File:18「カウントダウン」
「シュン!」
俺は魔術部に戻るなり、シュンの部屋へと男を運んだ。
もちろんのこと驚かれたが、拒否はされなかった。
ただ、疑うような目で俺を睨んだ。
「異術師とは言え、人間だろう。勝手に連れて来てよかったのかい」
「う……」
そう言えば、その辺りは考えていなかった。
罪のない人間を殺したわけでもないし、死刑を負うことは無いだろうが……それなりの罰は、期待できそうだ。
『胸張ればいいじゃん、不当な扱いを受けた人を助けたんだって』
……そううまくは行かないんだよ、この社会。
「まあ、適当に罪を見つけて、逮捕したとか言えばいいだろう」
「器物損壊……ってことにはなるかも知れないが」
「現行犯かい?」
「……一応」
シュンの問いに、俺は自信なく答える。いや、確かにそうなのだが、声を大にして言いたくはない。
ちっぽけな自尊心と言われれば、そうかも知れないが。
「カナシにしては珍しいね、殺さないなんて。君は犯罪者を憎んでいたはずだけど」
「語弊があるな、俺が憎んでるのは殺人犯とか、その類だ。それ以外は法に基づいてるだけ……って、そうじゃなくて」
「身柄をわざわざこんなところに運んできたんだ、よほどの用だろう?」
「ああ」
デスクに置いていたコーヒーを一気に飲み干すシュンに、俺は頷く。
「洗脳やその類を受けていないか、それを確認してほしい」
「……なるほど、集団洗脳。魔術師ならできそうだね。けど、受けていない場合――本当にただの進化だった場合、どうする気だい?」
シュンの目が鋭くなる。
そうなってしまったのなら、答えは一つしかない。
「法に従うさ」
「ふむ。では、もう一ついいかな。もし異術師が存在する原因が魔術師にあるとしたら、どうする」
「……そうだって?」
「可能性の一つとしては考えられる。と言うか、それ以外に有力な仮説はほとんど考えられない。――さあ、どうだい?」
どうだ、と言われても。
魔術師が全員死ねばいいのか? 俺達だって人間なのに。
じゃあ、異術師が死ねばいいのか? ……同じ、人間なのに。
「……俺は。俺は、腐ってても警察官だから。罪のない人間は殺さない」
俯いて答えると、シュンは困ったような笑みを浮かべ、端末の画面に向き直った。
「警察官らしい答えだ。だが、相変わらず変に不器用な奴だね。共存がお望みなんだろう? ――あ、その人はそこのベッドに寝かせてくれ」
「そう、なのかもしれない」
シュンに言われたとおりにしながら、曖昧に答える。
でも、アンラと共存なんてできるのか?
『魔術師と分かると、一方的に攻撃してくるしね』
……それでも手を差し伸べられるか、か。
あ。そういえば。
「なあ、シュン」
「何かな?」
「やっぱり異術師は魔法を使ってる。多分、魔法陣なんてのは飾りだと思うんだが……」
「なんとなく考えてはいたけどね。僕は異術師という存在が、かなり人間に近い物だと考えている」
それは確か、細胞の話をした時にも言っていたような。
「これもほとんど事実に近いだろうけど……まとめるとこうだ。一般の人間は魔術師が魔法を使用している瞬間を見ることで細胞が刺激され、突然変異によって魔術師に進化する」
「そうだな」
「そこに、魔術師への憎しみが加わったとなるとどうだろう? 魔術師に会社の部下、上司だとか、家族や友人を殺されたとか、建物や交通機関を公共物を壊したとか。中には自分の不幸な境遇を魔術師のせいにすることもあるらしいけど――ともかく、罪を犯したことによる魔術師への憎しみが積み重なっている状態で魔術師になったら、どうだい?」
「暴走して自分がその側になったり、自棄になって自殺したり……色々と例はあるが、ざっとそんなところだな」
