File:8「過去に」
部長は忙しいだろうし、シュンは頼れそうにないので、結局ララに俺の背中を預けることになった。アイリス以外の奴に背中を預けるなど初めての試みである上にその相手が初対面ということで不安はあったものの、彼女の正確にまんまと丸め込められた感じだ。いつもの俺なら簡単に人を信じはしない。
そういうわけで、今俺は囮作戦の準備を終えて公園の公衆トイレから顔を出した。外では誰もいない公園で一人楽しそうに遊ぶララの姿が。
「……着替え終わったぞ」
「あ、そう? いやぁ、それにしても不便よね。服まではコピーしてくれないんだもの」
言いながら、ララはブランコから飛び華麗に着地する。俺は表情を変えずに拍手を送る。
まあ、今の俺は身代魔法で作った分身だ。だからまだ魔術師暴走の情報が届いていない店で買った服を着たのだ。本体はと言えば、ララの隣のブランコで死んだように項垂れている。俺が人生に絶望したみたいな構図になってるからやめてくれ。
「丁重に扱ってくれよ、そっちがやられたら元も子もない」
「ずっと見てるっての。見てなさい、傷一つも付けてやんないんだから」
「そりゃあどうも……」
拳を握って有り余る闘志を見せるララを尻目に、俺は自分を右肩に担ぐ。自分を担ぐなんて変な気分だ。
さて、具体的な作戦内容だが――そんなものは考えられていない。ただ俺が丸腰で歩き、そこから少し離れた所でララが障壁魔法を発動させながらついてくるというだけの、ちょっとした釣りのようなものだ。
しかしながら、その離れる距離と言うのが少し問題のあることだった。数値にしてなんと200m。一瞬耳を疑ったが、彼女ははぐらかしたままだ。試しに簡単な視力検査を行ってみたが、全問正解。魔法を使えば造作もないだろう、と自分で結論付けた。
そんな見切り発車な作戦が今から始まるのである。
「頼むぞ」
「了解っと。――denial」
俺は本体をララに手渡すと、綺麗な発音と共に障壁魔法を発動させた。そういうところは外国人らしいと感じられる。
「じゃ、お先に」
「がんばっば~」
謎の激励と共に見送られ、俺は完全無防備での散歩を始めた。と言ってもただ散歩するわけではなく、何かあれば警官として動くつもりだ。
……とは思ったが、どうも静かだ。
「誰もいないのか?」
そんな独り言はどこかへ消え、静寂だということを俺に再確認させる。
東京の人間がそう簡単に黙るだろうか? 黙ったとして、車が道路を踏み荒らす音もない。強いて言うなれば風が木々を揺らす音位だ。
黙ったというより、消えたという方が適切な表現だろう。
――<消えた>?
そういえば忘れかけていたが、さっきまで俺は盗難事件の捜査中だった。それも確か盗まれたというより、消えたというべきだった。
消えた、か。もしかしたら、展示品も魔研の手が加えられていたのではないか? 今の状況からすれば、そう疑えなくもない。……いや、魔術師がいる時点で、何もかもを疑えるのだが。
思案しつつ歩いていると、背後から足音が聞こえた気がした。何かの聞き間違いかと思ったが、念のため音をたてないように歩いてみる。
ララではないはずだ。あいつはかなり遠くにいる。となれば、誰だ? この状況からして、アイリスかユリ、もしくはこの事態の黒幕か。
聴覚を研ぎ澄ませて、足音が聞こえるかを確認する――微かだが、聞こえる。音はそう固くない、ハイヒールを履くような人ではないだろう。それではまだ絞ることはできないが。
コンクリートの地面と靴の擦れる音。スニーカーの類か。
歩幅やテンポは俺に合わせている。……ここから何が分かるというのか? 何もわからない。
誰が何の靴を履くかなど分かるものか。ハイヒールを履いていないからと言って大人の女性ではないと言い切れはしない。スニーカーだって履くだろう。
それはそうと、何もしないのはなぜだ? 背後にいるのなら好きにできるはずだ。殺そうと思えば、そうすることもできる。
ええい、もどかしい。どうせ一度は死んでいいんだ、振り向いてもリスクはない。
そう自棄になりつつ振り向くと、そこには、ユリ――
「……何の用だ」
「カナ兄こそ、そんな紛い物で歩き回るなんてどういう了見なの?」
睨みつける俺に、ユリは呆れたように肩をすくめる。
「紛い物だと分かっているなら、本体を狙えばいいだろうが」
「カナ兄、勘違いしてる。私はね、カナ兄がそれを望んだうえで、一緒に死にたいの」
狂ってやがる……。何がこいつをそう思わせているんだ?
