猫耳幼女と月のない夜(3)
「ごちゃごちゃしているが、いいかい」
「構わない、ありがとう」
親友――シュンと連絡を取って許可を得、俺は今こうしてこいつの家の図書室とでも言うべき場所に案内された。ごちゃごちゃと言う割に、埃は舞っても溜まってもないし、きちんと掃除はされているらしい。強いて言うなら、奥の方にある机に何冊か本が出しっぱなしになっていることか。
「布団はそこに用意してある。枕の高さが気に入らなければその辺の本で調整すればいい」
「さすがにそんなことはしないさ。じゃ、ちょっと借りるぞ。リングフォンが鳴ってたら起こしてくれ」
俺はリングフォンを外して、シュンに手渡す。別に見られて困るものはあの中に入ってない。
「じゃあお休み。君が寝てる間に例の薬を飲ませる気はないから、安心してくれ」
「その口ぶりだと、他に何かしそうなんだが」
制服のジャケットを脱ぎながら言うが、シュンは何も返答しない。おい。余計に心配になるだろ。
だがまあ、警戒するのは友人として失礼に値する。ここは大人しく寝るべきだろう。
シュンが部屋を出たのを確認して、俺は慎重に布団の中に入る。いや、怪しんでいるわけじゃないが、よくよく考えてみれば友人の家で昼寝するなんて奴は今も昔もいたなんて聞いたことないぞ、俺は。
俺はかなり変な事をしているのではないか、と頭によぎったが――こちらは考えるまでもなかった。大して休めない家に帰るのは愚策というものだ。というより、また庁に戻る時にアイリスがうるさい。
となると、俺は特に変なことはしていない。確実に休むために合理的な判断をしたと言えるだろう。
熟考してみればよくわからないことだったが、満足したので俺はそのまま睡眠欲に身を任せた。
「――シ」
遠くで声がする。いや、遠いかは定かではないが……俺は水中にいて、地上から声をかけられているような。そんな感覚だ。
重い瞼を開くと、僅かに気泡が水面に向けて登って行く。まるで人間が空気を求めてそうするように。
……ていうか、沈んでないか、俺。
いや確かに沈んでいる。水中に入る日光がどんどん遠くなって行き、辺りが暗くなっている。
この意識がはっきりしない感じはおそらく夢に違いないからなのだろうが、なぜ水中?
分かりもしない答えを探すのであれば、その時間は惜しい。今すぐにでも起きてパトロールでもした方がましだ。
「――シ!」
水中に響く声が、すこし勢いを強めた。
……もしや、俺を呼んでるのか? <シ>以外はっきりと聞こえないから何とも言えないが、俺に向けて言われる言葉、その上最後の文字が<シ>の言葉など、俺を呼ぶ以外に考えられない。
そうであるのなら早くそれに反応してやりたいが、どうも身体が動かないから沈む一方だし目が覚める気配もない。
と、流れに身を任せようとした時だった。
「カナシ!」
「はっ!」
親友の切羽詰まった声で、俺の意識は現実に引き戻された。
切羽詰まった、という割に表情は相変わらずなんだが。
「よかった、割と早く起きてくれたね。お呼び出しだ」
言いながら、シュンは右手に持ったリングフォンを左の人差し指で指した。見ると、通知ランプが青く光っていた。青はメール受信を示す色だ。
俺はそれを受け取り、メールを開く。
「何だって?」
とシュンに警察の情報をさらっと聞かれるが、答えてたまるか。
「ふむ、時間的に例の暴力団がらみかな。その裏にいたスポンサーが動き出した……そんなところかい?」
……なんで知ってる。受信したものを見ればランプの光は消えるから、メールは見られていないはずだが。
こいつなら知っていてもおかしくはないが、機密が漏れたら俺もこいつもただじゃ済まない。
「なあに、見ての通りさ。僕はメールを見ていない。ネットにはびこる無数の情報から最も現実的だと思われる未来を予測しただけであって――」
「……ああ、いい。見てないのは分かったから」
それにこいつだって一応、志す未来がある。長い付き合いだし、それを壊すような愚かなことを進んで行う阿呆には一度だって見えたことはない。
と言っても、こいつの発言に証拠が一つもないので疑わしくはあるが。
