File:12「葉は花の傍に」
俺は相変わらず誰もいない魔術部オフィスの中で一人、ホログラムの画面とにらめっこしながらキーボードを叩いていた。先日解決した事件の報告書の作成だ。
一時の犯罪発生件数激減はなんだったのか、今日も都内のどこかで犯罪が発生している。一つ一つは大したことがないからどうということはないのだが、何かがおかしいと、直感がたまに告げてくる。こういった不安とはもうおさらばしたかったが、どうにもそうならないらしい。
『カナ兄、少し休んだら? ちょっと頑張りすぎ』
と、俺の中で妹が言う。心配してくれるのはありがたいが、俺が好きでやっていることだ、あまり気にしないでほしい。
『いっつもそう言って。しなくていいことの為に時間取る必要なんてないでしょ?』
「……」
俺は指を止めて、溜息を吐いた。まあ、確かにそうと言えばそうだ。
先日の『後始末』の後、上野の博物館から展示品を盗んだという男が自首した。犯行のプロセス――最低限のルートを確保して展示品を盗み、出る時に修復魔法で治す、という簡単なもの――も自供してくれた。言われなければ気付かなかった辺り、自首した男には感謝している。そういったところが好評だったのか、男は即死刑執行とはならず終身刑を受け、一生を刑務所で過ごすことになった。もちろん仮釈放などしない。
……いや、本筋はそこではない。問題は盗まれた展示品の方にある。
無いのだ。どこにも。男の言った所、そしてそれ以外に関与が疑われる場所――その全てを捜索しても、盗まれた展示品は一つも発見されなかった。犯人自体は逮捕したから一応解決扱いとなっており、捜査担当の刑事達は既に捜査を打ち切っている。となれば、どうしても真実を求めるなら個人的に、ということになる。
そういうわけで、他に事件があるのならそちらを優先させなくてはならない。だから俺はこうして一刻も早く暇を求めて勤務しているのだ。
『……は、いいけど。その為に無理して倒れでもしたら、困るのはカナ兄だけじゃないんだよ』
アヤメも少しずつ、僅かに残っていた毒を確実に消しつつある。前のままでは周囲の人間を敵視していたが、今はそういったことはない。兄として、何より体を共有する者として嬉しい限りだ。
『話聞いてる? ねえ、カナ兄』
つまり妹はもう少し休めと、そう言いたいらしい。
『分かってるなら言うこと聞いてよ。……その、アイリスのことも考えてあげて』
お前がアイリスの名を出すか。随分と毒が抜けたな。
『茶化さないで! もう、いつまで続けるの、これ!』
不機嫌になったアヤメがなんだかおかしくて、俺は思わず苦笑する。
「……なぁに、一人で笑ってるのよ」
と、そこへ運とタイミング悪くララがやってきた。汚物でも見るようなとんでもない顔をしている。
「妹ととの交流だ」
『なんでそうさらっと嘘が言えるの、カナ兄。……間違ってはないけどさ』
一応ララにも、俺の中にアヤメがいることは伝えてある。しかしあまりにも不可思議なのか、半信半疑と言った感じだ。
「まあ、それはお二人で勝手にどうぞ。老婆心で言っておくけど、浮気はダメよ」
「アヤメもとっくに割り切ってるから、そんなことにはならないさ」
「どうだか」
言って、ララはデスクの上に乗る。行儀の悪い奴め。
「て言うかお前、いつまでいるんだほんと。仕事は終わっただろ」
「残念、私はもうしばらくいるわよ。帰ってもすることないし、何よりこっちは人手不足でしょ? 提携したんだし、私がここにいても何の問題はないと思うけど」
「フォルセティ、だったか」
日本側としては魔術部と呼ぶ方が性に合っているのだが、提携した以上はルールに従わねばなるまい。
「そ。まあそういうわけで、私は気にしないで仕事を続けて頂戴」
ポンポンと肩を叩くララ。どうも馬鹿にされている気しかしない。
『私の言うこと聞かない罰が当たったんだよ』
へいへい。
『ふんだ。カナ兄のばか』
とか言いつつ、俺のことは心配してくれる。兄バカだと言われるだろうが、いい妹だと思う。……性格に多少の難があるのは否めないが。
「……そういえば、アイリスは?」
「パトロール」
俺の為に、俺の仕事をしてくれているのだ。最近は珍しく俺の傍にいなく、離れていることが多くなった。
「ふつう逆じゃない? いつもあんなにくっついてたのに」
「まあ、これが望ましいな。家でべたべたくっついてくるんだから、職場でくらい離れてくれないと困る」
「変なこだわりね」
「何とでも言え」
呆れ気味のララに言うと、入り口の自動ドアが開いた。同時にそちらを見ると、アイリスがいた。
