親友のはずの美少女が、なぜか俺を婚約者扱いしてくる件
「悠真、おはよう!」
朝の教室に響く明るい声に、悠真は立ち止まった。
振り返ると、朝日の逆光の中に立つ沙月の姿があった。
その眩しさに、思わず目を細める。
「今日も作ってきたわよ」
沙月は得意げな表情で手作り弁当を差し出す。
その仕草は、まるで毎日のことのように自然だった。
「え? また?」
相沢悠真は、少し困ったような表情を浮かべながら弁当を受け取った。
隣の席からは、からかうような視線が感じられる。
「当たり前じゃない。悠真の好きな玉子焼き、甘めに作ったわよ」
沙月の言葉に、クラスメイトたちの視線がさらに痛くなる。
確かに、桜川沙月は学年一の美少女だ。
運動も勉強もできて、性格も明るく面倒見が良い。
そんな彼女が手作り弁当を持ってくるのだから、噂が立つのも無理はない。
「ありがとう。でも、さすがに毎回作ってもらうのは申し訳ないよ」
「気にしないで。私、悠真のために作るの好きだから」
何気ない会話のはずなのに、なぜか周囲の空気が妙に張り詰める。
「そうだ、悠真」
沙月が突然思い出したように言った。
「今度、お母さんに挨拶に行きたいんだけど」
「え? また遊びに来たいの?」
「まあ......そういうことにしておきましょう」
沙月は何かを諦めたような表情を浮かべた。
その時、後ろの席から小声が聞こえてきた。
「ねぇねぇ、あの二人って付き合ってるんじゃない?」
「だよねー。毎日お弁当作ってもらってるし」
「しかも『お母さんに挨拶』だって」
「ちょ、違うから!」
悠真は慌てて否定する。
「俺たちは幼なじみの親友で......」
「隠す必要なんてないのに」
沙月の呟きに、悠真は首を傾げた。
「なんか言った?」
「ううん、なんでもない」
沙月は苦笑いを浮かべる。
「あ、悠真くん!」
その時、クラスメイトの女子が声をかけてきた。
数学の課題について質問があるという。
「ごめん、ちょっと待って......」
だが、悠真が応じようとした瞬間、沙月が自然な流れで会話に割って入った。
「悠真、今日は一緒に過ごす予定だから、また今度でもいいかな?」
「え? いや、そんなの......」
「ねぇ、悠真?」
沙月の声には、普段より少し強い調子が混ざっていた。
悠真は言いよどむ。
こういう場面が、最近増えてきている気がする。
放課後、下駄箱の前で沙月が待っていた。
「一緒に帰りましょ?」
「ああ、うん」
いつもの帰り道。
夕暮れに染まる空の下、二人は肩を並べて歩く。
「ねぇ、悠真」
「うん?」
「お母さんに挨拶、本当に行きたいんだけど」
「また遊びに来たいの? 最近よく来てるじゃん」
沙月は小さなため息をつく。
その言葉の意味を理解できないまま、悠真は空を見上げた。
二人の影が長く伸びる中、何かが、この「親友」という関係を、少しずつ揺るがし始めていた。
そんな中、ゴールデンウィークが終わって間もない五月半ば、クラスに大きな話題が持ち上がった。
「では次に、文化祭についての連絡です」
下校時刻が近づくなか、担任の水野先生が教室の前に立った。
いつもなら居眠りしている生徒たちも、「文化祭」という言葉に目を輝かせる。
「来月の文化祭に向けて、各クラスで出し物を決めてもらいます。今週中に企画書を提出してください」
教室が一気にざわめき始めた。
メイド喫茶、お化け屋敷、バンドステージ——様々な案が飛び交う中、文化委員の鈴木が黒板に候補を書き出していく。
そこに「童話劇・シンデレラ」という案も加わった。
「私、シンデレラいいと思う」
「そうだね。」
「衣装とか作るの、楽しそう!」
意外にも、クラスメイトたちの反応は上々だった。
投票の結果、「シンデレラ」が過半数を獲得。
