File:5「近付く影花」
警視庁魔術部――僕がここに来るのは二度目だ。
一度目はカナシの捜査に手を貸したとき、ここの部長に呼ばれた。
それで二度目だが、そこまでの過程は同じだ。僕としてはこんなことをする暇があるならレーダーの完成を急ぎたいのだけど。
昼間だというのに、ここのオフィスには前と変わらず誰もいない。否、昼間だからだろうか。下手に騒がれないだけましだと思っておこう。
無人のデスク群を通り抜け、奥にある部長室の扉を叩く。
「どうぞ」
「失礼します」
僕は扉を開けて、入室。すぐに一礼する。
「すまんね城崎君、学業で忙しいだろうに」
「いえ、研究の方が忙しいですね」
「そうか……あれだけの力があれば、魔研でも通じると思うが?」
「何かに縛られるのは御免ですね。一人の方が気楽だ」
「科学者らしい発言だ」
「それはどうも」
僕はその辺にあった木製の椅子に腰かけ、眼鏡をかけなおす。
確か、現代において人間は3種類に分けられるのだったか。まず魔術師。魔術師を忌み嫌い、拒むのが一般人。魔術師を好み、受け入れるのが科学者と言われている。そういう意味では僕も立派な科学者だが、職業は高校生で間違いない。
「それで、要件とは」
「前と同じだ。科捜研でもいい、協力してはくれないか」
「お断りします」
即答する。
「理由は?」
「僕が助けるのは、カナシとアイリスちゃんだけです。見知らぬ人達にヘイコラと協力する気は微塵もない」
「そこまで言うかい……」
赤凪部長は顔を引きつらせている。そうなるのも致し方ない。
「そうでも言わないと、また勧誘するでしょう?」
「どう言われようが、俺達は君の参加を待っている」
「絶対に嫌です。だってあなたは、カナシに<嘘>をついている。それに――」
「……ふ」
苦笑する赤凪部長を放って、僕はさっさと部屋を出た。
これで、参加を待つ気にもならないだろう。
さて、Mr.マジカルレーダーの開発を急ぐとしよう。
■ ■
昨日帰宅してから、やけにアイリスが静かだった。ありえないことだった。いつも俺に襲い掛かってくるのに、それをしないのはおかしい。やはり中山さんと何かあったのだろうか。
しかしながら、中山さんがアイリスに助言ができるだろうか。俺も何度か話したことがあるが、あの人は特にカウンセリング向きな人、というわけでもない気がする。落ち込んでいたアイリスを元気付けることが、誰にできようか。自惚れていると思われるかもしれないが、俺くらいしかいない。
は、ともかく――くすぐったい感じがして気持ち悪かった。別に襲われたいとかそういう願望はないのだが。
もしかしたらこの隙に夜中襲ってくるのではないかと思ったが、そんな心配もする必要がなく、朝を迎えた。
アイリスのことが多少気になるが……今日こそ、連続盗難事件の捜査に加わる。そちらが先でも何ら問題はない。
そういうわけで、台東区上野公園。今や公園は立ち入り禁止区域とされ、そこら中にテープが張られている。
園内にはどこも捜査中の警官がいて、働き蟻を想像せずにはいられなかった。
「ひでえもんだな」
「周辺の博物館からも盗られたらしいですからね。当然と言えば当然です」
「つっても、モナリザとか、その辺に相当する価値のある物がここにあったか?」
「随分と時が経ちましたからね。ただの展示物も価値ある物に昇格したのでは」
「昇格するもんなのかね」
「あ、確かここには法隆寺宝物館がありませんでしたか? それなら価値があるはずです」
「だったらそれだけ狙えばいい話なんだがな……」
「それもそうですね……」
アイリスと他愛無い話をしながら、俺は最初に盗難が起きた東京都美術館へ入る。
……殺風景の一言に限った。
「すっからかんじゃないか」
展示物が何一つない、ただの空き家と言っても過言ではなかった。部長からの詳細データに書いてあったが、実際見てみるとかなり衝撃的だった。
「何だこれ。色々と不可解すぎるだろう」
「仮に、本当にここの物すべてが盗まれたのだとしたら、犯人はそれを一体どこに保管しているのでしょうね」
「保管とも限らんな。捨てたとも考えられる」
「それこそ不可解です」
「可能性の話だよ。探索魔法――警官以外の足跡を見せろ」
アイリスと話をしながら探索魔法を使い、ぐるっと全天を見回す――が、足跡は見えない。どうやら脳の方で勝手に補正が入っているらしく、ただの見物客の足跡も見えない。でもって犯人のものと思しき足跡もない。まあ、そうだな。確認だったし、何も得られなくても問題はない。あればそれはそれで儲けものだったが。
「となれば、どうしたものか……」
