第七面:小さきを改め、大いなるものと為す
言葉の波紋
さて、未央生の高揚した心は、賽崑崙の一言によって、まるで冷水を浴びせられたかのように凍てつき、彼はさながら抜け殻のようになってしまった。
一人、逗留先の宿で座に沈み、彼は物思いに耽った。
「この方、二十年余り生きてきて、世の様々なものは見てきたつもりだが、男の証だけは、実のところあまり多くを目にしてはいない。常の男は衣の中にそれを隠しているのだから、見る機会などあろうはずもない。ただ、若き龍陽の徒が、肌を脱いで私と交わる段になって、ようやくその姿を垣間見るくらいだ。彼らは私より若く、その張りも当然、私に劣る。私が日頃目にするのは、自分よりか細いものばかり。それゆえに、知らず知らずのうちに己のものを過信していたのだ。今、あの男は、これまで見た中で私より貧弱なものは一本たりともなかったと言った。とすれば、私のこれは、全くもって無用の長物ではないか。これを持っていて、一体何になるというのだ?」
しかし、一つの疑念が胸をよぎる。「私が家で妻と交わる時、彼女は私と同じように歓喜に打ち震えている。かつて妓女や下女と情を通じた折も、彼女らは皆、声を乱し、悦びの頂を極めていた。もし私のこれが彼女らを悦ばせていないのなら、どうして彼女たち自らがあれほどまでに蕩け、我を忘れることができようか。この一点から見ても、やはり彼の言葉は偽りであり、私を退けるための口実に過ぎなかったのではないか」
しばし疑い、またしばし考え込むうち、彼ははっと悟った。
「そうか、わかったぞ。妻の閨は、混沌とした未開の地のようなもので、それを開拓したのは私なのだ。私のものが大きければ大きいほど、彼女の器もそれだけ広がり、長ければ長いほど、彼女の器も深くなる。短きものを浅きに、細きものを狭きに投じる。互いが釣り合っているからこそ、快感を覚えるのだ。それはまるで耳かきにも似て、極めて細いものが極めて小さな穴の中を巡るからこそ心地よいのであり、もし大きな耳が細いものに出会ったとて、そうはいかぬだろう。先日、賽崑崙は、女には『心では感じずとも、口先だけで嬌声をあげる』術があると語っていた。あの下女や妓女たちも、私から金品を得るために、心では何も感じていないのに、ただ口先だけで悦ぶふりをして私を欺いていたのかもしれない。情欲を偽れるのなら、悦びの頂を偽れない道理などあろうはずもない」
彼の言葉を鵜呑みにはできないが、信じぬわけにもいかない。
「これからは、男に会うたび、彼のものがどうであるか、注意深く見てやろう。そうすれば、自ずと明らかになるはずだ」
挫折と修練の決意
それ以来、未央生は友人と詩文の会合に興じる時も、友人が用を足しに立てば、彼もまた後を追い、その様を盗み見ては己のものと比べた。果たして、彼より貧しいものは一人としていなかった。
道を歩いていても、野原や物陰で用を足す者があれば、必ずや横目でその姿を仔細にうかがった。果たして、どれもこれも自分より大きく、自分より長かった。
こうして現実を突きつけられた後、未央生の淫らな欲望も次第に薄れ、色事への大胆さも萎んでいった。心の中で彼は思う。
「賽崑崙の言葉は、一言一句が薬ともなる厳しい言葉であり、聞かぬわけにはいかない。彼はまだ男だったからよかった。先日、あれほど彼にからかわれた時でさえ、私は顔を真っ赤にして恥じ入るばかりだった。万が一、女と交わっている最中に、彼女から侮りの言葉でも投げかけられたなら、私は自ら引き抜いて立ち去るべきか、それとも彼女が吐き気を催すまで留まり続けるべきか」
「これよりは、女遊びはきっぱりとやめ、真面目に我が本分に専念しよう。いずれ功名を手に入れさえすれば、金に糸目をつけず、清らかな娘を何人かそばに置き、彼女たちから求められるだけで、ないがしろにされることもあるまい。どうしてわざわざ、実りのないことに心を砕く必要があろうか」
そう心を決めると、その日以来、彼は浮ついた色恋を断ち、ひたすら科挙の勉学に打ち込み始めた。女が線香を上げに来るのを見ても、追いかけて見ることはなく、外で出会っても、わざわざ避けて部屋へ入った。街中を歩く時は、女を見ても頭を垂れて通り過ぎるようになったのは言うまでもない。
