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アエレンと彼の仲間たちは、静かに海岸線を進んでいた。


ダルカンへ向かうには、これが最も安全な道だった。

かつて繁栄を誇った古都は、今や魔族の手に落ち、主要な街道は無慈悲な怪物たちで溢れかえっている。

そんな中、海だけがまだ、ほろ苦い自由の歌を歌っていた。


波が岩に砕け、彼らの慎重な足取りに寄り添うように音を立てる。


何時間も荒れ果てた風景の中を歩き続けた後、彼らは小さな廃村に辿り着いた。


壊れた家々、干上がった井戸、そして——かつてここにあった命が、今は虚無だけを残している。


アエレンは立ち止まり、疲れたが決して折れてはいない瞳で、崩れた村を見渡した。


「今夜はここで泊まる。」

乾いた潮風に晒された声で、彼は呟いた。


誰一人文句を言う者はいなかった。

明日こそが、本当の地獄であることを、全員が知っていたからだ。


——ダルカン。

破壊された大地を支配する、魔王が待ち受ける地へ。


***


アエレンは仲間たちを率いて、瓦礫と化した村の小道を進んだ。

影の中に目を凝らし、今夜をしのげる避難場所を探す。


壊れた人形、引きちぎられた扉、骨のように乾いた井戸。

それらは、かつてここに確かに生きた者たちの痕跡だった。


やがて、半ば崩れかけながらも、かろうじて立っている一軒の家を見つけた。

屋根の半分は崩落し、壁には長く不規則な亀裂が走っている。

まるで、癒えることのない古傷のように。


夕陽が赤く空を染める中、アエレンたちは慎重に瓦礫を越えて進んだ。

赤と橙の光に照らされた廃墟は、不気味なまでに美しかった。


そして——


家の入り口に、誰かが立っていた。


小さな影。

その場にじっと佇む、動かぬ人影。


心臓が、痛いほど強く締め付けられた。


——母さん。


絡めた指先、優しく傾けた首筋、微笑んだ唇。

忘れたはずの仕草が、残酷なまでに鮮やかに脳裏に蘇る。


アエレンは動けなかった。

呼吸さえ忘れたように、ただ立ち尽くす。


耳に届くはずの波音も、瓦礫を撫でる風の声も、すべてが遠のいていった。


長い、永遠にも似た数秒間。


やがて、夕陽が完全に沈むと同時に——

その影は、まるで朝霧のように消えた。


***


半壊した家の入り口へ近づこうとしたとき、背後から優しい、けれどどこか不安げな声が彼を呼び止めた。


「……大丈夫?」


女の声だった。

気遣うような響きを、確かに感じた。


アエレンはほんの少しだけ振り返り、引きつった微笑みを浮かべる。

安堵よりも、ただの礼儀のようなそれを。

そして無言で手を挙げ、静かに応えた。


再び顔を前に向けると、朽ちた家の中へと一歩、足を踏み入れる。

そして、微かに香る潮と朽木の匂いを胸いっぱいに吸い込み、呟いた。


「……ただいま。」


***


後ろでは、仲間たちが手慣れた様子で動き始めていた。

誰に指示されるでもなく、それぞれの役割を果たし始める。


薪を集め、壊れた家具を燃やし、ちらつく火の灯りが夜の影を押し返す。


また、周囲に小さな石を埋め込み、魔除けの結界を張る者たちもいた。

荒れた大地を徘徊する亡霊や獣たちから、夜を守るために。


若い仲間たちは古びた網と銛を手に、近くの海岸へと出発していった。

少しでもましな食糧を手に入れるために。


作業音、足音、波の遠い響きだけが夜に溶けていった。


だが、アエレンだけは——

誰にも告げず、静かにその場を離れた。


導かれるように、朽ちた廊下を進み、埃まみれの扉の前で立ち止まる。


錆びた留め金にそっと手をかけ、きしむ音とともに、扉を押し開いた。


そこにあったのは、懐かしくも切ない、彼の「昔の部屋」だった。


埃をかぶった家具たち。

けれど、不思議なことに、崩壊からは逃れていた。


中央に、変わらず彼を待つベッド。


ほつれた毛布、色褪せた枕。

一つ一つが、夢のように現実味を失いながらも、そこにあった。


アエレンは、慎重に、まるで壊れ物に触れるような仕草で近づく。


ベッドの端にそっと腰掛け、深く息を吐いた。


そして、ゆっくりと、体を横たえる。


硬い枕に頭を預け、瞼を閉じる。


波の音、焚き火のはぜる音、仲間たちの小声——

すべてが、静かに遠ざかっていった。

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