「それじゃあ、俺は行くかね……」
俺はまだ頭の周りを漂う眠気を振り払い、布団から出て制服を身にまとう。
そして布団をせっせと畳む俺を、シュンがじっと見ていた。畳み方に問題でもあっただろうか。
「その件、僕に手伝うことはできないかい?」
全然違った。何を言い出すんだこいつは。
「……あのな。確かにお前の力は大きいが、だからって警察の情報は渡せねえよ」
「いやいや、何も僕は警察と手を結びたいわけじゃない。個人的に罪人を見つけ、捕らえて褒め称えられたいわけでもない。君のお手伝いがしたいのさ」
「うさんくささしかないぞ、その台詞」
わざとらしい身振り手振りがよりそう思わせる。
「僕、そんなに信用ないかい?」
「権力には逆らえんのさ。この立場だと、更にな」
疲れたように、肩をすくめながら俺が言うと、シュンは顎に手を当てて「ふむ」と呟く。
「まあ、いいさ」
その素直さは怖いんだが。絶対何かするだろ、お前。
「無駄に時間を使わせてしまったね。片付けはこっちでやるから、早く行くといい」
「すまんな」
「なあに、出来る限りの手伝いはさせてくれ」
「ただしギブ&テイク……そういうこったろ?」
「いかにも。これまで溜まった分はいつか有益な情報でまとめて返させてもらうよ」
「俺にとっての有益を履き違えるなよ?」
「さあ、どうだろう」
含みのある笑みを浮かべたが、今はその中にある物が何なのか、それを考える暇などない。
俺は階段を飛び下り、急いで靴を履き、事件のはびこる現実へと舞い戻る――。
……アイリスが勝手なことしてないといいんだが。
■ ■
「ニャくちゅっ!」
我ながら変なくしゃみが出てしまいました。多分カナシ様が私の事を考えていたに違いありません。カナシ様が。カナシ様が。
そんな私は今、不可視魔法で姿を消しながら、警視庁へと向かっています。さすがにこの姿で電車に乗るのは色々と面倒なのですが、家から警視庁まではそれなりに離れています。まあ切符があれば乗り降りできるわけですし、満員電車にでも乗らなければ私の存在に気付かれることもないでしょう。
――何故私がカナシ様の言いつけを破って外に出ているのか。それは先ほど、私のリングフォンに出動要請が届いたからです。
そもそも私は魔術部のお手伝いという扱いなだけであって、正式なメンバーではありません。ですが魔術部も私がいることが当然のようになっているので、私に要請があっても、もはや何の不思議もありません。
それに私は、カナシ様の為に働きたいですし。その為ならいっそ正式に警官となりたいのですが……最低でも14歳である必要があるそうで、3歳の私では到底届きません。カナシ様に聞いた話では、戸籍上の私は11歳という扱いらしいのですが、それでもやはり届きません。
「ん……ニャ」
人が少ないことを確認して、私は販売機で背伸びしながら切符を購入します。
幼女に優しくないです、この機械。
出てきた切符を取った私は、時間通りに停まった電車に乗り込み、人のいない車両に移動します。
休日の昼間だというのに人が少ない……ので、私は座席に座ることにします。何だかんだで体は痛みますし。
「ふう」
一息ついてシートに体を預けますが、居眠りなんてできません。ここに座る人がいないとも知れませんし、寝過ごすわけにもいきませんし。
カタン、カタンと一定のリズムを刻みながら、窓の外の景色が次々に流れ変わっていきます。
いつもはカナシ様と二人で見るそれも、一人で見るとまた違う感覚です。やはり、寂しいです。隣にカナシ様が欲しいです。
なぜ、ここまでの愛をカナシ様は受け入れてくれないのでしょうか。しかも私、客観的に見てもそう悪いルックスではないと思うのですが。
首を捻っても、答えは出ません。カナシ様に聞いても答えてくれませんし……。
やはり、ツンデレですね! 私にはわかりますよ!
――カチャ。
「!」
揺れる音とは違う、軽い音。陶器同士が当たったような、そんな音。
どこからかは定かではありませんが、確かに聞こえました。
折角カナシ様の事を考えていたのに、邪魔をしたのはどこのどいつでしょうか。見つけ出して、ぶん殴ってやりましょうか?
