4 『亜空間の左眼』
私の固有魔法は「空間転移魔法だ」と神アミラは言った。
「暗い暗い。君の心は本当に暗黒だ。もう気付いているかもしれないがあえて口に出して説明しよう。そう、ここは君の心の中であり、私はただ君の心に転移しただけなのだ」
「人の心の中にずかずかと入り込んで……」なにをやっているのだ。
「あら、けれど私は拒絶されなかった。君の心はあまりにも虚ろだ。いや、虚ろというよりは『虚偽』に近い。まるで客間だ。恐らく君の真の心は大分綺麗なのだろうけれど、大きい木が一本冥界から天界まで貫いているのだろうけれど、しかし客間は酷く暗黒だ」
俺は何も答えない。
「侵入はどんな人間よりも圧倒的に簡単だった。けれどそれは君が他人を拒絶しながら、客間のようないわば中立地を設けているからだ。実際、ここは君の『他人に対する心』の中。そうだろう?」
「ええ、そうですよ。自覚はあります。俺は俺を含めた誰にも束縛されないように立ち回っている。しかし完全に拒絶し孤立するわけじゃない。そのための、ちょうど良い距離を保つための、虚偽な心なのかもしれませんね」
ところで、と問う。今はこの手の内にはなく、むしろこちらへ向くその鍵剣について質問する。
「その『螺旋の鍵剣』は一体なんでしょう」
「これは私が造った最高傑作の一つだ。あと…………。いや、今はよそう。無駄に人の物語に関与するのは良くない」
「いえ、俺なんて他人の物語を滅茶苦茶にする天才ですから、心配いりませんよ」何を躊躇ったのか少し肩を落とす彼女へ自己紹介したが、無視された。
「螺旋の鍵剣。こいつには『隠されたものを強制的に暴く』という魔術がこめられている。エンチャントエングレーブは螺旋だ。例えば不可視化された重要なものも、施錠魔法も強制的に解除する強制開錠剣」
自慢げに語る神だ。もう少し口数の少ない奴だと思っていたが、やや期待外れ。しかし人間であれ神であれそんなものだろうし、彼女にはそれでも儚さがあるため、特に不満はない。
しかしそれにしても武器を造る、か。
「私は鍛冶師だから。武器を造って当然だろう」
と親切にも答えてくれた。
神でもあり鍛冶師でもある。
「君はシストロークロに設置されていたこの鍵剣を自らに対して使用し、自らの心に創られた空間へ転移したわけなのだが、そうここはつまり実世界から見れば亜空間なのだ」
「亜空間……」
「そう、ゆえに私は『亜空間の左眼』と呼ばれている」
「邪神とも呼ばれているな、あなたは」
「ああ、パシフィカエの人の反感を買ってしまったからね。……これも説明しろというのか、わかった。なぜ私が邪神と呼ばれたか。それは子供を消した挙句食糧を奪ったことに由来している、というのは既に理解しているね」
黙って頷く。
それは知っている。オーウェルさんが散々語った。語り尽くしていた。過剰な天災。神による人類への冒涜。つまりこの神アミラはやり過ぎた、と。信憑性は考慮していない。俺にはこの世界の知識が皆無だからだ。疑おうと信じまいとしても、無駄だ。
「私は確かに子供を消した。空間転移で死界へ誘った。けれどそれまでだ。私が人間に対して手を出したのはそれだけ。また子供の死も本来なら必要のないことだった。――しかし運命というのは冷酷なもので、あの子供らは私の逆鱗には触れなくとも、世界の闇に触れてしまった」
「何が言いたい」
「このシストロークロに来るまでの登山道、さぞ息苦しかっただろう。それこそが世界の闇、あるいは影だ。私への信仰度が低下したのもその原因の一つではあるが、最近は特にその問題が浮き彫りになってきてね。死の因子みたいなものだ。生命体を死に近づかせるそれを過剰に呑んだ子供をそのまま村に留めておくことは看過できなかった」
「ではなぜ山の上で殺さなかった」
