エピローグ
後始末――魔術師化した人間たちの保護と、暴徒の鎮圧――を終えてから、数週間が経った。
都市から人が消え、その後暴徒と化して荒らし回った怪事件――さすがに隠しきることはできず、世の中にこの情報は広まった。しかしだからと言って、何かあるわけでもなかった。ニュースによっては<警視庁はこれを数時間で解決した>と報道されているのだから。
つまるところ、警視庁の有能さが世に知らしめられたのである。こうなると人間・魔術師問わず下手に動くことはできないとでも感じたのか、しばらく犯罪が激減した。日本全体で総合して3件くらいだとか聞いた。おかげでテレビのニュース番組はどこも、お茶の間に芸能系の情報ばかり提供していた。ニュースを見ることが多かった身としては、正直つまらないことこの上なかった。
その上仕事もなく、最近は家にいることが多かった。魔術部として動くことと言えば、市街地のパトロールをするくらいだった。
魔研はと言うと、その生み出した技術もろとも消えることとなった。それはつまり、あそこで働いていた、生み出された生命も消えた、ということだ。中山さんや高橋さんがその結果どうなったのかは、俺の耳には届いてはいない。
それに伴い、生命創生罪なるものは社会から消えた。それは、俺の前科が消えたということを意味する。
アイリスもそれで処分しようか、などという愚かな考えも出たが、<人工生命ではない>と部長――否、父さんが発言してくれたため、アイリスは今もこうして――
「カナシ様ぁぁっ」
「室内で跳ぶな」
俺は唇を伸ばして跳んできたアイリスの頭を掴み、床に降ろす。
「そんなぁ、一日一回ですよ! それくらい譲歩してくださいぬぬぬぬぬぬぬぬ」
「勘弁してくれ、恥ずかしいんだよ」
熱くなる顔を手で覆うと、アイリスは俺の手から離れ、腰に手を回して抱き付いてきた。
「わ」
「じゃあ、ぎゅーってします」
「……はぁ」
キスされるよりかましか。
俺は諦めて、腹に顔を擦り付けてくるアイリスの頭を撫でた。
『むぅぅぅ……』
すると、脳内に不満そうな声が響く――アヤメだ。
曰く俺が消去を命じるか、アヤメ自身が消去を願うか、そうすれば消えるのだとか。だが俺としてはああいった手前消すわけにはいかないし、というか妹だし。アヤメの方はアイリスとのことを思って早めに消えたいと言ってはいたが、俺と別れるのが嫌らしくこうして残ったままだ。
だが迷惑なことに体は共有しているままなので、アイリスとどうこうする際はこうして少し遠慮しなくてはならない。もはやアイリスはそんなことを気にしてはいないが。
いやもちろん、俺は気にしている。
『カナ兄、私がいなくなるまで、絶対にアイリスとしちゃ駄目だからね!』
わかってる。できればこいつが大人になるまでしたくはない。罪悪感が半端ないのは目に見えている。
それに子供なんて、今の年齢では全く考えられない。魔術師の扱いが改善されればともかく、今のままでは一生魔術部で働かなくてはならない。そうなっては、おちおち子育てなどできまい。
「カナシ様ぁ~」
甘ったるい声を出して、アイリスは抱きしめる力を強めてくる。
しかし、いつまでもこのままでいるわけにはいかない。だがアイリスを引きはがすための理由がない。
……仕方ない。
「警視庁に行くぞ」
「またパトロールですか? ここ数週間、事件なんて一件もありませんよ」
「だからこそだ。平和ボケの隙を見て大規模犯罪を起こさないとも知れない。それに、仕事はそれ以外にもあるにはある」
「休めるときに休みましょうよぉ」
「責任はお前にもあるだろ……あと、部長の為にも動こうとは思わないのか」
一応、アイリスには部長が父・リンドウであることは伏せている。そうだと知ればまた面倒なことになりそうだからだ。
「思いはしますが、その部長さんが休めと言ったのですよ」
「行っても損はないだろ……」
「いえ! きっと部長さんは、私とカナシ様の関係を熟知した上でこの処分を下したのでしょう!」
なんでそうなる。
「節度くらい守れメス豚ぁぁぁぁっ!!」
「ぬっ! 出ましたねクソアマっ!」