再燃
辛抱強く十日余り修行を続けたが、半月も過ぎると、欲望は抑えがたく、色欲への大胆さも再び鎌首をもたげ始めた。
ある日のこと、街を歩いていると、一人の若き婦人が片手で簾を掲げ、顔半分だけを覗かせながら、向かいの家の婦人と話しているのが見えた。未央生は遠くからその姿を認めると、歩みは自然と緩慢になり、一歩がまるで三歩であるかのように、ゆっくりと進んだ。彼女の声と顔を、心ゆくまで見聞きしようとしたのだ。
彼女の口から紡がれる言葉は、まるで簫や笛の調べのように澄み渡り、艶やかで、そして程よい抑揚があった。彼は、物陰に隠れながら門前まで近づき、彼女の顔立ちや佇まいを仔細に見た。それは、まさしく賽崑崙が語っていた面影と寸分違わぬものであった。真珠や宝石のように輝き、それはまさに、一枚の美人画が簾のうちで風に揺れているかのようであった。
彼は心の中で、「賽崑崙が先日話していたのは、もしやこの人のことではあるまいか」と推し量った。
しばらく眺めた後、数軒先まで歩き、わざと人に尋ねた。「このあたりに、絹を商う権老実という方がお住まいだと伺いましたが、どちらでございましょうか」
その人は答えた。「通り過ぎましたよ。先ほど簾の中で女の方が話をしていたのが、その家です」
未央生は、やはりそうだったかと思い、再び引き返して心ゆくまでその姿を眺めてから、宿へと戻った。
彼は心の中で思った。
「以前、賽崑崙が私の前で彼女の美しさを語った時、私はまだ半信半疑であった。彼にそれほどの審美眼があるとは思ってもみなかったからだ。なんと、彼は仏の眼を持っていたとは。この婦人の美しさがこれほどであるなら、あの家にいるという二人の夫人は、もはや言うまでもないだろう。これほどの佳人がいるというのに、私にはあの侠客が力を貸してくれるという千載一遇の好機まであった。だというのに、この、我が身の一つが私に恥をかかせたばかりに、三つの好機をすべて逃してしまった。どうして悔やみきれようか!」
彼は懊悩のあまり、部屋の戸を固く閉ざし、衣を脱ぎ捨て、己のものを取り出しては左から眺め、右から見つめた。やがて猛烈な怒りが込み上げ、今すぐにでも鋭い刃を取り、これを切り落としてしまいたい衝動に駆られた。名ばかりで実の伴わぬものを身につけているくらいなら、いっそ無きものとした方がましだ。
彼はまた、天を恨んだ。「この性を私にお与えになったのなら、最後まで私を慈しんでくださればよいものを。どうしてわざわざこのような欠陥を残されたのか。この容貌と才能という二つは、見て楽しむだけの虚しいものだというのに、そちらは完璧に与えておきながら、この肝心なものだけを出し惜しみするとは。私がそれを数寸長くし、幾分か太くするのに、天にとってどれほどの元手がかかるというのか。どうして他の者の余りを削って、私の足りぬを補ってくださらぬのか。たとえ、人それぞれの形は変えられぬとしても、どうして私自身の肉を削り、全身の気力を集めて、この部分に回してくださらなかったのか。なぜ、肝心な部分に使うべきものを、他のどうでもよい部分に使ってしまったのか。人が使いたいと望む部分にはなく、使わぬ部分に余りがあるとは、これこそ天の過ちではないか!」
「今、これほど美しい女を目の前にしても、手を出すことすらできぬ。まるで、飢え渇いた者がご馳走を前にして、口に瘡ができて食べられぬのと同じだ。これほど辛いことがあるだろうか!」
そこまで考えると、彼は思わず声を上げて泣き出した。
異人との出会い
しばらく泣いた後、彼は己のものをしまい、憂さを晴らすために近くの寺の門前をぶらついた。
すると、寺の門前にある影壁に、真新しい貼り紙が出されているのが目に留まった。未央生が前に進んで見ると、そこには大きな文字でこう書かれていた。
天際真人、来たりて房術を授く。
小さき陽をよくし、大いなるものと成す。
この四句の下には、さらに一行、細かい字でこう記されていた。「たまたまこの地を通りかかり、某寺某室に仮住まい中。願う者は速やかに来訪されたし。機を逃せば会うことは叶わぬ」と。