「うん、そうらしいね。で、だ。そんな例が多数あるとすれば、いい加減人間も分かるはずだ、魔術師になる際の発光現象を」
……確かに、場所を選んで魔術師への進化ができるわけではない。多くは俺達の活動の様子を見たり、俺達が対処すべき魔術師の暴走を見て、その場で進化する。
しかも東京都内であるのだから、深夜でもなければ人通りは常に多い。
であれば、場所など関係なく、どこかで起きる魔術師への進化を見る確率は高くなる――筈。シュンはそう言いたいのだろう。
「でも、防げるわけじゃないだろう?」
「おそらくはね。でも、無駄だと分かっていても抵抗はするはずだ。あんな存在にはなりたくない――ってね」
確かに、そうだ。俺達からしてみれば複雑だし、思ってても口にしてほしくはないが、現実はそうなのだ。
「で、そこで強い意志による拒否反応――それで進化が微妙なトコで止まった、と言うのが僕の見解なんだが」
「……お前がそう言うなら、そうなんじゃないか?」
俺が言うと、呆れたように溜息を吐かれた。いや、本音なんだが。
「カナシ。君は刃物を頭に突き刺したらどうなるか、を聞かれてるようなものだと思ってるだろ? ひねくれているようだが、生きている、というのも答えの1つだ。だから答えは1つだけじゃないんだよ」
「……言わんとしてることは分かるが、俺も頭がいっぱいいっぱいなんだ。仮説とか、考えてる余裕はない」
「と、そうだね……悪かった。それで、洗脳されているか否かだけど」
「さっきララに試してもらった。俺の血だ、使え」
「できれば人間の――僕のが良かったけど、君の血を無駄にはできないね。これを使うよ」
無針採血器を受け取ったシュンは、大きく伸びをしてからキーを叩き始めた。
邪魔をすまいと思った俺は、ひとまずオフィスの方へと戻った。
そこには待たせていたアイリスとララ、その他の魔術師が何人かいた。……いや、全員だな。
これは常に人員不足の問題を抱える魔術部にあってはならない状態のはず。本来なら全員パトロールに出払っているはずなのだが。
「ああ、カナシ。いやな、お前の親友から外に出ない方が良いって言われてよ」
過去の暴力団がらみの事件で一緒に戦った先輩の男が、頭を掻きながら不満そうに言う。
「シュンが?」
「なんでも、ヤツらは魔術師を見つけるなり攻撃するらしいじゃねえか。でもって人間には危害を加えないらしいが……本当なのか?」
「つっても、俺達も戦闘になったのはほんの数回だ。だが、その見解に間違いはないだろうな」
俺が自分の席に座ると、部屋の隅に置いてあるパイプ椅子から降り、アイリスが俺の顔を見つめた。
「カナシ様。確か異術師は覚醒前の魔術師も攻撃していたのですよね?」
「あー……」
そんなこともあったか。
あれを含めて、異術師が異常であるのは明白だ。
「何で、異術師は魔術師と人間の区別がつくのかしらねぇ?」
と言いながら、アイリスの隣に座っていたララが立つ。
――そう、それだ。
「その話をする前に、少しいいか」
「ええ、どうぞ」
俺はシュンの仮説をかいつまんで皆に話した。
特に驚くわけでもなく、皆が皆考え込んで黙っているばかりだった。
「なるほどねえ。つまり、自分の現状を不幸に思う気持ちが魔術師への進化を中断させて、微妙な状態になった。でもってその不幸の原因が魔術師だ、と」
「大体そんなところだろう」
「ですが、意識はどうなのでしょう。まともに言葉を話せてはいませんでしたよ」
アンラは仕方ないのかもしれないが、中には一般人の格好をした異術師もいた。
まさかとは思うが。
「脳細胞の変異途中、か?」
「となると、変なセンサーができても不思議じゃないわね。連れ帰った彼、解剖してみたら?」
「……今、していいかをシュンに確認させてる」
