Episode.5-A~歩んできた道~
前話:Episode.4-A
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「一番、鈴木! 歌います!」
マイクを握りしめ、張り切った声が室内に響く。
カラオケボックスのスピーカーからは、イントロの電子音が鳴り始めた。広くもなく狭くもない、十人ほどが入れる部屋には、既に何曲も歌い終えた熱気がこもっている。誰かの笑い声、テーブルの上を飛び交う紙ナプキン、炭酸の抜けたジュースのグラス――その全てが、放課後の空間を飾っていた。
カラオケという選択は、圭の意思だった。
男子も女子も楽しめる場所。誰かだけが浮くこともなく、空気に溶け込める。
……そんな理由を口にしながらも、内心ではどこか、罪滅ぼしのような気持ちがあった。
(――一度は断った誘いだから)
そう思うたび、胸の奥にわずかな罪悪感が沈んでいく。圭自身、こうした賑やかな場所は得意ではなかった。けれど、今はそれでよかった。皆が楽しそうに笑い合っているのを見ているだけで、少しだけ、胸が温かくなるような気がしていた。
圭はテーブル脇の席に腰を下ろし、鞄から一冊の文庫本を取り出す。
ページを開いた瞬間、耳に届くのは歌声と歓声と、店員のドアを開ける音。雑音の洪水の中で、彼は静かに文字の海に身を沈めていった。外界の喧噪と本の中の世界、その境界線はかすかに揺らぎながらも、確かに彼を守っていた。
そんな時、隣から声が飛ぶ。
「なあ、圭」
顔を上げると、森川がこちらを見ていた。手にしたコーラのグラスを揺らしながら、口元には探るような笑みが浮かんでいる。
「さっきの何だよ」
「え?」
「とぼけるなよ。高嶺ちゃんと仲良さげなところ見せつけてさ。いつの間にそんなに仲良くなったんだ?」
その問いに、圭は一拍の間を置き、そっけなく返す。
「……たまたまだよ。別に仲が良いとかそんな段階じゃない」
わざとらしく肩をすくめてみせると、森川は「ふーん」と納得したような、しないような顔で頷いた。
「ま、いいけどさ。なんか変な感じだったなー。あの子が歌ったりするのかな、って」
その言葉に、圭も思わず目を向ける。
画面には次の曲のタイトルが映っていた。
そして、マイクを手にした少女――
高嶺雪那が、立っていた。
彼女が歌うと分かった瞬間、クラスメイトたちはワッと声を上げる。しかし、中には不安そうな表情を浮かべるものもいた。
圭は思わず姿勢を正す。
感情の起伏が薄い彼女が、果たしてまともに歌えるのだろうか?
その疑問は、次の瞬間、見事に裏切られることになる。
静かに始まった伴奏。
そして――
雪那の口から紡がれたのは、透き通るような、研ぎ澄まされた歌声だった。
技巧のある、しかし技巧を意識させない自然な響き。
柔らかくも芯のあるその声は、部屋中を静かに満たしていく。
誰もが、息を呑んだ。
感情の薄い声。感情を排した言葉。
それが当たり前だったはずの彼女の中に、こんなにも豊かな「表現」があったとは。
圭は、その変化に驚いたまま、ただじっと見つめていた。
まるで別人だった。
彼女の姿を借りた、もう一人の雪那が、そこに立っているようだった。
彼女の歌声が続くあいだ、部屋は静まり返った。
先ほどまでの喧噪が、嘘のように消え去っていた。
音楽と、彼女の声だけが、カラオケルームに残された。
そして――最後のフレーズが静かに終わると、
ひと呼吸おいてから、拍手が起きた。
圧倒されたように、けれど温かく。
誰もが、それぞれの言葉で賞賛を送っていた。
雪那は特に何かを言うこともなく、マイクをそっとテーブルに戻す。
その様子はいつも通りの無表情で、まるで今の出来事は他人事のようだった。
けれど――
圭の中には、確かな何かが残っていた。
雪那という少女の、まだ知らない一面。
それは、今も静かに、圭の心の奥で余韻を残していた。
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