最終の面:業を断ちて、彼の僧、悟りへの道を得ること
孤峰和尚の慈悲と、松に吊るされし奇跡
未央生が山寺を去ってよりこのかた、孤峰和尚の心から自責の念が消え去る日は一日としてありませんでした。
「ああ、我が法力はかくも浅く、慈悲は未だ徹していなかったか。情欲の悪鬼をその内に宿す者を目の前にしながら、ついに縛り上げることができなかった。あのまま野に放てば、どれほど多くの女人がその毒牙にかかり、世の風紀を乱すことだろう。これすべて、老僧の徳の足らぬ罪である」
和尚は深く、深く思案しました。「人の煩悩を断つこともできぬ鬼を救えぬのであれば、この皮袋、すなわち我が肉体を現世に留めて、いったい何になろうか」と。
そう思い定めると、和尚はかつて未央生が自ら切り捨てていった「それ」を静かに取り出し、寺の大門の外に立つ松の枝へと吊るしました。さらに小さな木の札を削り、そこに細やかな筆致でこう書き記し、松の幹に打ち付けたのです。
「未央生が帰山せぬ限り、これをば収めず。これが朽ちぬ限り、老僧の心もまた死なず。願わくは、迷える者よ、疾く戻りてこれを収めよ。さすれば、女人の肉体を座布団とするがごとき迷妄から、そなたを救わん」
人知を超えた不思議というべきか、未央生が寺を去ったその日より、松に吊るされた「それ」は、三年の風雨に晒されながらも、腐るどころか、かえって以前よりも硬く、まるで石のようにその姿を保ち続けていたのでした。
歳月が流れ、ある日のこと。まるで魂が抜け落ちたかのような姿で、未央生がふらふらと寺へと戻ってまいりました。そして、松の梢に吊るされた己の片割れと、そこに添えられた木札の文字を目にした瞬間、彼は堰を切ったように慟哭しました。その木札を、あたかも師である孤峰和尚の分身であるかのように捉え、松の根方にひざまずくと、何度も、何度も額を地にこすりつけ、拝礼を繰り返したのでした。やがて木に登り、己の片割れをそっと手に取ると、それを恭しく頭に戴き、仏堂の中へと入っていきました。
堂内では、孤峰和尚が静かに座禅を組んでおりました。未央生はその御前にひざまずき、ただひたすらに額を床に打ち付け、拝み続けます。和尚が瞑想に入られてから、深い静寂のなかで瞑想を終えるまでの、およそ六時間。彼が地に打ち付けた頭の響きは、百や二百では到底数えきれぬほどでした。
やがて孤峰和尚は蒲団からすっと下り立つと、未央生の手を取り、その身を抱き起こしました。
「おお、居士。よう戻られた。その志、篤と伝わった。なればこそ、なぜかくも重き礼を尽くされる」
未央生は涙ながらに語ります。
「弟子は、あまりに愚かでございました。かつて和尚様の尊い教えに背き、己が欲望の赴くままに振る舞い、地獄に落ちるほどの悪事を重ねてまいりました。今、この世での報いは受けましたが、死後に待つ裁きはまだ受けておりません。何卒、この愚か者を哀れみ、弟子の一人にお加えください。過去の罪を心から懺悔し、仏の道に帰依したく存じます。和尚様、お許しいただけますでしょうか」
和尚は静かに、しかし力強く答えました。
「わしが松に吊るしたものを、そなたが自ら収めて戻ってきた。もはや拒む理由などあろうか。ただ一つ案ずるのは、そなたの道心が真に固いものか、再び俗世の迷いに心が揺らぐことはないか、それだけじゃ」
未央生は、決然と誓いを立てました。
「あまりの悔恨に、ようやく迷いの目が覚めました。今は、地獄の底から命からがら這い出してきたような心持ちでございます。二度と、あの禍々しき場所へ戻ることはいたしません。この決意、決して揺らぐことはございません」
「よろしい。ならば、そなたを受け入れよう」