「村人の探索を避けただけだ。一度村に帰し、そこで殺すことで人間はむやみにここに来ようとは思わないはずだった。そう、はずだった。実際には人間は山を登り、城を焼き払ってしまった。そのとき多くの犠牲者が出たが、私はなお手を下していない」
死の因子。要するに死に至らすウィルス。
それを呑み込んだ子供の抹殺。村を少数の犠牲によって救った。つまりこの神は罰したのではなく処理をしただけなのだ。正しい、神の行いは間違ってはいない。
だがパシフィカエの人間は激怒した。その所為でウィルスの蔓延する山へ登り、自滅した。神はそのとき何もせずに見守っていたのだろう。
自分の中では語り尽くしたと、あるいは語り飽きたという表情で俺へ言った。
「さて君はまさかお話をするためにわざわざ死の山へ赴いたわけではあるまい。――私を殺しに来たのだろう?」
「ああそうだ。おまえを殺しに来た」
「ならば受けて立つのが『親』としての義務だ」
両者睨み合い、じりじりと間合いを取りつつ身構える。彼女は鍵剣を、俺はナイフを。
さあ戦闘だ。俺は元の世界で喧嘩が強かった方ではないし、むしろ何のスポーツもしていないほど割と平凡な身体能力の所持者だった。まさかウェブ小説の主人公のようなチートを最初から持っているわけでもない。ならば絶対にたった一刹那すら油断せずに戦闘するしか、生き残る術はない。
瞬間、彼女の左眼が光った。
こちらへ鍵剣を振りかざし突進してくる。さほど遠い間合いではないが対処するには時間に余裕がある。こちらから見て左から胸元へ向かうやや内側寄りの直線的なあの軌道、恐らく突きに来るのだろう。
それなら左足を半歩左前へ出し、空の左手で彼女の手首を掴んで右へ引く。くの字になる彼女の腹へ膝を入れてすかさず逆手持ちのナイフで背中を刺す。
これだ。俺は左前へ左足を出した。
「――なっ!」
しかし、その直後視界の左側に、こちらへ飛来する剣を捕捉する。
このままでは確実に頭に突き刺さる。しかし重心は左足に乗っているため右手のナイフで弾くことは叶わない。
いちかばちか――。
俺は左足を軸に右回りに回転。その軌道に沿って下から上へナイフで薙ぎ払う。
金属音が無の空間に鳴り響き、重い衝撃が腕に走る。
どうやら成功したようだ。だがこれではまだ終わらない。現在俺は敵に背中を向けていることになる。
ビジョンが脳内で再生した。背後にいるアミラがこちらの背中めがけて突くというものだ。それに従って全力で前方へ逃亡する。流石に防御のしようがない攻撃は避けるべきだ。間合いが広がる。お互いに深呼吸。
一体なんだ今のは。まさかあらかじめ投擲していたわけではあるまい。
「鍛冶師としての無限武器投影と空間転移魔法の手品さ。気付いた頃には目の前に剣が迫っている」
言いながら彼女はやや苦笑しながら手を広げると、周囲に大量の武器が出現した。剣、槍、斧、鉈、鎌、鎚、弓、数え切れない種類の数え切れない個数の武器。
全く、なんだそのチート魔法は。俺に寄越せ。
だが、理屈がわかってしまえば問題ない。対処の使用は幾らでもある。
次に決める。
今度は俺から彼女へ突進する。彼女は対して左眼を光らす。魔法の発動だ。――俺はこの瞬間を想定し、計画していた。不意にビジョンが浮かぶ。そう、これだと俺は心の内で呟く。
少し先に直剣が出現し、こちらへ飛来し始める。
しかし遅い。既に俺は初期動作を完全に終了させ、本動作に移行していた。右手を振りかざし、全力でナイフを投擲する。投擲。決して俺が取れる行動が切りつけるか突くか避けるか防ぐかだけとは限らない。自分の唯一の武器を失ってまで敵めがけて刃物を投擲物として――今まさに彼女自身がやっているように――扱うことだってできるのだ。
そして幸いなことに俺の武器はあのナイフ唯一であって、この場にある武器はあのナイフ以外に無数本存在する。
例えば現在進行形でこちらへ飛来中の直剣とかな!
