第二話「帝国海軍重巡洋艦利根の憂鬱」③
「それでは、もう隣に横付けしてますから、ご来訪お待ちしてますねー」
由良の返事を聞きながら、わたくしは艦橋の上の見張り台に立ちますの。
蒼島中尉もご一緒しないかと、お誘いしたんですけど、砲塔周りの煤が気になるとかで、お掃除してくれるそうです。
あら、そんなところまで……恥ずかしいですわっ!
なーんて、思う訳ありませんのっ!
わたくし、これでも乙女なんですのよーっ!
煤掃除されて喜ぶような乙女は、絶対少数派だと思います。
でも……これが中尉の平常運転なんですのーっ!
……とばかりに、思わず絶叫したい気持ちを押さえ……気を取り直して、見張り台から辺りを見下ろすと……。
すぐ真横に一回り小さな由良の艦体、その隣には更に小さな初春型の二隻が並んでいますの。
接舷とまではいかないのだけど、こんなエーテルの海のど真ん中で一塊になって……敵襲があったらひとたまりもないのだけど。
全艦、エーテル潮流とほぼ同速で遡上航行状態にあるので、すぐに動ける状態。
わたくしの索敵網も完璧なので、何の問題もありませんの。
こんな至近距離で艦列を崩さずに、複雑な流れに逆らっての艦隊運動同期とか、本来は相応の難易度だとは思うんですけどね……。
わたくし達にとっては、文字通り片手間なのです。
ふわりと、風が吹く……プラズマ化したエーテル気体が耳元でパチンと軽く爆ぜる。
いつもながら、うっとおしい……そして、空を見上げると、一面の黄昏色。
わたくしの記憶にある地球の空とは違う空。
たなびく雲もプラズマ化したエーテル気体がそれっぽく見えているだけ。
嫌が応にも、ここが異世界なんだと思い知らされますの……。
海の色だって、淀んだような鈍色に時々、虹色の輝きがまるで水面に浮かぶ油のように複雑な紋様を形作る……。
軽くスカートを抑えながら、見張り台から由良の甲板へとジャンプ。
数10mの距離と高さをひとっ飛びで飛び越えてしまう辺り、人間には真似出来ないような身体能力なのですが。
わたくし達には、この程度は造作もありませんの。
むしろ、わたくしなんて……。
自分よりおチビちゃんな有明達に、模擬格闘訓練でボッコボコにされた雑魚ッパチなんですわーっ!
……っと、自嘲の思いに、ちょっと悲しくなりながら、由良の甲板に華麗に着地。
スカートがめくれ上がりそうなるのですけど、わたくしのガードは完・璧っ! なのですわ。
あくまで、自然に優雅な仕草でさらりとガードするのがポイント。
サービスなんて致しませんの。
誰も見てないからって、気にしないなんてのは、乙女のすることじゃありませんのよ。
……利根の方を見ると耐エーテル防護服に身を固めて、砲身磨きに余念が無い蒼島中尉と目が合いましたの。
軽く手を振られたので、ペコリとお辞儀。
こうやって見るとなんともピカピカになっているのが遠目でも解って……ちょっとだけ嬉しくなりますの。
……感謝はしてますのよ? 一応は。
そして、いい加減、勝手知ったる由良艦内の艦長室へ……。
ノックして、扉を開けると畳敷きの和室、丸テーブルに焼き魚とお漬物が並んで、香ばしい匂いが立ち込めてますの。
「……よぉ、利根キっちゃん、よく来たっ! なんか変わったことは無かったか?」
がっしりした体格のおむすび顔の中佐さんがお茶碗片手に軽く手を上げる。
佐神中佐。
元々由良の艦長さんだったんですけどね。
色々あって、今やすっかり、わたくし達の前線指揮官……みたいな感じなのです。
わたくし達を自分の娘みたいに扱う変わった方で、元々自分の艦長だった由良はもちろん、有明や夕暮、それに今日はお留守番中の睦月と如月からも、とっても慕われてますの。
指揮官としても優秀で、人望もあり、皆の良い取りまとめ役なのですわ。
唯一の不満としては、わたくしの事を「利根キッちゃん」と呼ぶこと。
……とっても不満なんですわーっ!
「そうですわね……特に異常はないんですけど。無さ過ぎてかえって気持ちが悪い……そう思ってますの」
そう言いながら、佐神中佐の向かいの座布団に座り込みます。
おじ様は豪快に胡座かいてますけど、わたくしはお上品に正座。
……乙女ですからねっ!
