2 『騎士神』
ノエルの城――すなわちこの国ヴェルゼンの王城はやはり綺麗なものだった。
見事なまでの西洋城。帝国城。
どうやらここには国王とノエル自身、そして従者が住んでいるらしい。
俺は、エントランスというか大ホールというか、宴会を開く場所にて軍の大将と相対していた。
「協力者か、気に入らんな」
目前のいかつい男は腕を組みながら野太い声で俺を軽蔑する。
「あなたなら気に入ると思うよ、ケルテット」
ノエルがあまり楽しくなさそうな顔で指摘した。
彼女によれば、このケルテットとかいう大将は彼女の従者ではないという。彼女は確かに国の支配神だ。無論人間としての支配者も存在する――それが国王なのだが、つまりこのケルテットは国王側の騎士ということだ。
「……、あなたがそうおっしゃるのなら……」
渋々といった顔でノエルに会釈する男。
それに鑑みるに、ノエルの方が権力は上か……あるいは惚れているのか?
ともかく、俺はこの大将に用があって来たのだ、さっさと済ましてしまおう。
「俺はノエルの協力者のアイギスです」
「それはもう聞いた」
「ノエルからでしょう? 社交辞令として俺から自己紹介させてくださいよ」
「私は今忙しい。手短に済ませ」
「……良いでしょう。作戦展開マップ及びレポートというのを閲覧させていただけませんか?」
戦争をしているなら、喧嘩で済んでいないのなら、そこには「力」と「知」があるはずだ。
残念ながら俺は戦火の中に飛びいる強者ではない。ならば十分に知恵を捧げてやろうじゃないか。
「それはできない、幾ら彼女の協力者であれ、秘密事項だ」
「俺もここで食い下がることはできません、俺は一刻も早く鎖を解きたいのですよ。それともまさか、未だ戦争が終結していないのは自分の責任でないとでも?」
「馬鹿にしやがって、貴様は偶然彼女の眼にとまっただけだ。いい気になるな、戦力としては私が遥かに勝る。私に口出しをするな。貴様はご自慢の能力を戦場でふるっていれば良いのだ。それなら私としてはありがたい」
「俺とあなたで所詮の力比べをしたところで何も事態は収束しませんよ――もちろん、この会話もね。とにかく、その兵士には説明されるであろう秘匿性の馬鹿低いトップシークレットを見せて下さい。俺はただあなたがどのように兵隊を動かしたか把握しておきたいだけなんですから」
横目でノエルに促すと彼女はびくっとしてからそっと語りかけた。
「わたしからもお願い、ケルテット。これ以上戦争が続くのは看過できないの。そのためには全く新しいアプローチが必要。あなたの仕事をなくそうとかそういうのじゃないの、お願い、彼に作戦マップを見せてあげて」
おまえ、こんなかしこまれるキャラだったのか、やや意外だ。常に馬鹿、というわけではない、と。
「……ですが、ノエル……こいつには忠誠心がまるでない。危険であります、ひょっとしたら敵国のスパイの可能性も」
そこでふと疑問に思う。
そういえば、この国の指揮官についてはおおよそ理解したが、敵国ビュルンデッドの司令塔は誰だ?
これも把握しておかなければならない。
戦争とは情報戦なのだ、情報を制したものが戦争を制す。
その法則はこの世界でも変わらないはず。
「おいノエル、ビュルンデッドのトップは誰なんだ?」
「実はまだ実態が知れてないの。けれど諜報班から『欲求不満の左手』っていう異名がついてるって情報が入った」
欲求不満の左手。
能力については何もわからないか……。
しかしそれにしても巨人器官ってのは手か耳か眼しかないのか?
