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猫耳幼女と月のない夜(1)

 魔術師を基幹とした暴力団との戦闘、および確保。久しぶりに大暴れしたもんで、その日はもう仕事どころではなかった。幸い魔術部側に犠牲者はいなかったものの、俺と同じように身体的なダメージの大きい者は決して少なくなかった。と言っても、俺とアイリスを含めて5人程度なのだが、如何せん魔術部は常に人員不足の問題を抱えており、それでもかなりの痛手である。ので何人かはデスクワークに勤しむこととなっている。

 何だかんだで部長の認める魔術部の要という扱いを受ける俺は、こうして帰宅したのだが。

 まあ、休める時に休まなくてはならない。何せ俺達警官の魔術師に休息などほとんどないのだから。

 が。障害というものはどこにでも現れる。アイリスだ。

「なんという僥倖でしょう、本日のカナシ様は満身創痍でまともに抵抗することができません! 今日こそ童貞をいただきますよ……じゅるり」

 俺以上に建物の中を飛び回って乱舞していたくせに、傷一つ負うどころか服をどこも汚さなかった。だと言うのに、疲れを全く見せないのである。バケモノか、こいつは。

 いや、恐らくこいつは多少の無理をしてでも俺の童貞を奪おうと力を振り絞ってくるに違いない。

 何か手はないものか――一緒にソファに腰かけながら、考え始める。

 障壁魔法ディナイアルで睡眠の邪魔はされないはずだが、多分こいつはうるさいだろうな。しかしだからと言って雷魔法サンダーで眠らせるようなことは、あまりしたくはない。

「さあカナシ様、私で存分に性欲を――」

「とりあえず黙れ」

 考えている途中にまで騒がれてはたまったものではない。

 ……そう言えば、今日は土曜日だったか。

 リングフォンを起動して確認すると、やはりそうだった。となれば、疲れの溜まった体には悪いが、<それ>も悪くはない。

 俺は今から行く、とだけ入力し、親友の下へメールを送信する。ものの数秒で返信され、来訪が許可された。

 ……よし。これならアイリスも少しはおとなしくなるはずだ。あいつも疲れ人を労われないほど狂ってはいない。

「アイリス、出かけるぞ」

「えー。今から私とオトナの休憩をするんじゃないんですかー?」

「オトナと付ければ何でも色気が出ると思うな。ほら行くぞ」

「……はあい」

 微かに動いただけでも、全身の筋肉から助けを請うように痛みが伝わってくる。こんな状況で筋力強化魔法なんて使ったらどうなるか……想像したくもない。

 帰宅して早々にまた玄関を施錠し、数週間ぶりの親友宅へと歩みを進める。鉄製の足を引き摺っているような気分だ。だがアイリスの脅威から逃れるには、これも試練の一つと考えるしかない。

 そうして少し離れた、しかし決して遠くはない所にある親友宅に着いた。

 俺は筋肉痛で震える手を伸ばし、インターホンを押す。すると、寺なんかで聞き慣れたりんの音が響いた。何故か否応なしに物悲しさを感じさせるものだから、脱力してしまった。お経でも唱えてるのかよ。

