第八面:狗腎を以て陽物を改め、近視の美女に情を売る
書生と小姓の夜
術士のもとを辞し、宿へと戻った未央生は、ひとり寝床に入った。しかし、新たなる己の姿がいかに婦人を悦ばせるであろうかと想像するだに、込み上げてくる欲情をどうにも持て余していた。
彼には二人の少年が仕えていた。ひとりは十六歳の書笥。年の頃は十六、わずかながらも書を解するので、未央生の書物を管理させており、その名はまさしく「書物の箱」を意味していた。もうひとりは十八歳の剣鞘。こちらは未央生の古剣を預かる役目で、その名が示す通り「剣の鞘」であった。
いずれも劣らぬ美少年であったが、未央生はとりわけ、利口で愛嬌のある書笥のほうを可愛がっていた。その夜、未央生は書笥を褥に招き、やり場のない熱をぶつけたのだった。
事が終わると、書笥が吐息まじりに尋ねた。
「旦那様、この頃はもっぱらおなごに御執心で、私どものことなど、とうにお忘れかと思っておりましたのに……。今宵はどういった風の吹き回しで、このように可愛がってくださるのでございますか」
未央生は悪戯っぽく笑って答える。
「今宵お前を抱いたのは、ほかでもない、お前との『閨の別れ』をするためよ。もっとも、お前をどこぞに売り払うというわけではない。この俺の『これ』が、お前の愛らしい『後ろ』と別れを告げる、ということさ」
そう言って、未央生は己の男根を大いなるものへと作り変える計画を、仔細に語って聞かせた。書笥は目を丸くして言った。
「まあ、そのようなご立派なものになられたのでは、もはや私の尻では受け止めきれそうにございません。これからは旦那様のお供として、おこぼれの女でも頂戴し、女色の味とやらを教えていただくことにいたします」
「それもよかろう。飽食の将軍の下に、飢えた兵はいないというからな」
主従は顔を見合わせてくつくつと笑い、夜が更けていくのだった。
禁断の施術
翌日、未央生はことのほか元気盛んな雄犬と、それにつがう雌犬を番いで求め、宿で人知れず飼い始めた。
そして約束の日、術士の隠れ家へと足を運んだ。そこは俗世の目を逃れるにはうってつけの場所であった。術士は未央生の陽物に痺れ薬を丹念に塗り込んでいく。冷たい水に触れたかのような感覚が走ったかと思うと、やがてその箇所の感覚は完全に失われ、つねっても掻いても、もはや何も感じなくなった。
頃合いを見計らい、術士は庭の隅で雄犬と雌犬を交わらせた。獣たちが交わりの頂点に達した、まさにその刹那、二人の家童に命じ、繋いでいた綱を渾身の力で引き離させた。雄犬は離れまいと猛々しく吼え、後ろ足で雌の陰部を固く締め付け、雌もまた必死に踏ん張る。
その結合が極まった一瞬、術士は鋭利な刃を一閃させ、見事な手つきで雄犬の腎を鮮やかに切り取った。息つく間もなく、術士は未央生の陽物に四筋の切り込みを入れると、まだ熱を帯びた犬の腎を、その傷口へと巧みに埋め込んでいく。仕上げに秘伝の霊薬を塗りつけ、汗拭きで固く包帯を施した。
未央生はこれより三ヶ月の間、肉欲を断ってひたすらに心身を清め、術士から授かった秘術の数々を、ただ頭に叩き込む日々を送った。
三ヶ月ののち、包みを解き、湯で洗い清めると、そこには、かつての面影もないほどに、たくましくも異様な姿へと変貌を遂げた我が身の証がそそり立っていた。未央生は狂喜した。
「これさえあれば、天下に俺の敵はいない!」
近眼の女と「白糸」の駆け引き
数日後、義兄貴分と慕う盗人の賽崑崙が顔を見せた。変わり果てた未央生の姿を目の当たりにした彼は、度肝を抜かれ、言葉を失った。
「こ、これは……なんという代物だ。皮膚には確かに刃の痕があるが、紛れもない逸物だ……。よし、それほどの覚悟を決めたからには、かねてより話していた女、権という商人の妻をお前に紹介してやろう。折よく、亭主は商いで家を空けている。事を起こすなら今夜だ」
二人は早速、権の家を訪れた。
賽崑崙が店の暖簾を上げ、未央生を伴って中へ入ると、ひとりの美しい婦人が姿を現した。
「糸を数斤、売ってもらいたいのだが」
賽崑崙がそう切り出すと、女は「あいにくと。他所を当たってください」と、冷ややかに応じた。しかし、すかさず未央生が「いつもこちらでお世話になっておりますので」と、言葉巧みに割って入る。女は不承不承といった面持ちで、奥から糸の束を持ってきた。
