File:10「黒百合と」
――外はもう暗くなりつつあった。魔術部は地下にあるだけあって、時計がないと体内時計が狂ってしまう。今回俺は一度も時計を視界に入れていないので、その例に当てはまっている。
そのため、一気にテンションが下がった。暗い色は人間にあまりいい影響を及ぼさない。自家発電している施設はともかく、それ以外は発電所の恩恵を受けていたらしく、一切の照明が消えている。これが本当に首都の景色だろうか。残念ながら、場所自体は首都だ。
「さて、準備はいいか、シュン」
暗がりの不安を誤魔化すように、常時通話中のシュンに聞く。ちなみに、ララとも通話中だ。
『できることはほとんどないと思うけど、やれることはやるよ』
「……だそうだ。行くぞ、ララ」
「相手のやり方がよく分からない以上、遠くから狙うべきだとは思うけどね」
「物理攻撃はあまり望ましくないな。それでユリを殺して、吸収された奴らが死ぬとも知れない」
「別に狙撃しろなんて言ってないわよ。やり方は他にもあるでしょ、って言いたいの」
「…………」
そうは言われても、今の俺には一つだけしか浮かんでいる手段はない。それはきっと、博打だ。外せば世界は終わり、当たれば大儲け。
どことなく、賭け事好きな奴の気持ちがわかる気がする。
「まあ、最善策があるっていうなら何も言いはしないわ。私はそれを手伝うだけだから」
「どうも」
「日本人は馬鹿でも、いい人だっているんだもの。そういう人を増やすためにも、私は提携を進めていきたい。それだけよ」
『言い回しがカナシそっくりだね、ミス・バイオレット?』
「うるさいわよ、キノサキ」
……緊張感のない奴らだ。
「行くぞ、ララ。飛翔魔法」
「wing」
同時に足から翼を生やし、俺達は再び埼玉へと向かうのだった。
そうしてしばらく飛行していると、前方にどす黒い何かが蠢いているのが見えた。
「何あれ。よく見えないけど……煙?」
「ではないだろうな」
『ユリちゃんの一部と考えていいだろうね』
「よく今までもってくれたわね。待っててくれたのかしら?」
「考えにくいな。むしろまた進化していたと考えた方がいいだろう」
「……あんた、嫌なとこだけはいい推測出してくるじゃない?」
「悪気はねえよ。降りるぞ」
「……はぁい」
ララが気の抜けた返事をして、俺達はユリから少し離れた所に着地する。
「それで、作戦は大丈夫なわけ?」
「大博打だがな。俺を吸収しないことを前提とした作戦になる。ま、見てて危ないと思ったら来い」
「……心配ね」
『ま、カナシはやる時にはやる男さ。カナシがそういうのならとりあえず見ておくべきだ』
「そういうことだ」
理解ある幼馴染で助かる。それに、これは静葉家の問題だ。あまり他人をかかわらせたくはない。……かなり今更ではあるが。
ともかく、俺はユリがいるであろう場所へと駆けた。
そしてたどり着いた先で見たのは――
「ア――ガ――――ア―――」
「うへ……」
悪化していた。
何というか、ユリを埋め込んだ女神像――とでも言うべきものだった。口を開いているのもユリではない。
「バケモノめ……!」
これが異常化。恐ろしいものだ。だが、恐れて逃げるなどあってはならない。ケリをつけるんだ。
俺は深呼吸をして、想いを一気に吐き出し始める。
「ユリ! なぜお前は他人を悪と決めつける!?」
返事はない。だが、中心にいるユリの体が少し動いた気がした。
――行けるか? いや、やってやる!