和尚は吉日を選び、彼の髪を剃り落としました。未央生は自ら和尚に願い出て、己を戒めるための法名を授かりました。一つには、悟りを開くのがあまりに遅かった自分を、まるで「頑な石」のようであったと深く恥じたため。また一つには、師の尊い説法に打たれ、三年もの間、頷くことさえしなかった愚か者が、ついに仏の道に頭を垂れたという感謝の念を込めてのことでした。この日より、生まれ変わった彼は、ただひたすらに禅の道に身を投じ、悟りへの険しい道を歩み始めたのであります。
煩悩の根源を断つ
されど、若くして俗世を断ったその身には、抗いがたい苦しみが伴いました。どれほど心を制しようとも、淫らな心と情欲の炎は、なおも激しく燃え盛るのです。昼の間、一心に念仏を唱え、経典を読んでいる時はまだしも、夜、独り静かな寝床に就くと、あの「業深きもの」が、知らず知らずのうちに擡げてくるのでした。布団の中でそれは猛り、押さえつけても鎮まらず、なだめすかしても収まる気配がありません。
僧侶の中には、己の指をもってその場をしのいだり、あるいは近しい弟子を相手に欲を晴らしたりする者もおり、それは僧界における、いわば「苦し紛れの逃げ道」として半ば黙認されている風潮さえありました。しかし、彼は違いました。
「仏門に入った以上、姦淫を行うか否かにかかわらず、欲そのものを断つことこそが本分である。己一人で慰めることも、少年を相手にすることも、確かに法には触れず、名誉を汚すこともないやもしれぬ。されど、欲心を絶てぬという点においては、姦淫の罪となんら変わりはない。手を用いれば女人の肌を思い出し、少年を抱けば女の面影がよぎる。偽りから真実を、こちらからあちらを連想してしまうのは、人の性の必然。この芽を、今ここで摘み取らねばならぬ」
ある夜、彼は夢を見ました。花晨と香雲の姉妹が庵に参拝に来ており、そこには玉香や艶芳の姿まであります。彼は夢の中でかつての怒りを思い出し、花晨たちに命じて玉香と艶芳を捕らえさせました。ところが、二人の姿は瞬く間に掻き消え、残された四人の愛人たちに禅房へと誘われるのです。皆で衣を脱ぎ捨て、まさに快楽の海に身を沈めようとしたその刹那、林の向こうで犬が吠える声に驚き、はっと目を覚ましました。
夢でした。しかし、夢の残滓は色濃く、あの一物が布団の中で荒々しく蠢き、かつての「快楽の門」を必死に探し求めています。彼はそれをぐっと握りしめ、いかにしてこの猛りを鎮めようかと思案しましたが、ふと我に返りました。
「我が人生を狂わせた災いの根源、そのすべてがこの一物にあるではないか。これこそが我が仇敵。それをなぜ、またも野放しにできようか」
彼は邪念を振り払い、再び眠りにつこうとしました。しかし、何度寝返りを打っても、心は落ち着きません。あの一物が、布団の中で静かに、しかし執拗に騒ぎ立てるからです。
ついに彼は決意しました。「このような災いの種をこの身に付けていては、いずれまた同じ過ちを繰り返すだろう。いっそのこと、この手で切り落とし、未来永劫の禍根を断ち切ってしまおう。そもそも、これは人の肉にあらず、獣の肉。仏家が最も忌むべきものである。このようなものを我が身に付けていること自体が、人の道を踏み外しているのだ。これを断たねば、私は獣に等しい。どれほど修行を積んだとて、来世で再び人間に生まれ変わるのが関の山。仏と成ることなど、夢のまた夢であろう」
夜明けを待たず、彼は灯明に静かに火を灯すと、厨から薄刃の包丁を手に取りました。片手で陽物を固く掴み、もう一方の手に握った包丁に、すべての恨みを込めて、一息にそれを切り落としたのです。
彼の人間としての業が終わりを告げ、獣としての運命が尽きた瞬間だったのでしょうか。不思議なことに、肉を裂く激痛よりも、むしろ長きにわたる呪縛から解き放たれるような、静かな感覚がありました。
これより後、彼の心から欲というものは跡形もなく消え去り、善行への意志は、ますます揺るぎないものとなっていったのです。