「アイギス、なにか心当たりある?」
「今俺はスパイ容疑がかけられてるんだから、俺に訊くな。……しかし『左手』、ね。どこかで聞いたような……」
記憶を遡ってみたが、上手く思い出せない。
「ともかく、俺は合理主義者なんだ、そして俺は今寝床を欲している。ならばここでスパイ活動などというハイリスクな行動を取る理由はないと思うが」
ノエルがケルテットを見やる。
「…………そうかよ」ぶっきらぼうにケルテット。「わかった……見せてやろう」
「ありがとうございます」
俺と彼――『忠誠の左脚』騎士神ケルテットの邂逅はこうして果たされた。
ケルテット。
俺よりうんと高い身長、肩幅の広いいかつい男。
声はよく震える質で、怒るほど喉が下がるタイプだ。
彼は神の中でもややイレギュラーな存在らしい。
まず一点、彼は多大なる体力を消費する特技を有しており、神の中でも割と強い方に位置しているという。
二点目、巨人器官でありながら、一人の人間に忠誠を誓った人間である。忠誠の相手とは国王。どうして下位の存在である人間に忠誠を尽くすのか、ノエルですら完全には把握していない。
そして最後、彼は元々強い神ではなかったという。つまり、八百万の神々の中でも有数の強技を持っていながら、天才ではないのだ。
どうやら俺は有名神に嫌われているらしい。
邂逅後、ノエルを含む三人で作戦マップを考察し、日が暮れ、彼は皇室側へ帰宅し、俺はノエルの部屋へ半ば強制的に移動させられた。
そこで「アイギスの部屋は用意してないから、一緒に住むことになるけど良いよね?」とかさらっと言ってきやがったので、全力で嫌な表情を浮かべると、釣れないなあとか言わんばかりの顔で「冗談、ちゃんと用意してあるから、そこ右に曲がったところね」と案内した。
まあ結局彼女は俺のベッドに無断で入ってきたのだが。
俺は王城で目を瞑り――時系列が現在へ戻る。
*
戦場に到着した。
戦場、とはいえ実際は何度か市街地まで攻撃が及んだこともあるようなので、この荒野は「激戦区」と呼ぶのが正しいだろう。
国境付近の荒野。
騎士の国ヴェルゼンと魔術の国ビュルンデッドのボーダー。
この世界には便利なことに割と性能の良い双眼鏡がある。
俺は現在ヴェルゼン側の山岳から戦況を確認している。
今は膠着状態が数時間も続く「静かなる戦争」に切り替わっているが、もう少しで交戦するだろう。
予想通り、戦場においての十中八九の命令はケルテットから出されている。司令塔、彼は自ら出陣する司令塔だ。
そう、あのまるで風見鶏のようでいて容姿だけは立派な男は戦場に出向くのだ。
時に大特技を使用して敵陣を薙ぎ払ったという――諜報班によるとどうやらビュルンデッド側では「大太刀事件」と呼ばれている。
案外、戦争っぽい戦争は行われているようだ。
例えば、俺の中で印象的だったのはこちら側で「支援車輛及び経路破壊作戦」と呼ばれるもので、敵の友好国である氷河の国アレッツェルンから敵国へ支援される馬車を奇襲し破壊、そのついでに援助するルートで必ず渡らねばならない橋を落とすという作戦だ。
想像以上にエグいことをしている。
たかだか数年くらい前から始まった程度の戦争だというのに――ノエルによれば「ちょいちょい隣国とは揉め事にはなるよ、戦争までには発展しないだけで」らしいが――規模は大きい。
俺は開けた荒野を見やる。
そこには敵の拠点制圧へ突貫する騎兵隊。
「始まるか」無意識に呟いた。
直後、現在地の向かい側の山岳から魔力で生成されたものと思しき無数の球体が飛来し、騎兵隊へ襲いかかった。
球は地面に接触すると爆発する。
振動が数百メートル離れているここに届くほど強力な爆発攻撃。
「相性が悪いんだよ」
横でノエルが残念そうな顔をしながら言った。
「わたしたちは近距離か弓矢でしか戦えない。確かに魔弾が打てないかといえばそうではないんだけれど、実際後衛には魔導士がいるんだけれど、あいつらには劣る。近接に持ち込めれば百パーセント勝てるっていうのに、戦場が広過ぎる」
「実際に見てわかった。相性の悪さも、おまえら騎士の国の意地の悪さも」
煙が立ち込める荒野、そこから騎兵隊が出てきたのだ。
馬に乗って、爆発攻撃を受けてもなお、まるで自分の命を捨てるかのように、敵拠点目がけてまっしぐら。
「こんな不毛な小競り合いが頻繁に起き、稀に事件クラスの作戦が展開される、と。まあ重火器や大型兵器がないのだから、こんなものだろう。ファンタジーとしては結構な戦争はしているが」