「そうか……俺も利根キッちゃんの報告を聞いてちょっと気になってな。……念のために由良に同行して、有明と夕暮も連れてきた。そういや、蒼島のやつが居ねぇと思ったら、利根キッちゃんと一緒だったんだな……あのバカ、一声くらいかけて行けってんだ」
……蒼島中尉、思い切り独断専行だったんですのね。
まぁ……本当に、わたくしに付きっきりなので、誰も困らなかったとは思いますけど。
「すみません……おかげで出港直後にバタバタしてしまいまして、連絡も忘れてましたの」
「まぁ、いいって事よ! 奴はもうお前さんの専属メカニックみたいなもんだからな……ああ見えて、気のいい奴だから、せいぜい便利使いしてやってくれ!」
そう言って、豪快に笑う佐神中佐。
「利根ちゃん、ようこそですー。ささ、温かいうちにお召し上がれぇ」
由良がそう言いながら、ご飯とお味噌汁を目の前に置く。
ひよこマークのエプロンと三角巾を頭に付けた有明と夕暮もいそいそとやってきて、佐神中佐の両隣をキープしてぴっとりと寄り添って、由良はおひつ片手に隅っこに正座。
何というか……佐神一家の団欒って感じで……いつもながら、微笑ましい光景ですの。
いただきますと両手を合わせて、焼き魚を一口。
香ばしい香りと、芳醇な油がパッと広がる……絶妙な焼き加減。
それになにより、この食感と味……合成品特有のパサパサした感じがしませんの!
「あら……これ、天然物ね。どうしたんですの……こんなの?」
「ああ、実は斑鳩星系の方で、前々から研究してたみたいなんだが。地球の海で泳いでたっていうさんまの養殖に成功したらしいんだ。でも、何やら手違いでアホみたいな数に増えちまったらしくてな……。基地に大量に試食サンプルとか言って送ってきたから、由良にも積んでもらってたんだ。美味いだろ? 基地の方でも今頃、さんま祭り状態らしいぜ」
こんな孤立無援の状況なんですけど、斑鳩星系の人達は割とたくましくって、せっせと自給自足体制を確立してますの。
彼らがわたくし達をバックアップしてくれてるからこそ、わたくし達は燃料や弾薬も気にせず戦える……。
そう考えれば、感謝ですわ……でも、なんでさんまの養殖なんて始めたのかしら? その辺はよく解りませんの。
「そうですわね。わたくし和食はあまり好きじゃないんですけど、これは美味しいって思えますの……」
「あらあら……利根ちゃん、好き嫌いは良くないですよ……」
「だって、あんたが作るともれなく、和食じゃないの……わたくし、オシャレに洋食が好みなんですわ」
カレーライスとか、たらこスパゲティとか最高なんですわ。
「……ううっ、ごめんなさい、私……和食しか作れないんです……」
……正確には和食以外を作ると、大変な事になるから……なんですけどね。
何でもかんでも、味噌と醤油、ダシとか入れちゃ駄目だと思いますの。
「「わたし達はデザート専門なのですー! 食べ終わったら皆で、アイス食べましょう!」」
ちび黒コンビが声を揃える……結局、あんた達厨房で何してたの? と言いたいのですけど。
この二人に料理なんてさせたら、砂糖入りお味噌汁とかゲテモノが出てくるので、その辺は由良ナイスですの。
この娘達の姉の甘党ぶりも大概だったけど、そんなところまで似なくていいのに……。
……困った話ですこと。
「そいや、蒼島のやつは連れてこなかったのか?」
「中尉は……利根の砲身磨きをするんだそうです……わたくし、違う意味で愛されてますので……」
色々察したらしい由良がうわぁ……みたいな顔をしてますの。
「そ、そうか……まぁ、仲良くやってるなら、それでよし……だな」
「……愛は複雑ですね」
「……ですですね。こうなったら、色仕掛で籠絡してみてはどうです? 利根おねーさま」
「夕暮……具体的にはどうするのかしら? 怒らないから、説明してみて」
ぶっちゃけこの娘達……耳年増。
地上世界からせっせと要らない知識を仕入れては、勝手に盛り上がってますの。
「有明知ってますです! まず、服を脱いで正座します。その時、靴下を残すのがポイントです」
「さすが、有明です! そして、潤んだ目でじっと見上げるのです……これで、殿方なんてイチコロです」
思った以上に、直球かつ具体的でしたの……。
思わず、想像しかけて……慌てて、止める。
……なんか! なんか! 無性に転げ回りたいですのーっ!
助けを求めるように由良の方を見ると、頬を赤く染めて、ついっと目線を逸らされる。
な……なんですのーっ! この空気っ!
「……お前らは変な本の読みすぎだ……まったく! 利根キッちゃん、あんま真に受けるなよ」
佐神中佐の一言と共にスパンスパンといい音を立てて、二人の後頭部に平手打ちが入りましたの。
「い、痛いです……ごめんなさーい、調子乗りました」
「ごめんなさいです。反省します」
このおバカコンビも形無しですの……さすが年長者……貫禄が違いますの。