実を言うとこの女、ひどい近眼であった。二尺も離れると、人の顔かたちさえ定かではない。それゆえ、これまで男に色目を使うこともなく、貞淑な妻として暮らしてきたのである。
未央生はわざと糸を手に取り、女の顔を覗き込むようにして言った。
「これは不思議なこともあるものですな。奥様が手にされている時は黄色く見えた糸が、私の手に渡った途端、白く輝いて見える。さては、奥様の玉のようなお手があまりに白いせいで糸が黄色く見え、私の無骨な手が黒いせいで、かえって糸が白く見えるのでしょうな」
女はその言葉に、思わず未央生の手に目を凝らした。
「……それほど黒い手でもございませんわ」
間近で初めて、未央生の若く整った顔立ちをはっきりと見て、その色香に当てられたのだろう。堅く結ばれていた女の唇がふっと緩み、愛らしい笑みがこぼれた。
未央生はたたみかけるように、女の指先をそっと掠めた。女は素知らぬ顔を装いながらも、その爪先で未央生の手に触れ返す。密やかな合図であった。
糸の売買がつつがなく終わり、未央生は名残を惜しむように女を見つめながら、その家を後にした。
天から降る恋人
宿への帰り道、賽崑崙が言った。
「十中八九、落ちたな。家には小間使いの娘がひとりいるだけだ。今夜、俺がお前を背負って屋根に忍び込み、瓦を剥がして、天から舞い降りた貴公子を気取らせてやる」
未央生の胸は、期待に大きく膨らんだ。
「いいか、あの女、お前のそれが『見かけ倒し』ではないかと、値踏みしておったぞ。もし今夜、女を満足させることができなければ、一夜限りの客で終わっちまう。せいぜい励むことだな」
「ご心配には及びません。この日のために、我が身を削ったのですから」
二人は日が落ち、月が空に昇るのを、今か今かと待ちわびるのであった。
さて、女という名の試験官は、いかなる問いを投げかけるのか。そして我らが未央生は、それにどう答えるのか。その顛末は、また次のお話で。
作者曰く
この一編は、いわば寓話である。「犬の腎を人に移す」などという途方もない話が、現実にあり得ようはずもない。作者が真に言わんとしたのは、これより未央生が重ねる行いの数々が、人としての道を外れた獣にも劣る所業である、ということに他ならない。
世の心ある人々は、この物語を真に受けて、いたずらに犬を傷つけたり、盗人を友としたりするようなことがあってはならない。文人があえて筆を汚してまでこのような物語を紡いだのは、快楽の果てに待つ虚無と、人の道を踏み外した者の末路を、痛烈に描き出すためであった。
第八回を解説
この回は、主人公・未央生が人間としての理性を捨て、純然たる快楽の権化へと変貌を遂げる、物語全体の大きな転換点です。常軌を逸した肉体改造と、その力を試す最初の駆け引きが描かれ、物語はここから一気に加速していきます。
一、第八回のあらすじ
究極の性的能力を渇望する未央生は、謎の術士の助けを借り、自らの陽物を改造する計画を実行に移します。まず、長年寵愛してきた美少年の小姓・書笥に「閨の別れ」を告げ、過去の性愛を断ち切ります。そして、交尾の絶頂にある雄犬の腎を移植するという、常軌を逸した禁断の施術を受け、三ヶ月の養生の後、人ならざる剛壮な「異物」を手に入れます。狂喜した未央生は、義兄貴分である盗賊・賽崑崙の手引きで、かねてより狙っていた商人の妻に接近。女が極度の近視であることを見抜くと、言葉巧みな駆け引きでその心を蕩かし、夜の閨へと忍び込む約束を取り付けるまでが描かれます。
二、各場面の魅力と深層
この回は、グロテスクな奇譚と艶やかな心理戦が同居しており、各場面に作者の非凡な筆致が光ります。
1.第一節「書生と小姓の夜」 — 決別の儀式に見る非情さ
この場面の魅力は、未央生の目的のためには過去の関係性をいとも容易く切り捨てる、その純粋で非情な欲望のあり方が描かれている点にあります。書笥との最後の交わりは、愛情からではなく、新しい自分になるための「儀式」に過ぎません。書笥が改造計画を聞いて嘆くのではなく、「おこぼれの女でも頂戴」しようと即座に切り替える軽妙なやり取りは、この物語全体を覆う、道徳観から解き放たれた独特の空気感を象徴しています。深刻になりがちな別れを、主従の笑い話として描くことで、未央生の突き抜けた異常性がかえって際立つのです。
