高遠の土地ナーランダ①
もしも地球上にいまだ誰も知らない桃源郷ががあったとしたら・・・。
決して夢物語ではない観点で読んでみて下さい。魔法も怪物も出て来ません。
高遠の土地ナーランダ①
平澤光幸
ここより遥か離れた土地に、近代文明も知らず、他の国々にも知られず、地図にも載っていない国がありました。
深い山あいで、切り立った山谷が道をふさぎ、凍てついた土地に深い雪が積もり、あまりに高地のため集落は有り得ないとされていました。
しかし、遥か数千メートル上方の山麓、大穴の底にその国はありました…。そこは高山植物が繁り、気候こそ寒いのですが、空気は澄み渡り、まさに人類最後の秘境でした。
その国の人々は山に囲まれた外には「無」しかないと信じています。
その国の人達は外国人の存在も、自分たち以外の文明も全く知りません…。
この国と土地が全ての世界で、ここで生まれ、ここで死んで行く事を信じて止みません。
その人口は500人足らず。
朝がくれば痩せた農地を耕し、夜になればほんの少し垣間見れらる星のもと、家族と身を寄せて眠る。
この国の名前、あるいはこの世界を彼らは「ナーランダ」と呼びました。
そしてこの土地でも、あまり多くの農地を持たない家族の息子、ガント(願人)が17回目の誕生日を迎える時です。
ガントは色黒で痩せてはいましたが、顔の堀は深く、人一倍力も強く、その瞳は黒曜石のように深く澄み渡り、美しく輝いています。
また彼は花や山羊、小鳥達を愛しました。力は強いのですが、心優しい少年です。
やはり毎日畑に行き、麦の仲間の「パーチ」(葉地)をひたすら栽培し、畑を耕しています。
この国の男子は17歳で成人を迎えると同時に、同じく17歳の花嫁を迎えなければならない年齢です。
ガントももうすぐその年齢になります…。
ガントの相手の娘とはどのように決められたのでしょうか?。
それは古来からのしきたりで、ナーランダでは親達は子供達が僅か3歳になったとき「ミディア」(見出逢)と言う行事を行います。
3歳になった男の子、女の子を一同に8メートル四方の枯草の上に放します。(毎年約10人足らず)。
泣き止まない子、笑ってばかりいる子、一人ぼっちの子、けんかを始める子、すぐに友達になってじゃれ合う子達、そこで親達は仲良くなったと覚しき子供達を見極め、許嫁とします。
そこでガントの許嫁に決められた娘、その名をレイカ(玲花)と言います。
背は小さく、丸顔でとても快活で明るい娘です。
良く畑を耕し、料理が上手く、この痩せ細った土地に群生する杉科の植物の実で作るお煎餅の様なお菓子「カリムチ」(火利麦知)作りが得意です。
この二人、両親がミディアで見極めた最も相性の良い二人でした。
それはこの国の多くの人々が認めた程です。
もちろんガントとレイカは成長するごとに、より仲良しになって行き、思春期にはお互いが結ばれる事を固く信じて合っていました。
このカップルの仲のむつまじさはナーランダでも語り草となりました。
そしていよいよ17歳になったガントとレイカの婚礼の日がやって来ました。
この国は女王が統括しており、毎年5組程の婚礼が秋の収穫祭の後に行われます。
女王は婚礼を迎えた花嫁・花婿に祝いの言葉をかけます。
さて、ガント・レイカの前に進んだ女王は祝いの言葉の後、彼等だけには余りにも過酷で、厳しい言葉を告げるのでした……。
ガントとレイカの前に進みいでた女王は、大きな声でまずこう告げました。
「ガント、レイカ、よくぞ育ち、よくぞ夫婦となった。そなたたちの両親の幸せも、気苦労も私とともにあった。ナーランダの水、ナーランダの土、ナーランダの森とともに育ったお前たち。
我はそなたたちの内なる神に感謝をし、我の内なる神にも感謝をし、これからのそなたたちの健康を願う。
ガントよ、お前はレイカを慈しみ、信じ、愛し、助けるのだ。お前の強い力はこの娘を守るために使うのだ。そして彼女を癒せ。
これからも良く耕し、親を助けろ。
レイカよ、ガントを信じ、よく炊き、よく裁縫し、多く生むのだ。お前の優しさはガントを癒し、ガントに明日の力を与えるのだ。
そしてやはり親を助けろ。
そして二人で子を作り、産み、育てろ。
そして家族を作り、家族で良く学び、家族で良く遊び、一家の時間を末永く続けろ。
本日は誠によき日。我はそなた達の未来を心より祝う。そなた達の苦しみは我の苦しみ、そなた達の喜びは我の喜び。変わらないそなた達の暮らしは我の希望。
ここにそなたたちが夫婦であることを我の言葉で宣言する!」
そう言うと、女王は大きな袖から荒く砕かれた岩塩を取出し、ガントとレイカに岩塩を振りかけました。
バラバラバラ!。岩塩が床に落ちる音が響きました。
この高山で塩は貴重なものであり、祝福の象徴でした。
周りからは一斉に歓喜の声が響きました。
その歓喜の中、女王は小声でガントとレイカに囁くのでした。
女王はガントとレイカを会場の隅にいざなうと「これだけは周りの者に聞こえぬように話すぞ。」と囁きました。
ガントとレイカは一瞬身構えました。
女王は続けます「つらいだろうが、最後まで聞いておくれ・・・これは内緒だ。
食糧の収穫量が減りつつある今、お前達には、このナーランダの為にするべきことがあります。
それは男一人だけ、あるいは女一人では成せない事なのです。
最も絆の強い夫婦でなければ成し得ない事なのです…。
それはこの世界ナーランダの外を見に行く任務です。
この世界の外を確認する必要があるのです。
ナーランダのパーチの収穫量が、年々減っています…。お前達も知っての通りだと思うが…。
私達の主食はパーチです。食べ物が無くなる事、それはこのナーランダに人が生きて行けなくなる事を意味します。
パーチの変わりとなる植物を新たに見つけなければならないのです。
ガント、レイカ、そなた達は誰も超えなかった世界の壁を登り、本当はナーランダの外に空間があるのか無いのか確認に行くのです」と。
実はナーランダは数千年前、死火山のカルデラの窪みに戦争に負けて終われてきたゲルマン民族と、同じく国を終われた中国系の民族が混ざり合い、東洋と西洋が交りあった人達が暮らす世界だったのでした。
カルデラの深さはおよそ2000メートル。尋常ではない深さのカルデラなのでした。
そしてカルデラの上空は霧や雲が常に立ち込め、日光も少ししか当たらないのでした。
この国の主食、パーチは麦の一種ですが、温暖な気候では実を付けません。
暖かくても枯れはしませんが、十分な寒さがあり、初めて実を付ける植物です。
女王は「そなた達は、まずはあの世界の境界である壁を登らなければなりません。」と言い、ガントとレイカにしか聞こえない声でまた囁きました「今夜私の宮殿に来なさい。ある物を見せましょう…。」と。
その後、宴が行われ、パーチを発酵して作った「ラモル」(裸繁龍)と言う強いお酒が振る舞われ、焼いた羊の肉がテーブルに並べられ、盛大な宴会となりました。
しかしガントとレイカの表情は沈んでいます。ガントは「何故だ…どうして僕達だけがそんな怖い思いをしなければならないんだ…せっかくレイカと一緒になれたのに…せっかく待ちわびた結婚式の日なのに…。ザット(雑問)達はあんなに微笑み、楽しんでいるのに…」
レイカしばらく肩を落としていましたが「ガント…でも、私達にしか成せ無い事だと女王は言ったわ…、私はガントに付いて行く…そして女王の言葉を信じる…。」
ガントはレイカの瞳をしばらく見つめました。
そしてガントは「…やっぱり僕達では無理だよ…、今夜女王は僕達に宮殿に来いって言ったね…そこで断ってみるよ」
レイカはい言いました「…それでも私は女王を信じてガントに付いて行きたい…。」と。
そしてその夜、意を決してガントとレイカは女王の宮殿にやって来ました…。
女王の宮殿と言っても、少し大きめの平屋建で、漆喰で壁が塗られた建物で、一見すると中国の寺院のような建物です。
召使いは6人。大臣は二人しかいませんでした…。
扉を開けると、召使の一人が悲壮な顔つきで女王の間に二人を案内しました。
ガントとレイカは、その召使の表情を見て、さらに不安になりました。
女王は窓を開け、夜空をじっと見つめていました。
ガント達が召使いに導びかれて女王の間の扉を開けてもらうと、女王はゆっくり振り向いき「よく来た…。」と言い、召使いに退室するよう命じました。
ガントは直ぐに「女王、今夜は先ほどの婚礼のお言葉を断わりに参りました。」と言いました。
レイカは「ちょっと待って!。女王が見せたい物を見せてもらいましょう」と言いました。
ガントは仕方無く軽く頷きました。
女王はゆっくりとテーブルの上の木箱を手に取り、そっとそれを開けました。
大きな葉に包まれたそれをゆっくり葉から取りだし、ガント達に見せました。
それは薄い金属で、そこにはアルファベットで(US ARMY)と言う彼らからすれば記号にしか見えないものが記載されていました。
もう千年以上前にナーランダの人々は文字を捨てていました。
今のナーランダに残るのは人物や家族を示す家紋のようなものだけでした。
女王は「これは先々代の女王が伝えてきた物です…。いまから70年ほど前に空から落ちてきました。こんなに固く、キラキラした物を私達は見た事がありませんでした。
神が私達に送ったものなのか、あるいはこの世界の外にも私達と似た何かがいるのかも知れません…。」
その金属片は第二次世界大戦中の米軍機の破片でした。
