無道無乃(六)
海風の抜けていく部屋の中でのんびりと羅冴流と隣り合い無乃は花巻を食べていた。
花の形をした蒸したての花巻と、胡麻をまぶした焼餅が提藍の中で湯気をたて、ずっしりと押し込まれている。
無乃は一つ二つと両手に抱え、三つ四つ頬張りながら口の中をパンパンに詰め込んでいる。
「それで、お嬢さんのことなんだけど……」
すました顔で話し始める無乃を羅冴流は優しく見つめていた。
「青菊はいつから船に乗っているんだ?」
口の中のものをゴクリと飲み込み、無乃は流れるように焼餅に手をのばす。栗鼠のように頬を膨らませ、もごもごと喋られてはかなわない。羅冴流はさりげなく提籃を遠ざけ、いつ喉をつまらせてもいいように水差しを手に取った。
「物心つく頃から我氷津と舟であちこち回っているようだ。俺も正確な日付までは分からないよ」
「構わない。随分長くいるんだね。それなら、我氷津は青菊の異変に気づきそうなものだが、なぜ彼は気づかないふりをしているんだろうね」
「お嬢さんのことはほとんど鮮杏さんに任せっきりだし、我氷津も年頃の娘のことを理解しているとは思えない」
「君も、異変には気づかないか?」
「なんのことだ?」
にこやかな顔つきの羅冴流に、「あ、誤魔化したな」と無乃は水差しを受け取った。
窓の外では屏風のような岸壁が両脇を挑むように屹立している。てっきり湖の上を一巡りするだけだと思っていたが、船は雄大な川をゆったりと下ってどこかへ向かっているようだ。
「お嬢さんの病名はわかったか?」
無乃は羅冴流を横目に見て、誇らしく胸を反らした。袖の中に両手を入れて自信たっぷりに答える。
「まあね」
「どんな病気だ? 手術が必要か?」
無乃はゆるく頭を振った。
「手術をする必要も、治す必要もない。なぜなら青菊の病は仮病だから。けれどこれほど難しい病はない」
「仮病?」
青菊の前では医者らしく振る舞ってはみたものの、無乃にもこの病についてはさっぱりわからなかった。お腹が張っているのは事実だが便秘なわけでもない。
身体を見せたくない特別な理由があるようで、それが病の原因になっているらしい。しかし青菊が仮病を続ける理由がわからなければ、我氷津のいう完治にはほど遠い。だから悩んでいるのだ。
「この仮病の鍵を握っているのは、おそらく鮮杏さんだろうね」
青菊の傍に一番近くいて、彼女のことを最もよく分かっているのは鮮杏の他にいない。
「ところで、羅冴流? この船はどこに向かっている?」
羅冴流の厚みのある身体がゆったりと後ろに倒れ、もったいぶるように長い足を一つ抱え、無乃を気遣うように見る。
「港津だよ。綾風渚の、港だ」
綾風渚――
「翠花百雷とは、真逆……」
無乃は目を瞬く。騾馬を抱えて果歩へ泳いで戻るには、もう遅いか。
「心配しないでいい。護衛船に口を利いて翠花百雷へ送ってやるから」
羅冴流が八重歯を覗かせて笑った。
「護衛船に口を利くって?」
「あれはうちの船だから」
無乃は不思議な顔をして首をかしげた。しかし力が抜けたように微笑んでいう。
「やはり、君は親切だな」
体つきや風格はどうやら少しは名の知れた剣客のようだ。しかし我氷津の護衛にしてはどこか他人事のようだし、顎で使われているのも似合わない。船を下りたら暇つぶしに羅冴流という人間を探ってみるのも面白そうだ。
無乃は微笑んだ。
「散歩をしてくるよ。もし帰りが遅くなっても、鍵は開けておいてくれ。ああ、それと、おそらくお客さんがくるはずだから、丁寧にもてなしておいてね」
「あまり遅くまでほっつき歩かない方が良い」
羅冴流の穏やかな声に無乃はちらりと振り返り、ゆっくりと頷いた。
急いで部屋を出て行く慌ただしさに反して、その足取りはいつも通りおっとりとして意気揚々としていた。
無乃は二階で劇を見たり、湖を眺めたりして夜を待った。




