File:17「正常に戻れ」
「――クソがッ!!」
毒を吐きながら、俺は空中で身を翻してしっかりと足から着地する。
一瞬何が起きたのか理解できなかったが――こんな芸当を可能にするのは魔術師か、おそらく異術師。そう考えると納得できた。
『気を付けてって言ったでしょ、バカナ兄』
「うるせえよ」
……しかし、障壁魔法を無視してそのまま押し出すとはな。何があった、本当に。
そんなことを可能にする程の衝撃魔法? いや、それなら障壁魔法は砕け散っている。と、すれば。
『風魔法に似た何か。でも周りには何もなくて風があったかを認識するは難しいね』
風魔法でないなら、例の念動力か? いずれにせよ、それなりの防御力を誇っていた障壁魔法が、所詮は透明な膜であったことがはっきりとしたのは確かである。要は障壁魔法を展開している間は、俺は箱にでも入れられた状態、ということだ。それなら風が吹けば吹き飛ばされる。いくら頑丈な箱とて、風が吹けば地を這うし重力には逆らえない。
『でも物理的な攻撃はほとんど通用しないでしょ?』
「物理的ならな。念動力で直接俺を動かされたんじゃどうしようもできない」
『じゃあ、不可視魔法?』
「防御面に不安は残るが、それがいいだろうな。探索魔法とか、その手の能力でも使われたらどうにもできんが――と、来るか」
冷静に対策を練っていると、病院に開いた大穴から患者服を着た男が姿を現した。露出して見えている肉体は人間の物とは思えないほど細く、冬の枯木を強いるように連想させられた。
アンラだ。
「あんな姿になったアンラを放って……人間は……!」
俺は呻き、怒りで拳を握る。
魔術師を嫌う気持ちは分からなくはない。けど。
けど、同じ人間を、助ける手段がないからって。こんな、ゴミみたいな扱いをしやがって。
『……カナ兄』
俺はアンラを睨みつける。別に吹っ飛ばされたことなど気にしていない。その奥底にある、人間の愚かさを睨んだのだ。
そのはずだったのだが。
「ァ……う……シィ……」
「ッ!?」
何故か、離れていたはずの異術師が俺の眼前にいた。そして枯れた手を俺に向け――
「――アァァァァッ!!」
「ぐッ!?」
また吹き飛ばされる。しかし向かいの建物に突っ込むわけではなく、途中でイエローテープに引っ掛かった。頑丈なそれは簡単に千切れることはなく、掛けられた力に対ししっかりと伸びてから――俺をパチンコの玉にしたかのように、弾き飛ばした。
「ッ、飛翔魔法ァッ!!」
このままでは異術師と衝突する。それを防ぐために俺は足に展開した魔法陣から翼を広げ、垂直に飛び上がる。初めての感覚に気分が悪くなったが、あのまま衝突していたらもっと気分が悪かっただろう。
ひとまず今は、あの異術師を無力化するのは不可能だ。視界に俺の姿がある限り、俺は吹き飛ばされるだけに違いない。
俺は開いた大穴から急いで院内に戻り、リングフォンを通じて二人に連絡を――って、あれ。
「オフ、ライン?」
『壊れてるわけでもなさそうだし……まさか!』
いやそんなまさか。……と思いたいが、それ以外に原因は考えられない。
その時、離れた場所から音がした。何が来るかわからない状況であることを再認識し、俺は身構える。
しかし、姿を現したのはアイリス。と、ララ。
「大丈夫ですか、カナシ様っ!」
「すんごい穴開けたわね。器物損壊とかで訴えられないわけ?」
「証拠も無い。それに開けさせたのは向こう側だ」
と、視線で地上にいる異術師を指した。
「よくご無事で……」
アイリスは俺の胴に手を回し、胸に顔を擦り付けてくる。ちょっと大袈裟だと思う。
「ああ、うん。嬉しいけど撫でてやる余裕はない。――お前らがここに来たのは状況の確認もあるだろうが、俺の安否を確認する術が無かったから。違うか?」
「ええ、そうよ。Off Lineってどういう事、これ」