2.第二節「禁断の施術」 — 理性を超えた狂気の儀式
物語の白眉であり、最も強烈な印象を残す場面です。交尾する犬の「生」のエネルギーの頂点を切り取り、人間の「欲望」と結合させるという発想は、まさに荒唐無稽の極み。しかし、術士の迷いのない手捌きや、麻酔によって感覚を失いながら我が身の変化を見つめる未央生の描写は、読む者に倒錯的なリアリティを感じさせます。ここで手に入れたものが、もはや人間のものではなく「魁梧にして奇偉な『異物』」と表現されている点が重要です。これは単なる肉体改造ではなく、未央生が人間性を捨て、獣の力を取り込むことで「人ならざる者」へと転生したことを示す、極めて象徴的な儀式と言えるでしょう。
3.第三節「近視の女と『白糸』の駆け引き」 — 言葉で紡ぐ官能の緊張感
剛力を手に入れた未央生が、最初にその力を試す相手との出会いの場面ですが、ここでは一切の腕力は使われません。むしろ、相手の「近視」という弱点を見抜き、言葉だけで相手の心を操る知的なゲームが展開されます。「糸の色が違って見える」という絶妙な口実は、女との物理的な距離を一気に縮め、貞淑な妻の仮面の下に隠された好奇心と官能を巧みに引き出します。至近距離で初めて互いを認識し、指先が触れ合う瞬間の微細な反応の応酬は、肉体の交わり以上に濃密な緊張感と色香に満ちています。手に入れた物理的な力に溺れるのではなく、それを切り札としつつ、まずは心理戦を制する未央生の狡猾な色男ぶりが存分に発揮された名場面です。
三、物語に秘められた作者の意図
物語の最後にある「評に曰く」という解説部分が、作者の意図を理解する上で重要な鍵となります。
作者は、この「犬の腎を移植する」というあり得ない設定が、寓話であることを明確に断っています。これは、未央生の今後の行いが、すべて「犬畜生にも劣る行い」であることを読者に示すための、強烈な比喩表現なのです。彼は人間としての倫理観を捨て、ただ本能の赴くままに快楽を貪る「獣」になった。その象徴的な出来事が、この禁断の施術だったのです。
さらに、この物語が単なる好色文学ではなく、「淫楽の果てにある虚しさ」を描くための警世の書であるとも述べられています。未央生が手に入れた規格外の力は、彼に真の幸福をもたらすものではなく、むしろ彼をさらなる業の深みへと引きずり込み、心身を破滅へと導く装置に他なりません。作者は、過剰な欲望の追求が人間性をいかに破壊し、最終的に虚無しかもたらさないかという仏教的な無常観を、この極端な物語を通して痛烈に皮肉っているのです。
この第八回は、物語が新たな次元に突入する出発点であり、未央生の栄光と破滅の両方を予感させる、極めて重要な章と言えるでしょう。
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主従の閨に潜む力学:『肉蒲団』から読み解く男色文化と非対称な人間関係
『肉蒲団』第八回の冒頭、主人公・未央生が長年寵愛してきた小姓・書笥を「お別れ」のために抱く場面は、単なる倒錯的な性描写ではありません。そこには、古代中国から続く男色文化の伝統、封建社会における歪な主従関係、そして人格が所有物として扱われる使用人の悲哀が、驚くほど淡々と、しかし鮮烈に描き込まれています。
1. 風雅か、権力か ― 中華世界における男色の伝統
中国における男色は、決して珍しいものではなく、長い歴史を持つ文化でした。戦国時代、魏の王が寵愛する美少年・龍陽君のために涙したという「龍陽の癖」、前漢の哀帝が寵臣・董賢の眠りを妨げないよう、自らの衣の袖を切り落としたという「断袖の交わり」といった故事成語が残っていることからも、君主や貴族階級における同性間の寵愛が、ある種の風雅な逸話として語り継がれてきたことがわかります。