半年が過ぎ、彼はひたすら修行に打ち込みましたが、まだ正式な受戒は受けておりませんでした。その後、志を同じくする十数人の修行僧が集い、孤峰和尚を師としてお招きし、授戒の儀式が執り行われることになりました。
受戒の儀に臨む者はまず、己が生涯に犯した罪のすべてを、一点の曇りもなく告白せねばなりません。もし一つでも隠し立てをすれば、それは天を欺き、仏を騙すことになり、たとえ一生を修行に捧げたとしても、決して悟りを得ることはできないのでした。
奇妙な再会、因果の糸
居並ぶ僧たちが孤峰和尚を迎え、それぞれが入門した順に従って座を占めた。和尚は受戒の作法を説き終えると、一人ひとりに、その身に刻まれた罪を告白させた。最後に弟子となった頑石は、末席に静かに座していた。
僧たちの中からは、人を殺め、家に火を放った者、盗みを働き、人の道を外れた者など、凄まじい罪の告白が次々と続いた。
やがて、頑石のすぐ隣に座る、いかつい顔つきの無骨そうな僧の番となった。
その僧は、静かに口を開いた。
「私めは、これまでの生涯で悪事に手を染めたことはございません。ただ一度だけ……。私はあるお家に下男として仕えましたが、主人の娘に手を出し、あろうことかその腰元までも道連れにして、二人を廓に売り飛ばし、遊女にしてしまいました。この罪は、死んでも償いきれるものではございません。和尚様、どうか、この私に懺悔の道をお示しください」
和尚は言った。
「それはまこと重い罪だ。懺悔したとて、許されるかどうか。『万の悪は、淫を根本とする』と言うが、そなたの行いは、ただ淫らなだけではない。人をさらい、あまつさえ廓に売り飛ばすとは。幾度生まれ変わっても救われぬ大罪だが、そもそも、なぜそのようなことを仕出かしたのだ」
僧は答えた。
「和尚様、どうかお聞き届けください。あれは、他人に追い詰められてのことで、決して私の本意ではございませんでした。あの娘の夫が、先に私の妻を力ずくで犯し、あろうことか、その妻を私に無理やり売らせたのでございます。私には抗う力もなく、ただ追い詰められた末に、あのような報復に及んだのです。どうか、事情をお汲み取りいただけないでしょうか」
この言葉を聞いた頑石の心臓は、まるで胸から飛び出すかのように激しく高鳴った。彼は思わず、隣の僧に問いかけていた。
「兄弟子よ、あなたがさらい、売ったという女子の名は何という?どこの家の妻で、誰の娘御ですかな?そして、今はいずこに……?」
僧は答えた。
「名は玉香、未央生の妻にして、鉄扉道人の娘御だ。腰元は如意という。今は都で客を取っているはずだ」
頑石は、声を張り上げた。
「……ということは、あなたは権老実殿か!」
僧もまた、目を丸くした。
「もしや、あなたが未-央生殿!」
次の瞬間、二人は弾かれたように蒲団から立ち上がると、互いに深々と頭を下げ、自らの非を詫び合った。そして孤峰和尚の前に進み出て、事の次第を洗いざらい打ち明け、互いの罪を告白したのだった。
和尚はこれを聞くと、腹を抱えて大笑した。
「はっはっは!これは素晴らしい。仇同士が、このような形で巡り会うとは。仏様が、慈悲の心でかくも広い道をお示しくださったおかげで、二人の仇がこうして鉢合わせしても、何一つ滞りがない。もし他の道で出会っていたら、こうはいくまい。そなたたちの罪は、本来であれば到底許されるものではない。しかし、二人の妻がその身をもって夫の借りを返してくれたおかげで、その罪も大きく軽くなったのだ。さもなければ、十の世を修行したとて、輪廻の鎖から逃れることはできなんだろう。さあ、わしが代わって懺悔をしよう。仏様に、そなたたちの妻の顔に免じて、罪を許してくださるよう、共に祈ろうではないか」
二人は仏前にひざまずき、和尚が唱える読経の声に心を重ね、その罪を清めた。
懺悔を終えた後、頑石は和尚に尋ねた。
「和尚様、邪な行いをした者に妻や娘がいたとして、妻がその身で夫の借りを返したとしても、まだ幼い娘が負うべき借りというのは、どうなるのでございましょう。娘に罪はなくとも、赦されることはないのでしょうか」
