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無道無乃  作者: 海原津子
金露を宿す
19/26

(十・終)

 鴨の煮込みとあぶり焼き、内臓の燻製、麺入りの鶏肉のスープ、豊かな香味とその芳醇な香りが卓上に溢れんばかりに広がっている。その卓を囲むのは羅冴流(ルオフーリウ)と青菊(チンチュイ)、無心で頬張っている無乃(ウーナイ)、そして赤桃(チータオ)である。


「おい、俺様の塩漬けを食いやがったのは一体誰だよ!」

 奥歯を鳴らして威嚇する赤桃を横に無乃はしらっとして目を逸らす。頬に詰め込んだ肉をこそっと一飲みに飲み込んだ。その脇では青菊がぱくぱくと箸を口に運んでいた。

「誰よこの男を呼んだのは」


 そんな視線が無乃に突き刺さっていた。羅冴流と揃って頭を振る。呼んでもいないのに勝手に現れて勝手に席に着いたのだ。まるで旧知の仲とでもいうように団らんに交じりだした赤桃に、その横っ面を殴りつけようとして震えながら耐えた彼女を、無乃は複雑な胸中を思うと痛ましく思わずにはいられなかった。


「船窓の令嬢を助けてやったんだ。おかげで八十過ぎのじいさんと結婚せずにすんだ」

 青菊はそういわれてしまえば大人しくするほかない。あれほど嫌がった婚約から逃がれることができたのは、ほかでもない赤桃のおかげなのだから。


「私を、口封じしに来たわけ?」

 赤桃は足を忙しなく揺らして青菊の刺々しい口調を嫌がるように目を逸らす。

「あの人の遺言には、人を傷つけるなって書いてある」


 あの人、とは翠致幇の首魁のことに違いない。

 うさんくさく赤桃を見る青菊の顔つきに、無乃はやはりどことなく二人の顔かたちは似ているところがあるな、などと眺めていた。一瞬兄妹のようにもみえるのだが、生まれも育ちも全く違うし親の名前も違うので、やはり他人なのだ。


 首魁の遺言に従う赤桃の忠実さには目を瞠るが、無乃は大きく息を吐いた。青菊を傷つけるつもりがないのなら、早く言ってくれればよかったのに。その落胆の息である。おかげで大変な苦労をするはめになってしまったのだから。


「君がここに来た理由は、青菊の口封じでなければなんのためかな? 赤桃」

「……万紅雪(ワンホンシュエ)だ」

 赤桃などと変な名前で呼ぶな。

 噛みつくように彼がいう。


 無乃はゆっくりと微笑みながら「へえ?」と零す。中々彼らしい名前ではないだろうか。

 ――万紅雪

 女性らしい響きもありながら、どこか彼らしい勇ましさも感じさせる。

「なら、万紅雪、君がここにいる理由を教えてくれるかな。ついでに翠致幇の遺言のことも」


 口の中に食べ物を詰め込む万紅雪が鋭い目つきで羅冴流を流し目に見たのは、たった一瞬だった。無乃はその視線の意味をのんびり考えながら、素早く荷物をまとめる万紅雪にゆっくりと瞼を伏せる。

「もう、行ってしまうのか?」


 まだいればいい。

 無乃は少し寂しい。けれど万紅雪は肉を一つ口の中に放ってから勢いよく立ち上がった。

「奇秀(チーシウ)という人物を知っているか? 俺たちが探している人物だ。知らないならべつにいい」


「もしかして、舟で会うはずだった人のことかな。彼は死んでいるんだろう?」

 去り際、無乃の言葉に万紅雪がぴたりと立ち止まる。肩口に振り返った。

「あんた、晩景門の元主座だって?」


 どうやら気に障ることを言ったようだ。向こうも無乃の痛いところを突くように晩景門という名前を出したようだった。しかしすぐに彼はふっと笑った。

「晩景門の元主座が、奇秀を殺したらしいな。俺は信じていない。信じているのは、首魁の遺言だけ。俺たちは奇秀をみつけて、首魁の遺言を実行する」


 実行?

 実行とは一体、なにをするつもりだろう。それに首魁の残した遺言には何がかかれているのか……

 非常に気になる。私にも見せてくれないだろうか。無乃が口元をおさえながら考えていると、羅冴流が少し面倒な声色で腰をあげた。


「……無乃、役人が大勢こちらに向かっているようだが、何か訳を知っているか?」

「なんだろうね?」

 役人と言えば心当たりしかないよ。そう思いながらちらりと窓の向こうを見る。提灯を持った何人もの役人が真っ直ぐこちらに向かってきているようだ。顰めた顔の中に見知ったものが一つあった。

 ――あれは、……端一(トワンイー)だ!


 思わずどきりと取り乱しかけた胸を押さえ、無乃は穏やかに微笑んだ。

「……ああ、知っているよ。おそらく寧太丁のことじゃないかな。……羅冴流、逃げよう」

 青菊に慌ただしく「それじゃ、またどこかで」と微笑むと、


「また、会いましょう」と青菊が寂しそうにその表情をかげらせた。

 無乃は羅冴流を急かしながら彼女のしおらしさになお後ろ髪が引かれていた。万紅雪に、青菊、これほど周囲が賑やかになったのは、いつぶりだろう。そんなひとすくいの懐かしさが惜しい。すれ違い様、給仕にそっと耳打ちをするのを忘れない。


「全て端一につけておいてくれ」

 とどまっていられないのだ。急いで店を飛び出していく。

「無乃、次はどこへ行く?」


 疎らな人影を縫いつつ、追われる無乃の後ろでは羅冴流が楽しげに笑っている。どうしてそんなに楽しそうなのかと、頭痛のするような額をおさえて無乃は頭を振った。

「ひとまず、ここを離れてからだ」

「君はどれほどの人から恨まれているんだろうな?」


 はは、と乾いた笑いを唇に浮かべながら返答に困る。恨みを買っているつもりは、ひとつもないのだけれど。

 ひやっとするような役人の声が飯店のあたりから聞こえていた。無乃はとろとろとした足を必死に動かして、暗やみの深い方へ深い方へ、羅冴流とともに夜色に紛れていった。


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