勿論神はそう容易い相手ではない。少々驚きつつも手の甲で俺の投擲物を払った。
しかしそれが命取りとなる。
ややバランスを崩した彼女の目の前には既に左手で彼女の生成した直剣を掴み、完全に振りかざし切った俺が急接近しているからだ。
人体を切り裂く音がした。
皮膚を、血管を、肉を、骨を、臓器を切る音。
勝負あり。
神と人間の戦闘は、人間の勝利という形で終結した。
「は、はは……見事だ、少年」
「笑えるんですね、神様」
「そりゃあ一個の知的生命体に違いはない、笑いもするさ」
いや、そうじゃない。そうじゃあない。
よく、胸元を深く抉られながら笑っていられるな、とそういう意味なのだが。服装は肩から脇腹まで一直線に破け、皮膚が露わになるが、その周辺はおおよそ真っ赤に染め上げられている。未だ流血は続く。見る見るうちに血は拡大し、やがて地面にて海を形成する。
「さて、まだ私は死ぬまでに時間がかかるようだ……何か訊きたいことはあるかい」
「訊きたいことしかないな。まずこれを説明してください――俺をこの世界に召喚したのはあなたですか? 神アミラよ」
「十全ではないが、その通りだ。いつぐらいから気付いていたかい」
「確信を持てたのはあなたが自分の能力は『空間転移』だと紹介したときです。逆に言えば俺は確証を得るまでに時間がかかり過ぎた」
いや、君は十分過ぎるほどの読解力を持っている、と彼女は言った。
「どうして俺をこの世界へ? まさか自殺を救ったと言うつもりではあるまい」
「無論、そんな答えを返すはずがないし、むしろ逆。私が、自殺するために君をここに召喚したのだよ。ゆえに、君は私の私欲に巻き込まれた人間。私を殺しに来て当然」
だから、神の近くに転移されたのか。いや、言い換えれば――だから、自分の近くに転移させたのか。俺に殺されるために。俺に殺させるために。
物語の道を築いておいた。そういうことか。
「はん、不愉快極まりないですね」
「それで良い。私は死にたいのだ、だからそれで良いしこれで良い。ああ、死が待ち遠しい。ようやく物語から離脱できるのだ」
「……あなたは、どうして自殺なんかを企てたのですか。どうして死にたいのですか」
物理世界で二度も死亡した俺は、問わねばなるまい。
「疲れただけさ。人生に疲れただけ。そして物語を変えるため。プラマイゼロ。――さて、最後の質問にしてくれ」
良く見れば彼女の体が不自然に震えている。寒いのだろうか。表情は依然として儚げだが、さらに影が落ちているようだ。出血はやや止まりかけているが、既に遅い。何リットル程の血液が地面に流れ落ち、俺の足までも濡らすほど広い面積に海を展開している。血液凝固がそろそろ始まるだろう。
俺は、死を目前にする彼女へ問う。最後は彼女の自慢話でも聞いてやろう。
「俺の『右眼』には一体どういう魔術が備わっているのですか」
――彼女は慢心の笑みで答えた。
「ありがとうございます」と礼を言うも、どう帰れば良いかわからず戸惑う。
「サービスだ。私は世界すら超越する空間転移の能力者だから必要ないのだがね、君にその能力は備わっていない。ゆえに私が運ぶ必要がある。転移先はベルリアのアズール遺跡の世界樹階段」
おいおい、俺はまた知らぬ場所に勝手に転移されるのか。勘弁してくれ、不愉快で仕方がない。しかしベルリア、ね。長閑な都市だと耳にした。そこの……アズール遺跡の、世界樹階段? なんだそれは。
未だ油断している。何か警戒の矛先が間違っている気がする。虫の知らせか、あるいは……。
しかし確実に言えるのは「まだ俺の物語は完結しない」ということだ。区切りがつくのは、まあ、そうだろうがしかし放浪生活に終止符は打たれない。喜ばしいことなのか残念なことなのか。
まあここは「次の作品にご期待ください」とでもくくっておくか。
と、呑気に冗談を呟いたところで、アミラ。
「世界樹。君たちの世界の――北欧神話で言うところのユグドラシルさ。雲の上と大陸と冥界を繋ぐ一本の大木。つまり世界樹階段とは三つの世界を繋ぐ階段。そこへ親切ながら転移してやろうってこと」
おい待て。「雲の上」だって?
「この左眼だけでなく、螺旋の鍵剣も……ああ、正確にはどちらも最小単位に分解された状態なのだが……君にあげよう。それと君のレッグホルスターに収納されている短刀には死の因子を格納するエングレーブも彫られている、有効活用しな」
「ちょっと待――」
「――では、他の神によろしくな」
他の、神。
爆音が耳を劈いた。
反射的に目を瞑る。視界は一層暗闇。
爆音に全感覚が驚いていたからか、麻痺状態からやや回復すると、爆風に包まれている現状をすぐに理解できた。
そこへ感度不良の声が届く。
――本当に良かったのか?
――無論良いさ……世界を、The Third Generationで終わらせるために。
――そう。なら良し。では惜別の情なしに華々しく永別しよう。……お役目ご苦労様、アミラ。
視覚は遮断されていても、感覚で理解できる。俺はもう自分の心の中にはいない。違う場所へ転移されたようだ。
空気がまるで違う。
ゆっくりと目を開ける。目の前には長い階段。その最上に光。
ここにアミラはもういない。
光を目指して歩き出す。
暫くして光を抜けた。
そこには、神々の集う天上都市――アミュステラが広がっていた。