女王は続けます「パーチの勢いが落ちている事、そして空から落ちてきたこのキラキラした固いもの。この世界の外で何かが起こっているとしか思えません…。お前達の絆は国一番です…。そして若いのです。絆深きものの男、そして女。お前達の絆がこの食料難を救うのです。どうかガントよ、レイカを導き、この世界に希望をもたらしておくれ…。」
ガントはうなだれ、しばらくした後レイカの顔を見つめ、レイカに一度うなずき、ゆっくりと口を開きました「レイカとこの国の人々を愛しています。私は弱い男かも知れません、しかしレイカと一緒ならば…。」
そしてガントとレイカは顔を見合わせてまた頷きました。
さて、この国の女王、代々名前をクーエンゾー(久遠続)と名乗ります。
92代目のこのクーエンゾーはすらっとした体型に羊の皮で出来たマントを身にまとい、その目は少し細くつり上がり、顔の造りは全くの東洋人ですが、その瞳は真っ青なブルーなのでした。
現92代目クーエンゾーの年齢は現在33歳、女系世襲制で、父親は大臣となり、母親は五十歳になると王位を娘に譲ります。
女王の夫になるのは国内で腕力・知能に最も優れた男を選出するキーサン(木選)と言う選挙のような行事で選ばれます。
木の札に推挙する男性の(家紋)を描き投票するのです。
しかし、いまだこの92代目のクーエンゾーには夫がおりません…。
代々キーサンは女王が二十歳の時に行われます。
この92代目クーエンゾーにも相手は決まっていました。すでに10年以上も前に…。
その彼は力は強く、知性にも溢れ、背も高く、顔もりりしい若者でした。
勿論この若者にもミディアによって決められた許嫁がいましたが、国民の推挙によってクーエンゾーの夫として選ばれたからには、結婚していたとしてもミディアによる許嫁制度は反故にされます。ちょっとひどいですね…。
しかし…この92代目クーエンゾーは、どうしてもこの若者を受け入れませんでした…、
それは彼女の心は自分が二十歳のころから常に収穫量の減り続けるパーチの事や、先々代のクーエンゾーから受け継いだ金属片の事、また父と先代の女王の母から聞かされた言葉達が気になって仕方がなかったからだ。
彼女は父や母の言葉を思い出した。
特に、母の言葉はこうでした。
「ナーランダの民は神がこの土地の赤土で作ったと言われている。しかし私の母からあのキラキラした板を受け継いだ時、それを見てお前の祖母はこう言ったのだ…(ナーランダの民はこの世界の壁を越えて外からこの地にやって来たのではないか?)とな。
と言うのも、遥か千年前に文字と言うものがあったが、その存在は勝者と敗者を決定的なものとし、争いを招くものとして忌み嫌われた…それで我々ナーランダの民は文字と言うものを捨てて、今は単純な記号や家紋しかない…。文字は過去に起きた事を伝えるものだそうだ。不思議なものだが、それがどう言うものであったか、私たちには見当がつかない。
その文字と言うものがない今、古い過去を知る術もないのだが…しかし私の祖父から聞いた伝承がある、それによるとあの世界の壁の上方には太く硬い縄があると聴いた…私はお前に受け継いだそのキラキラした板を見て、考えたあげくに、やはりこの世界の外からナーランダの民は来たのではないかと思うのだ。」
この母が語った事は92代目クーエンゾーの胸からいつも離れず、その事ばかりが気になり、自分の婚礼にも全く興味が持てず、ひたすらナーランダの外の空間に思いを馳せるのでした。
現女王は思いました「私があの壁を越えてみたい…、だが昨今パーチの収穫量が減り、この世界の人々が痩せ細って来ているようだ。感染症や病気以外でそのように国民がやせ細っていくことなど今まで聞いた事がない。
この国を統括する私はやはり行けない。国を治め続けなければならない…私以外の強い若者達に委ねる他はない…。
ガントとレイカ…その仲のむつまじさはこの国中の噂になっている。また…男と女の力があり、初めてパーチは実を付けると古来から言われている…。」
そんな思いが現女王から離れず、自分の婚礼の事は全く棚上げなのでした。
現女王の母(91代目クーエンゾー)は引退した後は広いパーチ畑を受け継ぎ、日々農地を耕し、夫の大臣も執務の合間を縫い、もはや「クーエンゾー」では無くなってしまった妻と、黙々と畑を耕します…。
母は適齢期をとうに過ぎた我が娘の事に日々心を痛め、また同時に最大の信頼も娘に感じながら畑を耕し続けています…。ただいつまでも結婚しない娘には、親とすれば複雑でした。
さて、婚礼の数日後に女王はガントとレイカの両親のもとを訪れ、彼らの艱難辛苦となる任務を伝えに行きました。
その引き換え条件は彼らがナーランダの外に行き、そこに空間・土地があったにせよ、なかったにせよ、彼らが外界を確認して帰ってくれば、農地を与えると言うものでした。
ガントとレイカの両親にはたいした広さの農地はありませんでした。そして女王の申し入れに深く悩みました。それぞれの両親は数日話し合い。結果ガントとレイカを旅立たせる事を了承しました。
それから半月、ガントとレイカは宮殿に通いました。
誰も登った事のないあの壁をどのように越えるか…?。大臣二人、そのうちの一人は女王の父、そして女王、ガントとレイカの五人でさまざまな方法が議論されます。
その結果、このナーランダに豊富にある石を削り、クサビにします。またカリムチ(煎餅のようなお菓子)の原料になる杉科の植物の枯れた茎を編んだ縄を作ることになりました。
女王の父である大臣が言いました「ガントよ良く聞け。あの壁のもとに着いたならば、そなたとレイカをこの縄で腰と腰とをしっかりと結び付けるのです。
そしてガントはこの石のクサビを袋に入れて行くのです、このクサビは三百本以上はあるだろうか…多いのか少ないのかはわからぬ…。何しろ誰も行った事がないのだからな。
これ以上の本数は重くなり過ぎて持ち運べまい…ただでさえ多くの食料と水を背負ってゆかねばならぬのだからな…。クサビとこの石槌を使い、あの壁にクサビを打ち付け、足場をつくり、少しづつ登るのだ。決してレイカとの縄がほどける事なく登るのだぞ。」と。
そのまた半月後、女王は国民を宮殿前の広場に集めました。
その日ナーランダには珍しい、晴れた日でした。
女王は良く通り、高らかな声で国民に叫びます。
「この者たち、ガントとレイカはこれから世界の壁を越えに行く!。」
国民からはどよめきが起こります。
女王は続けます「前の年に比べ、パーチの収穫量は半分にも満たなくなった!。その原因は、わが世界が少しずつ暖かくなりつつあるからだ。
それはもう全て国民の誰もが知るところである。
カリムチは栄養も少なく主食にはならん。
羊もとても貴重だ。肉を食すのは年に一度の婚礼の時のみである。
それ以上羊を食せば、数ヵ月で羊はその姿を消すであろう…。
ガントとレイカに壁を登らせ、新しい世界があるか確認をさせ、さらにはパーチに替わる植物を探しに行かせることを決めた。若く、そして絆深く強靭な夫婦に私は全てを託することとした!」。
誰一人女王の言葉に反論する者はいませんでした。
直径約6キロのナーランダの端、世界の壁を目の前にして、パーチやその他の食料、水の入った羊の皮袋はレイカが背負い、ガントは石のクサビの入った羊皮の袋を背負いっています。
夕焼けのような茜色をした朝焼けのもとに二人の姿がありました。
ガントはレイカに「行くよ…!」とつぶやきました。
朝焼けのなか、レイカは「うん!……」と不安なのか、力強いのか分からない声で答えました。
ガントは先ず、自分の身長よりも40センチほど上方の「世界の壁」に最初のクサビを打ち込みました。
コーン、コーンと心地の良い音がして、クサビは打ち込まれました。
世界の壁は硬い地層で出来ています。
そして初めての一歩を踏み出しました。
クサビの足場だけではなく、壁のくぼみなどを使い、数分で5メートル程登る事ができました。レイカもガントに続きます。
ガントは「これなら結構早く上までいけるかも知れないね。」
下方のレイカは「油断しちゃだめだよ。誰もこの壁の事を知らないんだから。」
ガントは「僕はこう見えても力は結構あるんだぜ、知ってるだろ?この調子でさっさと済ませよう…」とガントが言った瞬間、クサビはぐらつき、ボソッと音をたて抜け落ちました!。
縄で繋がれた二人はそのまま地面に叩きつけられてまいしました。
レイカは「いった~、もう傷だらけよ!、ガントのせいよ!」と言いました。
そしてガント、ガント!と叫びましたが彼の返事がありません。しかし横を向くと、ガントは右足を両手で抑え、「痛いよ~、痛いよ~!」と半べそをかいていました。
…捻挫です…。レイカは擦り傷だけでしたが、ガントはビッコを引くようにしか歩けません…。
ガントはレイカに支えられ、3キロ先の宮殿に戻るしかありませんでした…。
その道中、ガントは「一人で歩けるからほっといてくれ!」と言いますが、二三歩あるくとバランスを崩して転倒してしまいます。
レイカは「も~、ちっとも大丈夫じゃないんだから…」と言ってガントの肩を支えました。
数時間かけてやっと宮殿にたどり着いた二人を、また女王が迎えました。
女王は笑っていました。
「そんなに簡単なものでは無いことは私達にも分かっていました…。なにしろ私達にも登り方については一切分からないのですから。」
ガントは「も~、笑わないで下さいよ!クーエンゾー様!」と言いました。
そして女王は召使いを二人呼び寄せ、二人の傷を調べました。そして女王は二人に言いました。