未央生はこれを見るや、狂喜した。「このような奇跡があろうとは。私のものが小さくて悩んでいるこの時に、どうしてこのような異人がこの地に来て術を授けるというのか。これこそ天の思し召しに違いない!」
彼は飛ぶように寺へ駆け込み、入門のしるしとして銀子を包んで箱に入れ、供の者に捧げ持たせると、術士のいる場所を探し当てた。
術士の容貌は非凡にして、童子のごとき顔に、鶴のごとき白髪の老人であった。彼が近づくと、術士は拱手して尋ねた。
「あなたは房術の伝授を望まれるか」
未央生は答えた。「然り」
術士は尋ねた。「そなたが求める術は、人のためのものか、それとも己のためのものか」
未央生は言った。「先生、人のためとは、己のためとは、それぞれどのようなことでございましょうか。お教えください」
術士は言った。「もし単に婦に仕え、彼女を悦ばせ、自分は快楽を求めぬというのであれば、その術は最も容易に伝授できる。精を漏らすのを遅らせる薬を飲み、腎水の巡りを緩やかにする。さらに、秘薬を塗って陽のものを麻痺させ、まるで鉄塊のように、痛みも痒みも感じさせなくする。これが人のための術だ。
しかし、もし己が身と婦の身を共に悦ばせ、陰と陽が共に快感を覚え、一度の交わりで双方が悦び、一度の交合で双方が恍惚となることを望むのであれば、これを『互いに快楽を得る術』と言う。ただ、快楽の極みでは、婦は頂に至るのが遅きを恐れ、男は頂に至るのが早きを恐れる。男が快楽を増しても果てず、女が果てても快楽が増すというこの種の房術は、最も難しい。必ずや修養を積み、そこに薬の力を加えねば、この境地は得られぬ。そなたがこれを望むなら、私と共に数年間旅をして、ゆっくりと悟りを開くほかない。一朝一夕に得られるものではない」
未央生は言った。「それならば、私は待てませぬ。人のための術で結構でございます。先ほど先生の貼り紙に『小さきものを大いなるものに変える』とございましたゆえ、特にお伺いしたく参上いたしました。どのような方法で変えることができるのでございましょうか」
大いなるものと為す秘術
術士は言った。「方法は様々あるが、その者の資質に応じて施術せねばならぬ。第一に、その者の本来の大きさがどうか。第二に、本来の大きさからどれほど大きくしたいと望むか。第三に、その者が痛みに耐え、命を懸ける覚悟があるかを問わねばならぬ。この三つを定めてから、初めて事を起こせるのだ」
未央生は言った。「その三つのこと、詳しくお聞かせください。然る後に、私が選びましょう」
術士は言った。「もし本来の大きさがさほど小さくなく、また大きくしたいと望む度合いもそれほどでなければ、施術は極めて容易い。痛みに耐える覚悟も命を懸ける覚悟も問う必要はない。ただ薬を塗り、寒さも熱さも痛みも痒みも感じぬようにする。その後、薬を塗っては蒸し、洗う。その都度、揉み、そして引く。蒸すのは長くするため、洗うのは太くするため。揉むのは太くするため、引くのは長くするためだ。これを三日三晩続ければ、元の大きさの三分の一ほど長く、そして太くなる。この方法は誰もが喜んで従うものだ。
しかし、もし本来の大きさが小さく、さらに元の大きさ以上に大きくしたいと望むのであれば、この施術は筋を傷つけ骨を動かす大事業となる。ゆえに、痛みに耐え、命を懸ける覚悟を問わねばならぬのだ。もし彼が臆病者で、危うきを厭うのであれば、それまで。だが、もし色事のために命を惜しまぬ者であれば、大胆に改造を施してやろう。
その方法とは、まず雄犬と雌犬を一匹ずつ部屋に閉じ込め、二匹が自然に交わるのを待つ。交接がまだ終わらぬうちに、二匹を引き離す。犬の陽根は極めて熱きもので、陰に入れば幾倍にも膨れ上がる。精を漏らした後でさえ、半日は抜けぬほどだ。ましてや未だ果てぬ時であれば、なおさらのこと。
この時、まず鋭い刃で犬の陽根を断ち、次に雌犬の陰を切り開いて雌のそれを四つの細長い塊に切り分ける。そして、すぐさま本人の陽のものを麻薬で痺れさせ、痛みを感じぬようにしてから、上下両脇に四本の深い切り込みを入れる。その一つ一つの傷口に、まだ温かい犬のそれを一本ずつ差し込むのだ。外側からは、傷口を閉ざす霊薬をすぐに塗り込む。
