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ノーマライジング・ウィザード  作者: 七々八夕
セリアス・パンデミック
25/31

File:20「ノーマライズ・ワールド」

 やはり、静かだ。

 音が無いと、体内時計が狂う。

 他人の声ではなく、生活音、というものが無いからだろう。

 ただ、俺の傍にはアイリスがいる。それだけで、時間などなくてもいいと思わせてくれる。

 こんな時に、本当に緊張感が無いと思う。

 でも、いい。やるべきことはしっかりやる。

 それに、今のうちにリラックスしておいた方が良いだろう。

「ねえ、カナシ様」

「なんだ?」

「その。例の魔法を使うことに、ちょっと自信が無くて」

 申し訳なさそうに下を向くアイリス。

 まあ、一度も使ったことが無いんだ。そう思うのも仕方がない。

 俺はアイリスにそのやり方を教えようとして――どうしよう、と思った。

『バカナ兄』

 うるせえ。

 ……要は、どう使えばいいのか、うまく言葉にできないのだ。

「どうしました、カナシ様?」

「……相手が元に戻ることを、願ってくれ」

 ふむ、とアイリスは顎に手を当て、何かを察した。

「なんとなくはわかりました」

「……分かるのか」

「はい」

 それはそれで、何かやるせない感じがある。何か、俺って結構下に見られていないか?

「実際の所、カナシ様の言った通りでしょうからね。それに私達、本番に強いタイプでしょう?」

「意識したことが無いから、わからないな」

 大した訓練もせずに実戦を幾度となく乗り越えてきた、という意味ならその通りだろうが。

「ぶっつけ本番でもなんとかなります。試す暇もありませんしね」

「そうだな。いざとなったら、俺が全部やり切る」

「駄目です。困った時はお互い様――それが人付き合いの基本だと、本で読みました」

 本当に基本の基本を突いてくるな。そうツッコんでやりたいところだったが、その無邪気な顔には何も言えなかった。

「……分かったよ。でも、無理はするなよ」

「ふふん、大丈夫です。オンナは強いんですよ!」

 そういう言い回しも、本で学ぶのか……?

『アイリスは見た目ほど子供じゃないってことよ』

 まるで自分もそうだとも言わんばかりだな、お前。

『んー? どうかなあ』

 そんな、妙にはぐらかされてもな。

 やはり性格は違えど根っこは同じ、ということだろうか。しかし、アヤメを理解してもアイリスを理解したことにはならない。納得させられる根拠は出せないが、そんな気がする。

「なあ、アイリス」

「なんですか?」

 話しながら、上野公園の中に入る。何度か来たことはあるが、あんまりはっきりとした記憶は残っていない。

「静かだな」

「静かですね」

 萎れた落ち葉を踏みながら、俺達は園内を歩く。

 俺達以外、誰もいなくなってしまったかのような静けさ。

 お前が望んでいたのはこんな世界か、アヤメ?