 そうしていると、ゆっくりと玄関の扉が開いた。すると、そこから親友が――――あれ。

「誰だお前」

 思わず口走ってしまったが、俺でなくともこうなるはずだ。

 親友――城崎シュンの頭に、何故か猫のような耳が生えていたのだから。

 シュンは少し恥じるように苦笑して、俺達を家の中に招き入れ、自室に案内した。


「――で、何だよそれ」

「………」

 シュンは何も言わず、タブレット端末を操作し、その画面を俺に見せた。

「……『喋れないんだ』? どういうことだよ」

 眉を顰めた俺の目と目を合わせようとせず、シュンは珍しく気恥ずかしそうに頭を掻いた。

「……にゃん」

「は?」

 俺が呆気に取られていると、シュンは光速で端末を操作し、また俺に見せた。

「『猫の耳を生やす薬を作ろうと自分で実験してみたが、このザマだ』――はあ、なるほど」

「猫耳を生やすだけのつもりが、猫になってしまったと。なんでそんなことに?」

 アイリスが純粋な質問を投げかけるが、シュンは頭を掻くばかり。言葉を発せないのがよほど不便らしい。

 と、シュンの体が急にびくん、と一度だけ大きく揺れた。何事か、と思わず身を引いてしまった。

 しばらくの沈黙の後、シュンが大きく息を吐いた。あ、猫耳消えてる。

「……このように、時間が経てばちゃんと元に戻るようにはなってる」

「どう見ても失敗作だろ、それ」

「うん、調整がちょっとね。戻るには戻るんだが、それまでにどれだけ時間がかかるのかさっぱりだ。今回は――ええと、2時間ほどだね」

「なるほどな。それはそうと……生きた猫を分解して作ったんじゃないだろうな」

「野良猫の血液をちょっとばかり拝借しただけさ、害は一切ない。それはそうと、アイリスちゃん。君の問いかけだけれど、僕がそうしたいと思ったからにすぎないよ。僕が言うのも何だが、科学者なんてのはそんなものだ」

「はあ、そうですか。変わってますね」

 まあ俺も、未だにこいつの思考回路は理解しかねる。と言うかしたくない。俺まで変態になってしまう。

「まあ、そういうわけだ。これは問題だらけで実用化は難しいだろうね」

 何に使う気だったんだよ、ほんと。

「ふむ。城崎さん、余っているようでしたら私に一つ、くださいな」

「うん? アイリスちゃん、これは猫耳が生えるなんて可愛らしい効果のある薬だけど、生える時にはかなり頭がボーッとするよ? 死の危険がないことは僕の命にかけて保証するけれど」

 机の上に置いてある、いかにもなカプセル薬をつまみ上げて俺達に見せながら、シュンは言う。

 アイリスが何を考えているのか知らないが、猫耳が生えた幼女を連れ回す俺の気苦労など全く考えていないのだろう、こいつは。

「駄目に決まっているだろう、お前は仮にも警官で――おい話聞けよコラァ!!」

「んぐ。怒鳴らないでください、カナシ様」

 時すでに遅し。どこから出たのか、シュンに渡された水でアイリスはカプセルを飲み込んだ。

 そしてアイリスの頭に猫の耳が――と思いきや、何も起こらなかった。

「そりゃ、薬だからね。おまけに即効性じゃないから、効果が出るまで……そうだね、ざっと半日はかかるだろう」

「なるほど、つまり明日には私はカナシ様とにゃんにゃんできると」

「言い回しが古い」

「ふふふ、妹属性に加え猫耳、おまけに猫口調! カナシ様の子を孕む日は遠くありませんね!」

 まだ夏は先だ、狂うには早いぞアイリス。ああ、頭が春なのか。ならば仕方ない。

「そういうわけだカナシ、観念してアイリスちゃんと一夜を共に過ごすがいい」

「いつも同じベッドで寝てますよ」

「おや、そう言えばそうだったね。では観念して君の性欲という性欲を全て――」

「ああもう、うるさいっ!! アイリス、お前は明日家で留守番だ! 分かったな!?」

「えー」

 怒鳴りつけるが、あまり効果は無い。むしろ皆に見せたがっているようだ。

「……あのな、いつも言っているだろう。俺の社会的地位が危ういと」

「前科持ちに幼女への性的暴行、おまけにその幼女に猫耳を生やす、か。とんだ変態犯罪者だね」

「前科持ち以外全く違うんだが……ていうか性的暴行に関してはどっちかと言えば俺が被害者だからな!? ふざけんなよ!?」

「そうです違いますよ。私とカナシ様は合意の上で行為に及ぶのですから」

「アイリス、黙れ」

「何をいまさら隠す必要があるのですか。私たちはとっくに結ばれた関係にあるのですよ」

 アイリスの明らかな虚言に、シュンはひゅう、と口笛を鳴らす。

「めでたい限りだ。是非ともその薬が静葉家の新しい家族を産むための助力となってくれれば幸いだね」

 ……面倒だ。来るんじゃなかった。寝ているところに騒ぎ立てられる方がまだマシだった。

 まだあーだこーだと騒いでいるので、俺は筋肉痛を我慢し、アイリスを担いで無言で城崎宅を後にした。家を出る際にシュンが冷やかしてきたので、くたばれ、とだけ返しておいた。