「俺が聞きたいくらいだ。だが原因はなんとなく分かっているだろう?」
「それが本当なら怖いわね、セイズでも対処できなくなる。ここいらで一気にやっちゃうのも一つの手だと思うけど」
「……反対はしかねるが、簡単にできることでもない。それに言っただろう、アンラは増加傾向にある。おそらくいつになってもゼロにはならない」
対処しなくてはならないが、策はない。
策無くして動くことはできない。それはただの向う見ずだ。
「それに、俺達じゃ異術師と渡り合えない。油断しているかは関係なく、勝てる見込みはない。長居は危険だが、この状況を放置するのも危険だ。かと言って誰かを残すわけにもいかない」
「……手詰まりですか」
「下手にここで暴れて訴えられても困るしね」
もう訴えられてもいい損害は出てるんだがな。
「でもさ、何でアイツは動かないワケ?」
ララの視線が地上の異術師に向けられる。
そう言えばそうだ。つい油断して立ち話をしてしまっていたが、例の攻撃は俺達を襲っていない。
俺達で言う魂理論のようなものがあるのだとすれば、エネルギー切れか。
『いや、それならあの体で立ってるのはおかしいよ』
「! それも、そうか」
「どうしたの? 妹が何か言った?」
「ん、ああ。エネルギー切れみたいな状態なら、バランス保って立てないと思うんだ」
「なるほど、そういえばアンラだったわね。てことは、こっちに攻撃しない理由がある?」
「例えば、奥にいる同族を傷つけられな――って」
そういえばここ、アンラがわんさかいるんだった!
反射的に後ろを振り向く。が、特に何もなく、代わりにアイリスが俺に背を向けていた。
「ご安心を、私が警戒しています。今の所、怪しい様子はございません」
「……ありがとう」
さすがは相棒、抜かりない。しかし、俺の不注意が露見してしまった。今回は助かったが、今度からは気を付けなければ。
「どしたの? 何かする気?」
「確かめたいことがある。矛盾にも程があるが、な」
「まあ、サポート程度ならこっちでもするわ。援護は攻撃と防御、どっちがお望み?」
「うーん……防御、かね。吹っ飛ばされでもしたら、なんとかスピードを抑えてくれ。水は厳禁な」
「てことは、風ぇ? また面倒なご注文だこと」
「知るかよ、無理ならしなくていい――障壁魔法、身体強化魔法」
俺は万全の態勢で以て、壁に開いた大穴から地面に降り立つ。
そして直線上に立つ異術師との距離を、少しずつ縮める。
仮に。仮に、奴の何かが変わったのなら。
『また、博打?』
いかにもその通りだが、何も保険が全くわけではない。失敗したときの対処法はちゃんと用意してある。
『……多少の不満、か』
おい、俺の感情を見るな。
『しょうがないでしょ、勝手に感じるんだから。……やっぱり大変なんだね』
少しの間を置いてから、アヤメは悲しそうに言った。
まあ、俺も人間だからな。
『人間が聞いたら怒りそ』
「けっ」
言ってろ。
心中でのアヤメとの会話を終わらせ、俺は真剣な眼差しで異術師と対峙した。
「………」
「………」
互いに何も言わない。
どこぞのマンガじゃあるまいし、何を考えているのかが雰囲気で分かるわけではない。
「俺が憎いか」
だから、俺が先に問うた。
しかし当然のように、掠れた声が僅かに口から漏れるだけだ。
やはり、無理か。そう俺が思った時。
「ッ!」
異術師がその手を再び俺に向けた。俺は咄嗟に身を屈め、右に避ける。
そして次の瞬間、俺のいた空間を何かが通過した。間もなくして、病院の玄関が粉々に砕ける。
同時に砂塵や細かな破片が飛び散った。
……風か。しかしあれほどの威力にしては、周囲にそれほど影響が見られない。
『まるで、カナ兄だけを狙ったような』
「……クッ。やっぱりこいつは……!」
「ア…………」
俺が確証を得かけたその瞬間、異術師の口が少しだけ開いた。