『……ううん、違う』

 返ってきたのは、予想外の答えだった。……いや、考えてもみれば予想外でもないか。

 アヤメの望んだのは、俺とアヤメ以外がいない世界。

 ある意味では、既に叶えられている。しかし現在の状況と比べると――確かに違うな。

 既にアイリスが心に入っている。

 心をアイリスが満たし始めている。

 おそらく、そう言いたいのだろう。

『うん』

 その声は、どこか悲しげで。

 人間で言えば、何か悩み事を抱えているときの口調だった。

『……大丈夫だよ。今は関係ないから』

 そうか? いやでも、今は時間があるし、多少お前に時間を割いても――

『いいの。これが終わったら、また時間はいくらでもできるから』

 まあ、本人がそう言うなら良いだろう。

 それにその言葉には、この作戦の成功を願う祈りも含まれていると信じたい。

「さて、ここで待とうか」

 公園の中心、大噴水の前で俺達は足を止めた。

 人はいなくとも、ここにあるものは相変わらず活動を続けている。

 見た所、火事場泥棒らしき人物も見当たらない。

 動物園から動物が逃げ出している様子もない。

「皆が来るまで、落ち着いて待っていられそうだ」

 俺は大きく息を吐いて、近くにあるベンチに腰かけた。

「アイリスも、歩きっぱなしで疲れたろう?」

「すいません……では、失礼します」

 よいしょ、とアイリスが俺の隣に腰を下ろす。

 辺りには噴水の豪快な音ばかりが響く。

 いつもなら人々との喧騒と混ざって、賑やかさを演出しているのだろう。

 だけど、噴水だけになると、ただ物悲しさを際立たせる。

 例え水で模る造形がいくら綺麗であるとしても、それは変わらないと思う。

 ここで訂正しておく。生活音でなくとも、体内時計は狂う。

 おまけに今は昼間で空色の変化は大きくない。それもまた狂わせる原因となっている。

「アイリス」

 無意識のうちに、言葉が出ていた。

「なんですか?」

「……あー」

「ふふ、何も考えてなかったんですね」

 誤魔化そうと頬を掻くが、すぐに見破られた。

 それでもアイリスは不機嫌になるわけでもなく、ただ微笑んでいた。

「本当に思い合うカップルは、無意識にその人の名前が口から出るのだそうです!」

 嬉しそうに言うアイリスだが、呆れるほかない。

 おそらくそれも、本で得た知識だろう。……おおよそ、少女漫画か何かだろうが。

「じゃあ、これが終わったらもっと思い合おう」

 ふとつぶやいた言葉だったが、アイリスは耳まで赤くして硬直した。

 初めて見た表情に、俺も驚いてしまった。

「そ、そそそそれはついに、私と……」

「……早くても4年後くらいに頼む」

 そんなことを言っていたら、いつの間にか4年が経過しているのだろうか。

 狂った時間を観測する眼球は、噴水の飛沫を見つめていた。


 ――そんな時だった。


「おまたせ」

 微笑を浮かべるララが、俺達の下に辿り着いたのは。


           ■            ■


 魔術部、部長室。

 そこで僕とリンドウさんは、無意味な言い合いを続けていた。

 敵かどうかも分からない相手と。

「僕達にできることは、何かないんですか。ウェルフ・バートルの思考を超えて、彼の先を行くことは」

「君も科学者を志す者なら、奴の力を知らないわけじゃないだろう。奴の前では、俺達など凡愚同然だ」

 悔しいが、その通りだ。

 だけど、何もせずそれを待っていればいいのか?

 僕にはそんなこと、できない。

「カナシに伝える気か」

「っ」

 僕がポケットに手を突っ込んだと同時に、その行動の意図を読まれた。

「伝えてどうする。カナシはウェルフ・バートルを知らない」

「注意を促すことはできる」

「いくら注意していても、事故は起こる」

「被害を減らすことなら!」

「……どうやら君は、言うほどリアリストじゃないようだな」

 呆れの声。

 確かにこんなに焦って興奮しているのは、若さゆえだろう。

 それでも。

 友達を救うために行動を起こそうとすることの、何がおかしいのか。

「奴が動いた以上、こちらはどうすることもできない。異術師が出現した時点で、俺達の敗北は決まっている」

「……な、に?」

 そんなに、前から?

 その言葉は、うまく口から出なかった。


「世界は終わる。もうすぐな」


           ■            ■


「ララ!」「ララさん!」

 同時にその名を呼び、俺達はベンチから立ち上がった。

「や。作戦サボって愛を育むだなんていい度胸ね?」

「……返す言葉もありませんね」

「まあ、お前が来たってことは仕事があるってことだ。行くぞアイリス」

「はい」

「いや、その必要は無いわ」

「は?」

 駆けだした俺達を、ララはわけの分からない発言で止めた。

 この作戦の意味を、理解していないのか? そこまで流暢に日本語が話せるのに。

「異術師は私が全部ここに呼んだ。もうちょいリラックスしてなさい」

「いや、でも……」

「……そうね。少し効率が悪いかしら? そんなアイリス(足かせ)があると」

 戸惑う俺達の方を、ララが振り向いた。

「――!」

 その目は、黒かった。

 まるで悪意が、そこで渦巻いているかのように。

 一瞬で分かった。異常だと。

正常化魔術師ノーマライジングウィザード、静葉カナシ。あんたは私の期待通りの力を見せてくれた。でも……駄目ね。神の力に対抗しようとするなんて」

 ララの口ぶりが、いつもと違う。それはすぐに分かる。

 だが、それ以上に気になるのは――<力>、<神>という言葉だ。

 何故かはわからないが、通常の意味を孕んでいるのではない。そう直感が告げている。

「ララ、お前は……」

「ねえ、おかしいでしょう? ウェルフの魂理論が正しいのなら、アイリスやアヤメを生み出すときに、あんたは相当の魂――いや、自分を犠牲にするほどの魂を消費している筈。それなのにあんたはこの3年間を魔術部で過ごしてきた。重要な戦力として」

 混乱する俺をよそに、ララは長々と語る。

「つまりあんたには、命を複数生み出して有り余る魂があるのよ」

「!」

 その言葉は、何故か理解できた。

 そうだ。よく考えてみればおかしい。

 何故俺はまだ魔法が使えているんだ?