俺はリングフォンを起動し、もう一度事件の詳細データを見る。――引っ掛かるところはない。手詰まりだろ、これ。
とりあえず、できるだけのことはやってみるか……。
四次元ポーチから捜査用の白い手袋を出し、手にはめる。これを使うのは久しぶりだ。
考えたことを片っ端から試して行こう。まず中身のない展示物保護用のガラス箱を触ってみたり、軽く叩いてみたり。ただのガラスだ。
「……むう、台座と一体化してるからガラスだけを外すことはできないし……」
しばし思案していると、アイリスが制服の裾を引っ張った。
「カナシ様、考えてみたのですが――それ、マジックミラーの類ではないでしょうか」
「ミラーではないが……そうだな、視覚をどうこうしたものかも知れん」
アイリスは要するに、この箱は外からは中身が見えず内側からは見えるものだ、と言いたいのだろう。そういった対盗難用の器具があったのを思い出す。金庫なんかはよくそれで隠されるらしい。
「だが、どう確認する。さすがに壊すことはできんし、壊して中身に展示物があれば一大事だ」
「でしたら、私がやります。――探索魔法、展示物を」
アイリスは目を閉じ、覆うように手を当て青い魔方陣を浮かばせる。
自分からやるなんて珍しいな、いつもは俺のサポートばかりしているのに。
なんて思いながら台座を視るアイリスを眺めていたが、なぜか眉をひそめながらぐるっと全体を見回した。
「おい、どうした」
聞くと、アイリスは静かに溜息を吐いて魔法を解除した。
「……申し訳ありません、どこにもありませんでした」
どうやら、どうしても見つけたかったらしい……そんなに負けず嫌いだっただろうか、こいつ。
「まあ、無いこと前提にやってるから問題はないが」
それはいいにしても、やはり手詰まりだ。それだけに魔術犯罪なのは間違いないのだろう。
「監視員なんかはいないのか」
「館長や一部監視員は事情聴取のため現場にいるみたいです。さっき見ましたよ」
「聞いてみるか……」
手がかりはなかった。
「ダメじゃねーか」
「私に言わないでください」
監視カメラも盗まれているわ保存された映像も盗まれているわで手がかりがないどころの騒ぎではなかった。
完全犯罪など認めたくはない。
「シュンに頼むしかないか……」
今日は日曜日で、シュンはいつものように実験やら研究やらの最中だろうが、仕方ない。
リングフォンを起動して、シュンに電話を掛ける。
案外暇だったのか、2コールで出てくれた。
『なんだいカナシ、捜査の途中じゃないのかい』
「申し訳ないのだが、またレーダーの力を借りることはできないか」
『いいけど』
即答だった。持つべきものは友達だ。それが優秀であるならば尚更だ。
「すまない、恩に着る」
『お返しはレーダーの実験結果ってことでいいよ、僕としても役立ってくれるならありがたい。それで、どう使うんだい』
「それ、過去のデータとか残ってるものなのか」
向こうから何か容器を置く音と、PCのキーを叩く音が聞こえてきた。
『形だけ完成させて多数のカメラに試験搭載したのが2か月ほど前だけど、初期に近付くにつれてデータは不鮮明だと思ってくれ。実際に反応したのが魔術師とは限らないしね』
「2か月なら十分だ。そうだな――3週間前から今にかけて、上野公園内の美術館や博物館に出入りした魔術師を探してくれないか」
『上野――ああ、例の盗難事件だね。お安い御用だ。とは言っても多少時間はかかるから、しばらく捜査を続行してくれ』
「了解、本当にすまんな」
『なぁに、助け合ってこその幼馴染だ。それでは』
通話を終え、俺は息をついた。あいつのことだ、微笑を浮かべていたに違いない。なんだかんだと言ってもあいつは変態でいい奴だ。
「良いお方ですね、城崎さん」
「良くも悪くもな。さて、捜査の続きと行こうか」
いい結果を期待しなかったせいか、やはり何も得るものはなかった。
「そう言えば、園内の監視カメラって盗まれてないのか?」
なんとなく気付いたことを、アイリスに聞いてみる。それがあるのなら、少しは進展がありそうだが。
「それは区ごとで管理されていますから、分かりかねます」
「探そうにもすぐ分かるような場所には隠してないだろうしな……」
園内に植えられた木々を見ながらつぶやく。それらしきものは見当たらない。既に盗まれていたのだとしたら当然だ。
「監視カメラと言えば、城崎さんの作ったレーダーはカメラに搭載されているらしいですね。それって監視カメラのことでは?」
「……あいつならやりかねんな。それも含めて、今は連絡を待とう」
と、再び捜査に戻ろうとした時、ふと思い出したことがあった。
「逃走・侵入経路は不明――自分で言ってたな」
