File:13「暴走患者確保」
警視庁から出てすぐに、秋の気温で冷えた空気が俺達に襲い掛かった。二つの空間の境目を越える時のこの感覚、俺は好みではない。と言うより、好む奴の気が知れない。
「涼しくなってきたな」
「残暑が去ったのでしょう。市民も半袖の方が少なかったように思います」
アイリスに言われて見ると、確かにその通りだ。半袖を着ている奴もいないわけではないが。
市民の衣替えはまだあまりされていないようだが、街路樹の方は葉を黄や赤に染め始めており、変化が感じられる。まあ、俺は自然の変化に興じる趣味は無いから、正直どうでもいい。
「さて、早いとこ行くか」
「ええ。飛翔魔法」
「飛翔魔法」
魔法陣を出して同時に足から翼を生やし、俺達は宙を舞い始める。何人かがこちらを見てきたが、相手をしてやる義理は無い。
その辺りの高層ビルと同じくらいの高度まで上昇すると、米粒のような大きさの市民が街路上を蠢いているのが見えた。
ホントに、アレがあったとは思えないな。
『大人数が魔術師化して、保護されたはずなのにね』
他人事みたいに。自分がやったんだろ。
『ふんだ、反省はしてるよ。客観的に見てるだけ』
言って、頬を膨らませた……気がする。俺の中に本当にアヤメがいるわけではないから、見えるわけではない。本当に感じだけだ。
まあいい、早く病院に行こう。
俺は心の中でアヤメに微笑みかけ、アイリスと顔を見合わせ、渋谷の病院に向けて翼をはためかせた。さあ、何があるのか?
……期待してるのか、俺は? アレ以上の面倒事は御免なんだが……。
『カナ兄、案外マゾッ気があるのかもしれないね』
「ふざけたことを言うな」
『ふん』
「カナシ様、何か言いました?」
「……いや、なんでもない」
妹の相手に疲れを感じていると、そこが病院であると示すための赤い十字架が描かれた、巨大な建物が視界に入った。
「あれか。アイリス、降りるぞ」
「はい」
少し離れた、人気の少ない路上にゆっくりと着地。魔法を解除して、病院の方へと向かう。先程上空から見た限りでは何かあったようには見えないが……。
ともかく、院の敷地内に入る。普通だ。職員や、来客者の物と思われる車が駐車場に止められているくらいだ。あとは車庫に5台の救急車。
「ニュースとしてネットに公開するのなら、どうもおかしい気はするが……」
「分からないことを考えても仕方ありません。ひとまず入りましょう」
「……」
そうは言われても、考えてしまう。罠の可能性は拭いきれないし。
「アイリス、念の為に不可視魔法で隠れていろ。傍で周囲の警戒を頼む」
「分かりました。念の為お気をつけて――不可視魔法」
「お前もな」
胸の前に魔法陣を出してアイリスが消え、影だけ残ったのを確認して俺は病院の中へと入る。影だけなのは仕方ないことだが、俺の傍にいてくれれば不思議に思われることはない。多少影の形が変に思われるくらいだ。
堂々と歩いて、看護婦の立つ受付へと向かう。
「すまない、警視庁の者だが。こちらで何か――」
と、制服に刺繍された警察章を見せようとした時だ。
何か固いもの。そう、ガラスか陶器の割れたような音と女性の悲鳴が、上から聞こえてきた。俺は看護婦を無視して、近くにあった階段から2階へと駆け上がる。
そこには、怯えた目の看護婦と――宙に浮く、寝巻。その足元(?)には、割れた花瓶。中から水が溢れ出し、廊下に花弁と破片を散らせている。
状況を把握しようと思考を巡らせていると、寝巻が襟元から透けて消え始めた。
「っ!?」
「不可視魔法……いえ、それなら最初から服も消えているはずです。だとすれば一体」
アイリスは声を抑えてはいるが、驚きまでは抑えられていない。
俺だって驚いている――アヤメ、何か分かるか。
『カナ兄にわからないことが私にわかるわけないでしょ』
まあ、そりゃそうだが……。
「警察だ! そいつから早く離れろ!」
看護婦に向かって叫ぶと、それだけでなくフロア内の全員が騒がしく逃げ出した。
その間に俺は不自然な影を凝視する――ゆっくりと、こちらに向かって歩いている。
魔術師じゃ、ないのか?