 アイリスは、俺の魔法で生まれた存在。その分の魂は消費しているはずなのに。

「まったく、これじゃ私が間違いを言ったみたいじゃない。やめてほしいわね、あんたみたいなイレギュラーは」

 ――私が?

 なんだ、その口ぶりは。

 それだとまるで、お前が。

「紹介が遅れたわね」

 やけに大袈裟な身振り。ドレスを着た高貴な女性が、挨拶するかのように一礼。

 彼女はにやりと笑みを浮かべ――言った。


「私の名前はウェルフ・バートル。魔術師研究の第一人者で、魂理論を提唱した――あんたらの認識は、そんなところかしら?」


「な……」

「嘘……ですよね? ララさん……」

「嘘? 嘘だと思いたい? じゃあそう思ってなさい」

 ……なんだよ、それ。

 あまりに衝撃的過ぎて、逆に理解は早かった。

 勝手な固定観念にとらわれていた。

 俺の頭の中にいたのは、白衣を着た、年老いた男。

 目の前にいるのは、絵に描いたようなアメリカの少女。

「私の目的は魔術師だけの世界を作ること。ちゃんとした秩序もできた状態も含めてね」

「ッ……どいつもこいつも、似たようなことばっか考えやがって……!」

 脳内でララの情報が書き換わる。

 正体はウェルフ・バートル。

 そして、敵。

「いいわ、その敵をクズみたいに見る目。その目で今まで何人殺してきたの?」

 返事の代わりに、衝撃魔法インパクトを打ち出す。しかし何かに遮られる――障壁魔法ディナイアルか。

「魔法の初歩も初歩ね――そんなものが通用するとでも? 私を誰だと思ってるの」

 魔術師研究の第一人者。同時に魔術師……自分で、色々試したってことか!

「そう焦らないのよ。お話ししましょう?」

「この状況で、何を馬鹿な……!」

「確か、あれは16年前ね」

 俺の言葉も無視して、ララは勝手に語り出した。

「偶然日本に来た時、あんたの両親に出会った」

「!」

 俺の知らない、過去。それもそうだ、16年も前となれば、おそらく俺は生まれていない。生まれていても、大して記憶を蓄えてはいないはずだ。

 俺は自然と、その話に耳を傾けてしまっていた。

「その時、母親の記憶と未来を見た。そこで初めて、あんたを知ったの」

 さらっととんでもないことを言ったが、おそらくそれも魔法を駆使したのだろう。

 可能性に溢れているのだから、それができても不思議ではない。

「そして次に、あんたの未来を見た。今と変わらず、とんでもない力を持っていたわ」

「……それを脅威と見ていたのなら、何故もっと早く行動を起こさなかった」

「最初に会ったときは、ただ観察していたの。それから魔術部に行って……予想外の罠に嵌ったわ」

 予想外の、罠?

 その正体を知るのは、ウェルフだけ――俺は生唾を呑んで、次の言葉を待った。

「洗脳魔法を食らった。あんたの父親はとんでもない人物だったわね」

 ――洗脳魔法。その存在は知っている。

 でも、驚いたのは別の事だ。こいつは、魔法の効果を受けたといったのだ。

 ウェルフも案外、普通の魔術師ということか?