「この社会において、悪は抹消される。客観的に見れば、俺だって悪だ。だが俺はこうして生きている! 何故かわかるか、他人の善意があるからだ! 誰がそれをいらないと主張しようが、別の誰かはそれを大切にしてるんだよ! お前の勝手な価値観で、自分だけが満足する世界なんて作ろうとするな! そんなの理由もなく他人を殺す奴と何ら変わりないんだよ! そんなに理想を求めるなら、現実でそれを求めるな! 死んだあとで勝手に作りゃいいだろうが! お前の理想に他人を付き合わせるな! そんなにこの世界が嫌ならさっさと出ていけ! まだ生きていたいなら、考えを変えろ! この世界が間違いへと進んでいこうとしているのなら、俺達が変えていくんだ! そのための魔法だろう! 不可能を可能に変える、願いを叶える手段だろう!」
なんだか、無茶苦茶を言っている気がする。何を言いたいのかがはっきりしていない。
でも、これが俺の思いだ。妹には、妹でいてほしい。
『――――でも』
「!」
突然、脳に直接声が響いた気がした。いや、確かに響いた。
ユリの、声だ。
『でも、カナ兄は私を選ばなかったっ! アイリスを選んだっ! 私の傍にカナ兄のいない、そんな世界に意味なんてない!』
「……それが、お前の意志か」
『そうだよ、カナ兄のいない世界なんていらないよ。だからね、私とカナ兄だけの世界を造るの。作るの。創るの。つくって、ずっと幸せに暮らそうよ! そうしたら、また一緒に暮らせるよ! あの時みたいに、二人で一緒にっ!』
……そうか。今の今になっても、考えは変わらないんだな。
「ユリ」
『何?』
俺はゆらりと歩みを進め、拳を握る。
「――――俺を、過去に縛り付けるなァァァァッ!!!!」
そして勢いよく跳躍し、虹色に光る魔法陣の浮かぶ拳を、ユリの腹部に叩き込んだ。
『は、ぐっ……!?』
「過去を忘れないことと、縛られることは違う! 俺はいつまでもお前を生み出したことに後悔はしたくない! 乗り越えなくちゃならないんだ、あるはずのなかった過去を!」
『コロス、の……?』
「まさか。お前の望みは叶えてやるよ。ずっと俺の中で生かしてやる――<アヤメ>!」
『……カナ兄……』
いらないものを生み出したからって、それをただ無かったことにしては、無責任にもほどがある。
だから、俺はアヤメのことを忘れないために――<吸収>する!
「アヤメ、もう離れるなよ」
『……うん』
優しくユリ――いや、アヤメの頬に触れると、アヤメはふわりとほほ笑んだ。まるで花開くように。かつて見た、あの時と同じ笑顔だった。
そして、アヤメは光に包まれ、その光が俺の中に流れ込んだ。同時に、様々な感情が伝わってきた。
正直、不快感でいっぱいだった。他人を受け入れるというのは、さほど簡単ではないらしい。
「あぐ、ぅううっ!!」
『カナ兄、二人で一つなんて考えないで。私もカナ兄も、カナ兄なの!』
「……よく分からんが、分かったっ!!」
俺は不快感を押し殺して、ただ念じた。
俺は静葉カナシであると。生命創生犯であると。アヤメの兄であると、ただ念じた。
要するに一つの器に二つが入るってことだろ! 最適化っていうのは、それが入っても大丈夫なだけの器にすることだ、多分!
「俺は、俺で十分だぁっ!!」
力の限り叫ぶと、不快感が収まった。最適化が終わった、ということだろうか?
「……アヤメ」
『大丈夫。私はここにいるよ、カナ兄』
「よかった」
どうやら吸収した人間の精神は、器の中で生きているらしい。
と、言うことは?
「アヤメ、今あれはどうなってるんだ?」
『中身が溢れ出そうになってる。だから、吸収したものの中から新しい器を生み出そうとしてる』
『カナシ、なんて?』
「あ、ああ、シュンか。ここまでの経緯はどうでもいいのか」
『それどころじゃないだろう。早く』
「ええと、吸収したものの中から新しい器を生み出すとか、なんとか」
『……要するに、ガラスのコップに入っていた水が、突然コップがなくなって溢れ出そうとしている。けど、なんていうか、水の本能のようなものが、溢れさせまいと氷のコップを作ろうとしているんだと思う』
「アヤメ、器には誰が選ばれるんだ?」
『大勢の人を吸収しても私が器であったのは、ただ誰よりも感情が強かったから。だから、次の器は――』
――アイリスか!
俺は歯ぎしりをして、蠢く闇を睨む。すると闇はやがて小さくなっていき、唐突に、一気に破裂した。
反射的に腕で顔を覆ったが、何かが降りかかってくるという感覚はなかった。そうして収まるまで待っていたが、至る所からぼとり、ぼとりと何かが落ちるような音が連続して聞こえた。
「ちょ、ちょっと! 人が降ってきたわよっ!?」
「人が……?」
ララが遠くで変なことを叫んだ。人が降ってくるわけないだろう。
『カナシ、速報だ。監視カメラが君たちの周辺に大量の人間を捉えた。おそらく、ユリちゃん――いや、アヤメちゃんが吸収していた人たちだろう』
「て、ことは」
本当に降ってきたのかよ。
『多分、アイリスが<吐き出した>。アイリスは私と違って、カナ兄以外の存在はいてもいなくてもいいって思ってたから。私はカナ兄と二人になれるならって、全部我慢して飲み込んでたけど……』
表現がちょっとえぐいが、要は俺の為に生ごみを食えたか食えなかったか、ということだろう。正直、食べなくていいなら食べてほしくはないが。
「つまり、アイリスは俺がいればなんでもよかったってことか」
『そういうことになるだろうね』
ということは――残った本体であるアイリスは、そこにいる、と。
「――カナシ様」
久しく聞いていなかったアイリスの声だ。アヤメと同じでも、込められた感情が違う。
俺を主人のように尊敬し、誰よりも俺を愛している奴の声だ。そうそう似ることもない。
「アイリス、終わったんだ。帰ろう」
そう言ってアイリスに近付こうとした時、何か見えないものに阻まれた。多分、障壁魔法。
なぜそんなものを出す必要がある?