『肉蒲団』の時代設定である明代においても、士大夫や富裕な商人の間では、美しい少年(小姓や役者など)を側に置くことは一種のステータスであり、洗練された趣味と見なされる側面もありました。しかし、これらの関係は、決して対等な恋愛関係ではありませんでした。それは常に、圧倒的な権力と経済力を持つ「主人」が、美貌や若さしか持たない「従者」を支配する構造の上に成り立っていました。未央生が書笥に向ける感情は、まさしくこの権力者の論理そのものです。そこに人格的な尊重はなく、自らの欲望を満たすための「道具」として、そして所有物としての意識が色濃く反映されています。
2. 世界史の中の男色:日本の「衆道」との比較
こうした権力勾配のある男色関係は、世界史的に見ても珍しくありません。しかし、その文化的文脈は多様です。
古代ギリシャの少年愛: 年長の男性市民が少年を指導し、肉体的な関係を含む愛を通して、市民としての徳性や知識を授けるという、教育的・社会的な制度としての側面を強く持っていました。
日本の武家社会における「衆道」: 主君(念者)と若衆の関係は、単なる性愛を超え、「武士道」の精神と深く結びついていました。若衆は主君に絶対の忠誠を誓い、主君は若衆を命懸けで守り育てるという、相互の精神的な絆や義理が極めて重んじられました。
これらと比較すると、未央生と書笥の関係の特異性が際立ちます。そこには教育的な理念も、精神的な忠誠の誓いもありません。あるのは、主人の一方的な性的欲求とその処理、そして従者の完全なる従属です。未央生が「飽食した将の下に飢えた兵はいない」と嘯き、自分が飽きた後のおこぼれとして「女」を与えようと約束する場面は、この関係が純粋な性的消費であり、書笥を人間としてではなく、自らの欲望のヒエラルキーの中に位置づけられた存在としか見ていないことを残酷なまでに示しています。
3. 「人間扱いされない」ということ ― 封建社会の暗部
この物語が浮き彫りにするのは、封建社会における使用人が、いかに人格を認められない存在であったかという厳然たる事実です。
書笥は、主人からの性的な要求を拒否するという選択肢を持ちません。それどころか、主人が今後は自分ではなく「女」に向かうと聞き、「おこぼれの女でも頂戴」できることを喜びます。これは、彼が完全に主人の価値観に染まり、自らの身体や未来の選択権が主人に帰属することを当然のこととして受け入れている証拠です。
彼の思考は、現代の我々から見れば奴隷的で主体性がないように映ります。しかし、それは彼の個人的な資質の問題ではなく、生きるためには主人に絶対的に依存するしかないという、当時の社会構造が生み出した必然的な精神性なのです。主人に捨てられれば、彼の生活は即座に立ち行かなくなる。その恐怖の前では、性的搾取でさえも「ご寵愛」の一環として受け入れざるを得なかったのです。
4. 現代の我々が読み解くべき視点
この一見すると我々の感覚とはかけ離れた主従関係は、現代社会に生きる私たちに重要な問いを投げかけます。
力の非対称性と同意: 現代の視点に立てば、未央生の行為は明確なパワーハラスメントであり、性的搾取です。書笥が抵抗しないからといって、そこに真の「同意」は存在しません。圧倒的な力関係の差がある中で、拒否できない状況下での承諾は同意とは見なされない、という人権意識の根幹がここにあります。
ハラスメントの原型: この主従関係は、現代の職場や組織内で起こる様々なハラスメント問題の原型とも言えます。上司と部下、教師と生徒、権力を持つ者と持たざる者の間で、一方が相手の人格や尊厳を軽視し、自らの利益や欲望のために「利用」しようとする構造は、時代を超えて普遍的に存在する問題です。
人権意識の変遷: 『肉蒲団』を読むことは、私たちが当たり前のように享受している「個人の尊厳」や「自己決定権」といった価値観が、決して普遍的なものではなく、長い歴史の中で人類が闘い取ってきたものであることを痛感させます。過去の非人間的な側面を直視することによって初めて、私たちは現代社会が持つべき倫理観の重要性を再認識できるのです。
この第八回の冒頭シーンは、単なるスキャンダラスな導入ではありません。それは、欲望の物語が、いかに社会の権力構造と深く結びついているかを鋭く描き出した、極めて社会的なテクストなのです。私たちはこの描写を通して、過去の文化を批評的に見つめ、現代社会に潜む「力の非対称性」への感度を研ぎ澄ますことができるのです。