「ユリ、どうしてそうまでして俺との心中を望む」
「だって、こんな世界住みづらいでしょう? 魔術師はゴミのような扱い。人間自ら進化を望んでおいて、酷いものだとは思わない?」
「それは罪を犯す者がいるからだ。誰かが人を殺せば、その誰かに似ている人物を恐れるのは当然のことだ」
「それだっておかしいよ。だって罪を犯していない人だっているんだもん。その人たちは何も悪くないんだよ?」
「仮におかしいとして、俺はどうなる。俺だって犯罪者だ」
「カナ兄はただ自分の為だけにしたことなんだから、罪じゃないよ。私をこの体にしてくれた。アイリスはいらないけどね」
……こいつは。
「ねえ、カナ兄。どうしてアイリスを選んだの? あんなメス豚、カナ兄が穢れちゃうだけだよ」
「……お前は、アヤメに似すぎている」
こいつは、アヤメの本心だ。
自分と同じで、でも自分と違うものが選ばれたことを嫌っている。きっとアヤメは、俺が好きだったのだろう。
それが、俺に作り直されることで、別の存在になった――そう理解して、本心を隠さなくなった。つまりは、そういうことなのだろう。
だから、俺はこいつを選ばなかったんだ。
「私がアヤメに似ていちゃだめなの?」
「それ自体を否定しはしない。けどお前は、俺を過去に縛りつけようとする」
「……?」
ユリが、わからない、と言った感じに首を傾げる。
分かられて、たまるか。
「お前はアヤメのまま時が止まっている。お前はただ俺に好かれたいだけだろう。これ以上邪魔をするなら、お前と言えど消すぞ」
「……どうして。どうしてカナ兄はそんなことを言うのっ!? どうしてあのメス豚の方を選ぶのっ!! あんなのカナ兄に相応しくない!! 私の方がカナ兄のことたくさん知ってる!! いつも本を読んでて、いろんなことを知ってて、料理ができて、城崎さんと一緒に話したり、優しくて、かっこよくて、私の世話を見てくれたり、お父さんとお母さんがいなくても私の為に頑張ってくれて! だから私はカナ兄が好きなのにっ!!」
「お前がそうだから、嫌いだと言っている」
凄い剣幕で言われるが、俺はただ一言で一蹴する。
「――!」
ユリの目が見開かれた。まあ、そうなるだろう。愛を語ったというのに、それを受け入れられなかったのだから。
「一つ、アイリスを悪く言うな。手がかかる奴だが俺の相棒だ。二つ、お前はそれ以上の俺を知らない」
「それはあのメ――ア、アイリスだってそうじゃない! あいつは昔のカナ兄を知らない!」
自棄にでもなったか。そこまでアイリスを嫌うか、お前は。
「知る必要があるのか? 俺を語る上で必要なのは生命創生犯であることだけだ。犯罪者に罪名以外は必要ない。それに、アイリスはお前以上に俺を知っている」
「……たかが、数年の付き合いで……!」
「そうやって敵視してるから嫌なんだ。もうちょっと毒を抜けば俺だってここまで嫌わない」
「アイリスがいようといまいと、私はこんな世界で生きたくない。カナ兄もそうでしょ」
ああ、こいつは。どこまでこうなのか。
アヤメがこんな奴だったなんて信じたくはない。けど事実、こいつはそうなんだ。
エゴの塊なんだ。
「ユリ」
「何?」
もはや狂ったような表情のユリ。俺は笑顔でその手を掴んだ。そして――
「地獄に案内してやる」
その華奢な体を、ララのいるであろう方角へとまっすぐ投げ飛ばした。
そしてすぐ、俺は身代魔法を解除し、本体へと意識を戻した。
「――!」
俺は目を開ける。するとまず、コンクリートの地面とララの足が見えた。担がれている。
「ちょ、ララ。降ろしてくれ」
「あ、あぁ。あんたが投げ飛ばしてきたの、あれ?」
あれ、というのはおそらくユリのことだろう。慎重に降ろされた俺は、「まあな」と頬を掻いた。
「悪いが、周辺の警戒を頼めるか。俺は今、人生のターニングポイントにいるらしい」
「シスコンも大変ねぇ。そんじゃ、アリ一匹も入れてやんないわ。でも、こっちに流れ弾寄越さないでよ?」
「尽力する」
それだけ言うと、俺はララの障壁魔法の中から飛び出し、立ち上がろうとしたユリに向かって駆け出した。
油断している内に追撃を加える。俺は筋力強化魔法を使い、ユリの鳩尾に拳を叩き付ける。
「が、ふっ」
ユリの喉の奥から胃液らしきものが吐き出される。
俺はすかさず四次元ポーチに手を突っ込み、麻酔手錠を取り出す。そしてそれを悶え苦しむユリの手首にかけようとした時だ。
ユリがもはや、人のものとは思えない表情で、俺を見たのだ。
「っ!!?」
人の恐怖心を嫌と言うほど煽り、心臓を鷲掴みにするような、そんな恐ろしい表情。幽霊だとか、ゾンビだとか、そういうレベルではない。
ともかくそれで慄いてしまった俺は、隙ができてしまった。
「カナ兄……かな……に……」
「っ!」