和尚は、静かに首を横に振った。
「赦されぬ。赦されぬな。淫らな行いを重ねた者に娘が生まれれば、それは借りを返すために天が授けた種子なのだ。決して逃れることはできぬ」
頑石は、正直に打ち明けた。
「実を申しますと、私には二人の『借りの種』、つまり二人の娘がおります。あの子たちの行く末を思うと、いてもたってもいられません。今すぐにも家に帰り、この手であの子たちを殺めてしまいたい。いっそ、生まれてすぐに水に沈めて死んだものと思えば、この先の不幸を繰り返さずに済むのではないかと……」
和尚は合掌し、「阿弥陀仏」と唱えた。
「そのような、殺生なことを口にするでない。受戒した身で、人を殺めようなどとは。あの二人の子は、そなたの子ではないのだ。そなたの悪行を見かねた天が、借りを返させるためにこの世に遣わしたもの。古い言葉に『一の善は、百の悪を解く』とある。そなたが心から善の道に進み、その決意が揺るぎないものとなれば、天の心もまた動かされ、あの子たちを天へとお呼び戻しになるやもしれぬ。そなたが手を下す必要など、どこにもないのだ」
頑石は深くうなずき、それからはただひたすらに善行と仏事にその身を捧げた。
賽崑崙の報告、因果の終わり
さらに半年が過ぎたある日のこと。和尚と頑石が談笑しているところへ、一人の大男がずかずかと踏み込んできた。頑石が顔を上げると、それは義兄弟の契りを交わした賽崑崙であった。彼はまず仏像に手を合わせ、それから和尚に深々と礼をした。
頑石は和尚に紹介した。
「この方は私の義兄で、賽崑崙と申します。今この世で並ぶ者のない侠客でございます」
和尚は言った。
「もしや、盗賊の首領でありながら、『五つの盗まぬ掟』(貧しい者や孝行な者などからは盗まないという誓い)を守り通しておられるという、あのお方ですかな」
「まさしく」
和尚は「ほう、それならばあなたは『泥棒菩薩』とでもお呼びすべきお方ですな。私のような者が拝礼を受けるなど、恐れ多いことです」と、返礼しようとしたが、賽崑崙は慌ててそれを押しとどめた。
「私は今日、旧友を訪ね、そして生き仏と噂の高い和尚様を拝みに参りました。和尚様がこの礼をお受けくださらなければ、悪人が善の道へ向かう扉を閉ざすことになりましょう。それでは、この世には『隠れ泥棒』や『役人泥棒』ばかりがはびこり、義理を重んじる泥棒の居場所がなくなってしまいます」
「なるほど。ならば、謹んでその礼をお受けいたしましょう」
挨拶が済むと、賽崑崙は頑石を裏手へ誘おうとしたが、頑石は言った。
「私の過去は、すべて師匠にお話ししております。隠し立てすることは何もございません。どうぞ、ここでお話しください」
賽崑崙は、重い口を開いた。
「義弟よ、俺は面目がない。妻を託されながら守ることができず、子を預けられながら死なせてしまった。お前に合わせる顔がない……」
頑石は、心を決めたように静かに尋ねた。
「……ということは、我が家の娘たちに、何かがあったのですね」
賽崑崙は語った。
「二人の娘御は、何の病でもなかったというのに、寝台の上でまるで示し合わせたかのように、同時に息を引き取ったそうだ。息絶える間際、二人の乳母が同じ夢を見たという。どこからか『この家の勘定はすべて済んだ。お前たちの役目はもう終わりだ。私と共に戻るがよい』と呼ぶ声が聞こえた、と。夢から覚めた時には、もう手遅れだったそうだ。何とも、不思議な話だ」
頑石はこれを聞いても嘆くどころか、顔を輝かせ、大いに喜んだ。そして、自分が娘たちの行く末をどれほど案じていたか、師である和尚が「善を積めば、天が呼び戻してくださる」と語った通りになったことを皆に話した。
「これで、長きにわたる因縁がすべて消え去りました。これこそ、望外の幸運。兄貴、ご自分を責めるには及びません」
