表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
せつな  作者: 666
春編
20/817

Episode.5-A~歩んできた道~

前話:Episode.4-A

https://ncode.syosetu.com/n6562kv/8/

「一番、鈴木! 歌います!」


 マイクを握りしめ、張り切った声が室内に響く。


 カラオケボックスのスピーカーからは、イントロの電子音が鳴り始めた。広くもなく狭くもない、十人ほどが入れる部屋には、既に何曲も歌い終えた熱気がこもっている。誰かの笑い声、テーブルの上を飛び交う紙ナプキン、炭酸の抜けたジュースのグラス――その全てが、放課後の空間を飾っていた。


 カラオケという選択は、圭の意思だった。


 男子も女子も楽しめる場所。誰かだけが浮くこともなく、空気に溶け込める。

 ……そんな理由を口にしながらも、内心ではどこか、罪滅ぼしのような気持ちがあった。


(――一度は断った誘いだから)


 そう思うたび、胸の奥にわずかな罪悪感が沈んでいく。圭自身、こうした賑やかな場所は得意ではなかった。けれど、今はそれでよかった。皆が楽しそうに笑い合っているのを見ているだけで、少しだけ、胸が温かくなるような気がしていた。


 圭はテーブル脇の席に腰を下ろし、鞄から一冊の文庫本を取り出す。


 ページを開いた瞬間、耳に届くのは歌声と歓声と、店員のドアを開ける音。雑音の洪水の中で、彼は静かに文字の海に身を沈めていった。外界の喧噪と本の中の世界、その境界線はかすかに揺らぎながらも、確かに彼を守っていた。


 そんな時、隣から声が飛ぶ。


「なあ、圭」


 顔を上げると、森川がこちらを見ていた。手にしたコーラのグラスを揺らしながら、口元には探るような笑みが浮かんでいる。


「さっきの何だよ」


「え?」


「とぼけるなよ。高嶺ちゃんと仲良さげなところ見せつけてさ。いつの間にそんなに仲良くなったんだ?」


 その問いに、圭は一拍の間を置き、そっけなく返す。


「……たまたまだよ。別に仲が良いとかそんな段階じゃない」


 わざとらしく肩をすくめてみせると、森川は「ふーん」と納得したような、しないような顔で頷いた。


「ま、いいけどさ。なんか変な感じだったなー。あの子が歌ったりするのかな、って」


 その言葉に、圭も思わず目を向ける。


 画面には次の曲のタイトルが映っていた。

 そして、マイクを手にした少女――


 高嶺雪那が、立っていた。


 彼女が歌うと分かった瞬間、クラスメイトたちはワッと声を上げる。しかし、中には不安そうな表情を浮かべるものもいた。


 圭は思わず姿勢を正す。

 感情の起伏が薄い彼女が、果たしてまともに歌えるのだろうか?

 その疑問は、次の瞬間、見事に裏切られることになる。


 静かに始まった伴奏。


 そして――


 雪那の口から紡がれたのは、透き通るような、研ぎ澄まされた歌声だった。


 技巧のある、しかし技巧を意識させない自然な響き。

 柔らかくも芯のあるその声は、部屋中を静かに満たしていく。

 誰もが、息を呑んだ。


 感情の薄い声。感情を排した言葉。

 それが当たり前だったはずの彼女の中に、こんなにも豊かな「表現」があったとは。


 圭は、その変化に驚いたまま、ただじっと見つめていた。


 まるで別人だった。


 彼女の姿を借りた、もう一人の雪那が、そこに立っているようだった。


 彼女の歌声が続くあいだ、部屋は静まり返った。

 先ほどまでの喧噪が、嘘のように消え去っていた。

 音楽と、彼女の声だけが、カラオケルームに残された。


 そして――最後のフレーズが静かに終わると、


 ひと呼吸おいてから、拍手が起きた。


 圧倒されたように、けれど温かく。

 誰もが、それぞれの言葉で賞賛を送っていた。


 雪那は特に何かを言うこともなく、マイクをそっとテーブルに戻す。


 その様子はいつも通りの無表情で、まるで今の出来事は他人事のようだった。


 けれど――


 圭の中には、確かな何かが残っていた。


 雪那という少女の、まだ知らない一面。


 それは、今も静かに、圭の心の奥で余韻を残していた。


続きを読む。→6-Aへ

https://ncode.syosetu.com/n6562kv/44/

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