「カナシ様、あなたは私が、何に見えますか」
「? アイリスはアイリスだろう。アヤメやユリとは違う」
「……そうですか」
寂しそうに言うアイリス。何をそんなに思っているのか?
「カナシ様。私は、私は――誰ですか?」
「何をわけの分からないことを。お前はお前だと言ったはずだ」
「……私は」
何だか、様子がおかしい。肩は小刻みに揺れ、頬を涙が伝っている。
「……アイリス?」
『カナ兄、危ない!』
「え?」「危ないっ!!」
ほぼ同時に、別々に危険を予告されたが、俺はそう素早く動くことはできなかった。だから今俺は、ララに体を押し倒されている。
「あぐぁあぁっ!!!!」
背が地面に着いたと同時に、ララの痛ましい叫びが鼓膜を酷く揺らした。
「ララッ!?」
急いで立ち上がり、ララに駆け寄る。
「――――っ!」
街灯に淡く照らされたララを見て、俺は目を見開き、声を失った。
左腕から、大量の血が流れていた。かなり深い傷らしい。
「アイリス……!」
「分かりません。私は一体、何がしたいのか。誰が何をしようとしているのか、さっぱりわからないのです」
「どういう、ことだ」
『まさかとは思うけどね……』
シュンが呻くように呟いた。
「推測でもいい、教えてくれ」
『多分今、アイリスちゃんは吸収した人々の思念――残留思念みたいなものをその身に宿しているんだと思う。だから、彼女自身の精神は消えかけている。君を攻撃しようとしたのは、アイリスちゃんの中にいる、魔術師を忌み嫌う人間の精神がそう命じたからだろう』
「じゃあ、アイリスは自分の思うように動けないのか!?」
『実際にそうならね。だとすればアイリスちゃんの脳自体は、自分の意志で動いていると認識しているに違いない』
「結局は、したくないことをしてるんじゃないか……! あいつは、一度だって俺に悪意を向けたことはなかった!」
『解決策は、僕の方では思案に余る。力になれず申し訳ない』
申し訳なさそうなシュンの言葉に、俺は正気を取り戻す。そうだ、こいつに怒鳴ったところで状況は変わらない。
「……いや、いい。むしろよくここまで付き合ってくれた」
『できることがあるなら言ってくれ。いつでも受け付ける』
「了解。引き続き通話を続けるぞ」
俺は一旦シュンとの会話を終え、ララの方に向き直る。
「ララ、大丈夫か」
「う、ん。なんとかね」
どうにかしなくてはならない。だが、障壁魔法はそう簡単に破れるものではない。それに、ここにずっと居続けるわけにもいかない。
何か鍵になる物があれば……!
「動けるか、一旦逃げるぞ」
俺がララに言うと、ララは血の吹き出す左腕に右手を触れさせた。
「Restore. ――このくらい、大丈夫よ。セイズを舐めないで」
「そいつは重畳」
強がりなのは今の状況に置いて嬉しい限りだ。だが、戦力に加えがたい状態であるのは痛手だ。動けるならまだマシだが。
とりあえず俺達はアイリスの目から逃れるべく、急いでその場から離れた。また追撃を食らって無事でいられる自信はない。
「シュン! 残留思念なら、こいつらに自我はあるのか!?」
『確実にとは言えない。けど、可能性は高いだろう……何をする気だい』
「中山さんを探す!」
『魔研の人かい?』
「そうだ! あの人なら、アイリスの何かを知ってるはずだ!」
『その辺り僕は詳しくないから、なんとも言えない。でも、できることはすべきだ』
「言われなくたって!」
「で、でもどうするの!? この周辺には今、首都圏の人口全てが散乱してるのよ!?」
それがどうした。その程度の障害、魔法でどうとでもなる!
