File:9「行き先は花畑」
カナシが部屋から出ていったところで、私は息を吐いて近くにあった椅子に腰かけた。
「見た所、親子のように見えましたけど。プライベートと仕事でうまく分けられているようですね」
「残念ながら、あいつは忘れているがな。ガキの頃、ほとんど相手していなかったし」
ということは、あいつはアヤメって子とずっと二人暮らしだったってこと? 通りでシスコンなわけね。
「でも、忘れているというのは少しおかしくはありませんか」
「親の顔ぐらい覚えている、と?」
「そうですね、親の顔なんてそうそう変わりはしません。リンドウ・シズハ、今何か魔法を使えますか」
私がシズハ部長を睨みつけるように見て言うと、彼は首を横に振った。
……愚かで悲しい家庭だ。
「洗脳の類ですね? しかも警察関係者全員にひっかけてる」
「……とまぁその通り、俺を知ってりゃ誰でも分かるようになってる」
「では、私にかけないのは何故です?」
「もう必要ないからさ。ちなみに君以外に知っている人間もいる」
「解せない人ですね。どうしてそんなことをしてるんです」
なんだか、段々イラついてきた。何が楽しくてそんなつまらないことをしているのだろうか?
「似たようなことを別の奴に言われたね。答えは、まあそうだな。魔術師の可能性を見たい、だな」
「呆れました」
「彼にも同じことを言われた」
日本警察の偉い人って聞いてたけど、これじゃあなんていうか、知識を持った馬鹿だ。日本が夢も希望もない国って言われるのが、なんとなく分かる気がする。
「それで、いつばらすんです?」
「おそらく、もうすぐだろうな。緊張してる」
「……馬鹿な話ですね。受刑者が死ぬ前に死を恐れることがあるのでしょうか」
「あるんだよ、それが。俺だって科学者の端くれだ、いい結果が見られれば本望だ」
「親の端くれの間違いでは? 息子の成長が見たい――そうなのでは?」
「解釈は自由にしてくれ、高確率で俺は死ぬからな。謎なくらいでちょうどいい」
……こいつ、嫌いだわ。今まで気に入らない上司なんて腐るほどいたけど、この人はちょっと違う。それがなんなのかはよく分からないけど、私に合ってないのはよくわかった。
「もう少し話してください、あいつがどうしてあそこまでシスコンなのか」
「参ったな、初対面の人間に話すことになろうとは」
だからそれを知ろうと、私は部長さんとの会話を続けることにした。
■ ■
二度ノックすると、部屋の中からシュンの返事がした。俺は扉を慎重に開け、中に入る。
「よお、大丈夫か」
「それはこちらのセリフだ。よく生きていてくれた、カナシ」
シュンはキーボードを叩くのをやめて、椅子を回して俺の方を向いた。
変わらずの白衣だ。
「それにしても、やりすぎじゃないか? 持ち込みすぎだろう」
周囲にある様々な機材を見渡しながら、俺はシュンに言う。
「まさか。持ち込んだと言っても、庁内で使っていない機材を借りただけだ。実質持ち込んだのは彼だけ」
「……彼?」
俺は眉を顰めながら、シュンの言う<彼>を探す――が、狭い休憩室のどこを見ても俺とシュン以外の人物は見当たらない。
「君も見たろ。Mr.マジカルレーダー。ちょいと改良した」
当たり前のように言いながら、シュンはPCに差し込まれている記録端末を指さした。
……ネーミングセンスはともかく、マジカルレーダーってそれのことか。
「それで、何か分かったことはあるのか?」
「それが奇妙でね。どうも、都内に魔術師の反応がない。もちろん、警視庁にいる魔術師を除いてね」
「……でも、確かユリが暴れたせいで魔研の魔術師が逃亡、そこら中で魔術師を増やしているはずだが?」
「らしいね。実際Mr.レーダーのログを見ると、小一時間前の某地域では画面が真赤になりそうだったくらいだから」
「そこまでか」
「感心している場合じゃない。魔術師が人間に戻るなんて例は見たことも聞いたことがない。カナシ、君はさっきまで外にいたんだろう? 何か変わったことは無かったのかい」
変わったことと言われても、出てくるのは一つだけだ。
「異様に静かだった。魔研の方に行ってたから、東京からは遠いはずなんだが」
「静か、か。消えた、と考えるべきだろうね」
「消えた? 逃げたんじゃなくてか?」
ここまでの騒ぎになれば、人々はできるだけ遠くへ逃げようとするはずだ。
……いや、待てよ? 都民が一斉に逃げられるほど新幹線や電車は大きくないし、ましてや一気に詰め込むことができるほど、駅も大きくはない。
