Episode.7-A~何にもでトライしてみるものだ~
前話:Episode.6-A
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ジリジリと油の跳ねる音が、台所に静かに広がっていた。
ステンレスのシンクには、刻まれた玉ねぎの辛味がまだ残っている。淡い夕日が窓から差し込み、真っ白な調理台を染めていたが、それはまるで色のない絵画に無理矢理色をつけたかのように場違いで――空間は、ただ、寂しさだけを孕んでいた。
雪那は、ハンバーグを焼いていた。
圭の言葉に頷いたのは、ほんの一時間ほど前のこと。彼が選んだ料理、それだけを頼りにキッチンへと立った彼女は、冷蔵庫の中を一瞥し、使えそうな材料を取り出していった。
淡々と、まるでそれが作業であるかのように。
エプロンの紐を結ぶ手つきには無駄がないのに、そこには生活感がなかった。ボウルにミンチと刻んだ玉ねぎを入れ、卵を落とし、パン粉を加え、手でこねる。けれど、その指先からは何の感情も読み取れなかった。
無表情。
否――それすらも、生ぬるい。
まるで“死んで”いた。
両の瞳には光がなく、頬にも血の気は感じられない。
手を動かす様は確かに人間のものなのに、その在り方は、あまりに無機的だった。
何も感じていないようで――
それでいて、何かを感じているような、深い淀みがそこにはあった。
ガスコンロの炎に照らされ、フライパンの上で成形された肉がじゅうじゅうと焼けていく。香ばしい匂いが部屋中に広がっても、雪那の表情に変化はなかった。まるでそれを、自分が作っていることすら理解していないように。
焼きあがったハンバーグを二つ、皿に盛り付ける。
皿の一つをテーブルに置き、もう一つを手に取って、彼女は自室へと向かった。
食事の前に風呂を済ませた雪那の髪は、まだ微かに湿っていた。部屋に入ると淡い灯りを点け、カーテンを閉める。何の音もない、無音の世界の中、雪那は一口、ハンバーグを口に運んだ。
ゆっくりと、噛み締めるように。
だが、それは味わっているというよりも、「食べる」という行為をこなしているだけだった。
咀嚼する音すら、空気の中で吸い込まれるように、静かだった。
彼女の部屋の壁には何の装飾もなく、机の上にも物が少ない。まるで、ここに住んでいることすら証明しないような空間。
その中で雪那は、黙々と食事を進めた。
――――――
気がつけば、どれだけの時間が経っただろうか。
ふと部屋の外から、玄関の開閉音がした。
やがて足音、短い会話、そして風呂の給湯音。
雪那は、何も反応を示さなかった。
ただ静かに、自室で過ごし続けた。
そして、湯音が止み、廊下の照明が落ち、家全体が“沈黙”に包まれた頃――
雪那はようやく立ち上がった。
外は完全に夜に沈み、窓の外の街灯がカーテン越しに鈍く揺れていた。
部屋を出て、キッチンへ戻ると、そこにはテーブルに残された皿がひとつ。
半分以上が残されたままだった。
フォークが落ちた音もない。グラスの水も、手つかずのまま。
それを見ても、雪那は何も言わなかった。目を伏せることもなく、ただ無言で皿を持ち上げ、シンクに運ぶ。
スポンジでぬめりを落とし、水で流す。
台所には生活音だけが響き、他に誰かの気配は一切なかった。
気づけば、家の中は不自然なまでに静かだった。
電気はすべて点いている。家具も揃っている。だが、どこか寒々しい。どこか――怖い。
まるで“生活”が失われている家のようだった。
雪那は、水を止めると、タオルで手を拭き、そのまま黙って部屋へと戻っていった。
何も、言わない。何も、考えない。
それが、彼女の“いつもの夜”だった。
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