第二話
迷わずにパソコン室に辿り着けたが、問題はこれからだ。自分は部外者であるので、どうやって中に入ればいいのかと悩む。
挨拶はするべきだ。「こんにちは」または「失礼します」が無難だな。それと、無理をしてでも笑顔でいるべきだろう。簡単な自己紹介も忘れてはならない。奇異な目で見られるのは勘弁だし、不信感を抱かれても困る。任務失敗じゃプライドがズタボロだ。それに空義への評判にも関わる。慎重に言葉を選ばなければ。
「すー、はー」
ドアの前に仁王立ちして大きく深呼吸し、覚悟を決めた。大丈夫……大丈夫、自分は平気だ、と呪文のように唱えながらゆっくりとドアを引く。
「失礼します」
お、涼しい。
パソコン室に入ると、心地よい冷気が出迎えてくれた。頬を撫でる風は気持ちよく、出来ればずっと留まっていたい、ここに住みたいと思ってしまうほど快適だ。パソコンがあるならば、自分はどこでも生きていける自信がある。一日一食でもパソコンがあれば大丈夫だ。なんたってオカズはいっぱいあるからな、ぐへへ。
室内は静まり返っていた。それもそのはず、パソコン部は大会を狙う運動部とは違って出席が強制ではなく、生徒が自由気ままにやっていて幽霊部員も多々いる。つまり物好きが蔓延る場所なのだ。ちょっと待て。ということは自分もその物好きの一員? おえっ、マジか。……話を元に戻そう。そのような自由な方針が空義の精神に反するかもしれない。空義は規則に厳しく、融通の利かない男だ。規律があるからこそ自由が生まれる、と白熱した議論をつくせる人物は十数年生きてきて彼しか知らない。
「……? 部員ではないな。どのようなご用件で? 一応、おれが部長だけれど」
応対をしてくれたのはドアのすぐ近くにいた男子生徒であった。強面であり、ぼんやりと空義と似たリーダー性を感じ取れた。
「申し送れました。生徒会会計監査の代理である櫻井奏都と申します。会計の方はいらっしゃいますか?」
「あー、またあいつが何かやらかしたか」
直後男子生徒は呆れたような表情をし、この展開を予想していたような口調で言った。
その言動は自由奔放な学生に手を焼く教師のようにも見えた。この事態に慣れているのかもしれない。会計が自分では手がつけられないぐらい横暴な奴だったらどうしよう。空義本人をぶつけた方が早く済むのではないのか。
そんな問題児であるから空義は来るのを躊躇ったのだろうか。一応訊いてみるか。
「また、とは?」
「代理っていうのは、黛のところだろ?」
パソコン部部長は質問を質問で返してきた。
ここで問題を起こすと空義の信用に関わるため、自分は苛立ちを抑えた。笑顔が引きつっていないかどうか鏡で確認したい。なんならパソコンのディスプレイで。
「そうです。彼は友人ですから」
空義の仕事を手伝ったのは今回が初めてではない。話しだせば意識せずとも仕事文句と化した言葉がすらすらと口から発せられるくらいには手伝ってきた。
返答を待っている間、焼けるような熱が耐え難い刺激となって全身を駆け巡った。
「……っ」
小さく呻き、咄嗟にシャツをつかんでしまった自分は、相手に気取られないよう自然に自身の体調を確認する。今のところ心拍数は正常値。異常な発汗はしていない。その他異常なし。
そのまま立っていると痛みはたちまちひいていった。
気のせいだと胸をなでおろし、発作が来た原因を探ろうと室内全体を見渡す。ぼちぼちと生徒は残っていたが、それぞれ自身のことに没頭しているらしく、部外者の訪れに気付いた者はほとんどいない。誰とも視線が合わなかった。
落ち着け自分。今回は耐えられる。なんとか乗り切れ。
額から小粒の汗が流れた。嫌な汗は背中からも出ていて、シャツがべったりと肌にくっつく。下着を着てはいるものの不快なこと極まりない。
窮地に瀕していた自分の傍で、パソコン部部長はうんうんと頷いていた。
「多忙な親友がいると大変だな。同情するぜ。……螺旋羅! 生徒会からのお客さんだ」
「はい」
すぐさま高い声が返ってきた。女性と思しき声は芯が通っていて、離れているというのにしっかり聞き取れた。
螺旋羅。変わった苗字だなと考えていると、ふわりと柑橘系の香りが鼻腔をくすぐった。そして目の前に現れたのは日本人離れした外見の女子生徒。
「私がパソコン部現会計の螺旋羅汐世です」
「あ……」
自分は彼女を見て言葉を失った。
腰まで届く銀色の髪。それと対を成す金色の瞳。一直線に切り揃えられた前髪は子供っぽさを残すのではなく、カチューシャのかわりである三つ編みとの相乗効果で一種の独特な雰囲気を醸しだす。彼女は聖女と見紛うほどの神秘性を秘めており、その上煌々とした月よりも幻想的であった。
紛れもなく、自分は彼女が秘めている〝何か〟 に、アンテナが電波を受信するかのように反応していた。その何かを強いて表現すれば影。彼女の表情からは何も読み取れられない。
現会計ってことは三年生……先輩だ。空義のためにも失礼なことはしないよう気を引き締めないと。
「よろしかったら座りませんか?」
用があって来たのに中々口を開かない自分を見兼ねたのか、彼女が声を発した。
「……そ、そうですね。座りましょう、座りましょう」
彼女に熱い視線を送っていたことに気付き、恥ずかしさで顔から火が出た。
二次元の美少女が現実世界に飛び出してきた、と二度見三度見する。手足は長く、整っている肢体。逆三角形の顔で小さく主張している薄めな唇。その唇で一体どんな言葉を紡いでくれるのか興味が湧いた。そして何より目がいってしまう胸は控えめで正直物足りなかったが、全体的には合格点である。花丸をあげたい。
まるで耳元で鼓動の音を聞いているかのように、心拍数は増える一方だった。
それからどんな討論をしたのか全く憶えていない。退出した後に我に返ると、自分の手には資料が握られていた。先輩の直筆を加えた物が。