第17話
「内諾済み、と仰せか」
ラインハルトだった。声は低く、温度がなかった。
「はい。王太子殿下ご自身から、前向きに検討するとのお言葉をいただいております」
ベルトラン伯爵は、穏やかに続けた。
「穀物の優先輸出は、両国の婚姻同盟の一環でございます。王家同士の結びつきに基づく取り決めに、第三国である帝国が口を挟むのは、内政干渉ではございませんか」
内政干渉。
王国側の何人かが身じろぎした。国王は表情を変えない。ユリウスは、卓の一点を見つめたまま動かなかった。
「補佐官」
ラインハルトが、隣を見ずに言った。
「はい」
エレオノーラは立ち上がった。手元の書類は、開かなかった。
「ベルトラン伯爵。アルディア王国とグランツ帝国の関税協定、第十一条をご存じでしょうか」
「……存じ上げませんな。私はリュミエールの外交官ですので」
「では、申し上げます」
彼女の声は静かで、誰よりもよく通った。
「第十一条。締約国は、協定に定める品目について、第三国に対し優先的な供給を約束してはならない。これに違反した場合、相手国は協定の破棄および輸入関税の引き上げをもって対抗することができる」
伯爵の笑みが、止まった。
「リュミエールへの穀物優先輸出は、この条項の違反にあたります。帝国は協定を破棄し、王国からの全輸入品に対する関税を引き上げます。試算では、王国の対帝国輸出は年間で金貨九万枚分減少します。リュミエールへの輸出で得られる額は、最大で三万枚です」
数字が、卓の上に落ちた。
「つまり王国は、リュミエールとの条約によって、年間六万枚を失うことになります。婚姻同盟の一環とおっしゃいましたが、それは同盟ではなく、損失です」
「し、しかし、王太子殿下は」
「王太子殿下が内諾なさったのは、条約草案です。第十一条との抵触については、草案のどこにも記されていません。伯爵が、記さなかったからです」
エレオノーラは、初めて伯爵をまっすぐに見た。
「半年前、温室で港湾図を熱心にご覧になっていましたね。第十一条をご存じなかったとは、私には思えません」
ベルトランは何も言わなかった。笑みは、もう戻ってこなかった。
「ユリウス」
国王の声が、広間に落ちた。
「これは本当か。お前は、第十一条を知った上で内諾したのか」
ユリウスは、顔を上げた。
父を見て、そして最後に、紺の礼装の女を見た。彼女は彼を見ていなかった。
「……僕は」
言葉が、続かなかった。
彼は知らなかった。第十一条も、九万枚も。草案を受け取り、「前向きに」と言った。それだけだった。
そして今、それを整理してくれた人が、卓の向こう側に立っている。帝国の側に。
「答えられぬのか」
「……申し訳、ありません」
それが精一杯だった。
広間の誰もが、それを聞いた。王太子が、自分の内諾した条約の意味を理解していなかったことを。
国王は、目を閉じた。長い息を吐いて、言った。
「協議は、一刻の休憩とする。ベルトラン伯爵。貴殿には、後ほど改めて話がある」
休憩の間、エレオノーラは広間を出て、回廊の窓辺に立った。
外の庭園に、薔薇の垣根が見えた。半年前と同じ場所に、同じ花が咲いている。
「よくやった」
背後から、ラインハルトの声がした。振り返ると、彼は少し離れた柱に寄りかかり、腕を組んでいた。
「殿下が言葉を切られたところで、私が引き取っただけです」
「その引き取り方が、よかった。あの伯爵は、もう二度と内政干渉とは言わない」
短い賛辞だった。エレオノーラは礼をし、また窓の外を見た。
その静けさを破って、足音が近づいてきた。
「……フォルスター補佐官」
ユリウスだった。顔色は悪く、声は掠れていた。彼はラインハルトに一礼し、エレオノーラに向き直った。
「話がしたい。少しでいい」
エレオノーラは、ラインハルトを見た。彼はわずかに顎を引いただけで、何も言わなかった。
「……承知いたしました。回廊の先まで」
彼女は、歩き出した。