「ん、何でだ?」
首を傾げる先輩に、アイリスが人差し指と視線を上に向ける。
「洗脳ですよ」
「ん……暗示でどうこうして人を操るってのは魔研の資料で見た気がするけどよ、あれって法律で禁止されてなかったよな?」
「そりゃ、できるなんて思ってないからな。けど、洗脳行為自体は罰せられる」
過去に本で読んだ程度だが、洗脳された人間は心神喪失状態として扱われ、その人間に罪は課せられない。代わりに洗脳者が罪を負うことになるらしい。洗脳と犯罪の助長で。
「なんか、ややこい話になってきたな。いっぺんに潰すんじゃだめなのか?」
「公務執行妨害とでも言えばいくらでも逮捕、処刑は可能ですが……心神喪失状態だとどうでしょう、無罪です。洗脳されていようといまいと、あれでは責任能力があるようには見えません」
アイリスは悲しげに言うが、現実だ。何も考えない人間なら、ゾンビだとでも泣き喚くだろう。
「てことは、俺達は無罪の人間を殺すも同然ってことか……」
「それは警察としてはどうかしらね?」
「……打つ手なしかよ」
唾棄するように言い、先輩は椅子に尻から飛び込む。
勢い余って転倒しかけるが、妙なバランスで元の体勢に戻る。
「……今は、シュンの答えを待つしかない」
それを待つまでの時間は、酷く静かだった。
死刑執行を待つ罪人の気分が、なんとなくわかった。
「なあ、ララ――」
「こんな時に使う魔法じゃないわよ」
最後まで言わせてもらえなかった。まあ、そうと言えばそうだが。
ただ、こいつがどういうタイミングでどういう魔法を使うのか、未だに分からない。
流れている血の違い、というのも少なからずあるだろうが。
「悲観するなと言われても、これじゃあなぁ」
「別に悪い方に考えてるわけじゃないけど、ま、空気がこうだとね」
「……俺、ちょっと部長と話してくる」
「私もお供します」
「いや……俺だけでいい。ごめんな」
目を伏せながら言うと、アイリスは少し悲しそうにしたが、素直に頷いてくれた。
「わかりました、そう言うのであれば」
いつもならここでララが茶々を入れるはずだが、そうしないのは部長の正体が俺の父親だと知っているからだろう。
俺はノックをして、返事を待たずに入る。
親父は相も変わらず画面とにらめっこしている。
「返事くらいさせろ」
「どうでもいいだろ、そんなもん」
声が漏れないように扉を閉め、ゆっくりと親父との距離を歩み、詰める。
相変わらず親父のデスクには書類が山積みだ。
「なんなんだよ、それ」
「上に出す報告書だ。お前らのも含めてな」
どうやら親父自身、上の人間との交流はなるべく減らしたいらしい。
「その上の人間は、今何をしてる?」
「市民に、今いる施設から出ないように喚起している。……と言っても、効果があるとは思えんがな」
「異術師の特性は知らせてるのか?」
「不確定だ、教えることはできない」
「だろうな。……けど、どこかに隠れていても、ヤツらは魔術師のいる所へ向かうだろう。覚醒しているかに関わらずにな」
「それも、不確定だろう」
「まあ、そうだけど――」
シュンだから、と言おうとして、口を閉じる。こいつが納得できる言葉ではないだろう。精々俺とアイリス、ララくらいだ。
「パトロールするのは構わんが、自己責任で頼むぞ」
「貴重な人員の筈なんだがな」
『……お父さん』
俺の中で、アヤメが悲しそうに言う。
――安心しろ、腐っても見捨てるようなことはしやしねえよ。
『わかってるよ。……カナ兄も素直になればいいのに』
死ぬまで親父って呼び続けてやるさ。それだけの事をしたんだ。
『優しいんだか、酷いんだか』
どちらとも言えないので、俺は小さく鼻を鳴らした。
その様子を見ていたらしい親父が顔を上げ、俺の方を見た。
