ。
「国王が死ぬ必要はなかったと思うが」と俺は幼女へ言う。
「そう言うあんたも満更じゃなささうらよ? あはは、なに、この国の王様はちょっと神を信仰しない嫌いがあるようだから」
ゆらゆらと凶器を揺らす彼女。
予想的中といったところか、やはり彼女も神のようだ。まあ、支配神が死んだ混乱時にこうも早く動ける人間などいまい。
「しかしこの国の支配者となりたいのなら、のちに自分の戦力となる兵を殺すのはどうかと思うぞ」
「違いないね。けど問題はないよ、元々この国から戦力を削ぎ落として『平和主義国』として支配するつもりだったから。わかりやすく説明するなら、あたしは人間としてこの国を支配しらいんだよ」
つまり力なき国民を、自分一人の力によって支配すると。ふん、愉快じゃあないな。まごうことなく、こいつは俺の敵だ。
俺のその殺気を感じたのか、彼女はぴたっと揺れるのをやめて、にたっと笑んだ。不気味に、邪悪に、狂気的に。そしてゆっくりと言葉を発する。
「だから、まあ――死んで」
瞬間。鈍色の光がこちら目がけて曲線を描きながら飛来する。
同時に未来視を発動する。
ビジョンが脳内で再生される。敵の武器はハルパーのように湾曲したナイフと、扱いが難しそうな鉄の鎖。彼女はハルパーで俺の肩をもぎ取らんとする。それを俺は右へ避ける。そこで彼女は右手に握る鎖を上手く振れなくなり、一瞬隙が生まれる。そこを狙って、脇腹へナイフを突き込む。
現実へ意識を向け直し、集中する。暗闇の中を高速で移動する幼女。左手を全力で振り落とす真っ最中である。徐々に距離が縮まり、表情が露わになる。
だが、そこにあったのは露骨な「驚愕」の表情。
直後、彼女の体が空中で九十度回転した。ビジョンに沿って右へ回避した俺に対し正面を向く。見ればハルパーでの攻撃を完全に中断している。
――なんだと? 俺は思わず口の中で呟く。
彼女は着地と同時に右足で強く踏ん張り、右手の鎖で俺の胸元を打ち付ける。まるで急激に加速したような鞭の如しそれをかわす術もなく、俺は衝撃に肺の中の酸素を奪われ、少し退き、くずおれる。
「かはっ……はっ……な、なぜ……」
柄でもなく情けない台詞を吐く。しかし言わざるを得ない。
未来視で見たビジョンと違う動きをされたからだ。つまりこの目の前の幼女は軽々と未来を捻じ曲げたことになる。運命に逆らったことになる。
未来視が通用しない敵、だと?
何度も最悪の状況を理解しようと試みるも、原因がわからず混乱する。なぜだ。未来が変わる? 俺が抗うならともかく、他人が変えた? 馬鹿な。そんなことがあるのか?
