猫耳幼女と月のない夜(4)
「は? アイリスを?」
「おい、疑問形のクセにもう俺の胸倉掴もうとしてるじゃねえかお前」
魔術部の部長室。ここに着いてすぐ部長の口から俺の耳に入ったのは、ここにアイリスが向かっているという情報だ。
何のためにアイリスを家に置いてきたのか、それを知らないから無闇に怒るのは愚かなのだが……。
あの姿で電車に乗ることになるのか、アイツは?
「いいからまず構えを解け。そして話を聞け」
「……はい」
俺は言われたとおりに、無駄に力の籠っていた体からそれを抜き、荒ぶる心を鎮める。
「先日の暴力団殲滅任務、ご苦労だった」
「それが本題じゃないでしょう?」
「導入は大切だろう、そう焦るな。――で、だ。どうやらヤツらには裏で支えてるスポンサーがいたらしくてな」
「メールに書いてありましたよ」
「……だから、焦るなっての」
いやこの状況下、焦らないと駄目だろ。何言ってんだ。
「それが動き出したが、居場所は不明だ。既に動ける奴は向かわせたが、まだ連絡はない」
「……あの、なら俺をここに直接呼び出す必要は無いのでは?」
メールに俺の担当場所でも書いておけば、そこに直接向かったのに。
とまあ部長なりにも考えがあるようで、鼻から重く息を吐いた。
「お前はココ、警視庁の防衛に当たってもらう。もちろんお前だけでなく、上の連中もいるがな」
……上か。あのいけ好かない警視長サマが出てこないといいんだが。
「任務了解です。ですが、アイリスが心配です」
「恋人を憂う気持ちは分からんでもないが、仕事は仕事だ。それにココならアイリスをすぐに出迎えられるはずだ。違うか?」
「そう、ですけど」
何か嫌な予感がしてならない。
俺が俯けど、仕事の内容が変わるわけではない。仕方ないので、俺は迷いを振り払うように頭を下げて足早に魔術部を去った。
くそ。隙を見て抜け出してやろうか……いや、アイリスの無事を祈るしかないな。心配には心配だが、あいつなら多少の相手でも単独で切り抜けられる能力は備わっている。
……我ながらとんでもないヤツを生んでしまったな。
悔やみたくはないが、自分の能力が怖くはある。
「……さて、と」
室内から外に出るのは今日だけで何度目か。一応筋肉痛なんだが。
陽は既に殆ど落ちており、俺達の頭上には紫色の空が広がっている。その内真っ黒に染まるのだろう。
「――ん?」
とりあえず上の連中がいない所の防衛にでも行こうかと足を前に出した、その瞬間。左腕が震えた。
いや、リングフォンだ。――電話。シュンから?
俺はすぐに電話に出て、呆れた声を出す。
「……あのな。こちとら仕事中なんだよ」
『へえ、君は仕事とアイリスちゃん、どちらを取るんだい?』
「っ!? アイリスがどうかしたのか!?」
『全く君って奴は清々しいほどに分かりやすい男だね。今メールを送った。バックグラウンドで通話ができたっけ、それ』
「一応できるが……」
と、通話画面を閉じて受信したそのメールを開く。
俺が警視庁に来る上でいつも降りる、駅の画像だ。いや、待て。おかしいぞこれ。人が多過ぎだろ。
『撮影時間はつい先ほど。SNS上にアップされていた物だ』
「って、これがアイリスとどう関係が?」
なんというか、スーツ姿の奴ばかり。だが今は帰宅ラッシュの時間じゃないから、こんなに会社員らしき奴らが大勢いるのはおかしいんだが……。
『画面中央。僅かに水色の物体が二つ見えるはずだ』
「水色……? ――!」
物体ってか、これ……アイリスの猫耳じゃないか!
『恐らくと言うか、ほぼ確実にアイリスちゃんのものだろうね。水色の髪の人間がそもそも少ないし、あんな髪型、僕は見たことが無い』
「……連絡が来たりはしてないか?」
『あのアイリスちゃんが緊急時に、僕に連絡を寄越すと思ってるのかい?』
確かに、あいつなら俺を選ぶはずだ。だが、もし。
「もし、このスーツ集団が敵だとすれば」
『もし、なんて話じゃないよ、それは紛れもない事実のようだ。画像と共に「乱闘中」だなんて物々しい言葉を含んだ文が添えられている』
――くそったれ!