「レイカよ、そなたの傷は数日で完治します。しかしガントよ、そなたの傷が治るのは20日程かかるようですね。
確かにナーランダの危機は迫っているが、養生している間、もう一度大臣達と話し合いなさい。そして何度でもあの壁に立ち向って行くのです。」
ガント達の最初の登頂が失敗した事は国民には内緒にされました。
ガントの捻挫が治るまでの間、彼は二人の大臣とまた議論を重ねました、そこでガムランエ(我村営)と言う大臣が言いました。「クサビが抜けたのは先端が尖っていただけで、(返し)がなかったからではないのかな?。小さな時にポトス(歩十水)の池で釣りをしたのを覚えておるか?、その魚の骨で出来た釣り針の先端は尖っており、そして鍵形の返しがあったではないか。このクサビにも返しを施すのがよかろう。」と。
召使いと、大臣、そして両手には何不自由のないガントがひと月をかけ、持って行くクサビに返しを堀込む作業が続きました。
……二回目のガントとレイカの登頂が再会されました。
ガントの足もすっかり良くなりました。
先月のガントとは違い、何も言わず彼はひたすら返しのついたクサビを打ち込み、黙々と登ります…。
400メートルほど登ると、周囲の空気は冷たくなり始め、風もさらに強くなりました。
二人の体は、疲労と寒さで普段の敏鋭さを欠いて来ていました。
薄い霧が辺りを包み、それが一瞬晴れ、下を見ると、二人の目にナーランダの集落が小さく見えました。
そしてレイカは言います「うわ~!なんて景色なの?こんなの初めて!」
ガントは「す、すごい・・・こんな景色を見るのはきっと僕らが初めてだよ!ナーランダってあんなんだったんだ・・・」
その時でした。強風が吹き、レイカはバランスを崩しました。
レイカは足を滑らせ、落下しました!。
「レイカー!」ガントは叫び、レイカの腰に結びつけた縄をぐっと引きました。
ビーン!と縄は引っ張られました。
レイカは完全に宙ぶらりんになりました。レイカはガントを信じる他ありません。
ガントの手のひらは縄を引っ張った摩擦で血が滲みました。
それでもガントは両手に渾身の力を込め、レイカを引き上げました。
引き上げられたレイカは、気を失いそうになりながら、「気を付けるね・・・」と言いました。
ガントは傷ついた右手に布を巻きつけながら、「しっかりね!」と、レイカに声をかけました。
それからもまた二人は登って行きます。
レイカも黙ってガントが打ち込んだクサビを踏みしめ、彼の後につづきます。
そして休みを入れながら10時間ほど経った時、ガントの羊の皮袋に一本もクサビが無いことに彼は気付きました。
彼の額には大粒の冷や汗がにじんでいました。
ガントはレイカにそおっとした声で語りかけました。
「えっと…ここら辺で打ち込んだクサビを辿って宮殿に帰らないかい…?。」と。
レイカは「何言ってるの!。頂上までもう少しじゃない!今度はクーエンゾー様だって笑って許してはくれないのよ!なに甘ったれた事言ってるのよ!。」と言いました。
ガントは消え入るような声で「クサビがもう無いんだ…。」と囁きました。
レイカは「え?。何て言ったの?クサビがどうしたの?。」と聞きました。
しばらく無言のガントに、再びレイカは大声で言います。「クサビがなに~?!。」と。
ガントも今度は大声で言いました。「クサビが無くなったんだよー!。降りるしかないんだよ!。」と。
レイカも無言になり、数十秒の沈黙が彼らを襲いました。
…しばらくほおけて、放心状態のレイカの目に、ガントの1メートル程上方に鈍い光を放つ、錆びた金属の縄のような物が見えました。
それは古代の中国人が国を追われ、このナーランダのカルデラに降りるために使った太くて錆びた鎖の一部でした。
レイカは「ガント!あ…、あれ!」。
とガントの上方を指差しました。
ガントが素早く上方を見ると、ガントの目にもその錆びた太い鎖が飛び込んできました。
レイカは「あそこまで何とか近づくのよー!!あの太い縄を伝えばきっと頂上よ~!。
クーエンゾー様の父上がおっしゃっていた太い縄に違いないわ!」。
ガントは身動ぎ一つしません。
そしてガントは言いました「そうかも知れないけど、クサビもないのにどうやってあの縄に掴まるんだよ~。そりゃ少し上に見えるけど、クサビが無きゃ近づけないよぉ~。」と。
レイカもしばらく黙りこみましたが「壁の窪みに手を掛けるの。そしたらすぐでしょ!」と言いました。
ガントは「壁の窪みに?。片腕で僕とレイカの体重を支えるのか?、クサビはもうないから、落ちたら死んじゃうよ」と言いました。
レイカは少し間を置き、「あんた!それでも男なの!。ナーランダの人々や女王に信頼されたんじゃないの!」とこわばった表情で叫びました。
ガントはレイカのそんな表情を見たのは初めてでした。
ガントは「どーにでもなれぇ~!。レイカは可愛い娘だと思っていたのに…、生き甲斐なんてあるものか~!。」と思い、馬鹿力で壁の窪みに片手をかけて、「固く太い縄」をしっかり掴みました。
固く太い縄はとても掴みやすく、足掛けもついており、数分で頂上にたどり着きました。
そこで立ち上がった彼らに雪の混じった一迅の風が吹き、目をふさぎます。ガントはゆっくりと目をあけると……そこは真っ白な空間でした。
次回へ。
レイカは吹きすさぶ白い風の中、目の上に手でひさしを作り
「…真っ白…やっぱり…ナーランダしかこの世界はなかったのね…」
と力無く呟きました。
ガントは目をこらしていました。
すると、もう一度強い風が吹き、辺りの「白」を吹き飛ばしました…「白」は「霧」なのでした。
するとガント達の前に、スーッと青い色が広がりました。…そこには青い空、そして雲、そして広大な斜面を覆う雪原が広がりました。
二人はしばし呆然としていました…。
レイカは「なんて広い空なの…!?。私達が見ていた空は丸い空だったのに、この空はどこからが始まりでどこまでが終わりか分からない…。」
ガントは、「…ナーランダの外にも、雪があったんだ…、空も、雲も…。」
そして二人は肩を落としました…。
それはナーランダの外には宇宙がある事を認識してしまったからでした…。
これから始まる「パーチに替わる穀物を探す」と言うナーランダの国民の誰もが想像もつかない使命を為さなければならないのでしたから…。
ナーランダの外に宇宙がなければ、彼らは途中で引き帰す事が出来たのでしたから…。
しかし新しい穀物を見つけなければナーランダは滅びるしかありません…。
前に進むしか無いのです。
愕然とした気持ちでガントは言います。
「行こう…レイカ…」。レイカは「うん…」と言い、ガントの後に続き、初めての「世界」の雪に第一歩を踏みだしました。
ざくっ、ざくっ。と音をたてて、厚い毛皮を身にまとい、杉の繊維で編んだ帽子を被った二人は、しっかりと手をつなぎ、雪の斜面を降りて行きます。
ざくっ、ざくっ…。
二人に言葉はありません…。
しばらく二人は無言で歩きます。
ガントは切り立った崖に近づいた時「ここから先は危険だね。ここで座って少し休もうか?」。と言いました。
…レイカの返事がありません。
レイカはふらふらしながらようやくそこ立っています。
「レイカ…?レイカどうした!」
ふらついたレイカはバランスを崩し、倒れ込みました。その瞬間レイカの手がガントから離れました。
レイカの体は雪一面に覆われた断崖を転げ落ちて行きます…。レイカが転がるたび、白雪が粉のように巻きあがります。
ガントは「レイカー!レイカー!」と叫びました。
次の瞬間、ガントも意識が遠のくのを感じました。
二人は高山病でした。
ナーランダのカルデラには、パーチ、杉科の植物、高山植物、針葉樹、その他の雑草が生い茂り、光合成を行い酸素は豊富でした。
しかしガント達が歩いていた高山の酸素は極端に少ないのです。
…この山は天山山脈。
中国とキルギスを分かつ大山脈でした。この山脈の遥か上方にナーランダは位地していたのでした。
二人の体は雪原を転げ落ちて行きました。
その夜、倒れ込んでいたガントは余りの寒さに身を起こしました。
ここはどこだ…?。
はっと気が付きます。
「…レイカ?レイカはどこだ?」
ガントは暗くなった辺りを見渡し叫びました「レイカー!レイカー!」。
ガントの声は木霊となり虚しく山々に吸い込まれて行きました。
ガントは必死で辺りを駆け巡りレイカを探します。
…しかしレイカの姿は全く見当たりません…。
さすがにガントの体は疲れきっていました。
世界の壁を10時間以上かけて登った事、ナーランダだけが世界では無いことに気が付いてしまった事、高山病になった事。
ガントは限界でした…。眠けに襲われたガントはそのままへなへなとその場に倒れました。
そして、まどろんで行きます…。
どのぐらい経った時でしょう。ガントは頬に微かな温もりを感じてうっすらと目を開けました。
「パチパチッ、パチパチッ」と火の燃える音がします。
温かい…ガントは感じました。そして声がします…「ガント、ガント!」。
彼の目に顔に擦り傷を作ったレイカの姿が見えました。
レイカは「やっと気が付いた…。あのまま寝てたら寒さで凍え死んでたよ。」
レイカ達はずいぶん下に転がり落ちました。
そこは頂上より雪も少なく、閑散とした所でした。
「レイカ、お前こそなんで…。」
「えへッ、食料や火を付ける道具は私が背負っていたから。
さっき羊のチーズも結構食べちゃった!。周りを見たら枯れ枝なんかが結構沢山あって火をつけたったてわけ!。
ガントを探すのに大変だったんだから」