「交通機関からの渋滞情報や、電車や新幹線が混雑しているという情報は今のところ、ない。なのに人は都内からきれいさっぱり消えた。魔法も満足に使えない彼らが、器用な真似をして逃げることができるだろうか? それができたとして、普通の人間はどうなる? 走って一時間では、精々隣町まで行けるくらいだ」
「でも、それが正しいとして、奴らはどうやって消えた? 普通消えないだろ」
「この世界で常識は通用しないだろう? 魔法が存在する限り」
だが、広範囲の生物を消す魔法だと? いくらなんでも、そんな魔法を思いつく奴は狂っている。自分以外を消そうとする、狂った奴――
「……あぁぁぁぁ」
「心当たりでもあるのかい」
「多分な……」
ユリしか心当たりはない。自分以外を消そうとしているかはまだ分からないが。
「ふむ。それについて話してくれるかい? 簡単にで良い」
「言われなくてもするさ」
俺は大きな溜息を吐いて、シュンに今のユリのことを話してやった。話している間、シュンはずっと顎に手を当てて考え事をしているようだった。
「――と、いうわけだ。あまり余裕があるとは言えない」
「それは早く言ってほしかったね。まあいい、僕の考えを伝えておこう。あくまで推測だけど、いいかい?」
「もちろん」
「要するに、ユリちゃんは君を独占したかったわけだ。だが当の君はそれを断った。ユリちゃんはつまり、君が断るとは思っていなかったのさ。アヤメちゃん本人と言っていい彼女は、君が自分のことを好いてくれていると思ったままだからね。
そもそもユリちゃんは、君と愛し合う関係になった後、二人だけの世界を造ろうとしたのだろう? だが前提として君が必要だった。でも君は手に入らなかった。となれば手順を変えるしかない、そう考えたんじゃないかな? 君と二人だけになって、嫌でも愛し合うしかない世界を造ろうとしているわけだ、彼女は」
「じゃあ、みんなを消しているのは、あいつ?」
「そう考えてもいいだろう。僕から見れば、それ以外に原因は考えられない」
こいつが断言するような発言をするのは珍しい。ということはつまり、これが正しいとみていいだろう。
だが、色々と気になる点はまだある。
「あの姿は、一体何なんだか……」
「話を聞いた通りのイメージでいいのならば、暴走か、更なる進化だろうね」
「進化、だと思う。暴走の割に、魔法らしきものは使っていなかった」
「そもそも魔術師への進化は、人間が進化することを制限する壁を取っ払って可能になったものだ。だがその先まで進化できないなんて、誰も言っていないしその証拠もない。鳥に牙が生えたりしないと言い切れるかい?」
「できないけど、そう簡単に進化するものでもないだろ?」
「今考え付いたんだけどね、人を消したというより、吸収したのではないか、と僕は考えている。吸収した分、その人間の経験なんかを最適化しようと身体の形を変化させるのではないか、とね。それなら、その悪魔のような姿と言うのも分からなくもない。現代の人間はストレスに塗れているからね」
「吸収――じゃあ、アイリスはっ!?」
「見つからないのであれば――つまるところ、そういうことになるだろうね」
「そんな……!」
この状況を打破するために必要なのに。アイリスが、どうしても。
「まあ、これも推測だ。そう深く考えないでくれ。とりあえず僕から言えるのは以上。それはそうと、部長さんから何か聞いていないのかい?」
「? いや、何も。今はちょっと取り込み中だからな」
「そうかい。でも、なるべく早く話をしておいた方がいい。僕からはこうとだけ伝えておこう」
「……?」
シュンが俺の前で深呼吸をしている。緊張などと言う言葉とは縁のない、こいつが。それほど大事な話なのだろうか? というか、話せるなら自分が話せばいいのに。
などと気楽に構えていた俺を、こいつは一気に緊張の渦に追いやった。
「――静葉リンドウ。部長さんの本名だ」
■ ■
「おいッ!」
俺は途中で転びそうになりながらも、突き破るような勢いでドアを開けた。
部屋の中では、ララが椅子に腰かけて、部長――いや、<父さん>と話をしていたらしい。
「カナシか。どうした、そんなに慌てて」
「……まだ、そんなことを……!」
歯が折れそうなくらいにかみしめると、部長は悲しげな笑いを浮かべていた。
今の俺には、それが俺をあざ笑うようにしか見えなくて。
「歯ァ食い縛れぇぇぇッッ!!!!」
俺は筋力強化魔法を発動させ、机の上に乗り上げて父さんの頬に拳を打ち込む。
もう、部長には見えなかった。俺の目の前にいたのは、いつしか見た覚えのある父親だった。――本当に、そうなのか。
散乱する書類を無視して、俺は父さんの襟首を掴み上げた。
「あんたはッ!! どこまで知っているッ!!」
俺が怒りの眼差しを向けるも、父さんは表情を変えない。――諦め?