「……アイリス。すぐに部長に連絡しろ」
「了解しました」
囁くような小声で言いつつ、視線は影から離さない。本当にゆっくりだ。走ってくるわけでもない。
『覚醒後の魔術師ってわけでもないみたいだし……』
そうだな。もしそうなら、別の攻撃への転用が可能な魔法を乱発してくるはずだ。
『……何。遠まわしに私のこと言ってるの?』
勘弁してくれ、今の今まで忘れてたさ。
『ふんだ』
もう、なんなんだよ。
……しかしながら、やはり魔術師ではないのだろうか。魔法陣が出現していない。
思案している間にも、透明人間は一歩ずつ俺に近付いてくる。
まだ罪を犯していない。魔術師とも限らない。
「どうすればいい……」
苦虫を噛み潰したような感覚とは、このことか。
とりあえず俺は四次元ポーチから麻酔手錠を一つ取り出し、身構える。
「カナシ様、赤凪部長から返信です。<院内への被害を考慮し、確保を最優先としろ>」
「簡単に言ってくれる……!」
だが、これですることははっきりした。それは、いいんだが。
如何せん、不可視魔法相手に直接的な攻撃は難しい。殴る、蹴るなど、そういったことなら腹を狙えばいいのだが、手首をピンポイントで狙って手錠を掛けるというのは至難の業だ。
燃やしたり凍らせたりすれば、人の形は浮き上がるだろうが……無罪の人間に危害を加えるのは、いかな警察と言えど許されるものではない。俺が親父の命令に呻いたのは、つまりそういうことである。
かと言って、色を付ける魔法があるわけではない。手詰まりか――安全策を取るのなら。
俺は覚悟を決めると、腕のあるであろう場所に集中し、腰を落とした。そして迷わず飛び込み、腹部に突進した。
直撃――まだだ。透明人間の右手首を探る。
「そこか」
大体は想像通りだ。すぐに発見し、麻酔手錠を掛ける。それから間もなく、やせ細った男の姿が露わになる。
流石に素人……いや、患者か。抵抗がないのはそのせいだろう。
「3時32分。状況終了」
「では、私が運びますね。カナシ様はもう少しここにいてください」
「へいへい」
適当に返事する。まあ、後始末だとか関係なくそもそも俺のすべき仕事だから文句を言う筋合いはない。
アイリスは不可視魔法を解除し、筋力強化魔法を使って体中に魔法陣を浮かばせる。その状態で患者の男を担いで、窓を開けて飛翔魔法で飛び去った。アクション映画でよく見るような光景だが、現実ではそう珍しくもない。
俺はそれを見送り、ひとまず男のいたであろう病室を捜査することにした。入ってすぐに、ベッドが一つ空いていることに気付く。あの男のものと見ていいだろう。
それより、逃げた職員達の視線が俺に集中しているが、知ったことではない。俺が気になるのはベッドで眠る患者たちだった。
あの男と同じく、やせ細っている。なぜだ? そこまでの重病が――
「……アンラ?」
もしや、と思った。可能性が無いわけではない。
どの患者もそうだ。虫の息。枝のような細い手足。現代の病院において、そう見られるものではない。
「……ァ……」
俺の小声に反応したのか、患者の女が俺を見開いた目で凝視してきた。鬼を見るような、恐怖と憎しみが籠った目だ。あの時の俺もきっと、こんな目をしていたのではないだろうか。
だが――その時の心までは違うまい。
「ま、魔術、師……ッ!!」
呻くように、訴えるように、女は俺に手を伸ばしてきた。しかし震えるそれは俺にまで届きはしない。
こんな反応は慣れっこだ。一々相手する気にはならない。
部屋の中をざっと見たが、何もない。小さな本棚があって、テレビがある。普通だ。どこかに被害が出ているわけではない。
『魔術師への進化が、簡単になってるのかも知れないね』
ふいに、アヤメがそんなことを言ってきた。
なんだそれ。
『魔術師が悪い意味でも社会に溶け込んできてるでしょ。そのせいで、皆が魔術師になる条件を何か満たしてるのかもしれない』
なるほどな、分からなくもない。
人間は魔法を間近で見れば覚醒しやすい。<魔術師を知ることで体が魔術師に近付く>のではないか、という仮説を前にシュンから聞いた。つまりそういうことか。
