Episode.11-B~放課後の泡沫~
前話:Episode.10-A
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本棚の前に立ち、圭はしばらく指を滑らせるようにして背表紙を眺めていた。
「……哲学書にしようか。難しいって思うかもしれないけど、君には合う気がする」
そう言って手に取ったのは、やさしい語り口で書かれた哲学の入門書だった。
「選ぶ」ということの意味を問う一冊。
ソクラテスやニーチェといった古典の名前も出てくるが、平易な解説が付けられ、初心者でも読みやすいよう構成されている。
「こういうの、読んだことある?」
雪那は本を受け取り、タイトルに目を落とした。
ページの角をそっと指先でなぞりながら、しばらく沈黙していたが――やがて、静かに頷いた。
「……読んでみる」
その顔は相変わらず感情の読めない無表情だったが、どこか微細な満足が滲んでいたような気がした。
「お〜い、高嶺先輩? 本選べました……って、センパイいるじゃん! おかえり〜」
すると本棚の向こうから凛のよく通る声が聞こえた。
ヒョコッと顔を出した彼女は圭を見つけると嬉しそうに笑顔を浮かべて歩み寄ってくる。
「センパイみて〜。三枝先輩に本選んでもらった!」
「……お前、本好きじゃないだろ? 大丈夫なのか?」
「うん、だから先輩におすすめ選んでもらったの」
「へぇ……ってこれ漫画じゃん!」
凛が持ってきた本をよく見ると、淡白な表紙の下の辺に『コミックス』と書かれていた。
中身を見せてもらっても、字よりも絵のしめる割合が圧倒的に多い。
内容は至って真面目な知識本だったが、こんなものが図書室にあるとは初耳だった。
すると、凛の後ろをついてきていた結菜が微笑みながら言った。
「凛ちゃん、活字読みたくないって言うから……図書室の古本コーナーから探してきたの」
そういう彼女は少し誇らしげだ。だが、少し疲れているように見える。
それもそうだろう。物理的にも精神的にも彼女には凛の相手は大変だろう。
上機嫌な凛は雪那が持っている本に興味を示した。
「先輩は何の本選んだんですか?」
「これ」
凛の質問に雪那は本の表紙を見せながら端的に答える。
その表紙を見た凛は僅かに顔を顰めた。
「うわっ、それ哲学本じゃん。……自分で選んだんですか?」
「ううん、篠原君に選んでもらった」
「ですよねー。それセンパイが読んでるの見たことあるもん……」
凛は活字アレルギー(自称)なことも相まって心底嫌そうな顔をしている。
それを見て心配になったのか、雪那が圭に視線を寄越した。
「本当に、読める……?」
「……大丈夫、似たやつの中だと読みやすい部類だから」
「わかった」
そう言って、雪那は本を胸に抱いた。
お勧めするものを間違ったかなと思いつつも、彼女の読書体験が良いものになるように圭は願った。
――――――
その後、流れで四人で帰ることになった。
昇降口を抜け、夕暮れに包まれた校庭を歩く。図書室の匂いも好きだが、やはり外の空気は澄んでいて心地が良い。
四人で歩きながら何気ない会話を交わす。
「……そういえば、結菜は今日何の本借りたんだ?」
圭はふと気になって、結菜に尋ねる。
しかし、いつまで経っても結菜からの返答が返ってこない。
横を見ると、彼女は遠い目でぼんやりと空を眺めていた。フラフラとおぼつかない足取りで歩く様子はどこかあぶなっかしい。
「結菜?」
2度目の呼びかけで、結菜はビクッと体を震わせてこちらを見た。
「圭君? どうしたの?」
「いや、今日何の本借りたのかなって」
「あっ、えーっとね。これ借りたの」
そう言って鞄から出したのは数年前に流行った恋愛小説だった。
アニメ化だけでなく、映画化もしており一種のムーブメントを巻き起こした名作だ。
「久しぶりに読みたくなって、えへへ」
「懐かしいな。僕も今度読もうかな」
「じゃあ、これ返す時にまた言うね」
「ちょ、ストップストーップ!」
結菜は会話を交わすと何でもないように歩き出す。圭も特に気することなく歩き出したため、凛が耐えきれずに待ったをかけた。
「先輩危ないです、ぼーっとしてたら転んじゃいますよ!?」
「あ、えっと……ごめん?」
「センパイも何で当たり前のようにスルーしてるの!?」
「いや、まぁ当たり前のことだし」
「……え?」
捲し立てる凛を落ち着かせるように圭は口をひらく。
「えーっと、結菜はな。なんて言えばいいかな……自分の世界にのめり込むタイプなんだよ。暇さえあれば、自分の世界にトリップするみたいな……」
「……そうなの?」
半信半疑だと言わんばかりに凛は結菜に顔を向けるが、彼女は照れ笑いを本で隠しながら肯定した。
「あはは、そんな感じ。だからいっつもボーッとしちゃうんだよね」
本人が言うのなら本当のことなのだろう。凛は渋々ではあるが納得していた。
しかし、ビシッと指を突きつける。
「わかりました。でも! 歩きながらは、流石にやめといた方がいいと思いますよ?」
「……まぁそれは僕も思う」
二人に言われて、結菜は困ったように笑った。
「うーん……わかった。気をつけてみるね」
きっと治らないだろうな、と二人は彼女のふにゃっとした笑顔を見て確信した。
雪那はそのやりとりを聞いているだけだった。
――――――
帰り道の分岐で、三人と別れ、圭は一人帰路を歩いていた。
少しだけ長くなった影が、夕焼けに伸びている。
手には自分が選んだ本と、貸し出しカード。
結菜、凛、そして雪那。
いずれも、深く関わりを持ってきた少女たち。
その三人と、自分は今、同じ委員会で過ごしていくことになる。
それが何を意味するのか、まだはっきりとはわからない。
けれど確かに、何かが始まったのだという気がしていた。
この静かな春の午後の一歩が、
波紋のように、日常を少しずつ変えていく――
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