「それはこっちのセリフだよ…、チーズ食べちゃったの?あれが一番美味しいから大事に食べようって言ってたのに~」とガント。
「だって美味しいんだもん」とレイカ。
二人は笑いました。
若者って強いものですね。
こんな時に笑ってるんですから。
そしてガント「僕のぶんもあるだろ?」
「あるよ。ほら…」と、レイカ
「もうこんなに無くなっちゃてるの?(もぐもぐ)旨いなぁ~」
「あっ、だめ!無くなっちゃう!」
「レイカが沢山食べるからだろ」
こんな会話をしながら、焚き火のなか、夜は更けて行きました。
次の朝ガント達はさらに天山山脈を降りて行きました。
さらに傾斜は緩やかになって行きます。二人は何度か野宿を行いました。
そうして、歩みを進めて行きます。
数日後、ガント達の目の前にドーム形の建物が見えました。「なんだろ?あれ」とガントはレイカに囁きます。
レイカは「しっ!……人だわ、人よ。見た事も無い服着てる!」
ガントが目にしたのは「カラサイ」の部族達でした。天山山脈に最も近い集落です。
彼らの顔は少し黒いのですが、ロシア人のような顔の女性、白く長いヒゲを伸ばした東洋人のような老人。様々な人々がいます。
ガントは「話をして見よう…」と言いました。レイカは「…でも、見た目は人間でも何をされるか分からないわ…」ガントは「でも、パーチの替わりの食料を知っているかもしれないよ」と言いました。
二人は恐る恐る、カラサイの部落に近づいて行きました。
洗濯物を干している女性にゆっくりとガントは近づきます。
はっと、その女性はガント達を見ました。
女性は驚きました。
女性は羊の皮を体にまとい、藁のような帽子を被ったガント達を見るのは初めてだったからです。
ガントは話かけました。
「ここは何処ですか?。パーチの替わりになる食べ物を探しているんです。」と。
女性から返って来た言葉は、ガント達には全く理解できない早口のものでした。
その響きは妙に強く、冷たく、驚きが込められていました。
ロシアの民族学者。ニコライ・プルジェリスキー博士は大学の研究室で昼食後のコーヒーをゆっくりと飲んでいます。
彼は今年で60歳になりました。
テレビでは北朝鮮を巡る6カ国協議の話題や、テロによりイラクでまた米軍兵とイラク市民の多くの命が落とされたと言うニュースを放映しています。
ニコライは「…またか…」。と呟き、白くなった短い顎ヒゲをなでました。
そして「こんな報道が毎日のようにされると、いい加減、僕の常識も揺らぎかねないな…」と思いました。
すこし嫌な気分になり、テレビを消そうとしたその時、電話が鳴りました、ニコライは机の上の電話をとりました。
相手はカラサイに近い小都市カラコルからのものです。
「もしもし。先生お久しぶりです。カリディンです、カリディン・アマクタリーですよ」
「お~!。久しぶりだねぇ、どうしたんだね急に」
「実はカラサイの知人のガイドから連絡がありまして、見た事もない装束で、我々の知らない言葉を話す男女二人が突然カラサイの村に現れたらしいんです。」
「…本当かね?。崑崙山脈、天山山脈の部族については全て調査が終了しているだろ?。
衛生写真にも我々の知らない集落は全く写っていなかったじゃないか?。」
「私も新たな民族の話を聞くのは初めてですが、カラサイのガイドは確かにどこの言葉か分からないし、その装束も見た事が無いと言うんです。
実は私もこれからカラサイに向かおうとしているんです。
何しろ彼らは必死で分からない言葉をしゃべるのですが、かなり怯えていて、もと来た天山山脈に今にも引き返してしまうかも知れないそうなんですよ…」
「カラサイの更に上方へ…?。
分かった…。ガイドになんとかその二人を引き止めるよう伝えてくれ、私も明日カラサイに向かうよ。」
そしてニコライは思いました。「まさかな…最近じゃ変な輩が増えている、何が目的かは分からないが、愉快犯かも知れない。
しかし…天山山脈に新たな民族が本当に居たとすると…。」
博士の胸は踊りました。
次の日、博士は飛行機にてキルギスのビシュケク空港へ向かいます。
首都ビシュケクからカラコルまではジープの旅になります。
壮大な天山山脈が近づき、辺りには遊牧民族のテントが散らばっています。
カラコルは高山に位地していますが、整然と区画された都市で、ホテル、食堂も充実していました。
博士がカラコルに到着すると、早速カリディン・アマクタリーが笑顔で迎えてくれました。「博士!お久しぶりです。」
カリディンは地元の民族研究家で、博士の大学の元教え子なのでした。
「長旅お疲れ様でした、今日の所はホテルでゆっくり休んで下さい。明日カラサイに向かいましょう。」
「ありがとう。所で例の二人はまだ消えてはおらんだろうな?。」
「はい、ガイドがカラサイ部族のテントに招き入れて、炊いた米や羊の肉、フルーツなどを振る舞った所、彼らはとても良く食べ、言葉こそ通じませんが、上機嫌でいるそうですよ。」と笑いました。
そしてカリディンは「彼らはまだ少年と少女のようです。」
と言いました。
博士は「少年と少女かね…?。」と言い、不思議そうに顔をしかめました。
その夜カラコルの食堂で、博士とカリディンは語り合いました。
カリディンは「私は兼ねてから考えていたのです。2500年程前に戦に破れ、北方に消えた四千人程の古いロシア民族の事を…。
彼らの消息を示す文献が無いのです…。もはや民間伝承のみが残っています。」
「…そうか、古代ロシア民族か…。私が考えていたのも、やはり2500年程前の中国春秋戦国時代以前に北方に消えた中国北西部の民の事なのだが…それも同じように民間伝承は残っているが、詳しい文献を私も知らないのだ…。」
カリディンは「もしかすると…。
いや、私もその少年達をこの目で見るまでは何とも…しかしカラサイよりも高山から降りて来た事は事実のようです…。
カラサイの若者が遥か上方から手をつなぎ、カラサイへ降りて来る少年達の姿を目撃していますよ。」
そんないつ終わるともない話をしながら。食事を終えて、彼らはホテルに戻りました。
夜が更け、博士は酔いざましにホテルの窓辺にたたずみ、カラコルの乾いた風を浴びました…。
月明かりに天山山脈の稜線が幻の様に浮き上がっていました。
次の日博士達はやはりジープでカラサイを目指します。
もう点在する遊牧民のテントもまばらになってゆきます。
西側には大変大きな湖、イシククル湖が見えています。
何時間かした後、ジープはカラサイにたどり着きました。
カリディンの知り合いのガイドが迎えてくれました。
乾いたカラサイの地にはまだ所々雪が残っています。
二人は村で一番大きなテントの前に案内されました。
テントの周りには数十人の人だかりが出来ています。
ガイドが何やら叫ぶと、人だかりは博士とカリディンを通すため、道を開けました。
身をかがめ、ゆっくりと博士はテントに入りました。
ニコライがテントに入ると、そこには色黒で少し痩せて、顔の作りは少しロシア系、しかもその瞳は深く黒光り、澄みわたっている少年が羊の肉を頬張っていました。
そしてその左側には、丸顔で、背は低く、しかしながら端正な顔立ちで、その瞳はブルー…まだ少女と覚しき女の子ですが、ニコライの目から見てもとても可愛いらしい娘が羊のチーズを食べています。
彼らは食事の手を止めてニコライを見つめて少し身構えました。
ニコライはカラサイの人々とは違う、ジーンズをはいて、その上にポロシャツ、その上に厚手の化学繊維で出来た茶色のコートを着ていたからでした。
ガントとレイカはカラサイの人々の装束にようやく慣れた所へ、また見た事もないいで立ちのニコライ達を呆気に取られように見つめています。
ニコライはゆっくりと微笑み、ペットボトルに入れてきた牛の乳を彼らに見せて、キャップをひねり、ゆっくりとカラサイ族の2つのカップに注ぎ、それを少年と少女にゆっくりと差し出して深々と頭を下げました…。
ガントはレイカに「…また珍しい人が来たよ、でもこの乳を飲めって言ってる見たいだね…これは羊の乳とは少し違うようだね。」(ごくっ)と恐る恐るガントは一口飲みました。
「レイカ!これは美味しいよ!なんてすっきりしてコクのある乳なんだ!」。
レイカも恐る恐る一口飲みました。
「甘~い!。これ美味しい!。でもこれって羊の乳じゃないね?。だって羊の乳はもっと濃くて、匂いがあるわ…こんなの初めて…でも少し水っぽいかな?」。
二人のやり取りを見ていたニコライは思いました…。 言葉の端々に断片的にロシアと中国のそれぞれの名詞に似た単語が出てくる…
それ以外の動詞や接続詞は全く分からないが…と。
ニコライは用意してきたスケッチブックとマジックを取りだし、
天山山脈を描き、その絵を指差してから、本物の天山山脈の方角を指差し、そしてガントとレイカを指さし、このテントを指差しました。
レイカは「あの絵は何かしら?きっと私達が降りてきた大きな岡じゃないかしら?ナーランダを下り、ここへ来たのか?って聞いてるんじゃないかしら?。」
ガントとレイカは山と言うものの認識がありませんでした。ナーランダには低いなだらかな岡しかないのですから…。
ガントは「そう見たいだね。」と言い、ニコライに何度も頷きました。
次の瞬間、カリディン・アマクタリーがデジタルカメラのシャッターを切り、強烈なフラッシュがガントとレイカに浴びせられました。
ガントとレイカは両手で眼を覆い、悲鳴をあげました。
ニコライは「カリディン!今は止めるんだ!。彼らが怯えている!」。