これを聞いた賽崑崙は、あまりのことに驚き、肌に粟を生じた。
しばらくして、彼はもう一つの報告を切り出した。
「もう一つ、朗報がある。お前を裏切って逃げたあの淫婦、艶芳のことは許しがたいと思っていた。俺がずっと行方を追っていたのだが、ある悪僧に囲われ、穴倉に隠れ住んでいるのを突き止め、お前の代わりに成敗してやった」
和尚が尋ねた。
「穴倉に隠れていたのを、いかにして見つけたのですかな」
賽崑崙は答えた。
「その坊主は、道行く人を殺めては金品を奪う悪党で、穴倉に大金を隠しているという噂を耳にしましてね。盗みに入ったところ、坊主と女が寝台で話している声が聞こえてきたのです。女はこう言っていました。『私の最初の夫、権老実は不器用だったけれど、私一人を深く愛してくれたわ。それなのに、賽崑崙という男に騙されて未央生に嫁がされ、その未央生も妻を顧みず浮気三昧。挙句の果てに私を一人置き去りにして消えてしまうなんて。あんな薄情な男たちは、もうこりごりよ』と。それを聞いて、私は女が艶芳だと確信し、怒りに身が震え、二人まとめて斬り捨ててやりました。そして金銀二千両を奪い、貧しい者たちに分け与えたのです。和尚様、この男女は殺されて当然でしょう? この金は、奪って当然の金でしょう?」
孤峰和尚は、静かに諭した。
「殺されるのも、奪われるのも、道理かもしれません。しかし、それを居士、つまりあなた様がなさるべきことではなかった。天の理や国の法に照らせば、決して通ることのない行いです。その因果の報いからは、免れることはできますまい」
賽崑崙は反論した。
「悪い奴らを仕留めて、胸がすく思いでした。これこそ天の理にかなっているはずです。私は生涯を泥棒として生きてきましたが、一度として捕まったことはございません。この金が元で、法に触れることなどありましょうか」
和尚は言った。
「居士よ、天の網はあまりに広く、その目は細かい。一つの悪事も見逃しはしません。ただ、報いが早いか遅いかの違いだけなのです。淫らな僧も不実な女も、放っておけばいずれ天が裁きます。天は雷を落とすこともできたはず。それを、なぜそなたの手を借りる必要があったでしょう。人を殺めるという大権を、天が人に委ねるはずがありません。罪人が罪人を殺すという形になれば、そなたもまた、陰の報い、すなわち死後の裁きから逃れることはできないでしょう。それに、そなたの名はすでにお役人の耳にも届いているはず。盗んだ金を貧しい人々に配ったと訴えても、役人が信じるとは思えません。家に隠していると見なされ、いずれ追っ手が来るでしょう。配ってしまった金は戻らない。となれば、その命で償うことになり、陽の報い、すなわち現世での刑罰もまた、免れることはできません」
賽崑崙はもともと意固地な男であったが、和尚の理路整然とした言葉を聞くうちに、ついに悔い改める心が芽生えた。
「私のしてきたことは、正義ではありませんでした。ただ、金持ちから奪った金を貧しい者へと回そうと思っただけでしたが、己の因果までは考えておりませんでした。和尚様、今からでも、やり直すことはできるのでしょうか」
和尚は、傍らの頑石を指差した。
「この者の罪は、そなたよりも遥かに重かった。しかし、一心に善へ向かったことで天を動かし、借りを返すはずであった娘たちを、天に呼び戻してもらうことができた。今しがたの話が、何よりの証拠です。懺悔ができるかどうかは、おのずと分かることでございましょう」
頑石もまた喜び、三年前の自分を鏡とするようにと、義兄を諭した。賽崑崙はついに心を決め、孤峰和尚を師と仰いで出家した。彼はその後、二十年の修行を経て悟りを開き、孤峰、頑石と共に、静かにこの世を去ったという。
結び
思えば、この世の人々は誰もが仏になれる素質を持っている。
