4
朝日が顔を出したころ、アーレンは目を覚ました。
眠りは浅く、心臓の高鳴りと混乱した夢に何度も邪魔された。
待ち望んでいた日が、とうとうやってきたのだ。ダルカンへ旅立つ、前日が。
そのことを思うだけで、胃がきゅっと縮んだ。
あんなに大きな都市へ行くのは、これが初めてだった。
高くそびえる塔、賑わう通り、魔導士や騎士たち、アカデミーの兵舎──
これまで本や物語の中でしか知らなかった世界が、いま、すぐそこにある。
だがその前に、最後の関門が待っていた。
師匠ヴァレクによる、最終試験だ。
アーレンは急いで服を着た。昨日の訓練で少し湿ったままの服だったが、気にしている余裕はなかった。
台所に下りると、母が優しく微笑み、すでに朝食を用意してくれていた。
だが、アーレンは半分も食べられなかった。
緊張が、すっかり食欲を奪っていた。
食事を終えると、彼は迷うことなく家を飛び出した。
朝の風が鋭く肌を打ち、まるで「今日が特別な日だ」と告げているかのようだった。
今日、自分が本当に準備ができているのか、証明しなければならない。
ヴァレクは、いつもの広場で腕を組み、厳しい目をして待っていた。
今回の最終試験は、これまでの訓練とはまるで違っていた。
一斉に行うのではなく、三人いる弟子たち一人一人と、時間をずらして個別に試験を行うというのだ。
そして最初の挑戦者が、アーレンだった。
朝日がまだ低い位置にある中、アーレンは訓練場にたどり着いた。
湿った草と潮の匂いが鼻をつき、辺りは不自然なほど静まり返っている。
そこにいたのは、数メートル離れた場所でじっと立っている老人──村長だけだった。
彼は何も言わず、ただ静かに見守っていた。
そしてアーレンが師匠に目を向けた瞬間、驚きに息を呑んだ。
ヴァレクは、いつものボロボロの訓練着ではなかった。
古びたが堅牢な革の鎧を身にまとい、腰には本物の剣を下げていたのだ。
老剣士は一歩前に出ると、いつになく重々しい声で言った。
「武器を選べ」
そう言って、灰色の布をかけた長い机を指し示した。
その上には、様々な武器が並んでいた。長剣、短剣、ダガー、槍、強化木製の杖、そして盾まで。
アーレンは緊張でわずかに震える手を抑えながら、一つ一つ丁寧に見ていった。
そして迷わず、バランスが良く、馴染み深い短剣を手に取った。
ヴァレクは小さく頷くと、静かに告げた。
「──さあ、見せてもらおう。お前のすべてを」
その目に宿る光は、ただの訓練を超えたものだった。
これは、真剣勝負だ。
アーレンは短剣をしっかりと握りしめ、師匠に向かって踏み出した。
肩に力が入るのをどうにか隠そうとしたが、早鐘のように打つ心臓はどうしても誤魔化せなかった。
深く息を吸い込み、彼は一気に駆け出した。
足元の地面が跳ね、剣が鋭く空気を切る。
──だが。
刃がヴァレクの体に届く寸前、アーレンはわずかにためらった。
ほんの一瞬、わずかな躊躇。それだけで十分だった。
ヴァレクは容赦なく動いた。
鋭く、そして無駄のない一撃で、アーレンの手から剣を叩き落とした。
短剣は地面に鈍い音を立てて転がった。
「本気で俺を倒す気がないのなら、選抜に出すわけにはいかん」
師の声は、石のように冷たかった。
怒りはなかった。ただ、期待だけがそこにあった。
アーレンはその場に立ち尽くし、荒く息を吐いた。
師匠を、そして地面に落ちた剣を見つめる。
羞恥が胸を刺した。
だが、その奥に、違うものが燃え始める。
──衝動。
──決意。
──選択。
アーレンは歯を食いしばり、剣を拾い上げ、再び構えた。
今度は、動きが違った。
まだわずかに躊躇は残っていたが、それを強引に押し隠す意志があった。
彼は再び師匠へ向かって突っ込んだ。