「ただ今帰りました、カナシ様っ」
ぴょんぴょん跳ねて水色の長髪を揺らしながら、アイリスが寄ってくる。
「お疲れ」
優しく頭を撫でると、アイリスは「えへへ」と嬉しそうに目を細める。
「ん。服、変えた?」
アイリスを見て、ララがそう言った。そんなことを聞くのは、いつもと同じ白ワンピースではなく、各所に花弁のようなフリルなどの飾りが付いたものだからだ。飾りと言っても俺からしてみればちょっとしたものだが、ほぼ無地のような以前のものに比べれば、少しは洒落ているだろう。俺は、アイリスも外見的には年頃の少女だし、服装も少しは考えなくてはならない――そう思ったのだ。
ついでで言えばブーツも買い換えた。デザインはさほど変わりのない物を選んだから、他人には気づきにくいが。
「はいっ、先日カナシ様に買っていただきました! 似合いますか?」
上機嫌に笑顔を見せながら、裾を広げてその場で回る。そんなに嬉しいだろうかと、なんだか恥ずかしくなる。
そんな、少し赤くなった俺の顔を、ララがにやにやしながら見てきた。なんだよ。
「あんたにしちゃいいチョイスじゃない。黒とか青のラインが入ってたりしてるし。おまけに色気もちょっと出てるし、似合ってるわよ」
「ありがとうございます! えへへ」
……嬉しいのは分かるが、浮かれているようにしか見えない。仕事に支障が出ないかちょっと心配だ。
『カナ兄、喜んでもらえてよかったね』
はい。感謝してます妹様。
――実を言えば、ほとんどアヤメの意見で決めたようなものだ。最終的な決定は俺がしたのだが、こいつの助言が無ければこのように気に入れられることはなかっただろう。
「そういえば、アイリス。何かあったか?」
「いいえ、特には。なので少しばかり、渋谷の外科医院に足を運んでみました」
「……なんで?」
ララが首を傾げた。
「ちょくちょく病人が魔じゅ……セイズになることがあるからな。様子のおかしな患者がいないかとか、聞いて損はない。――それで、なんて?」
「不治の病に悩む人が増えた、くらいですかね」
「アンラ?」
「ん、よく知ってるな。そんな腐れ用語」
とある悪神の名前を由来としているらしい、主に医学界で使われる用語だ。おまけに日本でしか使われていない。近年、急に体の一部が麻痺するという不治の病が増えたことからできたものだ。決して差別するための言葉ではないが、本人たちが聞けばそう思うだろう。俺もこういった言葉を作るのはあまりよくないとは思うが。
「まあ、多少は勉強したし。それで、アンラが増えて何か問題でもあるの?」
「まず、ベッド数が足りなくなる」
俺は報告書を一旦保存して、モニターを消した。どうせなら説明してやる。
「そりゃ、そうね」
「科学技術の発展に伴った、医療面での発展も大きい。ガンだろうが錠剤1週間飲めば治る始末だ」
「らしいわね」
「はい、おかしなところがありますね」
手を叩いて、アイリスはララを見る。まるで教師だ。
「不治の病、ってのはおかしいわね」
「そう。治せない病なんてないはずなんだが……まあ、なんでかアンラが増えてるわけだ」
「感染症?」
「さてな。症状しかわからない」
「何かに感覚を蝕まれ、麻痺をします。ただ麻痺するのとは違い、体の一部を始点として全身へと侵食していくそうで」
「切断とかは?」
「一時的に進行はストップします。しかし、切った傍からまた進行が再開するのだとか」
「嫌な病気ね」
苦い顔をして、ララが唸る。聞けば誰もがそうなるだろう。俺だって初めて聞いたときは驚いたものだ。そんな恐ろしい病があるのかと。
「ま、そういうわけだ。数十年前にはなかったらしいし、科学革命――魔研辺りが関わってそうな気もするが」
「魔研はもうないしね」
諦めムードが漂っていると、アイリスが「ん?」と何かを思い出すように首を傾げた。
「資料ならフォルセティの方で押収しましたよ。もしかしたら何かあるかもしれません」
「なるほど……誰がやる?」
俺には報告書の作成という仕事がある。アイリスは今見回りを終えてきたばかりだし、そもそも働く必要性はどこにもない。
となると――
「…………」
「何見てるのよ」
「暇そうな奴がいると思ってな」
ララしかいない。どう見ても暇人だろこいつ。
「暇とは何よ。私だって今、丁度時間が開いたからここに来たのよ」
「それを暇って言うんだよ」
「いや、そんなことをする程時間は無いって言ってるんだけど……」
「カナシ様、今でなくとも良いのでは?」
「暇な奴は使うべきだろ。――まあ、暇じゃないならいいが」
となると、どうしたものか。やはり俺がやるべきか?