その呻き声は、まるであの時のアヤメ。その姿も相まって、砂になってゆくアヤメを俺に否応なく思い出させた。
「カナニイ……ワタシ、モノ……」
複数の声が重なっているような感じだ。もはやそれは、意志ある言葉とは言い難かった。
欲望に忠実な、ただひたすらにそれを求める機械とでも言うべきだ。
だが機械と言うにはとても不定形すぎる。かと言って、人間と言うにはあまりにも崩れていた。
皮膚はひび割れ、中から黒い肉体を覗かせる。背中からは骨格だけのような翼が生え――まるで、悪魔のような形になりつつあった。
「ファンタジーにもほどがある……!」
俺は舌打ちをして、とりあえず障壁魔法を発動する。
「アア……アアアアア……!」
もはや重なっているとか、そういうレベルではない。獣の呻き声だ。
魔術師のなれの果てか? そんな考えが一瞬過ったが、今はそんなことを考えている場合じゃない。
「――aqua!」
などと、俺が硬直している外から、大量の水がユリ――もはや、そうだったもの――を飲み込む。
「ララか!?」
「and,freeze!」
そしてそのまま、ユリを中に含んだ氷の結晶ができあがる。それに俺が呆気に取られていると、前にララが着地した。
「見てらんないじゃない? Where is あの余裕?」
「そんな英語、日本人でも使わねえよ……」
ララは馬鹿な事を言ったが、俺の気は紛れそうもない。何故なら目の前で、ユリの目は化け物のようにグルグルと気味悪く蠢いている。
凍ったはずだろ。
「何、これ? 聖書にも載ってないわよ、こんな悪魔」
ララが親指で指しながら、俺に聞いてくる。
「俺が聞きたいくらいだ。セイズの末路と言いいたくはあるが……」
「潰していいの?」
「いや、下がれ」
「ああ、はいはい」
俺の意図を理解してくれたララは、大人しく俺の横を過ぎる。
そして、それを合図にしたように――ユリを捕らえていた結晶が砕け散る。俺は障壁魔法で防いだが、完全にかっこつけて油断していたララの後頭部には割と大きめの氷塊が衝突した。しかし一切の反応をしない。飛び散る氷の如く表情も凍っているのだろう。
「はぁ」
容疑者が目の前にいるというのに、俺はどうしてこうも余裕があるのだろうか。
ララが楽しませてくれている。そうとしか思えない。
普通、この状況で余裕――いや、<楽しめる>わけがない。だが、特におかしいものでもなかった。これくらいでちょうどいいのだ、魔術師は。
「カナニイ。カナニイ? カナニイ。カナニイカナニイカナニイ」
「……ああそうだ、カナ兄ちゃんだ。お前の大好きなカナ兄ちゃんだ」
こみあげてくる笑いを我慢しながら、俺はユリに返事してやる。
すると、凍っていたはずのララが俺の方に手を置き、顔を耳に近付けた。
「どう、楽しいでしょ? ストレスに囚われるのはあまりよくないから、少しばかり魔法を使わせてもらったわ。そうね、分かりやすく言えば――ハイテンションにする魔法」
やはりララのせいだったようだ。だが、いい。焦るよりかは、十二分に。
「気楽にやれそうだ」
「それはどうも。で、どうするの、これ?」
「手も足もあるかどうかすら怪しいから、麻酔手錠は使えそうにない。……そもそも分かるか、麻酔手錠」
「パラライザーでしょ? 似たようなのがあるから分かるわよ」
「ならいい。問題はこいつをどうするか、だが……」
「カナニイカナニイカナニイカナニイカナニイカナニイカナニイカナニイカナニイ」
目玉をぎょろぎょろと動かし、ケタケタと笑うユリ――まるで狂った人形のようだ。悪魔と呼ぶだけの不気味さは十分だが、恐怖を与えるには足らない。
「あんたが目当てなわけでしょ? やっぱり囮になれば?」
「勘弁願いたいな。生き残れる自信がない」
「カナニイカナニイカナニイカナニイカナニイカナニイカナニイカナニイカナニイ」
ユリを包む闇が膨れ上がって大きな腕を形成し、俺達に襲い掛かる――しかし、当たりはしない。作戦会議に夢中になっているのに、当たるわけがない。
「どうすれば勝てるわけ?」
「下手をすれば勝利は難しいかもしれん」
「皆で死のうって? 私は御免よ」
「カナニイカナニイカナニイカナニイカナニイカナニイカナニイカナニイカナニイ」
また一撃。片手間のステップでそれを避ける。
「肝心のアイリスは行方知れず。あいつがいれば少しは状況が変わるだろうが」
「Searchingで探せないわけ?」
「結局のところ見えるのは視界に映って認識できるかどうかだ。魔法で見えるからと言ってかなり遠くにいられちゃ、肉眼で視認できない」
「ナンデナンデナンデナンデナンデナンデナンデナンデナンデナンデナンデナンデ」
「となると、かなり面倒ね。やっぱ囮になってくんない?」
「それしかねえのかよ……」
ララは軽やかに跳び、前宙でまたユリの攻撃を回避する。
どうも不自然だな――何故、魔法を使わない?