言うまでもないが、今発言したのは俺ではなくアヤメだ。我慢ならなかったのだろう。
アイリスは俺から離れ、臨戦態勢になる。
「やめろ、おま――カナ兄が行こうって言ってんだから素直に従えよ!」
だめだこいつ。俺の言うこと聞かない。
「フン! カナシ様と心を一つにしているからと言って、調子に乗りすぎているようですねクソアマ! ここは一度、私の恐ろしさをその身にたっぷりと教えて差し上げる必要があるようで……!」
「ちょ、待て! これは俺の体で――いいぜかかってこいよメス豚ァァァ!!」
とりあえず、今日も死を覚悟した。
「っくしゅ!」
見た目の割に可愛らしい声が、部長室の中に響いた。
科学者に言えば非科学的とか言われるだろうが、誰かが噂しているのだろう。それはおそらく、カナシ。今頃彼らは家ではっちゃけているのだろう。
「夏なのに花粉症ですか」
アメリカからの報告だか何だかをしているのをやめて、ララは言う。
部長さんはずびびと鼻をすする。
「ああ、すまんな。報告の途中で。続けてくれ」
「はぁい」
リンドウさんは相変わらず洗脳を続けている――わけではない。解いてもあまり変わりなかったらしいのだ。おそらく、人々の脳が、それを当たり前だとでも思ったのだろう。
過程はともかくとして、結果的にリンドウさんは未だに部長職に就いたままだ。この人自身、もう働きたくないとか言っているが。まあ、精々苦しむがいい。
ララは視察役の仕事をこなして、一旦アメリカに帰ってまたこっちに戻ってきた。
ちなみに僕はと言うと、魔術部のサポート役として自由にやらせてもらっている。はっきり言って、ここにはいなくてもいい人間だ。
「アメリカ政府からの返事です。下手な和訳かも知れませんが、まあ、お気になさらず――<日本の治安維持部隊の優秀さを確認した。今後は共に世界の治安を守って行こう。それに伴い、名称等の統一を要求する。尚、総指揮権はそちらに譲る>――」
ドゴン、と今度は豪快な音が響いた。リンドウさんが机に、思い切り頭をぶつけたのだ。
「もう働きたくねえっ!!」
「罪滅ぼしですよ、リンドウさん」
僕はそんなリンドウさんを見て、微笑を浮かべる。
「そうです、そうです。罪の意識があるのなら、償ってください。これからもーっと忙しくなるんですから」
「カナシの成長が見られただけでよかったんだが……」
「おまけで公務がひっついてきただけですよ、ミスター・シズハ」
「それにカナシには、頼れる恋人ができましたしね。おまけに前科もなかったことに! いやあよかったよかった、静葉家は安泰ですね」
「俺はどうなる……」
「何を世迷言を。あなたは赤凪アマギですよ」
再びリンドウさんが机に頭を打ち付ける。
「報告を再開しますね。まず部隊名を<フォルセティ>に――――」
「もうやだ……」
なんだかカナシを見ている気がして、僕は思わず微笑んでしまった。
そういえば彼は今、どうしているだろうか?
そろそろ彼に会いたくなってきたのだけれど。
「っつつ……少しは手加減してくれよ……」
まだ痛む肩を回しながら、俺は夏の街を歩く。随分と騒がしくなったものだ。
人は走ったり歩いたりと慌ただしく、何人かは俺にぶつかりそうになっていた。
「申し訳ありません、カナシ様……つい」
つい、で俺は死にかけたんだが。
『私もごめんね、カナ兄。でも、悪いのはアイリス……』
やめろ、どっちもどっちだ。……それより、いい加減に和解しろ、お前らは。
『私はいいの。アイリスがカナ兄の言うこと聞かないのが気に入らないの!』
まあ、その点は同意だ。
「きゃあああああっ!!」
と、平和な話に時間を費やしていた俺達の下に、女性の悲鳴。
昼間の街中で悲鳴が聞こえるなど、ふつうありえない。
「行くぞ、アイリス」
「はい!」
俺はアイリスと顔を見合わせ、声のした方へと向かう。
これからも多くの困難が、俺を、俺達を待っているのだろう。
それも一興。もとより償いの為にあるような人生なのだから。
俺はいつまでも、犯罪者と対峙し続ける。
――傍で咲く花が、笑っている限り。