プロローグ
このたびは拙作「ノーマライジング・ウィザード」に触れていただき、誠にありがとうございます。
こちらの作品はユーザー企画「キカプロコンテスト」にて佳作(10位)に選ばれました作者の代表作でございますが、当時は受験を控えていたということもあり、焦って無理矢理に完結させてしまいました。ご愛読していただいた方々やコンテスト審査員の方々には弁解の余地もありません。私の落ち度であり、力不足であります。
その罪滅ぼしというわけではないのですが、この作品のリメイクにあたる「クリエイト・ザ・カラフル」の連載を2017年4月より開始いたしましたので、読者の皆様にはぜひそちらを読んでいただきたく存じます。
今一度お詫びするとともに、拙作に触れていただいたことへ最大の感謝を申し上げます。
何の変哲もない、春の休日だった。魔術師という身分のせいで外に出ることを控えていた俺は、いつものように自室で科学の本を読んでいた。両親は仕事でいないので、いつもと変わらない。
――そう、変わらずに一日が過ぎていくはずだった。
辞書のように分厚い本のページをめくりながら、そこに記されている内容を頭に叩き込んでいく。正直、外出するよりよっぽど有意義だと思っていた。外に出て娯楽に時間を費やすよりは、一つでも多くの知識を蓄える方がいいに決まっている。
友人もいたが、遊ぶというより知識の共有というべきだ。いつも室内で語り合っていた。
そんな友人も今日は家族で出かけているらしく、一緒にいることはできない。そもそもあいつは人間だから、魔術師の俺と関わっていること自体不思議なのだ。この状況が俺にとっての当たり前だった。
外からは車が数台走る音が聞こえるくらいで、静かなものだ。東京という大都会にいながらここまでの静かさが得られたのは父親が喧騒を嫌っていたからだ。それは遺伝していたらしく、俺も同感だった。
しかしこの静かな読書の時間も、いつまでも続くとは限らない。今この家にいるのは俺だけではないのだから。
キーの解除音がしたので入口の方を向くと、そこには8歳になる妹・アヤメがいた。俺と同じく魔術師だったので、学校には行っていなかった。俺はその分独学で補っているが、アヤメは体が弱くそんな暇はなくまだ年齢の割に幼い。
俺は本にしおりを挟んで閉じ、机に置いて立ち上がる。
「どうした、アヤメ」
「カナ兄……」
よく見ると、顔が赤くぼうっとしていた。俺は冷静に考え、頬や額に触れる。
熱かった――手が火傷するくらいに。
「ッ!?」
反射的に手を離す。アヤメの目は虚ろだった。
「カナ、兄……あつい……」
分からなかった。アヤメの熱は、人間の出すそれではなかった。
触れた手を見ると、少し皮が剥けていた。こんなことがあるはずがない。そう思った。けど、目の前で起きている。
どうすべきか。対処法を知らないことには手の施しようがない。だがこの体温のままで、人間が生きていられるはずがない。体温の限界と言われる42度など、とうに超えていただろう。
ならば、なんとしてでも冷却する――俺は焦りながら、アヤメを抱えて1階のリビングに駆け降りた。
すぐにタオルを取って来、アヤメを寝かせる。
「カナ兄……たすけて……」
「……安心しろ、アヤメ。俺が助ける」
冷静なつもりだったが、確実に焦っていた。
俺はタオルを握り、深く息を吸う。そして息を吐くと同時に、呟いた。
「――水魔法。氷結魔法」
両掌から魔法陣が現れ、そこから水が溢れ出す。その水はタオル全体に染み渡ると、握ったところから凍りついていく。
魔法でできた簡単な保冷剤だ。それをアヤメの額に乗せる。
しかし、一瞬で溶ける。乾燥しきったタオルだけが残った。
なんなのか、さっぱりわからなかった。頼みの綱などない。魔術師を相手にしてくれる病院など皆無だし、両親は仕事が忙しく電話に出られない。
誰かの手を借りなければならないのに、誰もいない――最悪の事態が起こったのだ。
どうすればいい。どうすればいい? 唐突すぎる。
俺は出した水を消し、必死に策を考える。
「くそ、アヤメっ!」
「カ……ナ……に……っ」
苦し紛れに、アヤメを抱きしめる。熱かった。溶けそうなほど。
今となっては、何故他の方法を試さなかったのか悔やまれる。
皮肉だが、幼さ故の知識不足に他ならない。知識は全く足りていなかったのだ。
「――――」
焼けるような痛みに耐えていると、急に熱と抵抗がなくなった。
「……アヤメ? っ、アヤメっ!!」
今でも、この時の恐怖は忘れることができない。
誰がこれを恐れないのか。
――妹の顔が、砂のように崩れていくこの様を。
「ひっ、っ、うっ!?」
声にならない。喉が締まっているような感覚。
状況が呑み込めないでいる俺を放って、アヤメは砂になっていく。
「っぐ、アヤ、メっ!?」
ようやく出せた声も虚しく。
すでにアヤメは、綺麗な砂の山に変わっていた。
そうだと理解するのに、数分を要した。
何が起きたのか?
誰がこの現象を説明することができるのか?
できない。誰にもできない。できるはずがない。いくら科学技術がが進歩したって、理解できないことを説明できるはずがない。
この時の俺は、アヤメがこの砂になったことを理解し、まず悲しんだ。
泣いて、嘆いて。
その砂に触れて、願った。
すると小型の魔法陣が無数に現れ、砂山を包み込んだ。
人の形が変化してこの砂が生まれたのなら、この砂から人間を作り出すことが可能なはずだ。
脳、神経、骨、眼球、五官、五感、喉、肩、腕、胸、腹、腰、五臓六腑、手、指、脚、足、毛髪。そして、思考、感情。
人間。人間だ。アヤメを蘇らせる。
とても愚かだった。倫理に反しているのはもちろん、過去をなかったことにしようとしたのだ。
確かに愚かだ。しかし、当時の俺の気持ちも考えてほしかった。
それをできるだけの力を持つ、平静を失った13歳の少年が、それをせずにいられるだろうか?
――いつになっても、答えはノーだ。
アヤメが蘇ったと同時に、俺はまた嘆いた。
「……? あ、う?」
俺の前にいたのは、アヤメではなく。アヤメに似た、知らない幼女だった。
黒かった髪は澄んだ水色に。目も同じだ。
「あ……お……」
「?」
呻くような俺の声に、幼女はただ首を傾げた。
「お前は、誰だ……?」
――間もなくして、警察が来た。
俺は逮捕され、幼女は捕獲された。
俺が少女に名を付けたその日に、継ぎ接ぎだらけの家庭は崩れた。
両親は消息不明だと言われた。
正直そんなこと、どうでもよかった。
俺はもはやピアノ線で操られる人形のように、だらりとしたまま連行された。
こうして俺は、生まれて13年で罪人となったのである。