「探索魔法、中山さんを見せろ!」
俺はアイリスとの距離が取れたところでブレーキをかけ、探索魔法で辺りを見渡す。
いない。いない。いない。いない。いない――――
「――――いた!」
真っ黒な視界の中に、仰向けで浮いている中山さんが見えた。多分、人の山の中に埋もれているのだ。
「ララ、俺の視線の先に人の山かなんかあるはずだ。その中の、ええと、白衣で眼鏡の人をここに運んできてくれ」
「白衣の眼鏡ね。わかったわ、ちょっと待ってて」
そう言って俺の視線の先に行き、ララは中山さんの捜索をはじめたらしい。音しか聞こえないから実際どうなっているかはわからない。
「これー?」
遠くからララの声がした。中山さんの体と腕が動いていることから、おそらく確認のためだろう。
「ああ、その人だ!」
俺は探索魔法を解除し、同じように大声で返事した。
「ん……暗いな」
「はい、この人がなんだって?」
俺が視界の変化に慣れようとしている間に、ララは中山さんを担いでさっさと俺の下に戻ってきた。仕事の早い奴だ。
「魔研の職員だ。アイリスの専属医師……ってとこかね」
「随分贅沢なのね」
「好きでそうなったんじゃない。ともかく、起こそう」
ララに中山さんを地面に降ろさせ、その体をゆっくり揺さぶった。
「……ん……?」
瞼が僅かに震え、その瞳が開かれた。
「カナシ君? ここは、一体?」
「中山さん、状況の説明はあとでします。少し話を聞いていただけますか」
俺の強めの言葉に、中山さんは一瞬たじろぐも、すぐに「ああ、いいよ」と承諾してくれた。
「感謝します」
「いいんだよ。君がいるということは、一大事ということだろう? 僕も聞きたいことがあるけれど、君の方が優先だ」
「……本当に、感謝します」
「時間が惜しいんだろう? 早くしたほうがいいんじゃないか」
「はい。先日魔研を訪問したとき、アイリスと何かありましたか」
俺が簡潔に聞くと、中山さんは顎に手を当てて思案を始めた。
「軽くスキャンして、話をして……あ、そうだ」
「何か、あったんですか」
「……子供が産めるのか、と聞かれた」
「「――――は?」」
俺だけでなく、ララまでもが素っ頓狂な声を出してしまった。
「はは、僕も聞いたときはそんな声が出たよ。でも彼女は大真面目に聞いてきた」
「……それで、どうなんですか」
「彼女の身体は、子供を産むには十分に条件を満たしていたよ」
「そうなんですか……」
『そうなんですか、じゃないだろう。君は鈍感すぎだ』
「え」
呆れたようなシュンの声に、俺はまた変な声が出た。
「鈍感すぎるよ、カナシ君」
中山さんまで同じことを。二人して言わなくてもいいだろう。
「アイリスちゃんはね、君にすべてを捧げる気しかなかったんだよ。もちろん君も、満更ではないだろうけどね」
「……まぁ、そうですけど」
『…………むうー』
俺が呟くように言うと、アヤメがむくれるような声を出した。
いろんなところから声が聞こえて、脳がどうにかなりそうだ。
「僕に言えるのはこれくらいかな。これでよかったのかな?」
「……十分です、ありがとうございました。ここは危険ですから、逃げてください」
「そうさせてもらうよ。警察の邪魔はしたくない」
それだけ言って、中山さんはさっさとその場を去った。いい人だ。これだと自分の為に話をしていた自分がみじめに思えてくる。
「いい人ね」
「ああいう人もいるのさ」
「で、どうするの? 子供作っちゃうわけ?」
『それも一つの手だね。でも、うかつに近付くのは薦められない』
「じゃあ、どうしろって言うんだよ」
『彼女は今、君への愛情だけで、大勢の人間の負の念と戦っているわけだ。その結果が、自分を見失いかけている、というわけだろう』
そこまで大きな愛か……まあ、悪くない。
『愛情の増大。それによって負の念を飲み込む。それはアイリスちゃん一人で成功できはしない。愛情は二人がそれを認め合うことによってようやく恋愛へと変わる。君の力が不可欠になるわけだ』
「要するに、愛の告白をしろってことね」
『ま、そうなる』
「……愛の、告白か」
「あら、好きなんでしょ?」
……そうだけど。
『カナ兄。私だけに意志を伝えるんだったら、アイリスが可哀想だよ。ちゃんとアイリスにも伝えてあげて』
「……お前もすっかり丸くなったな」
『わ、私は別に。カナ兄が困るのが嫌なだけ』
素直じゃないな、アヤメ。それはそれで分かりやすくていいんだけどな。
「わかった、行くぞ」
「ああ、なんだか面白そうね。人の告白聞くのって」
「お前は腕やられたのに元気そうだな」
「あら? ポジティブな心は体にいいのよ?」
「そうかい……」
緊張感のないララを見て、一気に疲労感が押し寄せてきた。ああ、めんどくさい。
めんどくさい。めんどくさい。
めんどくさいよ、この社会。人間の心。感情。
それでも人が恋をするのは、なんでだろう?
俺は疑問を一つだけ持って、アイリスの下に踵を返した。