Episode.2-A~春に力を手に入れて~
前話:Episode.1~Prologue~
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サイコロは「1」を示していた。
圭はしゃがみ込んでサイコロを拾い、指先でその冷たい感触を確かめるように撫でる。
そして、彼はそっと息を吐いた。
「……わかった。君のお願い、受け入れるよ」
それはまるで、自分自身に言い聞かせるような声音だった。
その言葉に反応するように、雪那の表情がわずかに動いた――ほんのわずかに、口元の力が緩んだように見えたが、その瞳には相変わらず深い静寂があった。感情の波は、その眼差しの奥には映らない。まるで湖面が凪いだまま、底の深さだけが知れない水面のようだった。
圭は立ち上がり、照れ隠しのように後頭部をかく。
「……早速だけど、敬語はやめて普通に話さない? 同い年なんだし」
雪那は躊躇いもなく頷いた。圭から下された命令を処理するような、機械的な動作だった。
「……わかった。これでいい?」
「ああ、その方が話しやすいよ」
短いやりとりの中に、ほんのかすかな温度が生まれる。彼女が初めて示した微かな応答に、圭の胸の奥で小さく何かが揺れた。穏やかとも、寂しげとも言えるその無表情に、何かしらの意思を感じてしまうのは、きっと錯覚なのだろう。
二人のあいだに、一瞬の沈黙が生まれた。圭にはその空白がなんとも気まずく感じられた。
「……あ、そうだ。連絡先、交換しようか。いろいろ決めるときに必要だし」
圭がそう言うと、雪那は無言のまま小さくうなずき、ポケットからスマートフォンを取り出した。無駄のない動きだった。
その様子に圭は内心で苦笑いを浮かべていた。女子と連絡先を交換するなんて、男子高校生には難易度が高いものだ。圭もそのうちの一人である。少しばかり身構えながら提案をしたが、あまりにもあっさりと了承されてはなんとも拍子抜けであった。
二人は静かに操作を済ませ、それぞれの画面に名前が表示される。
『高嶺 雪那』
その名前が画面に並んだ瞬間、圭は妙な感覚を覚えた。文字に意味が宿るとき、それはただの記号ではなくなる。この名前だけが、まるで何かを告げているように見えた。
「それで……どうしてこんなこと、僕に頼んだの?」
以前から心に引っかかっていた問いを、圭はようやく口にした。
雪那は一度視線を外し、ほんの一瞬だけ表情を曇らせたように見えた。しかしすぐに、元の無表情へと戻る。そして、ごく簡潔に、静かに言葉を落とす。
「……今まで、自分で選んで良いことがなかったから……誰かに任せた方が、気が楽」
きっと前のいた場所でも同じようにして生きてきたのだろう。淡々と吐き出される彼女の声には諦観が混じっていた。
圭は、その無感動な響きに、妙な胸の詰まりを覚えた。
「でも……誰かに委ねて、嫌な思いをしたことは、なかったの?」
そう問い返すと、雪那はほんのわずかに伏し目がちになり、そしてわずかに口角を動かした。それが笑顔かどうかはわからない。ただ、見慣れない表情だった。
「……もう、慣れてるから」
あまりにも淡々としていた。まるで、痛みにすら感情を伴わせることをやめてしまったかのようだった。
圭は、その答えに何も言えなくなった。
代わりに、雪那が問いかけてきた。
「……そのサイコロ、なに?」
ふと視線を落とし、彼の手元を見ていた。
圭は手に持っていた物を見せる。小さな立方体のそれにはまさしくサイコロのように面に数字が描かれている。
しかし普通のサイコロと違うところは描かれている数字が『1』と『2』しか存在しないことだ。
チンチロでイカサマをしたい時にしか使わないであろう代物を今一度見て、雪那は首を傾げた。
「これ? 僕も、選ぶのが苦手でさ。どうしても決められないときは……これに頼ってるんだ」
それを聞いた雪那は、小さく瞬き、眉をほんの少しだけ寄せた。
「……ごめんなさい。困らせて」
「ああ、違うよ。気にしないで。僕も、君とそんなに違わないと思うから」
圭は苦笑まじりに言ったが、口から出たその言葉は、なぜか思いのほか自然だった。言い訳ではなく、本心だった。彼女の落とす陰に、己の陰を見てしまったのかもしれない。
「……じゃあ、これからよろしくね」
雪那はそれだけを言った。口元に笑みを浮かべていた――ようにも見えたが、それが意識的なものだったのかどうかは、やはり判別できなかった。
「ああ。よろしく」
圭は頷き返しながら、笑みを返した。
――――――――
校庭からは、学生たちのにぎやかな声が聞こえてくる。それを耳にして、圭はようやく今日が午前授業だけだったことを思い出した。
「……せっかくだし、一緒に帰ろうか?」
彼の誘いに、雪那は短くうなずいた。
「……荷物、まだ教室」
「あ、そっか。一緒に行こう」
放課後の校舎は静かだったが、教室にはまだ数人の生徒が残っていた。雪那がドアを開けると、先ほど彼女の周りにいた数人がすぐに視線を向ける。
「あっ、高嶺さん!」
そのうちのひとり――明るく、社交的な女子生徒が声をかけてきた。
「午後からみんなで遊びに行こうって話してて、よかったら一緒にどう?」
突然の誘いに、雪那は即座に反応しなかった。彼女は代わりに、隣にいる圭へと視線を向ける。淡く、しかし明確な問いがその瞳に宿っていた。
(……ああ、そうだった)
圭はその視線の意味を、ようやく思い出す。彼女にとって、「選択」は自分の手にあるものではない。誰かに委ねた、その人間の言葉こそが、彼女にとっての「指針」なのだ。
クラスメイトの視線も、次第に圭へと集まってくる。
圭は、そっとポケットに手を伸ばした。そこに収まっているサイコロの感触を確かめながら、心の奥がざわめくのを感じる。
(本当に……これで、いいんだろうか)
その問いは、彼の中でまだ答えを持っていなかった。けれど、それでも彼は、目の前の彼女の選択を――自分の選択を、今ここで示さなければならない。
圭は近くの机に手をかけ、ポケットからサイコロを取り出し、そっと振った。
小さな音を立てて転がるサイコロと、静かに沈んでいく圭の胸の奥。
彼女の最初の「選択」が、いま、決まろうとしていた。
【選択肢1】:
クラスメイトからの誘いを受け入れる。→3-Aへ
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【選択肢2】:
クラスメイトからの誘いを断る。→3-Bへ
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