ただ、手元が狂い、精管を傷つけてしまえば、不能となる恐れがあるが、そこさえ無事であれば問題はない。一月ほど養生すれば、内部は水と乳が溶け合うように、本人のものと犬のものの区別がつかなくなる。さらに数ヶ月養生すれば、婦と交わる時の熱は、犬の陽根さながらとなるだろう。外から見ても、改造前より何倍も大きく長くなったように見え、陰の中に入れば、外から見る時よりもさらに何倍も大きくなる。それはまるで、一本の陽のものが数十本に変わったかのようだ。その時、かの陰の中がどれほど悦ぶことになるか、想像がつこう」
未央生はここまで聞くと、まるで死人が生き返ったかのように感じ、思わず両膝をついて地に額をつけた。「もしそれが叶うのであれば、その御恩は、私を生まれ変わらせてくださるに等しゅうございます」
術士は慌てて彼を立たせた。「あなたが望むなら、私が力を貸そう。どうしてそのような大礼を尽くすのか」
未央生は言った。「私の性は淫を好み、女色を命としております。しかし、生まれつきの定めゆえ、胸中の願いが叶いませなんだ。今、異人たる先生にお会いし、どうして師事する礼も取らずに、すぐさま願い出ることなどできましょうか」
そう言うと、供の者に手土産の品を取りに行かせ、自ら手渡した。「わずかな品でございますが、お見知りおきのしるしとしてお納めください。事が成就いたしました暁には、改めてお礼をさせていただきます」
術士は言った。「この事は言葉で言うは易いが、十中八九は成就せぬ。この盛大な礼は、軽々しくはお受けできぬ」
未央生は言った。「成就せぬなどということはございません。私の賤しい性は、極めて色事を好み、そのためには命も顧みませぬ。もし改造が成り、小さきものが大いなるものとなれば、未来永劫、感謝は尽きませぬ。仮に、手元の誤りで命を落としたとて、それは私の運命。決して恨みはいたしませぬ。先生、どうかお疑いなさいますな」
三つの誓い
術士は言った。「この施術は手慣れたもので、手元が狂うことはない。ただ、改造の後には三つの不都合がある。それゆえ、軽々しくは引き受けられぬのだ。一つずつ説明するゆえ、それでも構わぬというなら引き受けよう。もし三つのうち一つでも承知できぬことがあるならば、無理強いはせぬ」
未央生は言った。「その三つの不都合とは、何でございましょうか」
術士は言った。「第一の不都合。施術後三ヶ月は、決して交わってはならぬ。もし交われば、内部が傷つき、人のものと犬のものが分かたれてしまう。偽物が根付かぬばかりか、そなた自身の本物までもが腐り落ちるだろう。私が『耐えられるか』と尋ねたのは、このためだ。
第二の不都合。施術の後、二十歳から三十歳くらいの婦人でなければ、到底耐えられぬ。二十歳未満の者で、すでに男を知り、子を産んだ者でさえ、最初は多くの苦しみを味わうだろう。未だ夫を知らぬ処女であれば、一人交われば一人死ぬ。決して助かることはない。この術を施すには、初婚の妻を娶らず、若妻を相手にせぬと誓わねばならぬ。さもなくば、本人の陰徳が損なわれるだけでなく、施術者である私の罪も軽くない。
第三の不都合。施術の後、後天の体力は有り余るほどになるが、先天の元気は切断の際に漏れ出てしまうため、子をなし育む力に欠ける。仮に子が生まれても、多くは夭折し、長生きする者は少ない。私が『命を懸けられるか』と尋ねたのは、このためだ。
そなたは若く、志のある方と見受ける。一つには、欲心が激しく、三ヶ月交わらぬことに耐えられまい。二つには、色欲が貪欲で、将来、処女を不幸にせぬという保証がない。三つには、年若く、まだ跡継ぎの子がいないか、いても少ないであろう。この三つのことは、すべてそなたにとって障害となると思われ、とても軽々しく試せるとは思えぬ」
未央生は言った。「その三つのこと、いずれも私にとって障害とはなりませぬ。先生、ご安心ください。どうぞ私を改造してください」
術士は言った。「どうして障害にならぬと言えるのか」