「ユリ――いや、アヤメか?」
……アヤメ、ちょっと貸してやる。
『うん』
俺は足の爪先から頭頂までを塗り替えられる不快な感触に耐え、アヤメと入れ替わる。
話そうと思えば何度も機会はあったはずだが、今が初めてである。
血の繋がっていない親子が、面と向かって話をするのは。
こんな時にそれをしようとする親父の意図は、やっぱり分からないが。
できる時にしておいて、損は無い。
■ ■
「……お父さん」
「意識を入れ替えたか」
「私にもよく分からないんだけどね」
自分の声じゃないのはちょっと違和感があるけど。
やっと話せた。お父さんと。
「ねえ、お父さん」
「なんだ?」
お父さんは手を止めて、私を見た。
そこで私は、何も考えていないことに気付いた。
でも、話しかけてしまったから、何か言わないと。
カナ兄の頭で考えて、私は咄嗟に話題を出す。
「魔術師のいる世界って、どう思う?」
「……親子初めての会話が、それでいいのか」
そう、初めて。魔研の仕事がない時に、たまに家に帰ってくることがあったけど、決まって夜だったから、私はもう寝ていた。
ずっとそうだったから。今が、初めてなんだ。
「うん。なんでもいいの」
「……そう、だな。現状を見る限り決していいとは言えないが……見方を変えればそうは言えないはずだ」
『それを変えられる奴がいないから、こうなってるんだけどな』
確かに、カナ兄の言う通り。
お父さんはきっと、人間の可能性を信じたかったんだと思う。ううん、今でも信じてるはず。
でも、現実があまりに凄惨だから。絶望してるのかも。
みんな、自分達以外を異物と見ているから。
「生まれない方がよかった、と嘆いてもしょうがない。今更全員処分できるわけではないし、何より俺も魔術師だからな」
「……異術師は?」
「人間に絶望するきっかけとしては最高だろうな」
やっぱり、お父さんも――いや、まだ、ぎりぎりって感じかな。
「じゃあ、みんな魔術師になるのがいい?」
「どうだろうな、こんな世の中だし……下手をすれば世界が滅ぶ」
『増える魔術師の為に新しい法を作る、それだけでも手間がかかる。その過程でそいつらまで魔術師化してみろ、混乱はもう誰にも止められない』
「……いなかった方がいい?」
「自己否定になるが、そうだろうな。だが、今更喚いたところで魔術師はここにいる」
「お父さんは、どうしたいの?」
さっきまですぐに答えていたのに、お父さんは急に黙り込んだ。
でも、急かすようなことはしない。
「……さあな。何が正しいのか、分かりゃしない。俺のしたいことは……そうだな」
ビシッ、とお父さんは私に――いや、カナ兄を指差した。
私は空気を読んで、すぐにカナ兄と入れ替わった。
■ ■
アヤメめ、急に入れ替わりやがって。あの感覚は不意打ちで食らいたくはないんだが。
背筋に走る寒気を抑えようとすると、目の前の親父が俺の目を睨むように見て、言った。
「息子の――カナシの成すことをこの目で見たい」
「!」
今。
なんて言った?
「それがお前を魔術師として生んでしまった人間の役目であり、親としての義務だ」
「……父、さん……」
急だった。本当に急だった。でも、理解はできた。
どうでもいい嫌がらせなんてするんじゃなかったと、俺は後悔した。
だって。
「父さんは……ずっと、俺を……?」
「こんなこと、恥ずかしくて言えるもんじゃないさ。だが、言った。だからその分働け」
「……うん」
時間が、あの時に戻った気がした。
いや違う。あの時から滑らかに動き出したんだ。
今までは錆びつきながら時間を刻んでいた時計が、ようやく。
「カナシ!」
そこへ空気を読まず、シュンが焦った様子で部長室に入ってきた。
既にカウントダウンが始まっていたなど、誰が気付いただろうか。