「それ以外になんかあるの?」
「時間稼ぎなら、なんとか」
「具体的に頼むわよ」
「合図する。同時に水魔法、氷結魔法だ」
「ナンデナンデナンデナンデナンデナンデナンデナンデナンデナンデナンデナンデ」
「かなりアバウトじゃない、のっ!」
ララが語尾を強調したと同時に、再びユリの攻撃を回避。初めてだというのに息の合った動きで、俺とララは空中で体勢を変え、拳を振りかぶる。
「可能な限り出せっ!! 水魔法!!」
「aqua!!」
そして同時に水魔法を大量に発生させ、ユリを再び飲み込む。
「「アーンドゥ……フリーズ!!」」
二人で前に手を突き出したと同時に着地。顔を上げると、そこには先程の倍以上の大きさの結晶ができあがっていた。
「魂理論が確かなら、もう魔法は使えないな……」
「それで、少ない時間の中で何をするわけ?」
「友人に協力を仰ぐ。少し走るぞ」
俺達は氷の結晶に背を向け、筋力強化魔法を発動させて全速力で走りだした。
「てことは、そいつの家に行くわけ?」
「いや、警視庁だ。少々の用事で動く奴じゃないから、まだいるはずだ」
「……かなり、距離あるわよね?」
ララの不満はもっともだ。今現在俺達がいるのは埼玉県。前回今のように走ろうとはしたものの、結局そうはせず、飛翔魔法でここまで来た。しかし今使っていないのは、ララのことを考えた結果だ。ほぼ思いつきで使えた魔法を、ララが使えるとは思えない。迅速かつ確実な手段を選ばなくてはならない今、そんなことをしている暇は――
「なんでwingを使わないわけ? あっちの方が断然早いじゃないの」
――などと思考している間に、ララがそんなことを言ってきた。ウィング? 翼のことか。
ん? 翼……?
「お前、飛べるのか?」
「魔法でなら」
何を当たり前のことを、とララは付け加えた。
俺は一瞬呆気に取られたが、すぐに別の手段に切り替えることを決めた。
「なら、飛ぶぞ」
「口調から察するに、できないと思われてたわけね……外国だからってナメないほうがいいわよ。wing!」
「飛翔魔法!」
足から翼を生やした俺達は、高速で警視庁を目指したのだった。
案の定、庁内は大騒ぎだった。外は静かだというのに恐ろしい限りだ。
俺は興味津々にあちこちを見渡すララを引っ張って魔術部のオフィスにある部長室へと入った。ノックなど気にしている場合ではない。
そこには山のような書類を処理する我らが部長、赤凪アマギ。
「ノックくらいしろ、カナシ」
「緊急事態です、無視してください。――それより、シュンは?」
「ああ、城崎君か。彼なら休憩室に山ほど機材を持ち込んで作業中」
「……は?」
シュンはここにいるらしい。しかし、休憩室で作業とは一体。
「Mr.マジカルレーダーだったか? それで捜索をしているとか何とか。……それはそうと、その子はなんだ?」
部長は指でララを指すと、それに反応したように立ち上がる。
緊張しているのか? 人を楽しませる魔法とか使っておいて。……そういえば俺、さっきより落ち着いている気がする。氷を作ったせいでそれを使うほどの余裕はなかったのだろう。
「私はアメリカ合衆国魔術治安維持部隊・フォルセティのメンバーであり、この度日本・警視庁魔術部の視察の為に来日したセイズ、ララ・バイオレットです! よろしくおねがいします!」
「……そうか。こんな状況ですまないが、協力を頼む」
「喜んで!」
なんだよ、この態度の差は。
俺は呆れて何も言えず、とりあえずララを放ってシュンのいる休憩室に向かうことにした。
それにしても何だ、Mr.マジカルレーダーって。