「キノサキは?」
「シュンか……」
一応フォルセティのサポート役として公認されてはいるが、俺達と同じ権限があるわけではなく、そんなホイホイと重要資料を見せることはできない。
見せたら見せたで何かしらの役には立つだろうが、如何せん奴は常に人間の想像を越えてくるような輩だ。
「あれは勝手に知るぞ」
「その字面、なんだか凄くえぐいんだけど」
「奇遇だな、俺も我ながらそう思った」
シュンの異常性が再確認されたところで、アイリスが恐る恐る手を挙げた。
「……それで、何も今すぐ資料を見るべきとは思わないのですが」
「そうだな……まあ、報告書の方が優先だしな」
「私もそろそろ自分の仕事に戻るわ。このままだと押し付けられそう」
お前に仕事あったのか。疑問を抱きつつ、退室するララを見送る。忙しい奴ほど暇に見えるということだろうか。いや、まさか。
ドアが閉められ、俺とアイリスはなんとなく顔を見合わせる。
「報告書作成のお邪魔になります、よね」
申し訳なさそうに言いながら、アイリスは俯く。
「邪魔とは言わんが。することがないのなら、そこにいてもらっても構わない」
「ぬぬぬ……」
幼い声で低く唸りながら、アイリスは考え込む。どうした。
『我慢してるんじゃない?』
と、これまで黙っていたアヤメが発言した。我慢? 何のだ。
『二人きりでいると、やっぱりこう、発情してくるとか。そういうことじゃないの?』
発情とか言うな。
……いや、あながち間違っていないらしい。顔を少し赤くして、チラチラと俺の方を見てくる。
「……帰ってからにしてくれ。そういうことなら、どこかで暇を潰してくれるとありがたいな」
「……申し訳ありません」
しょんぼりと項垂れるアイリス。俺は無意識のうちにその頭をまた撫でていた。
「カナシ様?」
「あ、ああ、いや。我慢してくれるようになって嬉しいぞ、アイリス」
『……前は外だと平静を装ってた気がするんだけど?』(File:2参照)
俺の記憶を見るな。いや、そうだけど。変に態度を変えられるよりかはいい。――戦闘時は変わってもらわないと困るが。
こういうところはちゃんと成長が見られて嬉しい限りだ。
「い、いえ。私もよく考えてみれば愚かでした」
とは言うが、
「ですが今はこのように、愛を隠す気など一切――ぎゃんっ!?」
「……どうせならそっちを我慢しろ」
俺は久しぶりに、アイリスの頭頂に手刀を叩き付けた。もちろん加減はしてある。
隠されようが、アイリスが俺を好きなのは俺だけでなく周囲も知っている。今更隠されたところでどうということはない。
「うう、何がいけないというのです……」
前言撤回だ。まだ前の方がいい気がしてきた。だが、俺も告白してしまった以上、前のように戻ることはできまい。慣れるしかないのか。
そもそもこいつは働かなくてもいいのだから、仕事について云々言う必要はないのだが、それでも仕事をしようと言うのなら、やはりメリハリつけるように言うべきか?
いや、前なら自分で分かっていたのだから教える必要は……あれ? 何が正解だ?
