第八話
本を読破した後、暫くの間高揚した心が落ち着きそうになかった。
「すっきりしねぇけれど、この選択しかなかったんだろうな……」
本の内容を要約すると、次のようになる。
生まれた直後に捨てられた少女は、ある家に引き取られた。彼女はすくすくと成長し、小さな夢を抱いた。しかし、戦渦はとどまるところを知らず、幸せに暮らしたいという彼女の願いは隣国との戦争によって儚く散り、人々も次々と徴兵されていった。
やがて彼女は自分だけが幸せになってはいけないのだと思い始め、剣を取った。腕が動かなくなるまで毎晩素振りをし、時間があれば師範や年上の人の剣技を身に着けようと努力した(自分は、この〝努力〟っていう言葉が嫌いだ。戦争と言われてもピンとこないし、そうしてまで強くなろうとした気持ちが理解できない)。
血が滲むような鍛錬のおかげか、彼女は一人前と認められて村を出た。それと同時に名を捨て、ヤスミノイデスと名乗るようになる(何が語源なのかは記載されていない。メモ曰く、重要人物。主人公なんだから、重要人物であるのは当たり前だと思う)。
腕を見込まれて王族の護衛という職に就いた少女は着実に経験を重ね、王女の側近を務めるようになった(大出世だな)。戦渦は収まったように見えたが、今度は王国に対する反乱分子が挙兵した。それを鎮静するのは彼女の役目であった。そんな中、彼女は自身と同じ理想を掲げる彼(名前は不明)と出会った。そうして何度も彼と剣で語り合ううちに彼女は淡い恋心を抱くようになった。
彼女はまた悩んだ。自分だけが幸せになっても良いのかと。彼女は王国の忠実な僕であり、彼とは相容れない立場だったのだ。葛藤をしている間に争いは激化し、彼女は暗殺者の対応にも追われ始めた。その上王女とは付きっきりで、彼と会える時間はなくなっていく……。
「そこらへんに腐るほどあるハッピーエンドじゃない、ってところが魅力かもな。捺由はきっと、少女の恋の行方を知りたくて読んだんだろうけど」
結果を先に述べると、少女の恋は叶わない。二人は相打ちになり共に負傷する。それだけなら良かったもしれない。彼は突然現れた盲目の人によって殺される(盲目に殺されるなんて結構ドジ?)。それでも彼女は仲間の前で悲しみを見せず、気丈に振舞った。
最終的に彼女はその戦いで勝利を収める。だがやはりそう上手い話はなく、彼女もまた王女を庇って致命傷を負った。息が絶えるまで歩き続け、偶然か或いは運命か、彼と邂逅する。彼は名を縛られて、呪いにかかっていた。疲弊しきっていた二人は最後の力を振り絞り、刺し違えた。
「うーん、名前が記載されていないってところがポイントか。このヤスミノイデス? っていうの絶対偽名だな。にしても、登場人物多すぎ……。昔暮らしていた村の住人と、王宮の人々の名前を挙げるだけで日が暮れちまう。だーッ、ちまちました作業は性に合わねぇ! どがーっと来いよ、男ならどがーっと! 矢でも鉄砲でも持ってくればいいじゃんかよ」
こういう答えのない問題は自分には向いていない。
本を閉じて、溜息をついた。空回りしすぎて心身ともに疲れてしまい、これ以上は続けられそうになかった。
「言っているだけで空しくなってきた……」
心にぽっかり穴が開いたような感じがしても、二人の選択を間違いだとは思えない。最後まで二人は幸せだった。その幸せを他人がどうこう口を挟むことは彼らへの侮辱なのだ。
他はわからないことだらけだった。
なぜ、彼女は戦うことを決意したのか。なぜ、身を挺してまで王女を守ろうとしたのか。そして暗殺者とは誰なのか。なぜ、彼は死んだのか。名を縛るとは一体なんなのか。また、彼の名を縛ったのは誰なのか。なぜ、なぜ、なぜ――。
……ぷしゅう。
空気が抜けたような間抜けな音が頭から発せられた。
「はひほへほ……」
もう、限界だった。『考えるんじゃない、感じるんだ』というフレーズを思い出しながらも、思考回路が正常に戻るまで魂が抜けているような心地だった。
時間の経過を忘れて無心でいると、外に遊びにいっていた魂が「ごめんねー」と体に戻ってきた。
……他人の気持ちがわからない、そのもどかしさが自分の首を絞める。居場所をどんどん狭くする。引きこもりになった原因は無視されたとか、虐められたとかじゃない。そりゃあ、時には挨拶しても気づかれない時だってあるし、からかわれることだってある。自論の域から出ないけれども、そういう理由で引きこもったんじゃない。自分はそんなに弱くない。
それは皆同じなのだろうか。あの物語の彼女にも誇りがあり、譲れないものがあったのだろうか。自分にはある。もしも他人が自分を社会からの脱落者だと見なしたら、すぐさまビンタしに行き、こう言ってやるんだ。
「人を見下せるんなら、テメェは何か誇れるものがあるのかよ。そういうものなしに他人を侮辱するなんて、テメェの心が知りてぇ。つか、頭の中も覗いてやろうか」
……最後の一言は余計だな。語尾にゴルァとかつけても逆効果かもしれない。
「さて、と……やりますか」
自分は血染めのコートを着た女性の名を調べる作業に取り掛かった。
手がかりはある。絵や文字が描かれたカード。あれは一枚でなかった。あんなにも沢山所持している人は限られてくる。大量生産品でない限り、とても貴重な物だろう。
御託なんてどうでもいい。今は、やるしかないんだ。