何が目的か。大方収入源の一つを潰されて、魔術師、それも潰した奴を狙ったとか、そんなところだろう。
正確なそれを探るのは俺の仕事じゃない。俺の仕事は。いや、俺のすべきことは。
『最短ルートで案内しよう。魔法を使うといい』
「物を壊すのはナシだぞっ!」
俺は迷わず駆け出し、揺れる指先で部長にメールを送る。アイリスを失うのは、俺だけじゃない。魔術部にも影響が出る。
送信を終えると、俺は筋力強化魔法を発動させ、混凝土の地面を強く踏み込んだ。
『看板に飛び移れ。今の時間は人通りが多いだろう』
「まったくその通りだ! 次は!?」
『10m先、右折。ビルの間を直進だ』
「ギリギリできそうな無茶を……っ!」
どこかの会社の看板で急ブレーキをかけ、慣性を利用してビルの隙間に入り込む。看板は無い――壁を蹴れと!
『さすがに――ぱが――づらいね』
「ああ、何言ってるか微妙に分からん!」
暗くなりつつある。視界が封じられる前に、無茶なルートで駅を目指さないと――!
■ ■
「っ、ニャアっ!」
筋力強化魔法の付与された足で、近くに居た男を何人か蹴り飛ばします。
なんとか外まで誘き寄せることはできましたが、まだ駅のすぐ傍。人が多いことに変わりありません。
「ま、魔術師だぁっ!」
「いいぞ、やっちまえっ!」
「……くっ!」
カナシ様の気持ちも分からなくはありません。私は世間の扱いでは警察官であるはずなのですが――それでも、魔術師は忌まれています。
私達のお陰で、対処できる犯罪の数も増えているというのに。
……いえ、やはり犯罪者が殺されるという、この社会に不満を持っているのでしょう。そしてその理由を、魔術師にした。そんなところに違いないでしょう。
しかしながら、妙です。相手は銃やナイフを使うことなく、素手でこちらに向かっています。私が魔術師と知っているのなら、まだ武器を使う方が賢明だと思えるのですが……それだけ腕に自信が? いえ、だとすれば弱すぎます。
私は駆け、広い歩道に出ます。道路近くで戦えば交通機関にも影響が出かねません。
ですが、途中で足に違和を感じました。それは徐々に大きくなり、やがて――
「――ぅうっ!!?」
激痛を引き起こしました。
「っ、あ、ぐうっ……!?」
呻いたところで痛みは消えません。私は堪らずその場に倒れてしまいます。
脈打つたびに、全身にその刺激が伝わってきます。
毒の類を受けたことはありませんが、おそらくこれは身体への負担が原因――魔法の使い過ぎ、ですか!
小柄な体と、それに蓄積された疲労、おまけに「魂理論」が正しいのであれば……私は、もう魔法が使えません。
立ち上がろうにも、激痛が足を引っ張って思うように動けません。
――ここで死ぬのは御免です。カナシ様が悲しんでしまう。それに私だって、まだカナシ様から愛の言葉を一度も聞いたことがありません。
互いにその愛を認めるまで――そして、愛の結晶が生まれるまで――私は、死ねません!
ですから、お願いします。
私の我儘を、今だけは聞いてください。貴方の為なら、何だってしますから!
「――カナシ様あああぁぁぁぁっっ!!!」
「――何してやがんだァァァァッッ!!!」
誰かの叫びと重なったことに気付いたと同時に。
私を追ってきた男たちは、空から飛来した何かと、その風によって吹き飛ばされました。この暴風――高出力の風魔法に違いありません。
舞い上がった砂塵が消え、人影がそこに映ります。それは直上にあった街灯によって照らされ、正体を明かしました。
見紛うはずがありません――私の愛する人。
■ ■
「かなし、さ、ま」
俺は地べたを這うアイリスを見て、呆れのため息を吐いた。
……<カニャシ様>でない辺り、薬の効果は切れつつあるようだが。
「やっぱりお前、そのままだったか……動けるか?」
「……申し訳ありません。魔法を使用しすぎたせいで、まともに……っぐぅ!」
「大丈夫か!?」
どこかの激痛に悶えるアイリスに駆け寄るが、その体に特に変わった様子は見られない。
「あ、足が……痛くて……!」
「過度の疲労に加え、筋力強化魔法の長時間使用か……それに、この小さい体じゃな」
周囲を見渡して、俺は状況を把握する。
いつものことだ。警察官であるにも関わらず悪者扱いされている俺。腐るほどの野次馬。例のスポンサーと思しきスーツ姿の男共。
無防備なアイリスを放っておくのは見殺しに相当するだろう。こいつがこうなったということは、俺もその内そうなりかねないということ。
短期決戦、アイリスの確実な防衛――筋力強化魔法は要るまい。多少の痛みに耐えればいいだけだ。
筋力強化魔法の解除。次いで――
「捕縛魔法」
「ニャッ!?」