 いや、技量では明らかに俺達は負けているだろう。何せ、使っている時間が違うのだ。

 だが――こちらの魔法が一切、効かないというわけではない。不意打ちを狙えば、あるいは。

「そのせいで少し計画が遅れたわ。まあ、都民が殆どいない状態じゃ何もできなかったんだけど」

「都民がいないと、できないこと……?」

 アイリスがウェルフの言葉を反復する。

「こういうことよ」

 パチン、とウェルフが指を鳴らすと、公園の各所から――異術師が、現れた。

 まるで、こいつに従っているかのように。

「改めまして、異術師――と、あんたらが呼んでる存在。認識も大体合ってるんじゃないかしら?」

 それは、シュンの仮説か。

 憎しみをトリガーに異常進化した、魔術師ではない魔術師。

 それを利用した計画、ということは――

「まさか異術師は、お前が」

「That's right!」

 ウェルフは再び指を鳴らす。その顔は前よりも、卑しかった。

「未来が私の見た通りに進むとは限らない。だから私は、あんたが予想以上の力を持った時の為の、保険を用意したのよ」

「それが、異術師――なるほど、人間に多少の手を加えるだけなら、わざわざゼロから作る必要はありませんね」

「さあ、どうするの、正常化魔術師ノーマライジングウィザード? 皆殺しにする?」

 道化師のような弧を口で描き、ウェルフは俺を挑発する。

 見渡す限り、異術師。それも手だろう。

 だが――俺は救うと決めた。それに。

「手間が省けた」

 元よりこの作戦は、ここに異術師を集中させて、俺が正常化魔法ノーマライズで一気に人間に戻すのが目的だ。

 両手に力を籠める。そして、願え――

「――隙だらけよ」

 集中する俺の下に、ウェルフが拳を構えて飛びかかってくる。

 俺が何の準備もしてないと思ったか。

「カナシ様に――触れるなぁっ!!」

 身体強化魔法ストレングスを発動したアイリスが、その背後を取る――しかし、放たれた蹴りは障壁魔法に阻まれる。

「っ、シッ!!」

 それでも続けて蹴りを食らわせる。

 俺に攻撃する際には、障壁魔法を解除するはず。

 アイリスからの防御を優先させるか、俺への攻撃を優先させるか。

 俺はどちらにせよ、一刻も早く正常化魔法を使う必要がある。

 あるいは、ウェルフを殺す。

 それからでも、正常化の作業はできるはずだ。

 ――その考えは少々甘かった。

 ウェルフは拳を構えた体勢のまま、まっすぐ俺の方に落下してきた。

『カナ兄避けて!』

「っ!?」

 俺はその意図を理解して、その場を離れた。

 集中が消えた両手から、力が抜けていく感覚がする。

 ――こいつ、障壁魔法で押し潰す気だったか!

 地面を転がって、ウェルフは体勢を立て直す。

 なるほど、手を抜いているらしい。奴は自分にとっての初歩で、俺達の全力を潰す気だ。

「っ、アイリス!」

 名を呼ぶと、すぐに俺の傍に現れる。

「彼女の思考、常識では測れません――と言っても、まだ一撃目ですが」

「正常化はお前に任せる。俺は奴を足止めする!」

「で、ですが!」

「こいつは俺に興味があるんだろ! だったら要望に応えてやるさ……行け、アイリス!」

 一際強めの声で言うと、アイリスは少し躊躇うようにしてから、すぐそこまで迫る異術師たちの下へ駆けた。

 ……後で行く。

 心の中で付け加えて、ウェルフの方に向き直る。

「相変わらず愛し合ってるのねえ、自分の同位体のクセに」

「何とでも言え。愛は他人の冷やかしで止まるモンじゃない」

「青臭いね!」

「ガキのフリしたクソガキに言われたくないッ!!」

 身体強化魔法を発動し、右の拳を強く握る。それからそれを突き出すと同時に――

衝撃魔法インパクトォッ!!!」

 その障壁を、打ち破る。

「へえ?」

「力技だが、十分だろうよ……!」

 一瞬その表情は驚きに変わった。

「でも駄目。それが精一杯でしょ?」

 ――しかしすぐに、また先程の三日月を描く。

 俺はすぐに飛び退き、反撃に備えて身構える。

 が、何もしては来ない。

『あくまでこっちの力を測りたいだけ……? それとも、時間稼ぎ……?』

 どっちでも通るな。……さっさと消えればいいのに!

「え?」

 心の中で毒づいて――閃いた。

 正常に戻れと願うことで異術師が人間に戻ったのなら。

 消えろと願えば、消えるのではないか?