 さすがに今日は療養に集中したいので、障壁魔法を張って寝ることにした。アイリスには悪いので、俺はソファで寝ることにした。そう言うとアイリスは「私がソファで寝ます」と何故か気を利かせてきたが、どこで寝ようが変わりないと言い張り、俺が勝手にソファで寝た。

 アイリスは渋々と(何を考えていたのかは高が知れるが)俺の部屋に行き、寝た、と思う。深夜に俺の所に来た痕跡もなかったし。

 ……いや、まあ、今はそんなこと、どうでもいいんだが。

 朝起きて朝食を作って、アイリスを呼んだら、どうだ。――そこに猫耳の生えた幼女がいるではないか。昨日のことを思い出すまでに時間がかかって、一瞬何が起きたのか理解できなかった。

「カニャシ様。おはようございます」

「……うん?」

 耳が狂ったのかと思った。ので、聞き返す。

「なんて言った?」

「? カニャシ様おはようございます、と」

「………まあ、いい。飯を食ったらその耳が引っ込むまで大人しくしていろ」

「イニャです、今日だっていくつか案件があるはずです。一緒にした方が効率がいいに決まってますにゃ」

 口調が少しずつ猫に浸食されている。これからどうなってしまうんだ、こいつは……。

「いいから黙って休め。元よりお前はしなくていいことなんだから」

「そういう問題にゃありません! 私はカニャシ様の為に――」

「ああ、もう。調子が狂うんだよ、その猫口調」

 うんざりして言うと、猫耳が悲しそうに垂れた。

「うう。カニャシ様のイケズ」

「自業自得だ。勝手に飲んだお前が悪い」

「うにゃー……」

 それで悔やんでいるつもりか。甘えてくるようにしか見えないんだが。


 ともかく朝食を食べ終え、俺はアイリスを置いて出勤した。アイリスなしで警視庁に赴くのは過去に2度あったか、というくらいだ。それだけ珍しいことではあるが、不思議と心は軽い。うん、これが普通なんだ。家でのアイリスに恐れることなく、仕事をして、帰って――

「あ」

 結局家にはアイリスが待ち構えている。うわあ。そう思うだけで何だかいつも以上の疲れが早速身体にのしかかってくるんだが。疲労がまだ取れてないのか。

 溜息を何度か吐きながら、警視庁地下1階、魔術部のオフィスに顔を出す。すると珍しく何人かいた。いつもは常にパトロールだとか捜査だとかで、人は殆どいない筈なのだが。

「おはよう」

「ああ……静葉か……連れはどうしたぁ」

 疲れ切った声を出しながら顔を上げた男は、目の下にクマ、やつれた頬、何があったのかとにかく乱れている茶髪――と、酷い有様だった。顔に見覚えはある。昨日の時も一緒に戦った男だ。オフィスでも何度か顔を合わせたことがある。

 察するに、徹夜だったらしい。

「……今日は休みだ。それより大丈夫か」

「んなわきゃねーだろ。報告書は俺がやっといたから、その分お前働けよ」

「へいへい、分かったからさっさと寝ろ」

「言われんでも」

 猫背になってオフィスを出た同僚を見送り、俺はまた溜息を吐いた。先に帰らされてどういう事かと思えばこういうことか。まあ、何事もなければ俺は今日何もせずに帰れるわけだが……都内だけでも、一日に一件は魔術犯罪、つまり魔術師が絡んでいる可能性の高い犯罪は確実に起こる。しかしどこで起きるか分かったものではないので、早速パトロールを始めるとしよう。

 まだ少し痛む体を動かし、準備運動の代わりにする。周囲の同僚はそんな俺を気にすることなく画面に向かっている。ご苦労様だな。

 ――さて、行くか。

 結局顔出しだけとなったが、特に問題はない。俺はエレベータに乗り、再び地上に戻る。

 ふと空を見上げると、灰色に濁った雲がちらほらと、太陽に意地悪するように蠢いていた。流れを見るに、雨が降る心配は無さそうだ。まあ、傘が無くても障壁魔法で代わりはできるんだが。

 ともかく俺はアイリスが家で待つという俺の複雑な気持ちを表したかのような空の下、一人で春の陽気にやられた阿呆の捜索を始めた。

(2)に続く。

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