直ぐ様ニコライはカリディンの手からデジタルカメラを取り上げて、ガントとレイカに頭をさげました。
ガントとレイカはそんなニコライの様子を見て、少し落ち着きをとり戻しました。
そしてニコライはまたスケッチブックに描かれた天山山脈を指さし、そして、そのいくつかの場所を指差し、またガントとレイカを指差しました。
ガントは、「この絵の何処から僕らがきたのか聞いてる見たいだね。この辺かな?」とレイカに言いました。
ガントは描かれた天山山脈の南東を指差し、さらに指を空の方へ差しました。
ニコライはカリディンに「天山山脈のかなり上方から来たと言っているようだ…まさか…。あの辺りは酸素濃度が薄く、平均気温はマイナス0度以下だぞ…そんな地点に人が集落を造れるはずが無いし、食べ物も無いはずだ。」
カリディンは「確かに…。」と答ました。
しかしカルデラ内のナーランダの平均気温は年間通して15℃前後。カルデラによる内陸性気候と。ナーランダの地下は死火山ではありますが、近隣の活火山の地熱の恩恵に預かっているのでした。ナーランダには温泉も数多くありました。
ガントはレイカに「この人達はなんだろう?。でもどうやら僕達がどこから来たのか絵を描いてくれて、僕たちの言っている事を絵で聞いて分かってくれているみたいだ…きっと賢いなん人だよ!。」
レイカも「そう見たい…あの乳も美味しいし…」。
ガントは笑いました「レイカは相変わらずだね。
パーチの事を聞いてみよう。あの人なら何か知っているかもしれない…とにかくあの絵を描く道具を借りてみよう…」と言いました。
そしてガントはニコライにマジックを貸してくれと言う仕草をしました。
カリディンは「彼らが何か描こうとしています!」と少し強い調子で言いました。
ニコライはゆっくりマジックをガントに渡しました。
ガントはこれは墨炭かな?。と思いました。
ナーランダは絵を描く時にはスータンと言う針葉樹の炭で出来たクレヨンのようなものを使います。
そしてガントは(なんて不思議な描き心地なんだ…でも変な匂いがする…臭い…。)と思いながらパーチの絵をゆっくり時間をかけて細かく描き、その絵をしきりに指差しました。 変な匂いとはマジックのシンナーの匂いです。
博士はその絵を見て思いました。植物のようだが…麦か…それともその他の穀類か?と。
茎の部分は見た事があるが、先端の実の部分は見た事がない…。
博士が首をかしげて顔をしかめていると。
ガントはレイカに「全体像を分かってもらうために茎と実の全体を描いてみたけど、どうも伝わらないみたいだね、レイカ、羊の皮袋からパーチの実を出して、このおじさんに見せて見よう!。」
レイカは袋から精製したパーチの実を博士に渡しました。
博士はパーチの実を手に取り思いました。「やはり麦の仲間の穀類のようだ…、穀類についても全ての部族の調査は終えている…この穀物は新種かも知れない」と。
そしてガントはこのパーチの実を右手で何粒か手に取り、左手の親指と人差し指を近づけて「少ない」と言う動作をしてから頭を抱えて「困っている」と言う動作をしました。
…しかし、いまだ博士はガントが何を言わんとしているのか分かりません…。
ニコライはカリディンに「やはり何が言いたいのか分からないな…。何か特別な事情があるみたいだが…」
と言いました。
カリディンは言いました「博士、彼らの言葉をボイスレコーダーに収めましょう」と。
「うむ…録音を開始してくれ。」
それから一時間半程、ニコライは、何かを訴えようとしているガントとレイカに、またスケッチブックとマジックを使いながらコミュニケーションを取りました。
二人は博士が書いた絵や、彼のジェスチャーを見ながら、早口でしゃべり続けました。
ガントはレイカに「…どうやらこのおじさんは悪い人じゃなさそうだよ…」と言い。
「私もそう思う…」レイカもささやきました。
彼らの見立ては間違ってはいませんが、博士以外の人々はそうでもない事は現代人の皆さんはすでにご承知の事と思います。
ナーランダの国民性は、おしなべて温厚で、人を疑うことをあまり知りません。なにしろ二千年以上、世界の潮流を知らず、「井の中の蛙」なのですから。
ナーランダの最初の民族は古代ロシア人と同じく古代中国人合わせておよそ8千人ほどおりましたが、高山のカルデラに着く前に、その七割の人々が寒さと高山病のため、命を落としました。
ロシア民族と中国民族がほぼ時を同じくしてあのカルデラに逃げ来たため、両部族はそこでまた争いを初めました。
混乱は数年にわたり続きました。戦を逃れ、新天地を求めたてやって来たこのカルデラでもまた戦となる…。
この状態に収拾をつけたのは、ごく自然に発生した「協調」でした。
疲れ切った両部族は夫を失い、子を失ってゆきます。
体も弱り、「飢え」が蔓延し、ただひたすら己の主張を通すため、力により相手を滅し、そしてまた味方の数も減ってゆく…。
彼らは生き残るために、ごく自然に「和平」と「協調」を持つようになりました。
この謎のカルデラ「ナーランダ」で生き残る為の自然な成り行き…それはやはり相手を認め、相手の優れた所を学び、また相手が知らない事を優しさを持って教えると言う事しかありませんでした。
結局、生き残るために、そして人間のせつない願いでもある「和平と安らぎ」の道を選ばざるを得なかったのです…。
そうしなければ力と知能に優れた若者たちは、ただその「才」を有益に使う事なく、戦により無駄死にするだけでしたから…。
古代ロシア民族も古代中国民族も、時間はかかりましたが、とても自然に「協調」の道を選んだのです…。
その後、男性の王がしばらくナーランダを統治しましたが、国内が平和を取り戻す程、繊細で慈悲の心の強い「女性の能力」が必要になってきました。
平和なナーランダが始まってから何百年の後には「クーエンゾー」と呼ばれる女性統治者が国民から自然に求められてゆきました。
「平和で豊かな世界は女性が統括する」と言う常識がナーランダに生まれたのでした。
その独自の思想を持ち、二千年余りの歴史があるナーランダの中で育ったガントとレイカはすっかりニコライ博士を信じてしまいました。
ニコライはここで待つようにと、二人の姿をスケッチブックに描き、テントの地面を指差し、両手をゆっくり伸ばし、「長く、長く。」とジェスチャーしました。
そして博士は自分の左手にあるパーチをひたすら右手で指差し笑顔で頷きました。
レイカは「あの人、ここでしばらく待っていろって言ってるのよ。
パーチの事も考えてくれるかも知れない。」
と言いました。
ガントも「ああ…そうだね、少しここに居させてもらおう。ここの人達も良くしてくれるよ。羊の肉をあんなに食べさせてもらった事は始めてだったしね、羊のチーズも、うちのチーズとそっくりな味がするし、ナーランダの外の人達も、ナーランダのようにみんないい人なんだよ!」と。
少し微笑んでからレイカはまた不安な表情を浮かべましたが、持ち前の前向きな性格から「きっとそうね、みんないい人達なのよ。」と答えました。
テントを後にしたニコライ博士の心は踊るばかりでした。
博士は思いました「…あれは未知の民族に違いない。愉快犯にあんな言語は使えまい…。あの言語から察するに、おそらく彼等の起源は古代ロシア系民族と、古代中国系民族が融合した部族に違いない…。
しかし彼等の部落は何故衛星写真にも写っていないのだ…?。もはやこの地球上で見られない地域は無いはずなのだが…。」と。
それはナーランダの上空は北方からの冷たい風と、南方からの少し暖かい風が合流する地帯で、常に霧や雲が発生し、晴れる日も少ないため、衛星写真に写る事はまず無いからでした。
ニコライ博士は帰路に着く時、カリディンに「あのガイドに頼んで彼らをもう少しここに留めてはくれないか…?。礼ははずませておこう…。
私はモスクワの大学にもどり、このレコーダーの音声を同じ大学の民族言語に詳しい先生に聞かせるつもりだ。
それからくれぐれも報道機関には知られないようにするのだ…もし知られたらあの少年達はただ面白おかしく書き立てられ、彼らの住む集落もあばかれ、彼らの最後の「楽園」も報道陣によってさらされてしまう…。そして私以外のロシアの研究者やアメリカの科学者によって世界に知らされ、近代文明を教えられ、この世から消えてなくなってしまう可能性もある…。
現代の快楽と欲望にまみれた暮らしを彼らは決して知ってはならないのだ…。そんなものは我々だけで充分だ。」と言いました。
カリディンは「…分かりました…最後の楽園ですか…」と呟きました。
カラサイの村人には博士のポケットマネーが与えられ、ガントとレイカの為の小さなドーム形のテントが用意され、三度の食事が村人から供給されるようになりました。
ガントはレイカに「なんだかとっても楽しい気分だよ!、全てが上手く行ってるよ。
あのおじさんはきっとパーチにかわる植物を持って来てくれるに違いないよ。」
と言いましたが、レイカの表情には不安の色が伺えます。
レイカはポツンと「だといいんだけど…。」と呟きました。
モスクワに帰ったニコライはさっそく同じ大学の民族言語学の講師、ナスターシャ・ラベンスキーにボイスレコーダーの音声を聞かせました。
ナスターシャは「博士にもこの言語はロシア語と中国語が融合したものだって事は分かったでしょ?。」と言いました。
ナスターシャは38才、二年前にこの大学に赴任して来たシングルマザーでした。
