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侵食されしケレブレム  作者: 楠楊つばき
1st stage その目で何を見るのか
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第六話

 気付くと、体の自由が利いていた。理由はわからない。そんなことよりもここから出ることで頭が一杯だった。要領の悪さがこんなところに反映されるとは。

 昇降口の扉は開放されており、靴に履き替えずに外へ飛び出した。この判断は良かったかもしれない。なぜなら、自分の靴がない一年生用の昇降口から出てきてしまったからである。二年生用はここから反対側だ。引き返す時間が惜しい。


「よっしゃ! これで……」


 赤黒かったのが嘘だったほど、空は澄み渡っていた。その青い空を見て自分は落ち着きを取り戻せた。それから見晴らしの良い所に出ようと校庭へと向かった。その途中には屋外プールがあり、そこで泳いでいる生徒を見かけた。彼らは黙々と、わき目も振らずに泳ぎ続けている。その様子はまるで、ここから切り離された空間にいるようだった。誰一人も自分と目を合わせようとはしない。気にしすぎだ。彼らは練習熱心なだけだ。そうに決まっている。


「……きっとさっきのは見間違えだ。空が赤黒くなるはずがないし。幻覚を見るなんて疲れてんのかなー。最近ゲームは控えているつもりだけど」


 喜びは束の間だった。

 スピードを緩め、歩こうとした瞬間、甲高い声が脳天を突いた。悲鳴だった。女の子の、あの、耳障りで頭が痛くなる金切り声だった。聞き間違いだと思った。けれども自分の心は妙にざわつく。急いで校庭に躍り出ると、そこには凄絶な光景が広がっていた。


「……なんだ、これ」


 髪は長く、黒いコートを纏った女性が毅然と歩いている。彼女から逃げようと逃げ惑う生徒達。片や歩行、その他大勢は走行であるのに距離は一向に広がらない。むしろ縮まっている。


「――――」


 女性が何か言葉を発した。

 次の瞬間、驚くべき光景に自分は顔色を失った。


「ひ、人が……消えた」


 女性の近くにいた一人の男子生徒が跡形もなく消え失せ、校庭からいなくなった。するとまた悲鳴やなんやらが木霊する。その光景は一瞬だけ、小学生の頃の事件と重なった。

 忘れるはずがない。あの時は運動会だった。他学年の競技の結果にも一喜一憂し、個人としては順位に固執しながらも、とても楽しかった。大勢の人が一斉に奮起しているのを見て、自分は子供らしい温かいものを幾つも受け取った。その瞬間を誰かに奪われなければ。喜びを奪われなければ。奪われたのはそれだけではない。沢山の命もなくなった。冷たくなった妹の姿を思い出すたびに怒りを覚えずにはいられなかった。


「嘘だと言ってくれよ、なあ。夢なら覚めてくれよっ。もうたくさんなんだ!」


 親友といる時、夢なら覚めないでほしいと願った自分が愚かだった。目の前で誰かが傷つくのも、いなくなるのも耐えられない。空義は逃げろと言っていたが、これでは開けて悔しい玉手箱だ。助かる、という望みは砕け散ったのだ。

 校庭は生徒でごった返していた。なぜ校門から出て行かないのだろうかという疑問はすぐに晴れた。というのは、自分は校庭から引き返し、一番近い西門へと向かっていたからだ。ゴールテープを切るように、迷わず門を抜けようとすると。


「へごふっ」


 顔面から何かに衝突した。そこに壁など何もない。もう一度門を抜けようと、地面を力強く蹴った。


「いで……」


 また何かにぶつかる。手を伸ばしてみると、壁のようなものが門のところにあった。

 結局学校の敷地外に出られなかった。見えない壁が邪魔していた。舌打ちをして、その壁へとタックルをかましても跳ね返されるだけだった。


「このまま自分も消されるのか!? 夢の中でも、怖ぇもんは怖ぇんだよ!」


 焦りが思考を鈍らせる。校庭に目をやると、生徒の人数が著しく減少していることに気付いた。恐らくすでに半分以下にはなっているだろう。


「空義……捺由……、逃げられたか?」


 このひきこもりの身である自分よりも、肝胆相照らす仲である彼らの命の方が高価値だと思った。二人とも大会で入賞経験があるし、周りから尊敬されている。

 本当は悟っているくせに、と最悪の結果が脳裏を過ぎる。


「このまま終わりたくなんかねぇのに、こうしてただ嘆くしかできないのか? 悲劇を繰り返さなくちゃいけねぇのか?」


 頭を垂れ、両手に力を込めた。


「……無理だ。自分じゃ何もできない」


 力量は本人である自分が誰よりもわかっている。自分は特別なんかじゃない。歴史好きで、体育が苦手などこにでもいるような男子高校生だ(体育が苦手な人は少ないかもしれない)。筋肉がつきにくいのは生まれつき。中学生の頃、試しにプロテインを摂取してみたが、効果は現れなかった。『無知の知』という言葉を聞いたことがあるけれども、こうやって自分の欠点を挙げてしまうと無力である事を再確認しているようで空しくなった。