未央生は言った。「私は今、故郷を離れた旅の身。家にいる時とは違い、何もしなくとも毎夜一人で寝ております。施術をしたからとて、何か変わることがありましょうか。第一の不都合は、私には障害とはなりませぬ。どうして耐えられぬことがありましょう。
本妻は初婚でなくとも構いませぬが、その他の女たちは問いませぬ。私の妻はすでに娶っておりますので、心配はご無用。それに、女の身で最も興醒めなのは処女でございます。人の交わりを全く知らず、色情も解せぬ者に、何の楽しみがありましょうか。真に実のある交わりをなすには、二十を過ぎ、三十前の婦人でなければ、起承転結を心得ておりませぬ。それは文章を作るのと同じで、一節には一節の作法があり、それぞれに応じた手管がある。どうして書き始めの子供にそれができましょうか。第二の不都合は、私にとって障害どころか、むしろ私の好みに合っております。どうしてできぬことがありましょう。
跡継ぎのことは、他人は極めて重く見ますが、私は極めて軽く見ております。世の子は、優れた者は少なく、劣った者が多い。孝行者は少なく、不孝者が多い。もし幸運にも良い子が生まれれば言うまでもありませんが、もし不肖の者が生まれて家業を潰し、父を憤死させるようなら、そんな子がいて何になりましょうか。ましてや、世の十人のうち、必ず一、二人は子がおりませぬ。それは彼らの運命が、跡継ぎが絶える定めだからであって、陽のものを改造して元気が漏れたからそうなったわけではありますまい。私が今日この念を起こした時点で、すでに子無しの兆しであり、自ら進んで子がないことを望んでいるのです。必ずや切断してください。万が一、私に子孫の運命があり、切断の際に元気がそれほど漏れず、相変わらず子をなし、生まれた子が夭折せぬこともあるやもしれませぬ。それはすべて思いがけないこと。私は考えず、ただ子無しの人間になる覚悟でいるだけです。先生の仰せのことは、私は耐えることも、命を懸けることもできます。何の不都合もございません。もう私をお疑いなさるな。すぐに私を改造してください」
術士は言った。「そなたの意志がそこまで固く、どうしても行うというのであれば、私も困らせるわけにはいくまい。日を選び、そなたの宿か、私の仮住まいか、場所を決めねばならぬ。人目につかず、誰にも知られぬように行わねば。もし誰かに知られ、盗み見でもされようものなら、施術に障りが出る」
未央生は言った。「私の宿は人の出入りが多く、この事を行うのは困難です。やはり先生の宿へお伺いいたしましょう」
二人は場所と日時を定めた。術士はそこで初めて手土産を受け取り、暦を取り出して日を選んだ。選ばれたのは火の日であった。陽のものは火に属し、火が盛んであれば、勢いを増すという意味が込められていた。改造の日時が決まり、未央生は千の喜びに包まれ、別れて帰っていった。
彼が生涯にわたる悪行の根源は、すべてこの時から始まったのである。これを見るに、世の房術は学ぶべきではないとわかる。房術を学べば、必ず心術は悪くなる。房術を学んで、ひたすら妻にのみ仕え、他人の妻を犯さぬ者など、古来、一人として存在しないのである。
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作者曰く、
他の作者であれば、未央生が己のものの小さきを知り、すぐに人を捜して改造する、と筆を運んだであろう。改造の後に淫蕩の事を語り、読者の心を昂らせ、物語の幹よりも枝葉が多すぎるというそしりを免れようとするはずだ。どうしてわざわざ、女を見ないという一節を挿入し、風流な才人を、にわかに道徳の師に変え、読者の興味を冷ますようなことをするだろうか。
作者がこの一節にのみ心を砕いたのは、深遠な意味があるに違いない。もし未央生がここで真に心を入れ替えて道を改めていれば、その後の名誉や利益が傷つくこともなく、妻や妾が淫事の償いをさせられることもなかっただろう。
このことから、極悪の人であっても、一念発起して心を改めれば、すぐさま悟りの岸に至ることがわかる。ただ、心を改めた後に、再び別の念を起こしてはならぬのだ。