 駄目元だが、試す価値はある。

「お見事」

 と――急に、ウェルフが称賛の声と共に手を叩いた。

「けど――私を消しても世界の終わりは止められない」

 その笑みは消えないまま。

 先程の発言からしておそらく、俺の思考を読んだのだろう。

「――そんなことは無い、その為の魔法だ」

「不可能を可能にする能力、ね」

 そうだ。どんな不可能も可能に変える。その力で、俺はこの世界を正常に戻す。

「じゃあ、それでどこまで戻すの? はっきり言って、あんたを始めとする魔術師がここまで成長しなければ、今回の様な事態には陥らなかった」

「魔術師がいなければよかった、ってことか……?」

「ちょっと違うね。魔術師に良識があればよかったのよ」

「そんなの……今から変えていけばいいだろう! そのための俺達だ! 魔術部だ、警察だ! 結論を急ぎ過ぎだ!」

「じゃあ、アヤメはどうなるの?」

 その一言で、心臓が鷲掴みにされた気分に陥った。

 アヤメは。

『わ、私は……いろんな人を、巻き、込んだ……』

 途切れ途切れに言うアヤメ――そう、その通りだ。俺でも弁明はできない。

 自らの欲望の為に他人を巻き込み、迷惑を被らせる。最もあってはならないことだ。

 それを――アヤメはやったのだ。

「そう、私が踏み切ったのは紛れもなくアヤメが異常化したからよ」

 悔しいが、理由としては十分だろう。

 だからって。

「だからって、そのままなわけじゃない! アヤメは変わったんだ!」

「形のないモノに名前を付けただけじゃないの? アヤメはもうどこにもいない」

「いるさ! 俺の中で! アヤメはまだ! 生きている!」

『カナ兄……私……』

 アヤメ、耳を貸すな! お前はまだここにいるだろう!

 必死で叫ぶも、どうやらあまり耳に入っていないらしい。

 放心状態――脳が、そう認識している。

「呆れた。シスコンもここまで来るとただのバカね」

「バカはどっちだ……!」

「そうね、冥土に行く前にこんな話はどうかしら。この世界について」

「ッ……」

 マイペースにまた、ウェルフは語りだす。

 何をしたいんだ。何が望みなんだ。

 何もつかめない。

 目的がわからない。

 何のために、こんなことを!

「科学革命が起きたあの日、魔術師も同時に生まれた。その無限の可能性を、私もすぐに手にした。それから目一杯研究して、私は魔術師ひとりひとりが神に等しい力を持ち得ることを知った」

 ……なるほど、つまりは全員が神になられては困ると。

 皆が皆俺達のように知恵をつけてしまえば、混乱は避けられない。

 言いたいことはわかる。けど。

「それはただ、可能性に絶望しただけだろう」

「はぁ?」

「本当に魔術師に無限の可能性を見ていたのなら、これから変わっていくことだって信じられたはずだ」

「無限は永遠じゃないの。私はこの可能性を見限った」

「じゃあ、何が目的でこんなこと……!」

「未来という可能性に託すだけよ。だから私が死のうがあんたが死のうが変わらない。この世界をまっさらにするのが、今のこの行為の目的よ」

 それでこの世界を残してやりやすいようにするか、理想の世界の創造を未来の自分に任せるか……どちらにせよ、俺達の負け?

 そんな馬鹿な。そんな負け方があるか。

「信じたくない? それでもいいわ。さあ好きにしなさい。抗うのも受け入れるのも自由よ」

 腕を広げて、隙を見せてくる。

 殺せばいいのか?

 わからない。何が正しい。

 思考が混濁する。

 アヤメも頼れない。


 ――アイリス。そうだ、アイリスなら。

 そう思って、アイリスがいるであろう方向を向いた時。

 俺の眼前を、白い物体が通り過ぎた。

「……え……?」

 それからゆっくりと、それが落ちた音がした方を向く。

 それがアイリスだと、気付くのに時間はいらなかった。

「――アイリスッッ!!」

 俺は飛来したアイリスに駆け寄り、その身を揺らす。

 するとその目が僅かに開き、俺の方を見た。

 服も、体も傷だらけだった。

 その姿を見て、後悔せずにはいられなかった。

 何故俺は一人で行かせた。

 効率だとか、気にしなくてはならなかったか?

 合理的でなくてはならなかったか?

 結果論かも知れない。俺がアイリスと一緒に、正常化の作業に向かっていたら?

「すまない、アイリス……!」

「カ、ナシさま……」

 震えた声で、アイリスが声を発する。あまりにも弱弱しくて。

 今にも、消えてしまいそうで。

「ごめんなさい……うまく、いかなくて……」

「あら、あんたは何も悪くないわよ。私が少し手を加えただけ」

 ぱきぽきと指の関節を鳴らしなら、ウェルフが歩み寄る。

 その足音の一つ一つが、俺の絶望感を煽る。

「そうそう、さっき魔術部だの警察だの言ってたけど――あんたのお仲間は既に、みんなオダブツよ?」

 この言葉で十分だった。

 もう、戦意がほとんどない。

 アイリスとの未来も。もう無いとでも言いたいのか。

「仮にあんたが私を殺して、異術師をみんな正常に戻して、この事態を終息に導いたとする。それで、少しの間だけはアイリスとの幸せな時間が過ごせるでしょうね。でも本当に少しだけ。すぐにその幸せも終わる」