いろいろあって忘れていた。ここでも経験不足云々が悔やまれる。
すぐに近くの扉や窓を見に行く。が、結果は同じだった。
「――一通り見ましたけど、窓も割れていませんし、警備員は施錠していたと言っていましたよ」
「おまけにこじ開けられた痕跡もない、か……」
またもや何も得られず、がっくりと肩を落とした。
そこへ救いの手――などというのは大袈裟すぎるだろうか。ともかくシュンからの電話が来た。
「見つかったか」
『所々カメラが壊れていたらしく、少し手間取ったよ』
やはり監視カメラに搭載していたらしく、その上壊れて――おそらく、実際は盗まれた――いた。それでも見つけたというのは幸運としか言いようがない。
勝手にレーダーを搭載したのは、罪になるだろうか……などと考えたが、この際どうでもよかった。事件が解決できるなら。
『とりあえずここ数週間でレーダーに反応した魔術師の数は2つだ。複数犯だね』
「侵入経路なんかは分からないのか」
『残念ながら、肝心なところは何も。だけど逃走先は分かったよ』
「どこにいる」
『そう焦らなくてもいい。今から場所を言うから、しっかり覚えてくれよ。――――』
「……ふむ。ありがとう、早速向かってみる」
『命は大事にね』
通話を終え、俺はアイリスと共に現場を離れた。
案外、近かった。同じ台東区にあるマンションにいるらしく、走って行ける距離だった。
管理人の男に許可を取って、犯人の向かったという部屋の前に立った。
「……こういうのって、爆弾とかが仕掛けられてるパターンだよな」
ドアノブを持ったはいいが、捻って開け放つ勇気が湧いてこなかった。
「そんな前時代的な手法で来ますかね?」
「相手に通用すれば時代もクソもない」
「そんなに心配なら、障壁魔法を使えばいいでしょう」
「まあ、そうだな……障壁魔法」
「障壁魔法」
二人して同じ魔法を使い、自身を中心とした透明な半球を展開させる。要するにただのバリアだ。
これだけすれば大丈夫だろう。俺は満を持して扉を開け放ち、室内へ飛び込んだ――が。
「……空き部屋?」
「展示物どころか爆弾もありませんよ」
「それどころか、痕跡が一つもないぞ……」
シュンが嘘を言ったとは思えない。だが、これではあまりに――
「仕組まれて、いた?」
「城崎さんがグルだと?」
「いや、そうじゃない。ここまでの動きが予測されていたのかもしれない。アイリス、ここの管理人の所にすぐ行け!」
「は、はい!」
指示すると、アイリスはベランダから飛び降りて入口の方へと駆けていった。
俺も急いで後を追う。だがベランダから飛び降りる度胸はないので、大人しく非常階段を使った。
「アイリス、どうだ!?」
先程管理人と会った受付前に着くと、そこにはアイリスと、怯えて両手を挙げている管理人。
「どうやら、シロです」
「な、なんなんだよぉ……」
「アイリス、離れろ。――少し話を聞きたい。あんたに危害を加えるつもりは微塵もないから、とりあえず手を下ろしてくれ」
「そそ、そんなこと言って、俺を吹っ飛ばしたり」
「しないと言っているだろう。……これだから人間は嫌なんだ……」
俺は頭が痛くなるのを感じたが、今は耐えることにした。
管理人の男は恐る恐るという感じに手をゆっくりと下ろした。
「このマンションの監視カメラは?」
「あ、あるが」
「事情は先ほど説明したとおりだ、見せてくれないか。2週間ほど前のものを」
「……いいが」
そこまで疑うかよ。警官だぞ、俺は。
人間の多様性が消えていく――今や3種類しかいなかったのだったか? 何も魔術師が皆犯罪を起こすわけではないのに、人間はそう思い込んでしまっているらしい。確かに俺は罪を犯したが、いつまでも全てが同じだと思われていてはたまったものではない。
――と言っても仕方ないと思うので、文句を飲み込む。
管理人はモニターを動かして、俺達の前に出した。16分割された映像には、それぞれ各カメラの映した映像が映っている。
しばらくそれを眺めていると、映像の内の半分以上がブラックアウトした。
「ここもですか」
「盗まれたのか?」
「い、いいや、カメラは全部ある。今もほら、全部見えるだろ」
そう言って管理人が何か操作すると、次の瞬間画面の一部映像には俺達が映っていた。ブラックアウトしていた映像も戻っている。今の映像ということか。
「なるほどね……」
別に何か分かったわけではなく、これは呆れだ。
また過去の映像が映り、それを見ながらしばし思案する。
盗まれてはいない……シュンの言った<壊れた>とおそらく同義のものだろう。つまり、少々言葉が少しおかしいが――一時的に壊した、ということになる。磁石でも近づけたのか?