追撃か、と思ったが。
『待って、様子が変』
アヤメに言われるまでもなく、気付いている。
また異術師は手を俺に向けている。しかしそれからは敵意が見られない。
――まるで。
「ァ……ス、ケ……ッ」
「……?」
うまく聞き取れず、眉を顰めた。
それを認知したのかは定かではないが、異術師はもう一度、声を枯らせた。
「タス、ケテ……ッ」
――まるで、助けを求めるような。
薄く開いた両目からは必死さを訴える涙が、顔に二つの筋を描く。
俺は反撃の意志など掻き消して、その手を取る。
修復魔法。脳の中をその名が過ったが。
――――カ……ナ……に……っ。
「……ッ!!」
どうしても。どうしても、思い出してしまう。
そして、不安になる。
この魔法は対象を修復するのではなく、砂にしてしまうのではないかと。
『カナ兄……』
分かってる。過去に縛られてなんかいない。
違う。
違うんだ。
怖いんだ。
「だらしねぇ……こんな程度で……ッ」
異術師のそれを握った手が震える。
助けたいっていう気持ちがあっても、関係のないトラウマが呼び起される。
『私は、生きてるよ』
「!」
『私は確かにああなった。でも、理由があった』
……分かってる。人工生命だったってことは。
分かってるけど。もしも、もしもこいつが、人工生命だったら。
「――修復魔法ではない、魔法?」
どうやら現実からの逃避が、別の解答へとつながっていたらしい。
何も、既存の魔法に頼る必要は無い。
願いを叶える為に不足しているのなら、無理やりに願いを叶える要因を作ればいい。
それが可能とするのが魔法であり、それを扱うのが魔術師であると。
そう言ったのは、俺だ。
同化魔法と名付けた、あのアヤメの使った魔法と同じく。
作り出せばいいのではないか?
『ふふ』
心の隅の方で、アヤメが微笑した、気がした。
『じゃあ、ぴったりの名前を付けてあげる』
わざわざ言わなくても、もう伝わってる。
――助ける。
何からかは分からない。けど、苦しむ市民の、誰かの為に動くのが警察であり、魔術部であるはずだ。
ならば。
「……すぅ」
俺は息を整え、障壁魔法と身体強化魔法を解除する。
そして、願った。
正常に戻れと。
「――正常化魔法ゥゥゥゥッ!!!」
俺が叫ぶと同時に、男の前に巨大な、七色に光る魔法陣が出現した。
「なっ、んだ……コレ!?」
『カナ兄が出したんでしょ! でも、願いが魔法になったんなら……』
俺は手を離し、少しずつ男を通過していく魔法陣を見つめた。
それから数秒が過ぎて、ようやく魔法陣は消えた。ってことは、効果がなくなった、あるいは役目を終えた?
魔法陣が通過した男に、変化は見られない。ただ、何と言うか……うまく言えないが、どす黒いものが抜けた、そんな気がした。
何が起きたのかはっきりしておらず、頭の中が白くなっていた俺を、リングフォンが振動で呼んだ。
映されたホログラムの画面を見ると、<On Line>の文字が青のゴシック体で表示されていた。
……電波が戻った?
『Hey、聞こえるかしら。Dangerous Boy?』
まず聞こえてきたのはララの声。いつもの軽口は無視だ。
「原因が分かったのか?」
『いいえ、不明ですが……どうにも、襲われそうにありません。この隙に一度、庁に帰還すべきかと』
「……そうだな、分かった。こいつは俺が連れ帰る。器物損壊で罪を負わせられるだろうが……確かめたいことがあるんだ」
『ふん、法の忠実な僕じゃない、と。嫌いじゃないわよ』
「そりゃどうも」
余裕の戻った俺達はいつもの調子で会話をしつつ、飛翔魔法で急いで警視庁へと帰還するのだった。
――こいつの命はお前にかかってる。押し付けるようで悪いが、頼む。
今ばかりは、親友の得体の知れない能力を全力で使ってほしいと、願うばかりだった。