【三題噺】世界が赤く傾いて。
誰が決めるんだろう。
誰が決めたんだろう。
黒い残像が甲高い警告音と共に、僕達を追い越して行った。
「あの黒い車って」
「異取。決まってんだろ」
僕の呟きに、隣を歩く眞鳥が答える。
霊柩車にも似た黒い車は、角を折れてすぐに見えなくなった。
「今月はやけに見かけんな」
「つまりは異常者が多いってことだね」
「異常者って言うな」
至極当然と口にした言葉に、眞鳥が顔をしかめた。
これみよがしなその反応に、ため息混じりに笑う。
「また例の発作?」
「からかうな。俺は個人的に異取が単に嫌いなだけだ」
「声、抑えてよ。僕は捕まりたくないし、眞鳥に捕まって欲しくもない」
むっとして指を突き付ける。
対する眞鳥は小さく肩を竦めた。
異取。
それは異常者取締法の略称で、ちょうど一年前に制定された新しい法のこと。
作家、画家などの特殊な地位を持つ人間以外は、未成年者も法の対象となる。
内容としては社会における異常者の排除。
異常と見なされた人間は、国家権力によって施設送りにされる。
彼らは隔離され、カウンセリングなどの精神調教が施されてから数ヶ月後に社会復帰する。
つまり、簡単に言えば乱れた治安を向上させるために、悪い芽は早く摘んでしまえということだ。
「眞鳥がそう思うのは構わないよ。けど、だからと言ってそれを公言するのは遠慮してほしい」
俯いて声のトーンを落とす。
異取のやり方に反対する者は多い。
眞鳥もその一人だが、何をそんなに毛嫌いするのか僕にはよく分からない。
「俺だって、お前以外の前では言わないさ」
「茶化さないで聞けないわけ?」
「俺はいつだって真剣だ」
真面目くさったその声音に、わざとらしく息を吐く。
「別に普通でいればなんら問題ないのに。なんでそんなに反抗するかな」
「俺は自分らしくの生きたいように生きたいだけだ」
淡々とした台詞に、思わず眞鳥を見る。
さっきまでと明らかに違うその横顔に言葉をなくして、
「だって、好き嫌いまで口出されたくねぇ」
「え?」
向き直った眞鳥は、不服そうに口を尖らせた。
キョトンとして見返す僕に言う。
「目玉焼きに納豆とマヨネーズかけたら、異常だとか言うんだろ、どうせ」
「……眞鳥、そうやって食べるんだ」
「俺は一生、止めないけどな。俺にはうまいんだから」
「僕は絶対に嫌だよ、そんなの」
呆れ混じりの視線を向ければ、どちらともなく笑いが零れた。
僕は。
僕は自分を普通だと思っていたし、眞鳥だってちょっとは変ではあるけど、普通だと思っていた。
だから、どうして眞鳥が僕に繰り返し異取を悪く言うのか理解できなかった。
今、思えばわかる。
眞鳥はわかっていたのだ。
この世界が――――
「え?」
自分の発した声がひどく遠く聞こえた。
無理に笑おうとして失敗する。
「だからさ」
複雑そうに顔を歪めて、親切な友人が再度口を開いた。
「眞鳥が捕まったらしい」
まさか。
そんなわけないだろう。
渇いた笑いが零れそうになって、慌てて思考を宥めすかす。
よほど酷い顔をしていたのだろう。
彼は遠慮気味にその続きを口にする。
「異取に連れていかれたのを見たって」
「眞鳥なら厳重注意ですむだろ?」
「正直、いまは取り締まりが厳しいんだ」
言いにくそうに声を潜めて、彼は言った。
「覚悟しといたほうがいい。前の眞鳥とは変わってるかもしれないから」
「久しぶりだな」
向けられた笑顔にすぐに返事が出来なかった。
「おいおい。たったニヶ月で親友の顔、忘れちまったのかよ」
おどけたような台詞にやっと思考が追いつく。
慌てて眞鳥に問い掛ける。
「大丈夫だったのか?」
「大丈夫って何がだよ。誘拐されたわけでもないし」
「だから、そういう意味じゃなくて」
声を荒上げた僕の言わんとしたがわかったのか、眞鳥は肩を竦めた。
「異鳥は正しいよ」
「眞鳥……?」
「なんだよ、その顔」
変な顔してんぞ――そう眞鳥は笑った。
笑うと一気に幼くなる顔。
右頬にだけできる笑窪。眩しい笑顔。
同じなのに、みんな同じなのに。
どうしてこんなに何かが違う気がする?
「自分らしく生きるっていうのは」
「ん?あぁ、それより社会のために生きたほうがいいだろ?」
同意を求めるように放たれた言葉が、何かの正体を引き寄せる。
知りたくないのに。
信じたくないのに。
「異常者はいないって」
「いるよ。だからこそ、いなくなれば犯罪はなくなる。だから、異取には頑張ってもらわなくちゃな」
「……そっか」
大切にしていた何かが、さらさらと砂のように零れ落ちていく。
泣きたいのほどに渇いていく心の訳。
「どうしたんだよ、元気なくないか?」
心配気に顔を覗き込まれて、首を振る。
認めたくない。
違うと思いたい。
浮かんだ考えを否定してほしい。
いつもみたいに馬鹿なこと言うなって笑って否定して。
その一心で、僕は縋るように口を開いた。
「眞鳥は普通?」
眞鳥はなんの躊躇いもなく言った。
「は? 普通に決まってんだろ」
壊れた。
何かが壊れた。
泣きたくて笑いたくて、僕は逃げる。
「なんか、調子悪いから帰るよ」
「大丈夫か?」
「うん。だから、またね」
背を向けて、そして思い出して振り返る。
「ねぇ」
「なんだよ」
訝しい気な眞鳥に叫ぶ。
「今度、目玉焼きにマヨネーズと納豆かけて食べてみようと思うんだ」
夕日が傾いていく。
世界を赤く染め変えていく。
360度傾いたら、その歪みも正しくなる?
ねぇ眞鳥。
やっと僕はわかる気がする。
眞鳥が叫び返した。
「止めとけ。それ異常だから」
それを聞いて僕は笑った。
あの日のように。
けれど、眞鳥は笑わなかった。
すとんと胸に落ちた答を受け入れる。
そして、僕は手を振った。
「バイバイ」
さようなら、眞鳥。
走る。
息が苦しいのか何が苦しいのかもわからない。
でも立ち止まれない足は、丘にたどり着いて、やっと動かなくなった。
走るのを止めたのに苦しくて堪らない。
見下ろした町並みは、子供の玩具。
いや、権力者の箱庭。
この世界は狂ってる。
眞鳥は知っていたのだ。
世界の上に立つ人間にとって、個性を主張する人間は邪魔なだけ。
他人と違うことをする異常者は、自分の地位を脅かすかもしれない。
「だから、こんな法律を」
溢れた涙を拭うことさえ出来ない。
どうして、ちゃんと聞かなかったのだろう。
眞鳥は僕に繰り返し、訴えていたのに。
僕は眞鳥を失った。
もう、戻らない。
「あぁ」
こんなに空は青いのに、太陽は変わらず昇るのに、世界はもうこんなにも違う。
普通だった世界は、異常に満ちている。
「誰が決めた?」
涙が後から後から頬を伝い落ちていく。
こんな世界を誰が普通だと決めた?
三題噺として書きました。
世界、普通、異常。