『そうそう、それ。テレビもあるし、そうやって覚醒したとしてもおかしくないと思うよ』
だが、あれは魔術師か? 不可視魔法にしては出来が悪いぞ。
『問題はやっぱりそれだね……明らかに何か違う』
そう言えば、奴は透明になってから俺に近付いてくるだけだった。一般人らしく魔術師に襲い掛かってもいいはずだが。
俺は俺に憎しみの念をぶつける患者たちを無視して、顎に手を当てたまま廊下に出る。そして例の透明人間のいた、割れた花瓶の傍に立ってみる。特に理由はない。
まだ解明されていないことが多い魔術師、そして魔法。新しい何かがあっても不思議ではない。かと言って、魔術師本人からしてみれば、あれは根本的に違うとしか考えられない。
ひとまず、確保したあの患者から何か分かればいいんだが。
『だったら、今はこの状況をどうかすべきじゃないの?』
親父のことだ、既に人間の奴らをこっちに寄越して――と、噂をすればなんとやら。窓の外にサイレンを鳴らすパトカーが何台か病院の駐車場に入るのが見えた。
な。
『ほんと、こういうところだけは親子っていうか……』
お前は一応、娘なんだがな。
『それで、もう帰るの?』
一応は相手をせにゃならんだろうな。だが適当に話したら帰るぞ、俺は。
さて、帰ったらひとまずシュンに――
と、今後の予定を立てようとした時だ。毎度毎度、展開が急すぎて困る。慣れるのはまだ先になりそうだ。
「魔術師ィィィッ!!」
「っ」
右側から、殴りかかる男の患者。目が血走っている。
俺は軽くそれを避け、腕を掴んで一本背負い。背中を床にぶつけた男は、そこでむせこんだ。
「公務執行妨害でもいいが……」
言いながら男の全身を見てみる。何もおかしくは……いや、腕に比べて足が細い。普通ありえない。ただ細いのではなく、異常に細い。立って、駆けることができるようには見えない。
俺が訝しんでいると、男の呼吸は落ち着き、その恐ろしい目で俺を睨みつけた。
「今死にたいか? ゆっくり死にたいか?」
意図的に声を低くして、そいつに言う。しかし反応はない。
『不謹慎』
不機嫌そうなアヤメ。犯罪者は皆同じだと分かっているはずだが。
『私はそこまで冷たくなれない』
それでも俺の邪魔をしないならいいさ。
奴は俺の足を掴もうとし、手を伸ばす。
「魔術、師ィ……!!」
「凄い執念だな。そんなに殺したいなら、殺せば――――ッ!!?」
追撃で挑発を掛けたその直後。
男の体が、体勢を元に戻しながら浮き上がったではないか。
かつて見たことのない光景に目を見開いたが、すぐに冷静な判断を始める。
浮遊魔法? いや、魔法陣がない。こいつもか!
瞬時にポーチから麻酔手錠を取り出し、躊躇せずにその手首目がけて手錠を振り下ろす。しかし、奴はそれを素早く回避。
ある程度の自由がある――飛翔魔法とは違うのか?
『カナ兄!』
「っ、障壁魔法!」
アヤメに言われたがよく分からないまま障壁を展開する。すると背後から、花瓶の破片が高速で迫ってきていた。それを認知する前に、障壁が防いだ。
自分以外の物体を浮遊、そこから移動させた、だと? まるで念動力だ。
「くそったれ……!」
サイコキネシス? 超能力? 魔法ではない。それより実在しているのか? 魔術師とは違う。いても不思議では――
一瞬の間に様々な思考が脳内で展開されたが、それを一つ一つ処理している場合じゃない。今目の前の<敵>をどのようにするべきか、それを最優先に考えろ!
水魔法と氷結魔法の併用で足と床を繋ぐか? いや、おそらく脳が働く限りはこの能力を使ってくるはずだ。となれば、全身を凍らせるか?
俺がこいつを殺しても、罪に問われることはないだろう。だが、あの透明人間と同じ類の人間だとすれば?
『確保が適切だね』
やはり、そうなるか。だが、そう簡単に事を運ぶことはしないだろう。多少のダメージは覚悟すべきか。
俺は障壁を消して、寸分の隙も見せず麻酔手錠をその手首に掛ける。麻酔を受けたその体は力を失ったのか、そのまま床と再衝突。
「……ふう」
息を吐いて、周囲を警戒する。なんだここは。こんなのが腐るほどいるのか?