自分の映るカメラのみを一時的に壊す。そんな芸当ができるだろうか?
まるで<魔法>だ。だが、そんな魔法はない。――ない、のか?
俺だってアイリスやユリを魔法で造った。<魔導書>にある魔法ではない魔法でだ。
魔法は皆が知っているものだけではない。確実にそれ以外のものがある。となれば、自分を見せない魔法があるのだとすれば? もちろん不可視魔法ではないものだ。影や姿すら見せない――<視させない>、目潰しのような魔法があったとすれば? 可能だ。
だが、こうなればもう刑事ドラマなんかにある推理は欠片もなくなる。現実はそんなかっこいいものではないが。つまり魔法だから仕方ないとしか言えなくなるぞ。
それだけに単純になり、不明になっていく。
これが本当の魔術犯罪ということか。罪を犯す愚者共がいらない知恵をつけたのか……!
「ありがとう、協力に感謝する」
「い、いや。いいんだ」
相変わらず怯えている管理人に一礼して、俺達は現場に戻ることにした。
本当に迷宮入りするぞ、この事件は。
「カナシ様、少しいいでしょうか」
「ん、なんだ」
歩きながら、アイリスが話しかけてきた。また何か思いついたのかもしれない。
「魔術師における強さの話を知っていますか」
「ああ、かなり前に聞いたな。<その時点で何が必要かを判断できる速さ>、だったか」
欲がトリガーではないかと思われている魔法は、それを扱う魔術師が今何が欲しいかを形にすることで効力を発揮する。冷静な判断力が強さ、ということになる。
「はい、その通りです。先程の映像を見て思っていたのですが、犯人はその時<自分を何にも認識させない>魔法が必要だと判断したのではないでしょうか」
「そうなれば、シュンのレーダーには反応しないはずだな……」
「でしたら、城崎さんのレーダーは魔法を無効化するのか、自分を何にも見せない魔法を必要だと判断したかに分けられますね」
「確か、不可視魔法は無効化していたな」
「ですが、他は不明なままです。今度休暇を取って、研究に付き合ったらどうですか」
一度そうすべきではあるだろうな。……しかしながら。
「……珍しいな、お前が俺との時間を自らシュンに譲るなんて」
「えへへ、そうですか?」
アイリスは誤魔化すように頬を掻いた。やっぱり何か変だ。
「中山先生と何かあったのか?」
「えー、何もありませんよぉ」
嘘つけ、この世の春が来たような顔してるぞ。ここが外だってこと忘れてるだろ。
「……何もないならいいんだが」
とりあえずこれ以上追及はしまいと、適当に話を切った。
その時だった。
「――ッ!!?」
現場――上野公園の方から、耳をつんざくような爆発音が聞こえ、一瞬ひるんだ。
キーンとした残響を不快に思いながら、俺達は脇目も振らずに現場へと駆けた。
「一体、何が――!?」
煙の立ち上る現場に着くと、そこには傷を負った警官たちがそこらじゅうに倒れていた。
突然の状況で混乱していると、煙の中から人影がこちらに近付いてきた。背は低く、髪は長いようだ。
「……誰だ」
「久しぶり」
人影から聞こえてきた声に、俺は一瞬耳を疑った。脳もだ。
だって、この声はアイリス以外の人間から聞こえるものではないはずなのだから。
「カナシ、様?」
「な、んで、お前が」
目を見開いて、姿を現した幼女を凝視する。
なぜここにいる? そう言いたかったが、声が出なかった。息もできなかった。
魔研にいるはずだ。眠っているはずだ。高橋さんたちが見ているはずだ。
なのになぜだ。
「――カナ兄」
妖艶な笑みを浮かべたユリは、俺にかつてのアヤメを否応なしに思い出させた。