「ああ。名詞は少し分かるが、接続詞や動詞はサッパリなんだよ、聞いた事もない発音なんだ。」
ナスターシャは「確かに興味深い言語だわ…。少し時間をちょうだい、一週間ぐらいでなんとか大筋は訳してみるわ。」と言いました。
ニコライはナスターシャにカリディンがフラッシュをたいて写したガントとレイカの写真を見せました。
写真のガントとレイカの表情はこわばっています「彼らなんだよ…」とニコライは言いました。
ナスターシャは「あら!かわいい男の子と女の子だこと…ちょっと緊張してる見たい。でもこの羊の皮の上着、これはどうやって加工したのかしら…?縫い合わせた後が全然見当たらないわ。そしてこの藁で出来てるような帽子…こんな雑な作りのものは天山山脈周辺の部族には見られない…、博士が興味を持つのも当然ね。
私だって今少しドキドキし初めたわ。」
「ナスターシャ、この事は大学やその他の人達には内緒にしてくれ。私はただ彼らが何を求めて山脈を下ったのかそれが知りたいだけなのだ…何やら困っている様子で…、そのレコーダーには私に必死で何かを頼み込んでいる声が入っているとしか思えないのだ…、彼等の透き通った瞳を見ていると、学者としての自分よりも、人間ニコライ・プルジェリスキーとして何かしてやりたくなるのさ…。」
「…また臭い事をおっしゃりますこと。博士は大物の民族学者なのにこんな小さな大学で教鞭をとられている…まぁ、あなたの欲のない思想は多くの学生から慕われてはいるでしょうけど…、奥さんと娘さんのために、嫌な仕事でも生活の為には少しでもこなさないと…!。
来年お嬢さんは大学院に進学されるんでしょ?。」
「…いや、それが私の悪いくせだとは分かっているが、やはり今回出逢ったあの若者二人を見たら、どうにも気になってね…」
「だからってずっと家にも帰らず、学内で寝起きですか?。」
「いや…、」博士はバツが悪そうに微笑みました。
それから10日間、博士は朝から教鞭をとり、昼食の後はお気に入りのコーヒーを楽しみ、世界の不幸なニュースに心を痛め、講義が終わると所蔵の民族学の本や、言語学の本に没頭していました。
「ナスターシャの翻訳が遅いな。」と思っていた矢先、何枚かの原稿を持ったナスターシャが博士の研究室のドアを叩きました。
次回へ。
ノックに気付き、博士はドアを開けました。
ナスターシャは「ごめんなさい、遅くなってしまって。
中国語とロシア語が混ざった言葉だから、すぐに訳せると思ったんだけど、以外に手間取ったわ。
でも大筋はわかったの。」と言いました。
博士は「そうか、さっそく聞かせてくれないか?。」と言い、ナスターシャを椅子にいざない、博士のお気に入りのコーヒーを来客用のカップに注ぎ、ナスターシャに手渡しました。
「ありがとう。」と彼女は言って熱いコーヒーをふうふうと息を二回吹きかけ、ひと口すすり、ゆっくり説明を初めました。
「彼らの音声には頻繁にナーランダという言葉が出るくるの。
どうやら彼らはナーランダと呼ばれる土地から来たみたいなの。」
「ナーランダ?」
「そう、その地名に中国の漢字をあてはめると(内陸土)または(無乱土)ってところかしら…?。
彼らは私達のような外国人、文明を全く知らないみたい。
そして彼らは今、食糧難を迎えているみたいなの。パーチって言葉も良く出てくるけど、きっとそのパーチが彼らの主食ね…。
かなりパーチの収穫量が落ちてるって言ってたわ。
ナーランダから旅立ち、新しい食糧を探しに来たのね。」
「そうか…、あの麦が彼らの主食パーチか…。」
と、つぶやき、彼は机の引き出しからあの麦のようなパーチを取りだし。
「これがそのパーチだな…。」
と言って何十粒かのパーチをテーブルにそっと並べました。
ナスターシャはそれを見て「ただの麦でしょ?」と言いました。
「いや、こんなに大きな実を付ける麦は無いよ。
おそらく新種の麦だな。」
「…何もかも新しい事づくめね。」と彼女は言いました。
博士は「その他は?」とナスターシャに尋ねました。
「そうねぇ…彼らは一刻も早く新しい食糧を見つけてナーランダに帰りたいって事、後はここは食べ物が美味しい、沢山あるって。
まぁこんなところかしら?。全部訳すにはもう少し時間を頂戴、娘の事も心配なの…。」
「そうか、娘さんはいくつになったのかな?。」
「もう17よ。独り暮らししたいって言ってるわ…だから余計心配なの。最近彼氏が出来たみたいだし…。
あっもうこんな時間!コーヒーありがとね。」
「ああ、」
ナスターシャはドアを開け、帰って行きました。
ニコライは思いました。「このパーチももう少し調べなければならないな」と。
次の日、講義が終わるとニコライはモスクワの図書館で、穀類、麦、高山植物についての専門書を読み漁りました。
そこで分かった幾つかの事は、このパーチは人口的に改良されたものだと言う事、高山や寒冷地帯でも大粒の実を付けるように人の手が加えられている事、また温暖過ぎる気候では上手く育成しない事、ある程度の寒さがあって初めて太った実を付ける事、少ない日照量でも生育する事、何らかの高山植物が交配されている事などでした。
博士は思いました。「彼らは以外に文化レベルが高いようだ…。
おかしい…、天山山脈のどこにそんな所があるんだ…?と
それらをあの少年達に聞いてみるしかないな…。
やはりナスターシャにカラサイまで同行してもらうしかないか…。
あと…このパーチの収穫量が減っているようだな、まぁその答えは簡単だな…地球温暖化か…。
それがあの幼なさの残る少年少女と出逢えるきっかけになったとは…皮肉なものだ…。
と思いました。
4日後。ニコライは構内のナターシャの研究室のドアをノックしました。
「あら博士、お早うございます。」
そう言うとナスターシャは研究室にニコライ博士を導き招きました。
テーブルの上には写真立てがあり、その中ではあのナーランダの少女と同い年ぐらいの娘が微笑んでいる写真がありました。
ナスターシャは良くニコライの研究室を訪れるのですが、ニコライはナスターシャの研究室に入るのは初めてでした。
そして彼は「これが娘さんかね?」と聞きました。
「ええ、心配の種ですわ。
初めてですわね、博士が私の研究室に来るのは…?」
「いや、実はまた君に頼みに来たんだ…。僕と一緒にカラサイに行ってくれないか?。」
ナスターシャは余り驚きもせず。
「そう来ると思ってましたよ。
あの少年達の言葉の翻訳も結構進みましたよ。…ただ娘を独りには出来ないのよ…」と言いました。
「その事なんだが、娘さんも一緒にどうかね?学校も休みに入るだろ?」
「リディアを?」
「そう…いい旅行にもなるぞ、親子のコミュニケーションをとる為にな、旅費は私が出そう。」
「あなたの娘さんも進学でしょ?お金が掛かるんじゃないの?」
「僕が昔出した本の印税と大学の給料で娘にはそれなりの蓄えがあるんだよ」
「うーん…。私はあの少年達の話をもう少し聞きてみたいけど、リディアに聞いてからにするわ。それでいい?。」
「ああ勿論だよ、同い年くらいの娘さんが居た方が彼らとのコミュニケーションもスムーズに行くと思うし。」
「分かったわ、なんとかリディアを連れてだして見る。」
「ありがとう。」と言い、ニコライは彼女の研究室から退室しました。
次の日、ナスターシャ親子は同行を了承しました。以外にもリディアはすんなりと同行を了承しました。
ナスターシャは言いました。「リヂィア、彼氏と別れたんだって…」。
その夜ニコライは妻のイザベラに「またカラサイに言ってくるよ。」
と言いました。
イザベラは「…またですか?少しはアンのそばに居て上げてくださいな。進学が近いのよ。」と表情を雲らせました。
「なぁに心配ないさ、最近パパとはあまり一緒に居たくない見たいだし。ま、完全に嫌わちゃいないだろうけどね、家族だからね。」
イザベラは優しく微笑み「あなたっていつまで経っても変わらない人ね、支度は私がしておくわ、それからお薬もね。」
51才のニコライは血圧の薬を飲んでいたのでした。
ニコライはイザベラの額に軽く口づけをしてから、久しぶりの我が家のベッドで眠りました。
その3日後、ニコライとナスターシャ、そしてリディアはカラサイへと旅立ちました。
次回へ。
リディアは活発な女の子で、長い髪を後ろで束ね、その上に牛皮のジャンパーを羽織り、足にはヒールの高いロングブーツを履いています。
キルギスは今5月。それでもかなり肌寒いのです。
空は高く、青く澄みきって、その高い空の下方には雄大な天山山脈が威風堂々と座り込んでいました。
カラサイへと向かうワゴン車の中で、リディアはそんな天山山脈には見向きもせずに、運転手に「ねぇねぇ、これかけてよ!」とカセットテープを手渡しました。
響いて来た音楽はメタリカのアルバム「メタルジャスティス」。
ナスターシャは「なにこれ!?うるさくて落ち着かないわ。」と幾分大きな声で言います。
「あら、彼等はママの好きなクラッシック楽団とも共演してるのよ、知らなかったの?」
ナスターシャは「まさか?…」と。
ニコライは言います「自由化してからの音楽は良く分からんが…こうして聞いてみると彼等の音楽の背景にあるのはクラッシックみたいだね。」と。
「さすがおじ様!分かってる~!」
「こらリディア!おじ様じゃなくてニコライ博士でしょ!」とリディア。
ニコライは「おじ様の方が僕はいいかな。」と言いい、恥ずかしそうに笑いました。
「きゃー!おじ様!やっぱ話がわっかるぅ~。」