「そんな、こと」

 ない、とまで言い切れなかった。

 心が折れていた。

 探せば糸口もあるはずだ。でも完全に、気力が失われていた。

 ありえない。アイリスとの時間より大切なものはないと思っているはずなのに。

 ――まさか。

 心のどこかで、俺が言った。

「あ、今気付いた? あの時の逆……テンション下げてみたんだけど。どう?」

「お前……!」

 反抗しようとしても、意志が伴わない。

 そうだ、俺にできないことを平然とやってのける相手なんだ。


 ――勝 て る わ け が な い 。


「カナシ、さま……」

「すまない、アイリス……俺では、奴には……」

「そうかも、知れません……ですが、私達ならば……」

「っ!?」

 その言葉の意味を理解して、少しだけ気力が戻った。

 アイリスは今、単純に一緒に戦おうと言ったのではない。

「お前は……俺にお前を、吸収しろと言いたいのか……!」

 アイリスは答えず、言い辛そうに視線を俺から逸らした。

「そんなことができるか! さっき約束したばかりだろう! 4年後じゃなくたっていい! これが終わったら――」

 激昂する俺の頬に、アイリスの手が触れる。

 傷だらけでも、変わらずその手は優しかった。

 小さかった。暖かかった。

 その温度は俺を鎮める――しかし、納得はできなかった。

「俺は……お前がいないと……駄目なんだ……!」

「世界はあなたがいないと駄目なんです。……お願いです。私は幼女に説得されるあなたなど見たくはありません。どうか、この世界を――元に、戻してください」

 俺に触れる手から、力が失われる。

 重力に逆らう力も失ったそれは、だらりと地面に寝転んだ。

「アイリスッ!!」

 返事は無い。

「アイリス! 返事をしろ、アイリスッッ!!!」

 どんなに大きな声で叫んでも、何の反応も見せない。

『死んだ……』

 ふいに、心の中でアヤメが呟いた。

 いや、もうそれがアヤメなのかもわからない。

 もしかしたら、俺の本心なのかもしれない。

 ……もう、それすらもどうでもよくなっていた。

 結局俺は不幸なままだった。

 人間万事塞翁が馬。その通りだ。俺は手にした幸福を幸福としか思っていなかった。

 その先にある困難など、容易く乗り越えられると慢心して。

 失った時のことなど、考えもせず。

 ――俺は、あまりにも、不完全……過ぎた。

 意識の色が薄まっていく。

「そう、あんたは不完全。その力を振るうには若すぎる」


 俺は……戻す……。


「大きな力という資格はあったけど、使い方を間違えた」


 正常に……戻す……。


「その結果、私が手を下すことになった」


 アイリスと一緒に……。


「お別れね、静葉カナシ」


 戻す……。


「悲しき愛に、幕引きを」


 時間を――戻す。


「ア、イ、リ、ス」

 吸収。

 あつい。

 出さないと、こわれる。

 出す。戻す。戻す。戻す。出す。戻す。


 光。



「そう――過去の未来に託すのね」



           ■            ■


「っ、なんだ……地震?」

 急に部屋が揺れ始め、僕は戸惑いを隠せなかった。

 しかしリンドウさんは、相変わらずだった。

「まさか……これが、結果?」

「そうらしい。しかし、カナシも変な選択をしたな」

「カナシが……?」

 ということは、この地震はカナシが起こしているのか?

 それほどの魔法を、使おうとしているのか――?


「自分より、世界を救う事を優先させたか」


 意味深な言葉は理解できぬまま。

 僕の視界は、光に包まれた。


           ■            ■


 願いは大きければ大きいほど、他人を巻き込みやすくなる。

 わたしはきっと、その欲に負けてしまった。

 くたびれただろう。もう休もう。

 ばかだと、皆さんは笑うでしょうか。

  `

 まあ、それでもいいさ。その罪も無かったことになるんだから。

 たとえば、です。またあなたが私を生み出し得る力を持った時は……。

 あんなことにならないように、注意してもらうしかないな。

 なんどでも、ですか。

 たとえ如何なる罪を背負うことになっても――お前と一緒なら。

 とんだピエロですね、わたし達。

  °


 それも、悪くない。

 正常に戻す光に包まれながら、俺達はそれでも手を握り続けた。

 機械仕掛けから出てくる神は、今何を思っているのだろうか?

 これも想定内なのかもしれない。

 だが、俺は無限の可能性に賭けた。

 頼む――自分に祈りながら、俺の意識は一瞬だけ途絶えた。

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