「……お前の知りたいことの、大体だ。今の事態については、説明しかねる」
絞り出されたようなか細い声は、俺の耳にようやく届くような声量だった。
俺は今の父さんの表情を、見たことがあった。3年前の、鏡の前で。心の支えがない人間のする顔だった。
「離してあげな。話を聞く限り救いようのないクズ野郎だけど、どうしようもない家族想いだってことも、日本の知識に疎い私でもわかったわよ」
後ろから、ララの気楽な声。こいつにまで話したのか。
「……そういうわけだ、離せ」
「……ちっ」
舌打ちして、俺は父さんを乱暴に突き放す。次いで魔法を解除して、机の前に立ち直る。
「何から聞きたい?」
父さんはネクタイを締めなおしながら、椅子に座る。怒らない辺り、ちゃんとした大人らしい。
「大体の話は魔研の高橋さんに聞いた。俺が聞きたいのは、あんたがどうして俺とアヤメだけにしたのか。なぜアヤメを静葉家に入れたのかだ」
「そうだな……俺はアヤメの観察係を任されたが、その前にお前を観察していたせいで魔術師に覚醒した。だが魔研は観察係を静葉から変更することはなかった。結果、お前しかいない静葉家にアヤメが来たというわけだ。ああ、そうだ。警察が来るのが早かったろ? あれは魔研が監視カメラを通じて通報したからだ」
「……盗撮だろ、それ」
「残念、遠隔操作で爆破できるようになってる。今は無害だよ」
「まあ、いい。それよりなんで魔研は命の創造なんて考えたんだ」
「そんなもん、興味以外のなんでもない。はっきり言って、魔術師もだ」
……底知れない怒りが湧き出す。じゃあなんだ? 今のこの事態は、元をたどれば魔研の実験が、興味が引き起こしたものだと?
「逮捕したいのは山々だったが、今俺がこの地位にあるのは魔研の援助があってのことだ、下手に動けばお前らを殺される可能性があって動けなかった。ここまで聞いて言いたいことは?」
「今から動け」
正直、謝罪をしたくはあったが、先ほどの剣幕から急にしおらしくなってはなんだかカッコがつかない。そんなことを気にしている場合でないのは分かっているが。
「復讐の相手がいないのにか? 今俺ができるのは、何もない」
「あれ? 目的は残ったまんまですよねぇ?」
親子で真面目な話をしているというのに、またララが割って入ってくる。
目的? まだ何か企んでるのか、こいつ。
「本人に言っていいものやら。とりあえずお前には益も害もないから安心しろ。それよりも、外は大事なんだろう? 彼女から聞いたぞ」
「過去にケリをつける。罪滅ぼしってわけじゃないが、できる限りのことはしたい」
「……そうか」
俺がはっきりと意志を伝えると、父さんは安堵したような微笑を浮かべた。でもまだ、悲しそうだ。
「それなら、すぐにでもこの事態を収拾しろ。俺もできる限りのことはしよう」
「嘘は吐くなよ」
「何をいまさら」
久しく――いや、実際にはずっとしていたのだが――していなかった親子の会話を終え、俺はララを連れて再びシュンのいる休憩室へと訪れることにした。
「――で、その子が例の。What's your name?」
「あら、上手な英語。でも残念、日本語は話せるの。ララ・バイオレットよ、よろしく」
ララは笑顔で手を差し出すと、シュンはそれを握って軽く振った。
「よろしく、バイオレットさん。僕は城崎シュン。人間だ」
「ん? 人間と魔術師は対立してるんじゃないっけ?」
「正確には人間の一方的な確執だけどな。一部の魔術師はこうして治安維持に努めてるし、一部の人間はこうして研究に努めてる」
「ふぅん、変わってるのね」
「国が違えば何とやら。それよりシュン、何か分かったことは?」
俺が聞くと、シュンは眼鏡の真ん中を押し上げた。
「ふふ、よく聞いてくれたね、カナシ」
あれ、そういえば前もこんな感じだったな。
「ユリちゃんの進化を、ひとまず僕は<異常化>と、そのままの名称を付けた。それで、僕が先程伝えた推測――<他人を吸収して最適化する>というものが正しいとして話を進めるよ」
「恐ろしい話ね」
「元々わけの分からん存在だからな、こうなればどこまで行っても驚きはしない」
「ならば、驚かせてあげよう。話は変わるが、これを見てくれ」
シュンはそう言って、モニターを俺達に見せた。レーダーの反応が現れる地図だ。そこにはただ一つだけ、赤い点が点滅している。
「魔術師ってことだろ? ユリなんじゃないのか」
「いかにも、ユリちゃんの反応だ。でもなんだかおかしくはないかい?」
そう言われて、少し目を凝らしてみる。ララも同様だ。
「んー、なんていうか、波打ってる?」
ララの言うとおり、波打っている、としか表現のしようがない。多重に点が動いているとも言えなくもないが。
するとシュンは、パチンと指を鳴らした。
「That's right! ユリちゃんの中に、多数の魔術師の反応があるってことだ」
「……つまり?」
「つまり、吸収されていてもそいつの個は残ってるってこと?」
「形が残っているかは問わないけどね。それで、今度はこれを見てくれ」
ちょっと失礼、とシュンが横から手を伸ばしEnterキーを押した。しかし、画面はあまり変わっているようではない。――いや?