「あんた、おかしいよ」と不思議そうに呟く幼女。「『未来視』だって? ネーミングミスだよ、こんなの」
「何が言いたい、なぜ俺の能力を知っている」
「未来視の右眼アイギスでしょ? あたしは『地獄の右耳』ルベル」
なるほど、テルテトスとの喧嘩を見られていたのか。少し感心していたところ、笑い飛ばせるほど最悪の自己紹介を彼女はした。
「――能力は『他人の思考を読む』。あんたの未来視、見せてもらった」
思考を読む能力。
相性は最悪だ。妄想しなければ発動できずその上脳内で効力を発揮する俺の未来視は、挙げ句の果てに自分だけに有利なものではない。自分がやられるビジョンを盗み見れたのなら、未来を改変できてしまう。
この目の前の幼女は俺が未来視を発動すると同時に地獄耳を発動し、俺の脳内を透視した。そこでは自分が倒される映像が細かく放送されていた。彼女はその運命に抗った。
「しかし右耳か。巨人器官。尚更俺はおまえを殺さなければならない」
「はんっ、次は避けられると思うらよ」
突風が如く、一瞬で距離を詰めるルベル。
――早い! これでは未来視を使う時間がない。彼女のハルパーが振り下ろされる途中で咄嗟に両腕を前に出し防御姿勢を作る。だが死神はこの好機を逃さない。
鈍色の金属光沢が「S」の軌道を描き、がら空きの脇腹を引き裂いた。まるでフックのような形状のナイフは、俺の体を引っ掻き回し、壁へ吹き飛ばした。薙ぎ払ったのではない、投げ飛ばしたのだ。
「がっ、あ、ああ、あああぁぁぁ!」
大量の血が流れ出る。激痛が全身に走る。熱い熱い熱い。俺は決して痛みに慣れているわけではない。幾ら「死」に慣れていても、痛いものは痛い。痛い痛い。
それでも立たねばならない。ここで寝頃がってしまったら格好の的だ。ここで死ぬわけにはいかない。俺の旅はまだ終わらない。終焉は、ここじゃあない。俺は全身に力を入れ、立ち上がる。
ルベルが最後の一撃を加えようとこちらへ向かってダッシュを開始する――その瞬間。
彼女から見て背後、俺から見て奥で松明が明かりを灯した。
この突然の出来事には流石に彼女も驚いたのか、振り返った。暗闇に突如姿を現した炎へと振り返った。
この幼女の隙を見逃さない男がいた。
そいつはいつからこの部屋にいたのだろうか、ともかく、俺の握るナイフを強引に奪うなり、勢い余ってかわざとか怪我人の俺を突き飛ばし、
「これの使い方を間違えるな」
と呟いてから、目の前のルベルへナイフを構え、ちょうど危険を察知して再びこちらへ振り向いた彼女の左胸のやや上あたりに突き刺した。
さらに奇妙なことが連続する。
突き刺さった部分から稲妻色のスパークが放出されたのだ。
よく見ればナイフのエングレーブが光っている。しかし観察は幼女の絶叫により意識を阻害され中断される。
「あああああああぁぁぁぁぁっ――!」
喉から血が出るのではというほどの絶叫。声にならない声。
まるで断末魔。さながら断末魔。
口と目はかっと開き、眼は明後日を向いている。
それでも抵抗の意識あるいは意志はあるのか、恐らく全身全霊の蹴りを男の腹へ加え、離脱した。一瞬で放電は終了したものの、それがもたらした光は物理法則に逆らっているかのように徐々にゆっくりゆっくりと薄ら消えていく。
彼女は数歩数十歩後退し、焼灼止血されたのか血の垂れない傷口を抑えて、鬼の形相で男を睨む。
対して男は余裕を越えて面倒臭さを感じさせる表情でルベルを見下す。
暗闇に紛れる漆黒の外装。鞘も鎧もない、軽装とすら言えない装備。目元だけを覆う怪盗マスク。ガタイは良い方だが、決して隆起の激しい肉体ではない。身長は割と高い。
「まるで刻印の意味を理解していない。これは対象者の魔術回路を破壊する矛盾の短剣――アダマスの剣だ」
男は俺を見ながら言う。
アダマスの剣……アダマスの鎌……ギリシャ神話?
いやまさか。そもそもアダマスの鎌はアダマンタイトに由来する。ただの偶然の一致だろう。
考察は瞬時に終了した。頭が回らなくなったのだ。どうやら出血多量らしい。気付けば一リットル流れているのではないかというほど血の海が広がっていた。幾らなんでも誇張だろうが、感覚的にはそれほど深刻だった。
しかし脳は現在の状況を理解しようと志向し、思考する。
魔術回路を破壊する魔剣……? 確かに、矛盾している。
というかそもそもこの男は誰だ……、俺の敵か? こいつも上階級か?
あれ……この男……見たことがあるぞ。
…………そうか、パシフィカエにいた旅人だ……。
……どおりで見たことが……。
意識が朦朧とし、視界は不明瞭になる。瞼の筋肉の操作が不可能となり、まるで世界が回転したようにゆらゆらと揺れたと思えば、暗転する。松明の灯りはもうない。聴覚も失せ、感覚も失せ、血の海に顔面から落ちたというのに、それを把握する脳すら機能停止。
俺の意識は途絶えた。