「刑事部だ! 無事か!?」
俺の肌に冷や汗が流れたと同時に、男の刑事が階段を駆け上がって来た。
「ああ、無事だ……俺はこいつを運ぶ。魔術師覚醒への要因がないか、調べてほしい」
「捜査の内容はこちらで決める。だが、それも上に話しておこう。行け」
「そりゃどうも――筋力強化魔法、飛翔魔法」
俺は強化した体で念動力野郎を担いで、アイリス同様に窓から飛び立つ。次いで空中でリングフォンを起動し、シュンに電話を掛ける。
やはり暇なのか、1コールで出てくれた。
『はい、みんな大好き城崎お兄さんだ』
「うるせえ」
『のっけから酷い奴だね。それで、今日はどういったご用件で?』
「今どこにいる?」
『自宅だよ。さっきリンドウさんから魔術部に来るよう連絡があった。出勤前だ』
何だか前の一件で「魔術部の手伝いも悪くない」とか言い出し、たまに来るようになったのだ、こいつは。
俺以外の魔術師も気にしていないしそもそも部長である親父が認可してるから、誰も文句は言いはしないし、俺ももうそれが自然な気がしてきた。
「そうか……用件は聞かされてるのか?」
『魔術師の研究に関するとか言われてウキウキしてる所だけど』
お前の口からウキウキとか聞く日が来るとはな。
「……まあ、俺の用件もそんなところだ。早い所、庁に来てくれるとありがたい」
『特急で行くさ』
「頼む」
どうやら親父に先回りされていたらしい。親子だからってここまですることが同じか、普通。
まあ、奇しくもこの世には偶然が重なることもある。きっとこれも偶然だ。
少し苦しいがそう思うことにして、俺は警視庁へ向けて速度を上げた。人を担いで空を飛ぶ奴がいたら通報されかねないが、俺は警察だしそもそも魔術師だ。相手にされることはあるまい。
■ ■
俺は<上>の方で念動力野郎の身柄を引き渡す前に、血液を少し採らせてもらった。念の為とシュンに渡された採血器に、まさか出番が回ってくるとは思わなんだ。おそらくアイリスも使ったのだろう。
俺が今いるのは、魔術部オフィスの隣に設置された小部屋。それはもはやシュン専用と言ってもいい研究室のようなものだ。
PCや用途の知れない機械や研究道具で埋め尽くされており、完全にシュンの個室だ。自宅の部屋と何ら変わりない。というか、どこにこんなに置くだけの機材を隠し持ってたんだ……。
「よう」
「いいタイミングだ」
そんなことを俺が考えているとも知らず、シュンはいつもと変わらずだ。椅子に座って早速何かの解析を始めている。多分、アイリスからもらった血だろう。
「何か分かったか?」
「今着手したばかりだ、そう簡単に出てくるものじゃない。さて、血をもらおうか?」
「ああ、ほれ」
俺は手に握っていた無針採血器をシュンに手渡す。
「うん、患者にしてはいい色だね」
「失礼だな」
『どの口が……』
アヤメの呆れたような声を無視する。シュンはそれを専用らしきホルダーに入れて、机に立てた。
「冗談だ、僕は医師じゃないからそういう知識は一切ない」
嘘くさい。
「とりあえず渡したぞ。何か用件あるか?」
「特には……いや、アイリスちゃんから不思議な話を聞いたね。なんでも魔法陣を出さずに魔法を使ったそうじゃないか」
相変わらず話の早い奴だな。それでこそシュンであるのだが。
「そうだが。何か考えでも?」
「いや、僕は何も魔術師の専門家じゃないから何とも言えない。聞くところによると、それをしていたのは病院の重病患者らしじゃないか」
そこまで知ってるのかよ。
話をしている間にも、シュンは機材を器用に扱っている。何をしているのかは矢張りさっぱりだ。
「そうだな。確証はないが、おそらくそうだろう」
「では、異術師――セリアスと命名しよう。後者は用語にすればいい」
魔法とは異なる、ということか。それにセリアスと言うのは、単に重病を示す英単語だ。そういう意味では、魔術師もセリアスと言って過言ではないが。
と、言うか。
「お前に何の権限があって命名してるんだよ。この前の異常化だってそうだ」
「僕が便宜的につけた名前を、みんなが勝手に使ってるだけだろう」
意図的な何かがある気がしてならないのだが。
「とりあえず、君は厄介ごとに好かれているのがよく分かったよ。過去の漫画に、そんな主人公がいたような気がするけど」
「俺は漫画を読まないから知らん。出るぞ」
「何か分かれば連絡を寄越すよ。じゃあね」
俺はそれに返事をせず、代わりにドアを締める音を返した。
とりあえず、溜息を一つ。
『苦労人だね、カナ兄』
勘弁してくれ。