『カナ兄がこのアイリスに慣れること』
やはりそうなるか。無駄な思案に時間をかけてしまった。
「あ、あの。カナシ様。私何か間違ってますかっ」
「……人目を気にしてくれるならいい。ただ、家の外ではあまりひっつくなよ」
「は、はいっ」
うん、前より素直だ。その素直さに思わず微笑んでいると、外していたリングフォンが机の上で鳴った。
起動してみると、シュンからのメールだった。
『やあ、カナシ。最近はバリバリと働いているそうだね。
それはそうと、興味深い情報が出回っているよ。ふとニュースサイトを見てみたんだが……とりあえず【ここ】をタップしてくれ。リンクしている。
話はそれからだ。まあ、おそらくそちらでもその内来るんじゃないかと思うが』
「……情報?」
不思議に思いながら、俺はホログラムの文面中の【ここ】に触れる。するとネットブラウザーソフトが起動し、シュンの言っていたニュースサイトが表示される。親切なことに、その<興味深い情報>のものと思しきもののページに直接リンクしていたらしい。
一応毎朝テレビでニュース番組は見ているが、こいつが言うのだ、新鮮な情報に違いない。おまけにこのニュースサイトも、<どこよりも早く>のキャッチコピーで有名なものだ。俺もここで情報を入手したことはあるが、数えるほどしか無い。でも記憶が正しければ、情報の下りるのが遅いここでは割と重宝するはずだ。しかしながら、命令が下りないと捜査はできないのだから意味がない。でもまあ、有益な情報であるのは確かだ。
ページが最後まで表示されたのを確認して、俺はタイトルから目を通し始める。すると、アイリスも俺に顔を近づけて、画面を覗きこんできた。まあ、いいだろう。
――――全部読み通したが、要約すれば<渋谷の病院からアンラが逃げた>ということだ。更新時刻は4分前。ちょうどアイリスが帰ってきたくらいの時間だ。
「……私が病院を出た後、ですか」
「時間的にはそうなるな。さて、いつ捜査命令が下りることやら」
俺は電源を消して、リングフォンを机に置いた。
さっきも言ったように、事件が発生してすぐに捜査命令が下りることはない。通報が来てひとまず<上>の連中が捜査を諦めてくれないと、こちらに<魔術犯罪>として回ってくることはない。早ければ事件発生当日に回ってくることもあるが、それはかなり特別な場合だ。俺も1度くらいしか経験がない。
「もう一回パトロールしますか」
悪戯っぽい笑みを浮かべて、アイリスが言う。――なるほど、その手があったか。
俺も同じように笑い返す。
「ああ、行こうか。何だか今日は病院からの脱走患者がいそうな気がする」
『しらじらしい……』
たまにはこういうノリも悪くないだろ?
『バカップル』
うん、自他ともに認めている。今更だぞ。
「さて、無駄話はここまでにして行こうか。……の前に、報告書を仕上げる。すぐ終わらせるから、少し待っててくれ」
「分かりました。じっとして待ってますので!」
そう言いながら、作業している俺をずっと見ていたのは言うまでもない。
俺は迅速かつ丁寧に報告書を仕上げ、プリンターで印刷した。俺はそれを持って、部長室へと赴く。
「入るぞ」
意図的にやる気のない声で言いながらノックし、返事も待たずに扉を開ける。
「失礼な奴だな」
「そんなことを言える身分か、クソ親父」
罵言を吐きながら、俺は部長――否、父親のいるデスクの上に報告書を置く。
「先日の強盗事件だ。犯人は不可視魔法を使用し、無差別に通行人の所持物を奪い逃走。抵抗する奴には刃物で襲い、無理矢理奪取。自宅からは盗まれたものすべてが発見されたが、物色されたような痕跡は無し。ひとまず現行犯で執行した」
「はい、お手汚しご苦労さん」
「それじゃ、俺はこれで」
「下手に動いて死ぬなよ」
「へいへい」
適当に返事して、俺は部長室をさっさと出る。未だにこれが父親だなんて思えない。と言うより、思いたくない。根は悪い人間ではないのだろうが、俺の中では悪印象の方がはるかに大きい。奴の自業自得だ。
「さて、行くぞアイリス」
見ると、アイリスは俺の席に座って大人しく待っていた。まるで忠犬だ。……間違ってはいないが、違う。
「はい、カナシ様」
俺はアイリスからリングフォンを受け取って左手首に装着し、一緒にフォルセティのオフィスを出た。
……さて、何が起こることやら。面倒事だけは勘弁したいが、仕事柄そういうものだけが俺に付きまとってくる。
そういったものを越えた面倒事が来ないよう、俺はひとまず祈るのだった。