この書を読む者は、この箇所にこそ注目すべきである。そうすれば、甘い棗の果肉の中に、橄欖のような奥深い味わいを噛みしめることができるだろう。作者の深き心は、巻の終わりを待たずして、すでにここに現れている。
第七回の要約
【コンプレックスと暴走】
主人公の未央生は、知人から「君のアレは小さいね」と指摘されたことで、深刻なコンプレックスに陥ります。彼は一時、色恋を諦めて真面目に勉強しようと決意しますが、街でとんでもない美女を見かけてしまい、欲望が再燃。「この体では彼女を満足させられない!」と、自分の運命を激しく呪います。
【怪しい術士との出会い】
絶望の淵にいた彼は、偶然にも「あなたのコンプレックスを解消し、雄大なものに変えます」と書かれた怪しい広告を見つけます。藁にもすがる思いで天際真人と名乗る術士を訪ねると、彼はとんでもない改造手術を提案します。
【常識を超えた手術と悪魔の契約】
その手術とは、なんと犬の体の一部を本人に移植するという、現代医学でも考えられない危険極まりないものでした。術士はさらに、成功したとしても以下の3つの重大なリスクがあると警告します。
1.術後3ヶ月は、完全に禁欲生活を送らなければならない。(失敗すれば再起不能)
2.改造後はパワーが強すぎるため、未経験の女性や若い娘と交われば相手を死なせてしまう。
3.子孫を残す能力を失う可能性が非常に高い。
しかし、色欲の権化と化した未央生は、「女を満足させられるなら、命も子孫もいらない!」と、全ての条件を二つ返事で受け入れ、悪魔との契約とも言えるこの手術を受けることを固く決意するのでした。
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文化的・宗教的メッセージの解読
この回は、一見すると過激な好色文学ですが、その根底には当時の文化や宗教観に基づいた、非常に深いメッセージが込められています。
1. 「欲望の暴走」が破滅を招くという仏教的テーマ
この物語の核心は「因果応報」という仏教的な思想です。作者が本当に示したかったのは、「人間の欲望は際限がなく、それを野放しにすれば必ず身を滅ぼす」という警鐘です。
引き返せるチャンスの放棄: 未央生は一度、コンプレックスをきっかけに「真面目に生きよう」と改心するチャンスがありました。しかし、美女一人を見ただけでその決意は脆くも崩れ去ります。これは、人間がいかに欲望に弱いか、そして破滅への道は、自ら引き返す機会を捨てた時に確定することを示しています。この第七回は、彼が地獄への扉を自ら開けた決定的な瞬間なのです。
2. 儒教的価値観(社会規範)からの逸脱
当時の社会で最も重要視された価値観の一つが、儒教における「孝」、つまり先祖を敬い、子孫を残して家を存続させることでした。
最大のタブー: 未央生が「子孫なんていらない」と断言する場面は、現代人が思う以上に衝撃的なセリフです。これは、社会の根幹をなす道徳や倫理を、個人の性的快楽のために完全に放棄するという宣言に他なりません。自然の摂理に反する「改造」と、社会の摂理に反する「子孫の放棄」。この二重の禁忌を犯したことで、彼の破滅は運命づけられたのです。
3. 「房術」への痛烈な批判
作中には「房術を学べば、必ず心術が悪くなる」という一文があります。これは、単に性的なテクニックを追求することが、いかに人間性を歪めるかという作者の強いメッセージです。
目的と手段の逆転: 本来、夫婦の和合や子孫繁栄のための営みが、いつしか「快楽そのもの」を追求するだけの道具に成り下がる。未央生はその典型であり、彼の探求はもはや愛ではなく、征服欲と自己満足を満たすための「技術」でしかありません。作者は、そうした人間性を無視した欲望の追求は、必ず人を獣の道へと堕落させると説いているのです。
『肉蒲団』は、刺激的な描写の裏に、「人間の欲望がいかに恐ろしく、そしてそれを制御できなければ、社会的な倫理も、自然の摂理も、そして自分自身の人生さえも破壊してしまう」という、時代を超えた普遍的な教訓を隠し持った、寓意に満ちた道徳文学の傑作なのです。