ただ、「財」と「色」という二文字に心を縛られ、迷いの淵から抜け出せずにいるだけなのだ。それゆえに、天国はかくも広いのに人はまばらで、地獄は狭いにもかかわらず人で溢れかえっている。天帝はその喧しさに耐えかね、閻魔大王は人を捌ききれずに困り果てているという。
全く、天地を分けた古の聖人たちは、余計なことをしてくれたものだ。この世に女を生み、金というものを設けたばかりに、人々はこれほどまでに苦しむことになった。
ここは一つ、『四書』の言葉を借りて、聖人たちにこのような罪を着せてやろう。
「最初に人の形をした俑を作った者は、きっとろくな死に方をしないだろう(子孫が絶えるだろう)」と。
作者曰く
物語の冒頭では聖人に感謝しておきながら、結びでは聖人を恨んでみせる。聖人を喜ばせたり、困らせたり、実におちょくった書物である。これまた『四書』の二句を借りて、聖人の代わりにこう言い返してやろう。
「私を理解するのも、この『肉蒲団』であろうか。私を罪人とするのも、またこの『肉蒲団』であろうか」と。
(おわり)
最終章の簡潔な要約
この最終章は、すべての因果が収束し、清算される物語の大団円です。
孤峰和尚のもとで僧たちが罪を告白する中、主人公・未央生(法名:頑石)は、かつて自分の妻を奪った男・権老実と奇しくも再会します。互いの報復の連鎖を告白し、和尚の導きで二人は和解します。その後、未央生は自らの罪が娘たちに及ぶことを恐れますが、「真の善行は天を動かす」という和尚の教えを信じ、修行に励みます。
そこへ義兄の賽崑崙が現れ、未央生の二人の娘が奇妙な死を遂げたこと(因果の清算)、そして未央生を裏切った女・艶芳を殺害したことを報告します。和尚は、たとえ悪人であろうと私的に裁くことは新たな罪を生むと賽崑崙を諭します。自らの正義が天の理には通じないことを悟った賽崑崙もまた出家し、最終的に未央生、孤峰和尚、賽崑崙の三人は共に悟りを開き、静かにこの世を去ります。
各場面の深掘り
この最終章は、劇的な場面転換と深い哲学的な対話によって、読者を強く引き込みます。
1. 「懺悔と再会」—— 運命の糸が交わる劇的空間
この場面の魅力は、偶然を装った必然の恐ろしさにあります。読者は未央生(頑石)の視点で、他の僧の凄まじい罪の告白を聞いていきます。その緊張感が最高潮に達したとき、隣の僧が語り始めた物語が、まさしく自分の人生の裏面史であったことに気づきます。復讐の連鎖で結ばれた二人が、互いの顔も知らずに仏門で隣り合って座っていたという設定は、極めて演劇的です。これは、人の世の因果から逃れることはできず、いつかどこかで必ず顔を合わせる(清算を迫られる)という仏教的な世界観を、鮮烈な情景として描き出しています。
2. 「娘たちの因果」—— 罪と救済を巡る哲学的対話
未央生が娘たちの将来を憂い、「いっそ自分の手で殺してしまいたい」とまで思い詰める場面は、彼の人間的な苦悩が最も深く表れています。これに対し孤峰和尚が語る「娘はそなたの子ではなく、借りを返すための種子」「一善、百悪を解く」という教えは、物語の核心に触れる重要な転換点です。単なる運命論ではなく、自らの意志と行動(善行)によって、定められた因果さえも変えることができるという、救済への道筋が示されます。この対話は、物語に哲学的な深みを与え、読者自身の生き方をも問う魅力を持っています。
3. 「賽崑崙の報告」—— 二つの「死」が示す因果の理
賽崑崙がもたらす二つの知らせは、対照的ながらも同じ因果の法則を示しています。
娘たちの死: これは、未央生の善行が天に通じた「奇跡」であり、因果の清算が完了した証です。悲しい出来事であるはずの死が、ここでは「大いなる幸運」として描かれる逆説的な表現が、この物語の霊的な次元を際立たせています。
