心の授業
生徒:
教えてください
メンヘルとは何でしょうか
導師:
メンタルヘルスです
生徒:
それは固まった過去が思考の波に沈み
引きずるように歩くということですか
導師:
いいえ メンタルヘルスです
生徒:
綿毛のような他人の思いが
マチ針のように突き刺さり
見えない血潮に濡れている
そんな夜の住人ですか
導師:
いいえ メンタルヘルスです
生徒:
全ての視線が敵意となって
昼間の笑みを打ち消していく
そんな地下の生き物ですか
導師:
いいえ メンタルヘルスです
生徒:
分かりません
それは動いていくのです
直接見れば痛いほどに
メンタルヘルスが分かるでしょう
導師:
あなたには何も見えないのですか
生徒:
教えてください
私が理解できない分けを
導師:
あなたは「メンタルヘルス」と
何度言いましたか
生徒:
一度です
導師:
どうしてもっと言わないのですか
言わなければ あなたは何も知り得ないでしょう
生徒:
そんなことで分かるのならば
ここまで落ち込んだりしない
帰れる道などどこにもないのに
つまずく石すらないみたい
導師:
では訊きます
「ありがとう」とは何ですか
生徒:
それは感謝の気持ちです
人に何も望まなければ
きっと生まれてこなかったでしょう
導師:
いいえ それは私です
次を訊きます
「ごめんなさい」とは何ですか
生徒:
それは謝罪の気持ちです
自分を見つめることもなければ
きっと生まれてこなかったでしょう
導師:
いいえ それは私です
次を訊きます
「お気を付けて」とは何ですか
生徒:
それは気遣いです
人と人が交わりあって
そこに生まれる新たな流れ
導師:
いいえ それは私です
ですがあなたはあなたを知りません
生徒:
それら全ては 導師のものです
私に何の関係がありましょう
導師:
では私は 未だにワインを用意する者
その一滴が刺激するお前の目覚めに合わせるように
ばらばらの世界が音を鳴らして結集する
なぜに?
それはみな人間のために
金貨のために働く者は 人間だけだ
だが全ては人間のために働いている
お前はまだ 何も見えないのか
生徒:
弱った者の肉体が崩壊していく様ならば
ずっと前から見えている
だけどそうしてなくなるものの
たったひとつも残りはしないの?
心の在り処が分かったならば
私は安堵を枕にできる
導師:
ひそひそ声で話しなさい
もう外は夜だから
悲しいくらいの 夜だから
生徒:
では 祈りの言葉を教えてください
あなたの指がなぞる歴史を 教えてください
導師:
ではあなたは あなた自身の外に出なさい
そこから見つめる背中ならば
きっと雪のなかに溶ける言葉を紡ぐでしょう
生徒:
人間は弱いのですか
メンタルヘルスなのですか
導師:
違います 弱いのはあなたで
メンタルヘルスはあなたです
だからこの夜に気狂いの歌を歌いなさい
さあ
生徒:
「い」の音なら安心できるよ
その真ん中に私を置いて
あらゆる苦労が去っていくから
導師:
それでもだめなら体をすぼめて
「う」の音まで進んでみなさい
アンモナイトのその昔でも
そこには人が生きている
生徒:
きっと今の私達より
巧みに心を操って
動物達とも仲良くやって
導師:
人間は変わった
なぜに? と訊くのか
その答えが知りたいならば
ワインにでも喋りかけていろ
生徒:
ああ
そうして地球の色が変わったのですね
あんなに青かったのに あんなに――
あんなに 青かったのに
今では 東の空に浮かぶ丸い月のように
赤いのですね
導師:
そうだ だから――
女の人 これがあなたの息子です
男の人 これがあなたの母親です
そしてお前 これがあなたのメンヘルです