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Episode.8-B~僕の奥底にある毒~

前話:Episode.7-C

https://ncode.syosetu.com/n6562kv/51/

 家に帰り着いた圭は、靴を脱ぐのも億劫なまま、無言でリビングのソファへと倒れ込んだ。

 天井には、数年前からある水染みがうっすらと広がっている。

 それをじっと見つめながら、数を数えることに意識を逃がした。

 一つ、二つ、三つ――。

 久しぶりだった。

 呼吸が乱れ、手足が痺れて、思考が真っ白になるようなあの感覚。


(……まだ、自分は大丈夫だと思ってたのに)


 カフェの帰り道。

 あの横断歩道で感じた衝撃と恐怖の名残は、まだ体の芯に張り付いたままだった。

 自分の中にある“傷”を、どこかで乗り越えたと思いかけていた。

 けれど現実は、その幻想を一瞬で打ち砕いた。


「――ただいま」


 玄関の扉が開き、優しい声が室内に響く。

 圭は反応できずにいた。

 足音が近づき、ソファに目をやったその人は、すぐに眉をひそめた。


「……圭。顔色、悪いな」


 その言葉の端には、すでに“理解”があった。


 叔父。

 父の弟であり、圭を中学の頃から引き取ってくれていた人。

 穏やかで、叱るよりもまず理解しようとする姿勢を崩さない、どこか兄に似た温もりのある人だった。


「……まさか、また?」


 圭は何も言わなかった。

 だが、返事をしないその沈黙がすべてを語っていた。


「……そうか。せっかく、落ち着いてきてたのにね」


 苦しそうな声だった。

 圭が一番嫌う“自分のせいで誰かが傷つく”という現実が、そこにはあった。


「僕……まだ、弱いな」


 ぽつりと、口からこぼれた言葉は、情けなくて、悔しくて、少しだけ自嘲を含んでいた。

 せっかく、自分を肯定できるようになってきたのに。

 自分の存在を、少しだけ許せるようになってきたのに。

 こんなふうに、簡単に崩れてしまうのかと思うと――また、昔のように、自分が嫌いになりそうだった。

 その時だった。

 隣に座った叔父が、圭の肩をそっと抱いた。


「圭はさ……兄さんの元を離れて、ここに来てから、ずっと歩き続けてるじゃないか」

「……」

「つまづいても、挫けそうになっても、ずっと前に。一歩一歩、確かに歩んでる。ちゃんと、努力してる。俺はずっと見てきたよ」


 言葉のひとつひとつが、胸に染み込んでいく。


「……よく頑張ってるよ。だから、大丈夫。一緒に乗り越えるんだ」


 圭は、何も言えなかった。

 けれど、心の奥に張り詰めていた何かが、少しずつほどけていくのを感じた。


「……ありがとう、ございます」


 ようやく声が出せた時には、目頭が熱くなっていた。


「よし、じゃあ……美味しいご飯でも食べようか。気分をリフレッシュすれば、明日には元気になるさ」


 それは、叔父の昔からの口癖だった。

 その一言に、圭は思わず笑ってしまった。

 かすかに口角が上がるだけの、ささやかな笑みだったが、それは確かに“心が少し軽くなった証”だった。

 そのまま、握りしめていたサイコロをポケットにしまう。

 今はもう、選択になど頼らずにいたい。

 自分の意思で歩いていきたいと、そう思った。

続き→9-Cへ

https://ncode.syosetu.com/n6562kv/64/

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