リディアは日本にもよく居るような少女達と同じく、ポップスやロックのファンで、革新的で斬新な男性を好む少女です。
だが、先日モスクワのアマチュアパンクバンドのメンバーとは別れたばかりでした。
そんな心境の中、母親から誘われた今回のカラサイ行きを快諾したのでした。
とにかく次の刺激が欲しかったようなのです…今は弾けたい年頃なのでした。
そんな会話をしながら、長い道のりを終え、博士達はカラサイの部落に到着しました。
博士は(まだ彼等は居てくれているだろうか…?)と思いましたが、そんな心配をよそに、博士達のジープの音が響くと小さなテントからガントとレイカが顔を出しました。
博士はガントとレイカに手を振ります。
ガント達も笑顔です。
ガント達にゆっくり近づいたニコライは優しい笑顔でガントとレイカの手を握りました。
ガント達も博士の手を握ります。
レイカは「…良かった、来てくれたのね、何日も経ってたから心配してたの。」とガントに言いました。
ガントは「僕はきっと来てくれると思ってたさ!」と言いました。
そしてガントとレイカは顔を見合わせて、軽く微笑み合いました。
そして博士はナスターシャに「さぁ、彼らだよ。挨拶をしてくれないか?」と言いました。
ナスターシャはまだ片言のナーランダ語で
「初めまして・私達・ナスターシャ・リディア」と言いました。
ガント達はまだ聞き取りにくいリディアの言葉を理解しました。
「僕達の言葉をしゃべってる!」ガントは言いました。
「本当…ここにも私達の言葉を分かる人がいるのね」とレイカ。
そして「僕の名前はガント、17歳です」レイカも「私はレイカ、私も17歳です」と答えました。
ナスターシャは「男の子の名前はガント、女の子はレイカって名前みたい、二人とも17歳よ。」ニコライにいいました。
リディアは「あら!私と同い年!。」と言いました。
博士は「ガント、レイカ」と言って、自分を指差し「ニコライ、ニコライ」と言いました。
ガントとレイカも「ニコライ…」と言い、博士の名前を初めて認識したようです。
ナスターシャは続けます「テント・入っていい?」と。
ガントは大きく頷き、ニコライ達をテントに招き入れました。
ニコライとガント達が最初に出逢った時から半月ほど経過していましたが、ガント達のテントの中はがらんとして、整頓されていました。
ナーランダの人々の暮らしは我々で言う「シンプルライフ」がモットーでしたから…。
テーブルの上にはカラサイの枯れた雑草でこしらえた羊のオブジェがありました。
ナスターシャは「これ・あなた達・作った?」と聞きました。
レイカは「そうです。ナーランダでは退屈な時や時間のある時はこれを作って皆で楽しみます、他に女王の姿や、友達の姿を型取った物もあります。」と言いました。
ナスターシャは「ナーランダの民の趣味なのね…、それにしても何て良くできた羊のオブジェなのかしら…?ススキやその他の雑草の繊維を見事な器用さで織り込んであるわ…」とつぶやきました。
リディアはガントとレイカに対しても全く屈託が有りません。
リディアは「ハロー!。ボーイズアンドガールズ!。」と言い、ガントの頬にキスし、レイカにも近づきました。
しかしレイカはさっとリディアから身をかわし、きっとしてリディアをにらみ付けました。
ナーランダでも「キス」はありますが、やはり定められた許嫁や夫婦同士がするものでした。
レイカは西洋風の「挨拶のキス」を勿論知るはずも有りません。
そして色黒のガントの顔は見る見る赤くなって行きました。
ナスターシャは「リディア!この子達にそんな事をしてはいけないの!」と激しい口調で言いました。
「どうして…?仲良くなりたいのに。」
「西洋人のキスの文化については前に話したでしょ!この土地の人々には無闇やたらとキスはしないの!」
「あっ…そっか」とリディアは舌を出しました。
ナスターシャは「ごめん・あの娘・私の子・悪気・無い」とガントとレイカに言いました。
ガントは大きく頷きましたが、レイカは返事を返しませんでした。
その後五人はテント内のむしろにすわり、夕食をとりました。カラサイの村人が運んでくれる。固い薄焼きパンと、スープ等だけでなく、博士がロシアから持ってきた食パンや真空パックにしたポテトフライを皆で食べました。
ガントは「またまた不思議な食べ物が出てきたな。」と言い、食パンをかじり、フライドポテトを頬張りました。
「これ、なんだろ。フカフカだよ。そしてこのホクホクしたもの…こんなに柔らかいものをこの人達は食べているんだね…。」
「やだ…すっごく美味しい、こんなものがあるなんて…。」
ナーランダでは、土鍋でパーチを炊き、ナーランダの岩塩で味付けをし、数種の山野草や香草を添えるのがメインメニューです。
また、パーチをすり潰して出来た粉にナーランダの世界の壁から湧きだす清水を混ぜ、良く練り合わせ、焼いた平らな石でこんがり焼いたシンプルなお好み焼きのようなテンペ(天平)も彼等は良く食べました。
しかしフカフカした食パンや、揚げた芋などを食べるのは初体験でした。
食事中リディアは「ママ、二人にさっきの事あやまっといて。」と言いました。
「仕方ないわね…」
「さっき・ごめんなさい・あの娘・色々知らない・許して・悪気ない・二度としない・あれ・挨拶」と言いました。
その言葉にレイカは幾分ホッとしました。
それから、博士達は、ナスターシャの通訳を介してガント達から様々な話を聞きました。
ナスターシャは彼等と話すうち、更にナーランダ語に慣れてゆきました。
ナーランダの暮らしについて、食文化、ミディアの事、女王から与えられた使命について、等々。
ガントは「あなた達の暮らしについても、聞かせて下さい。」と言い、ナスターシャがそれを訳しました。
すかさずリディアが「そりゃすごいよー!。楽しい事がいっぱい!毎日お祭り騒ぎよ。あ、でもママはうるさいかな?。
私ヘビーロックが大好き!」と言い持ってきた小型CDラジカセで、「スコーピオンズ」をかけようとしました。
ニコライはリディアに「我々の文化は彼等にはあまり伝えたく無いんだ、ごめんね」と言いました。
リディアは少し膨れっ面になり仕方なく小型CDラジカセを床におきました。
そして博士はナスターシャに通訳を頼み、ガントとレイカに言いました。
「我々の中にはまだ国同士で争う人々や、自分の利益や情欲のために人を殺めたり、だましたりする者が後を断たない。我々もそれに頭を悩ませている、こちらの世界の事はあまり知らない方が良い…。」と。
ガントとレイカは顔を見合わせ絶句しました。
食事の後も様々な話が長く続きました。
そしてリディアが持ってきたチョコレートを皆で食べました。
…勿論それはガントとレイカには大きな衝撃です。
ガントは一口チョコレートを食べ叫びました「なんて甘くて美味しいんだ!」と。
ガントがレイカを見ると、彼女は一心不乱でチョコレートを頬張っています。
博士は「どうやらこの娘には悪い薬になってしまったようだ」と笑いました。
そしてナスターシャは「あまり・一度に・沢山・けけない・気分・悪くなる」とレイカに優しく言いました。
それから話題はガント達が登った壁の話しになり、石のクサビを使って、かなりの危険を犯して登った事を聞かされました。
博士はコーヒーをすすり、話し込んでいるナターシャとガント達を見ながらじっと思いました…彼等も自分たちがやって来た正確な位地は分からないと言っていた…パーチに替わる食料を手に入れたら、とにかくカンで戻るとはな…。
上手くナーランダにたどり着いたとしても、壁を降りなければならないか。
打ち込んだクサビをたどるのか…?あまりに危険だな…。しかしナーランダを救う為に急がねばならんか…。
もう少し彼等と過ごしたいが、いつマスコミが感付くやもしれん…。
博士は話し込んでいるナスターシャを遮り、
「ちょっとすまんな…」と言い。「パーチに替わる食料を持って来たよ。いくつかあるがこれが一番だと思う。」と言って黒い4ミリほどの粒を厚い大きなビニール袋から取り出しました。
博士はモスクワの図書館で寒冷地で育つ穀物も調べていました。
この黒い粒は「buckwheat」(蕎麦)だよ。見た目は悪いが、殻を取ると綺麗な褐色になる。
そしてこのノートにこの穀物の栽培方法や調理法が図解のみで描いてある。きっと君達の国でも元気に育つよ!。
その他にも君たちの国でも育ちそうな幾つかの植物の種を入れておいた、育て方は同じノートに図解がある。あとは君たちの工夫しだいかな?」と言いました。
ナスターシャが訳した博士の言葉に二人の目は輝きました。
夜は更けてゆきます。
ガント達は明日の朝、ナーランダに帰る事となり。博士は明日の朝彼等を見送るため、カラサイ集落の端にワゴン車を止め、ナスターシャとリディアは車中で、博士は組み立て式テントの中で寝袋にくるまり眠りました。
明け方、博士は沢山のジープの音を夢うつつで聞いたような気がしました…。
日が登った頃、博士のテントの入り口がバサッと開かれました。「博士!博士起きてください!大変ですマスコミとロシアの学者達がやって来ました!。」
声の主はカリディンでした。
博士は驚いて起き上がり。
「ガントとレイカは!?」
「私も先ほど着いたばかりで…連れて行かれたようです…遅かった…。あのガイドがマスコミに知らせたようです。信頼してたのに…。」と力無く言いました。
博士は慌ててガント達のテントへ向かいました。
二人の姿は消えており、博士がガント達に手渡した蕎麦が散乱していました。
次回へ。