艶芳の死: これは、世俗的な正義(悪人を討つ)が、天の理においては新たな罪(殺人)を生むという因果の発生を示しています。賽崑崙の「スッキリした」という感情と、和尚の「報いは免れますまい」という静かな宣告の対比が鮮やかです。これにより、物語は「何が真の正義か」という、より普遍的な問いを投げかけています。
物語の神髄:肉欲の果ての解脱
この物語の神髄は、「極端な欲望の肯定と、その徹底的な追求の果てにある虚無、そしてそこからの解脱」というダイナミックなプロセスにあります。
未央生は、常人離れした情欲の探求者でした。彼は「財」と「色」という、人間を最も強く縛り付ける二つの煩悩の化身ともいえます。物語は彼の破滅的な遍歴を執拗に描き、読者をその渦中に引き込みます。
しかし、最終章で示されるのは、その欲望のエネルギーが、そっくりそのまま仏道へのエネルギーへと転化される姿です。あれほどまでに「色」に執着した男が、その罪の深さを自覚したとき、今度はあれほどまでに「解脱」を渇望するようになるのです。
つまり、この物語は単なる勧善懲悪ではありません。人間を突き動かす根源的なエネルギーそのものに善悪はなく、そのベクトルがどちらを向くかこそが重要であると説いています。欲望の頂点を極め、その虚しさを骨の髄まで味わい尽くした者だけが、真の悟りへの道を歩む資格を得る。これこそが、本書『肉蒲団』が過激な性描写の奥に隠した、人間理解の深淵であり、物語の神髄と言えるでしょう。
作者による結びの評の深掘り
物語の最後に追加された「評」は、この作品を単なる娯楽小説から、自己言及的な芸術作品へと昇華させる、極めて巧妙な仕掛けです。
1. 聖人へのユーモラスな「責任転嫁」
まず作者は、「そもそも女や金を作った古代の聖人たちが悪いのだ」と、ユーモアを交えて責任転嫁します。これは、自らが描いてきた人間の業の深さを前にして、一種の照れ隠しであり、読者の緊張を解きほぐす役割も果たしています。ここで引用される『四書』の「俑を作り始めた者こそ…」という一節は、「(生贄の代わりに人形を作ったことで、かえって殉死の風習を助長したように)そもそも人間の欲望を刺激する『女』という存在を生み出したのが間違いの始まりだ」という、大胆でふざけた解釈で使われています。
2. 自己評価の覚悟——「私を知る者は、この『肉蒲団』であろうか」
しかし、本当に重要なのはその後の評者の言葉です。評者は、再び『四書』の有名な一節を引用し、「春秋」という歴史書の部分を、この小説のタイトルである『肉蒲団』に置き換えます。
「私を知る者は、この『肉蒲団』であろうか。私を罪する者は、この『肉蒲団』であろうか」
この一文に、作者の全ての覚悟が込められています。
これは、「この作品を読んで、私が本当に伝えたかった仏教的な因果の深さや人間の本質を理解してくれる読者もいるだろう。しかし一方で、ただの猥褻な物語と見なし、作者である私を非難する読者もいるだろう」という、作品の評価を完全に読者に委ねるという宣言です。
作者は、自作が低俗な好色本としてのみ読まれる危険性を十分に承知の上で、それでもこの物語に込めた「神髄」が伝わることを信じているのです。この最後の数行は、作者が物語の世界から一歩踏み出し、読者に向かって直接語りかけるメタフィクション的な構造になっており、強烈な印象と共に物語の幕を閉じます。それは、自らの作品に対する絶対的な自信と、世評を超越した孤高の作家精神の表れに他なりません。
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『終焉の峰、三人の聖僧』
静寂の境地
墨色深き孤峰に座し
三聖、瞑想に沈む
世俗の塵を払い
心は清流の如し
解脱の時
老松の根元、風も鳴かず
因果の鎖、今ここに解け
未央生、賽崑崙、孤峰
ただ静寂のみが満つ
悟りの光
険しき山を越え
静けさの中に悟り開く
三人の魂、一つとなりて
清浄なる光となる
【しおの】