俺は自分の作戦を整理するようにぼそぼそと呟いた。
「え? なにか言った?」ノエルが俺を見る。
「いや何でもない。それより場所を移ろう。ここからでは良く見えない場所がある」
「どこに行くの?」
「実際に戦場に足を踏み入れるぞ。戦闘をする気は毛頭ないが」
俺たちは移動を開始した。
森林地帯。
一町先なんてまるで見えない深い森。
しかし幾度も踏まれ自然にできた小道がある。
双眼鏡を見ても、やはり奥は見通せない。
上から確認したため敵の陣の大よその位置と方角は把握しているはずなのだが、見えない。
昼だというのに、辺りは暗い緑に染まっている。
森林のところどころに無差別な爆撃をされた痕跡がある。酷いものは死体までもあった。
この戦争の規模が伺える。
「ここらへんなんだよね」
とノエルが突然口を開けた。
「いざこざが発生したところ。ほら、後ろ見て、そこに塔があるでしょ? あそこに駐在していた兵士の一人が、ここ近くで遺体となって発見されたの。それと、走り去るビュルンデッドの兵士もここで目撃された」
「そうか、この森林が、か」
まるで闇だ。
呑み込まれるように深い。
あのときの――自殺したときの、夜空のよう。
「ここはゲリラ戦にはもってこいだな。少しばかり罠でも張っておけば、この地形は、こちら側に有利に働くはずだ」
「そうなの? やけに戦術慣れしてるわね」
「こんなものただ頭を使うだけだ。数学や化学と大差ない」
言ってしまえばチェスの大規模版だ。大規模盤版だ。それゆえに、口から出る司令は全て妄想。実際にできることとできないことが混在している。
俺は森を見渡してから踵を返した。
「作戦が練られた。後は時が来るまで待つのみだ」
「へえ、早いね。勝率は?」
「数値としては出せない上に、そう高いものではないが、代わりに成功すれば戦争が即座に終了する。まあもう少し戦況を把握するために時間は要するだろうけれど」
ノエルは「へえ」と感心したようだった。
「とりあえずおまえは王城に戻っていてくれ」
「アイギスは?」
「少し、アミュステラに顔を出してくる――魔術編者ってのはどこにいるんだ?」
「さあ、わからない」
「そうか、ありがとう」と礼を言って歩き出すも、呼び止められたので踏み止まる。
「随分あっさりだね、何か手がかりがあるの?」
自分が何の情報も提供しなかったにも関わらず余裕な態度を取る俺を見て、不思議に思ったのか彼女が問うた。それに対して俺はサムズアップ。
「手がかりも何も、ね」
俺の能力をお忘れかい?
――俺とノエルは一時的に解散した。
戦争は現在泥沼にはまっている。
しかし、これは両国共に頭が固いのと、実力不足の所為である。
どうすれば戦争が終結するか。
簡単だ。激戦区なんて構わずに敵国へ「少人数」で隠密に攻め込み、敵の司令官を排除すれば良いのだから。
だが無論、これにはそれ相応の実力が必要となる。
そこで俺の出番だ。
この戦争、遠距離攻撃型のビュルンデッド側が有利に思えるが、勿論彼らは非近接戦闘という欠点を常に孕んでいるのだ。それはすなわち、自分の武器が使用できなくなると途端に弱体化することを意味する。
ならば、武器を壊せば良いのだ。
奴らは魔法を武器としている。
言い換えれば、奴らの命は魔法に委ねられている。
そう、つまりアダマスの剣があれば簡単に勝利できるのだ。
無論敵の死角から攻撃しなければならないという条件つきだが。
それでも戦場を覆すことなど訳もない。
しかし、俺はこの短剣を使いこなせる自信がない。
だから、以前この短剣を使いこなしていたミラとかいう魔術編者を探しているのだ。
天上都市アミュステラ。
地界では国家間戦争が勃発しているというのに愉快に生活する神々。
大広間は相変わらず賑わっている。
その鬱陶しい空間を横に通り過ぎ、いかにもあの男が好きそうな薄暗い路地裏を進む。
太陽は天球の頂点にあるというのに、どうしてか日が差し込まない。
人気がない。そうなるよう選択して入ったとはいえ、あまりにも少ない。
しかし。
珍しく焦燥感を覚えた。
どういうことだ?
俺は確かに未来視を使ったはずなのに。
普段より不明瞭なビジョンではあったが、未来視が外れることがあるのか?
この特殊能力にも成功率があるということなのか?
あるいは、まさか、ルベルのような思考を盗撮できる何者かがここにいるはずのミラを別の場所へ……。
そう思った瞬間――
「動くな、動けば首を掻き切る」
と、首筋に冷えた刃物内容の感触を覚えながら、綺麗な女性の声に背後から脅迫された。