『そうやって、逃げるのか? 尻を巻いて逃げ続けるのか?』


 耳にたこが出来るくらい聞き慣れた声が自分を質した。どうやらその声は〝善〟の方なので、自分はあざけながら答える。


「逃げてもいいだろ? どうせ、無理なんだから」

『打開策を見つけろ。そうすれば道は開かれん。お前は考えたか? なぜ人が消えたのか。その前にあやつが何と言ったかを』

「気になってはいるさ。でもな、繋がらねぇんだ。水泳部は平気な理由とかも」


 校庭では惨殺が繰り広げられているのに、プールの方からは、ばしゃばしゃという水音やホイッスルの音が聞こえてくる。あれが平和ボケなのか。明らかに緊張感がない。部活としての緊張感は今自分が感じているものと明らかに異質だ。


「あーもう、わかんねぇよ!」


 頭を掻き毟ると、茜色の髪の毛が数本指と指の間に挟まっていた。


「……見ぃつーけた。貴方が今回のプレイヤーさん?」


 背筋がぶるっと震え、口が渇いた。恐る恐る声がした方向を目で追うと、いた。赤いコートを纏う長髪の女性が。黒いというのは見間違いだった。彼女の腕は赤い生地――返り血らしき赤い斑点がある――に覆われていた。


「貴方の名前は……奏都、櫻井奏都。かなちゃん、とでも呼ぼうかしら」


 女性は不気味な笑みを浮かべた。目元はいまにも泣きそうなほど弱弱しいが、全身から狂気といえそうな妖艶さが漂ってきており、その対称さが気味悪い。


「なんで知ってんだよ! 名乗ったおぼえはねぇぞ!」

「ふふふ……名乗ったでしょう? この世界に入り込んだ時に」


 そういえばそうだった。数刻前(時間の感覚はよくわからないが)、アナウンサーらしき少女に自分は奏都だと名乗った。

 この馬鹿野郎っ。なんで軽々しく名前を口にしたんだよ!

 自身を叱咤した後、次に襲ってきたのは消されるという恐怖だった。男子生徒が消される瞬間が脳裏に過ぎり、身を屈める。消されたらどうなるんだろう。夢が終わるならいいが、そんなに話が上手くできているはずはない。待ちうけているのはきっと、これ以上の地獄。

 消されるのを待ったが、その時はなかなか訪れない。生き地獄かよ、ここは。  


「名を縛れない……ということは……」


 女性の声に反応し、自分は顔を上げた。彼女は顔色一つ変えることなく淡々と言葉を続ける。


「ふっ、面白い。貴方は選ばれし者……だが、無事に帰すつもりはない。せめてもの余興だ、貴方が何を見ているのか試してやろう」


 上から目線の言動が頭にきたが、心を落ち着かせて相手の手の内を読もうと頭を回転させる。消えない、という事実で安堵した体は考える行為に適していた。


「……ククっ、櫻井奏都。もし貴方が我が名を当てることができたならば、無事にこの世界から帰すと約束しよう」

「なんだよ……それ。夢はいつか覚めるものだろ。他人に帰すなんぞ言われる筋合いはねぇよ」

「夢……だと?」


 自分の声も彼女の声も震えていた。

 突如、彼女は両手を広げて笑い出す。


「これが夢? これが、夢? 夢? ゆめ? ユメ?」

「何度も言わせんな。ああ、これは夢さ。いつか覚めるはずのな!」

「軽々しく命を粗末にするな。青二才め」


 その瞬間、自分の顔のすぐ横を何かが通り過ぎていった。数本の茜色の髪が宙に舞う。彼女は本気だった。話は噛みあっていないのに、それだけは明瞭だった。


「時間をやろう。それでも我を倒せなければ、貴方を殺す」


 無意識に振り返り退路を見つけようとしたが、浮いている幾多ものカードが自分を取り囲んでいた。何かの文字が描かれているカードは生きているかのようにこちらの動きを遮る。右足を動かそうとすれば、右足にそれらが集まり、貼り付いた。再びその右足を動かそうとすると、激痛が走り、意識が朦朧とした。

 右足を引き摺りながら女性を一瞥すると、彼女の手には黒い鞭が握られ、その周囲にカードが浮遊している。

 選択肢などなかった。生きて帰してもらうため、校舎へと足を動かす。まだいるのか? 空義……。頼りにできる親友の姿を自分は捜し求めた。




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