博士は「やられたか…彼等の行方は分からんのかね?」とカリディンに尋ねました。
カリディンは「…分かりません…。
しかし目撃したカラサイの人々によると、マスコミ、研究員合わせて何十人かが押し寄せてあの二人にカメラのフラッシュを浴びせ、何社かのマスコミがインタビューを試み、研究所の学者や職員が押し合うように彼等を囲み、彼等は抵抗すら出来ずに車に乗せられたようです。
…マスコミが身柄を拘束する事はないでしょうから、恐らくは何れかの研究機関の車に乗せられと思います…。」と言いました。
ワゴン車のドアを開け、起きたばかりのナスターシャはガント達のテントへ近づいて「…何事なの?」と眠そうに尋ねました。
博士は「一歩遅かった…彼等はいずれかの研究機関に連れて行かれたようだ…」と言いました。
ナスターシャは「…何て事、数日のうち…、いや明日にでも彼等の事は報道されてしまうわ。」と悲壮な顔で言いました。
博士は「まずい…カリディン、あのガイドは掴まるかね?。」と言いました。
カリディンは「彼の姿はもう有りませんでした。恐らく報道機関や研究機関に情報料をもらい、どこかへ消えたみたいです…あの野郎!裏切りやがって」と言って右手の拳を握りしめました。
リディアは「仕方ないわ…いずれ報道されるでしょうね…。報道されるまで様子を見るしかないわ…どこの研究機関が連れて行ったのか分からないのでは…。」と力なくつぶやきました。
博士達はモスクワへ戻る事を決めました。
一刻も早くガントとレイカの行方を探さねばなりません…。
リディアはカラサイを立つ前「えー!。それってスリリング!私もガント達を探しちゃうもんね!。」
と言いましたが、ナスターシャは「あなたはもういいの…学校が始まる前には課題を終わらせなさい。」と言いました。
リディアは「ちぇ、面白くなって来たのに…」と言いました。
数日後、モスクワに戻った博士はすぐに国内と中国のあらゆる民族研究所に問い合わせましたが、何れも「存じません」または「極秘事項なので何もお答え出来ません」
というのがその回答でした。
その翌日、ニコライは新聞やテレビでガント達が報道されるのを確認しました。
新聞の見出しは(謎の民族現わる!最後の秘境からか!?)と大きく記載され、カラサイのテントの前で人だかりに囲まれて怯えた表情のガントとレイカの写真がカラーで掲載されていました。
そしてその文面は(栄養状態の良く無い彼等でしたが、女性はロシア考古民族アカデミーに、男性は中国山岳民族研究所にそれぞれ保護されました。)とありました。
大学の研究室でその新聞を読み、めったに怒ることのない博士は「保護だと!馬鹿な!そして二人の栄養状態が悪いだと!?せっかくナーランダに帰る事が出来たところなのに!ただの誘拐ではないか!。しかもガントとレイカを引き離すとは!二人がどれだけお互いの事を心配している事か!。
僕と同じ現代人はいつまで罪を重ねるのか?!。
必ず彼等をナーランダに帰してやる。絶対に!。」と一人叫びました。
その頃レイカはロシア考古民族アカデミーのマジックミラーのある部屋でぽつんと椅子に腰掛けていました。
朝方、いきなり沢山の人々に囲まれ、カメラのフラッシュを浴び、訳の分からない言葉が飛び交う中で、もみくちゃにされながら、気が付くと幌のあるトラックに押し込められていました。
必死で「ガントー!ガントー!!ニコライー!」と叫びましたが、トラックは虚しくエンジンを轟かせ、キルギス空港へ向かいました。
トラックの幌では、数人の研究所の職員がレイカに「逃げるな」と言う視線を送っていました。
どの位たったのでしょう?いきなりトラックの幌が開き、眩しい光にレイカは目がくらみました。
そこでは見た事も無い赤や青や灰色の装束をした人々を沢山彼女は目にしました。
半ば羽交い締めにされながら向かった所は、キルギス空港のロビーでした、そこからレイカは飛行機に乗せられ生まれて初めて(空)を飛びました。ただひたすらレイカは恐怖を感じ、そこで気を失ってしまいました。
気が付くと、この光の強い部屋に居ました。
レイカはもう完全に恐怖と諦めに支配されています。
彼女にとったら誘拐されたも同然でしたから…。
しばらく放心状態のレイカに、数人のスーツと白衣を着た男達が扉を開け、レイカに近づいて来ました。
一人の男が言いました「良くやった。これは素晴らしい研究材料だ」と。
男の名前はミカエル・ロジトノフ。
ロシア考古民族アカデミーの副所長でした。
彼は言いました「私達は台湾の山岳民族やアボリジニ、アマゾンの森林民族、崑崙山脈の集落など、数多くの未発見民族を見つけてきた。
しかしこんな民族は初めてだ。
カラサイよりも遥か上方よりやって来たとは…。
この装束を見よ!こんなに綺麗な裁縫の技術があるとは!。これ程の文化レベルの高い民族が天山山脈からやって来ようとは!。
私の研究人生で、こんなに興奮する事はなかった!」と。
もう一人の白衣の男が言いました「しかし、もう少し検証すべきでしょうな…、彼女は身に纏った物の他には何も持っていないのですから。先ずは彼等の言語から調べましょう。」と。
ミカエルは「そうだな…。しかし中国山岳民族研究所の奴にもやられたな。あのガイド、我々だけでなく、中国の奴らにも知らせていたとは。
我々だけでなく中国の奴らからも情報料をせしめたか?。
若い男の方も確保したかったのに…。
まぁ良い…とにかく彼女に何か話掛けてみろ」と言いました。
研究所の職員はレイカが理解出来ない言葉を幾つか放ちました。
その言葉は彼女に理解出来るはずもありません…。
ぼおっとした気持ちの中、彼等の訳の分からない言葉はレイカの心を素通りして行きます…。
レイカは恐怖と諦めの中で、ただひたすらガントとナーランダの事を思いました。
(女王様ごめんなさい…ナーランダのみんなごめんなさい…ニコライがくれた蕎麦も私は無くしてしまった…一粒も持ってないの…お父さん、お母さん…。ガント、ガントは何処に行ったの……ガント…)とポロポロと涙を流しました。
その様子を見ていたミカエルは「…今日はもう良い、明日また彼女の言語調査を行う。」と言って部屋を出て行きました。
一方ガントは中国山岳民族研究所の職員達にワゴン車に無理矢理押し込められ、十時間以上かけ、西安の研究所に連れて来られました。
建物に入る時、ガントは渾身の力で研究所の職員を跳ね退けようとしました。
ガントの暴れる足が研究所の職員の腹部にドスッと当たりました。
職員は激怒し、ガントの頬や腹部を殴り付けました。
しかしガントはその動きを止めようとはしません。
彼は猿ぐつわをされ、拘束服を無理矢理着せられて、研究所の一室に閉じ込められました。
職員は言いました「手のかかる奴だ、まだ子供だと思っていたが、なんて力だ…まだ腹が痛い…。」
別の職員は「しかし、こんな現場を知られたらヤバいぞ…ほとんど誘拐だからな…ま、北京から研究者の先生方が来るまで大人しくさせておかないとな。
自殺でもされたら我々は食いっぱぐれだ…」と言いました。
若いガントにこの状態を受け入れる事は出来ません。
彼は体をじたばたさせ、猿ぐつわをされた口で叫びます「レイカ!レイカー!」と。
ニコライ博士は二人の所在を知ると、モスクワの銀行から金をおろしました。(新しい家を建てるために積み立てた金だが、イザベラ、アン、許してくれ、次に建つ家は少し部屋数が少なくなるが…)と思いながら大学に戻りました。
大学に帰ると研究室の前で窓から射す夕暮れの光を浴びたナスターシャが立っていました。
「博士がしようとしてる事ぐらい大体分かっていますよ……。
博士、どうして全てを一人で抱え込むんですか?私は女ですから奥さんとアンが今までどれだけ博士の研究に譲歩し、我慢して来たかが分かるんです…」と言いました。
博士は少したじろいで「ナスターシャ…、い、いや…何もしないさ。彼等の行方について少し調べ物に行って来たんだよ…」と言いました。
ナスターシャは言いました「今日学長から博士の休暇簿を見せてもらいましたわ…学長はひどく最近の博士の様子を心配なされて、私に相談されたのよ。
ガントやレイカと出逢ってからずいぶん休暇をとられたようね。ま、私もこないだのカラサイ行きで5日程休みをとりましたけど…。
でもどうしてこれから1ヶ月も休職なさるんですか!?」と。
博士は言いました「…君に隠し事は無理か…。彼等を放ってはおけんのだ。我々は学者だが、知ってはいけない領域がきっとあるのだ、知ればこそ消えてしまう大切なものがあるのだ…。ガント達を放っておけば、ナーランダはヘリコプターなどを使った観光名所のようになるだろう…金持ちの暇潰しにね。
私は彼等の暮らしを守りたい。この世界に一ヶ所だけで良い。ナーランダのような土地を守りたいんだ…」と。
ナスターシャは言いました「私にも出資させて下さい。」
「え?」
「私も1ヶ月の休職を頂きました。
元の旦那からは慰謝料をたっぷりと踏んだくっているのよ…あのスケコマシが…。
…それよりも、私もガントとレイカに魅了されたみたい…。
ナーランダの民族と長く会話したのは私だけですから…。
ガントとレイカの青く、黒く、深い瞳の輝きを失わせる訳には行かないから」と彼女は言い微笑みました。
博士はゆっくりと頭を下げ、涙を彼女に見られないようにしました。
そして彼等は中国「西安」に向かいます。
次回へ。
本当の桃源郷があるとするならば、それは決して我々の知る地図には載せてはならないのです。