「なんか点滅が……なんというか、減った?」
「おっ、正解だカナシ。魔術師の反応は二つにまで減少した。何故だと思う?」
「俺が分かるかよ……」
「実はね、レーダーに使ってある君のデータは少しだけ手を加えているんだ。魔術師特有のものだけをトリミングしないと、君の遺伝子や細胞を持つ存在を探知してしまうからね」
「てことは、これは俺の遺伝子と細胞だけで……――っ!?」
発言の途中で、今画面に映る物が何を示すかに気付いた。
「まさかとは思うけど、例の二人?」
震える声で、ララが恐る恐る言う。シュンは黙って首肯した。
「どうやら君は、自分の体を元に作ったようだね。だから遺伝子、細胞も同じで、魔法も使える」
「あら? でも姿形は違うわよ」
「魔法の前では遺伝子なんて無意味らしい。軽く検索してみたが、魔術師の両親を持つ子の顔はどちらにも似ていない、という前例があるらしいしね。ちなみにその夫婦は離婚したよ」
そんな情報はどうでもいい。
「進化の影響とでも考えるべきだろうね。ともかく、容姿については言及しないでくれ、まだ誰も研究していないのだから、情報が一切ない」
「それはまあ、どうでもいいけど。つまり、アイリスは既にユリに吸収されたってこと?」
「そうなるね」
「……っ」
「カナシ、僕からは以上だ。これを踏まえて、君はどうする? 魔術部の一員としての君でも、静葉家の男としての君でも、アイリスちゃんのパートナーとしての君でもいい。君の今の意志をはっきりと述べてくれ」
「……俺は」
俺は、どうするべきだ?
多分、前回までに逃した魔術師や、今回の連続盗難事件の犯人も、あいつに吸収されたと考えていい。
父さんがもうふざけたことをしなくていいようにしなくてはならない。
まだ隣に、アイリスがいてほしい。
「俺は――元に戻す。間違っているんだとしても、俺達はまだそれが間違いだと知らない。だから、それを判断する時間を得るためにも、元に戻さなくちゃならない。間違いならば、道を正せばいいだけだ。あいつは、ユリは答えを急ぎすぎた。既にこの社会の在り方が間違いだと認識している。だから」
「そう面倒なことはいいんじゃないの?」
「カナシらしくはあるけど、君ならもっと簡単にまとめられるだろう?」
二人にそう言われて、なんだか真面目に言っていた俺が馬鹿らしく思えてきた。
俺なら、か。
「……そうだな、言い直そう。――黒百合を摘んでやる」
俺が端的にそう述べると、二人は微笑を浮かべた。
「そうだね、君らしく面白い表現だ」
「さて、行きましょうか? 正常化魔術師さん」
「なんだよ、それ」
「異常を正常に戻す、ということだね。カナシ、リングフォンで通話するよ。こちらで何かできることがあればいつでも言ってくれ」
「ああ、頼む」
なんだか頼もしいじゃないか。それに、また楽しくなってきた気がする。いや、単なる興奮だろう。
「ララ、例のハイテンション魔法使ってるか?」
「いや、使ってないわよ? 何、楽しいの?」
ララは悪戯っぽい笑みを浮かべたが、それはお前も同じだぞ。とても楽しそうだ。
「何、お前らが頼もしく思えてな」
「僕はともかく、彼女は初対面じゃ?」
「細かいことはいいのさ。じゃ」
「ふむ、まあいい。行ってらっしゃい」
俺は軽く手を振って、ララと共に部屋を出た。
花摘みなんて、人生で初めてだな。
湧き上がる思いは、希望と呼ぶにふさわしかったと思う。