「――探索魔法、銃を」
静かに呟いて、私の目を光らせます。そしてその視界には、暗黒の空間――と、宙に浮かぶ拳銃。適当な推測でしたが、的中したようです。
過去からの経験で本能的に分かるようにしまったのでしょうか。今後役立つのなら多少の悲しさはカバーできますが……まあ今役立ってますし、いいでしょう。
しかし、なぜこんな人の少ない車両で銃を? 模造銃の可能性もありますが、何にせよ危険な結果を招く要素になりかねないことに変わりありません。最近の模造銃はかなり精巧で、物によっては改造せずに撃針銃になったりするらしいですし。
探索魔法を解除、次いで筋力強化魔法で吊革に飛びつき、すぐに離れてわざと大きな音を立てて着地。とりあえず人はその場に置いて聞き慣れない音のする方、不自然に動くものに目がないと聞いたことがあります。ならば近くにいるであろう相手はそちらを見るはず。
私は着地から間もなく右側の座席に飛び移り、吊革の吊り下げられた鉄棒らしきものにぶらさがります。
それとほぼ同時に、銃声2回。博打ではありますが、成功です。運よく外れて、車内に二つ凹んだような傷ができます。
その独特の金属音は間違いなく銃弾。私は先ほど探索魔法で見た拳銃の方を見ると、もちろんのことそこには銃を小さく構えた覆面男。
見た感じ影を狙ったようですが……ふむ? 魔術師を狙う過激な輩はこれまで何度も見てきましたが、今回のは少しばかりおかしいですね。魔術師を狙う、そこは人間の視点から見れば何もおかしくはありません。ですが相手は最初から私を狙っているような……そんな気がします。
いえ、そうでなければ最初から銃を持っているのは不自然です。となれば、最初から誰かを殺すつもりで?
もしその標的が私だとすれば?
なんにせよ、行動不能にさせなくては。私はあくまでお手伝いですし、私用の麻酔手錠は支給されていません。リングフォンは部長さんの意向で支給されましたが。
なんだかんだでコストも馬鹿にならないようなので、私の分はありません。
となれば、接近して低出力の雷魔法ですか。
そう考えている間にも、私は影の位置から場所が割れて撃たれないように移動を繰り返します。座席が銃弾を受け止められるとも知れませんから、それを壁にするのは避けます。
これから仕事のお手伝いだと言うのに、筋力魔法を使うことになるとは。足を引っ張ったその罪の重さ、その身に刻んでやりまりしょうかと思いましたが、車内の整備が更に面倒になりますし、派手にやれば気付かれて電車を止めかねません。今でさえ銃声で気付かれてないのが奇跡なのですが。
……いつもでもこうして時間稼ぎをしてはいられません。一気にカタをつけないと。
「はっ!」
呼吸を伴った跳躍で床に着地し、その勢いのまま床に胴が触れそうなほど身をかがめて距離を詰めます。その影を見た相手も何発か発砲しますが、一発も当たりはしません。
「にゃぁぁぁぁぁ……!」
私は気迫と共に、距離を詰めた相手の腹部目掛けて拳を構えます。
……猫は、猫らしく――
「パァァァンチっ!」
なるべく抑えた叫びで、魔法で帯電させた拳を相手の鳩尾へ。僅かな放電の後、相手は痙攣しながら床に頽れました。
「……ふう」
一息ついて、私は不可視魔法を解除します。ポケットに手を入れて、切符が落ちてないことを確認します。
と、タイミングを見計らったかのように電車が減速、私とカナシ様がいつも降りている駅に停まります。
ひとまず、警視庁にこの身柄を――と、覆面男を担ぎ上げた時。
扉の外に、銃を手に持つ珍妙な人の群れが目に映りました。
「……カナシ様に置いてけぼりにされたり、散々です」
ふと、窓の外を見ます。少しゆっくりしすぎたでしょうか、既に夕日が沈み始めています。
私は溜息を吐いて、担いでいた覆面男の腕を握ります。
そして、扉が開くと同時に。
「せぇぇいっ!!」
今度は我慢せず、珍妙集団に向けて叫び、覆面男をぶん投げました。
私は肩で息をして、集団を睨みます。
「月夜ばかりと、思わないことですね」
僅かに冷えた空気が私に触れると、温度を感じぬ火花がそこに散りました。
私の配慮をも潰した罪の重さ、まとめて知ってもらいます。
カナシ様が来るまで、絶対に耐えてみせます。