今度は刃をヴァレクの体ではなく、その武器へ向けて振るう。
相手を傷つけることなく、剣を叩き落とすか、押し返すことを狙った、正確な一撃だった。
老剣士は、アーレンの攻撃を、まるで退屈そうに受け流した。
その動きは乾いたように鋭く、無駄がなく、そして致命的だった。
受け流しながら、鋭い声が飛んでくる。
「──まだ足りん」
アーレンは、交わすたびに体力を削られていくのを感じていた。
ヴァレクは休む間も与えず、圧倒的な経験と力でアーレンを押し潰そうとしていた。
師匠の一撃一撃が重く、鋭く、アーレンの防御は次第に弱くなっていく。
「お前、本当にルーンの尖塔に行きたいのか? そんな半端な覚悟で? その怯えた目で?」
汗がアーレンの顔を伝い落ち、腕は震えていた。
一太刀受け止めるたびに、体から力が抜けていく。
それでも、彼は立ち止まらなかった。
まだ、終われない。
──だが。
師匠の瞳に浮かぶ失望の色は、どんな打撃よりも重くのしかかってきた。
アーレンは一歩退き、荒い呼吸を繰り返しながら、剣を握り直した。
このままでは、力ずくでヴァレクを崩すことはできない。
経験の差は、あまりにも大きすぎた。
──ならば。
彼はそっと目を閉じ、両手で剣を握り締める。
そして、誰にも聞こえないほど小さな声で、古い言葉を紡いだ。
空気が微かに震え、周囲に淡い波紋が広がる。
目を開いたとき、そこにあったのは、燃えるような決意だった。
ヴァレクが片眉を上げた。
魔法を使うとは──思っていなかったのだろう。
少なくとも、アーレンからは。
一瞬の爆発。
アーレンは、魔力で強化された速さで一気に間合いを詰めた。
顔に風を浴びながら、目にも留まらぬ速さで駆け抜ける。
ヴァレクは反射的に剣を構え、迎撃の態勢を取った──が。
アーレンは、攻撃しなかった。
ギリギリのところで、彼は自らの剣を投げた。
狙いは、ヴァレクの注意をそらすため。
そして次の瞬間、空いた胸元に手を伸ばし──
掌に集中させた魔力を放った。
ぱちん、と小さな電撃が走る。
致命的な力ではない。
だが、確かに伝わる、"攻撃の意志"。
──沈黙。
辺りから、風さえも消えたかのような、重く張り詰めた沈黙が落ちた。
ヴァレクは、剣を半ば掲げたまま、微動だにしなかった。
胸元には、かすかな焦げ跡。
その視線は、まっすぐにアーレンを射抜いていた。
そして──
老剣士の剣が、ゆっくりと地面へと降りた。
一歩、後ろへ退き。
深く、少年を見つめた。
……そして、滅多に見せない微笑みを浮かべた。
年老いた顔に刻まれた皺の中に、静かな誇りが滲んでいた。
近づくと、ヴァレクは大きな手でアーレンの頭を、ぐしゃりと撫でた。
それは、子供扱いではない。
勝者に向ける、認めた者への仕草だった。
「──合格だ」
低く、だが確かな声だった。
「勇気だけじゃない。隠し持っていた切り札、知恵、そして一歩を踏み出す胆力……お前は、見せた」
アーレンは、力尽きたように膝をついた。
両手を太ももに置き、荒く呼吸を繰り返す。
動きながら魔法を使うことが、これほど過酷だとは思わなかった。
全身が焼けるように熱く、筋肉が悲鳴を上げていた。
「……こんなに、キツいとは……」
アーレンは、苦笑混じりに呟いた。
顔を上げると、ヴァレクが静かに頷いていた。
長い間、言葉を選ぶかのように沈黙し──
そして、ゆっくりと口を開く。
「……ゆっくり休め、アーレン。明日からが、本当の旅だ」
その声に、珍しく、ほんのわずかな誇りが滲んでいた。
ヴァレクは背を向け、迷いのない足取りで立ち去った。
アーレンは、しばらくその場に膝をついたまま、静かに目を閉じた。
──試験は、終わった。
だが、物語は。
これから、始まるのだった。