魔法でアイリスと俺の胴を縛り付ける。これでアイリスは動く必要は無い。合理的ではないだろうが、知ったことじゃない。
「アイリス、かなり揺れるぞ」
「カナシ様の傍でなら……耐えられます」
相も変わらずだな。だが、今となっては嬉しい限りだ。と言っても無理をさせ続けるわけにもいかない。
被害は抑える。ただ、一人も逃がさない。
「アナタですか、鷹屋敷組を潰してくれたのは」
と、男共の中から一人の細身の男が出てきた。狐目といい常に口を釣り上げたその表情と言い、顔だけでも胡散臭さが見て取れる。
「鷹屋敷? そんな名前だったか」
『そんな名前だよ』
今まで黙っていたシュンがすかさず補足してくれる。まあどうでもいいが。
「まあ名前などはこの際些細なことでしょう。それより私たちは彼らを失って貴重な財源を失ってしまいましてねぇ」
それはお前らの経営状態に難があるだろ。
『愚痴を聞いて時間稼ぎのつもりなのかもしれないね。カナシ、やってしまえ』
「言われなくても!」
俺は右手を前に突き出し、そこから雷を迸らせる。それらは男共に一人漏らさず流れ、気絶する。加減していないから、何人か死んだかもしれない。
これで終わり――かに思われたが、正面の狐目野郎はまだ生きていた。
電撃対策を常にしている奴なんて見たことない。となれば、考えられるのは障壁魔法――魔術師か、こいつ。
「これでも隠してたんですよ? 魔法を使わないと市民からも応援されますし。この魔法は周囲からは見えませんから、まだ大丈夫なようですがね」
「知られようがそうならまいが俺の知ったことか。違法組織に加担した者は魔術師であるかに関わらず同罪扱いだ。死を覚悟しろ」
「なぜ警察だけが殺人を許されているのですか? 自分たちだけは特別な存在だと思い込んでいるのですか? 魔術師ならば、尚更!」
「知るかよ」
俺は地を蹴り、素早く距離を詰めた。
俺と奴とを阻む透明なそれは、ただの障壁。絶対不可侵の領域ではない。
一定以上の<衝撃>を加えれば、破壊は不可能ではない――!
「――俺に聞くんじゃねえ」
「なッ!?」
短い驚きの声を上げた後。
俺の衝撃魔法を至近距離で受けた障壁魔法は消え去り、勢いをそのままに狐目野郎を弾き飛ばした。
俺は大きく息を吐いて、膝からその場に座り込む。そして捕縛魔法を解除し、アイリスを抱きかかえた。
「酔ったか?」
「……ええ、カナシ様に」
「そんな冗談が言えるのなら十二分だ」
『さて、僕はそろそろお暇しよう。あとはふたりでごゆっくり』
ブツ、と断線したような効果音で通話が終了する。あいつ、自分がこうなった原因の一つだと思ってないのか?
ふとアイリスを見ると、既に頭に生えていた猫耳は消えていた。まるでシュンとの通話が終わるのを見計らっていたかのように。
子は親に似る。創造物も然りってことか?
……まあ、いい。
「ひとまず、庁に連絡だ」
■ ■
あれから3日が経った。嵐のように騒ぎを起こしてあっという間に消えたそれは、2日だけ各局のニュース番組で見かけたきり、見ていない。
正直、そんなことはどうでもいい。
何より問題であるのは、俺とアイリスが警視庁にも行かず家のベッドで療養中であるということだ。
「うぅぅぅ」
隣でアイリスが唸る。うるさい。
「カナシ様を私で酔わせる作戦がっ! あの後パンまで頂いてしまって私は! 私はっ!」
「体に響く、黙れ」
「かくなる上は無理やりカナシ様を押し倒し……ぎゃんっ!?」
無理に体を動かしたアイリスが、激痛に耐えかねてまたベッドに倒れる。何がしたいんだお前は。
俺はこの数日で何度吐いたか知れない溜息を、また吐く。
警視長にも行かず、と言うよりは行けないのだ。もちろん命令違反で。
だがアイリスを失わずに済んだこと、奴らの無力化・逮捕に成功したという功績から罰と言える罰は無くなり――とは言えど命令違反は命令違反なので、こうして療養を兼ねた謹慎処分、というわけである。
「ひとまず、魔法の使い過ぎは良くないと分かったな。お前は特に」
「ううう。鍛えないと駄目でしょうか」
「そもそもお前はしなくていいことなんだ、鍛える必要は無いさ」
「でも、また今回のようなことになったら!」
「その為にも、シュンから変な薬持ち出されて飲むなよ。疲れたならお前は俺の傍に居ろ」
「……へ? 今、何と?」
「個別で行動すれば面倒事が増えかねない。俺が認めた時、かつ疲労の少ない時以外は単独行動を認めない。いいな?」
俺はアイリスの頭に手を置き、そっと撫でた。
「は、はい! もちろんです! 一生お傍にいます!」
――失ってはならない。この笑顔を。
失えば、今度こそ、俺は。
それから約3週間後、全快した俺達にショッピングモールの警備任務が与えられる。
いつまでも、俺達に月夜が訪れんことを。