クラスの出し物が正式に決定した。
「じゃあ、配役を決めましょう」
と文化委員。
「まず、シンデレラ役ですが......」
「桜川さんがいいんじゃない?」
「そうそう! 沙月ちゃんなら絶対似合う!」
クラスメイトたちから次々と声が上がる。
実際、誰が見ても沙月はシンデレラ役にぴったりだった。
「え? でも......」
沙月は控えめに微笑む。
「みんながそう言ってくれるなら......」
満場一致で、シンデレラ役は沙月に決まった。
「次は王子様役ですね」
と文化委員。
教室に微妙な空気が流れる。
男子たちは互いの顔を見合わせ、誰も積極的に手を挙げようとはしない。
その時、沙月が静かに立ち上がった。
「王子様は悠真がいいと思います」
クラスメイトたちの間で、小さなざわめきが起こる。
「まあ、相沢君なら......」
「確かに、台詞とか覚えそう」
「......」
特に強い異論は出ないものの、かといって積極的な賛同の声も上がらない。
そんな中、悠真が困ったように手を挙げた。
「あの、俺は王様の家来とかがいいんだけど......」
「だめよ」
沙月は断固とした口調で言う。
「王子様って、優しくて誠実で、みんなに信頼される人がぴったりだと思うの」
彼女は一瞬言葉を切り、柔らかな声で続けた。
「それに、私にとって特別な人じゃないと」
最後の言葉は、ほとんど囁くように。
その雰囲気に押されたのか、クラスメイトたちの反応が少しずつ変わっていく。
「そうだね、相沢君で良いんじゃない?」
「二人の掛け合いなら、見てて面白そう」
「他に立候補者もいないし」
「でも、俺......」
悠真が再度反論しようとした時、文化委員が
「じゃあ、王子様役は相沢君で決定!」
と声を上げた。
観念したように肩をすくめる悠真。
一方の沙月は勝ち誇ったように微笑んだ。
それから放課後の練習が始まった。
最初は台本を持ったまま、ぎこちない読み合わせをする悠真。
しかし不思議なことに、沙月と向き合うと自然と言葉が出てくるようになっていく。
「もっと堂々としなさい」
稽古の合間、沙月が小声で囁く。
「私のお相手なんだから」
「お相手って......まだそんな調子で」
「ふふ、だってシンデレラと王子様は運命の出会いなんでしょ?」
そんなやり取りを重ねるうちに、二人の息はどんどん合っていった。
王子様を演じる悠真も、次第に役に馴染んでいく。
特に、灰だらけのシンデレラを見つめる場面では、沙月の表情がひときわ輝いて見えた。
文化祭当日、シンデレラの公演は成功し、観客から拍手が送られた。
その夜、クラスの打ち上げが行われた。
カラオケで盛り上がり、写真を撮り合い、思い出話に花を咲かせる。
劇中のシーンを真似て「王子様~!」と悠真をからかう男子たち。
そんな賑やかな時間も、あっという間に終わりを迎えた。
「お疲れ様!」
「また明日!」
仲間たちと別れを告げ、いつものように悠真と沙月は並んで帰路につく。
秋の夜風が心地よく、二人の影が街灯に揺れる。
「楽しかったね」
沙月が微笑みながら言う。
「やっぱり悠真は私の婚約者だもんね」
「うん、本当に......えっ?」
悠真は歩みを止めた。
「待て、今なんて言った?」
「婚約者だもんねって」
「婚約者って......何の話だ?」
沙月も立ち止まり、不思議そうに首を傾げる。
「覚えてないの? 幼稚園の時」
沙月の声が少し震える。
「お砂場で、悠真が『大きくなったら結婚しよう』って......」
「あぁ......」
悠真の記憶が蘇る。
「でも、あれは......その......ただの子供の冗談というか......」
沙月の表情が凍る。
「冗...談...?」
「だって、あの時はまだ子供だったし......」
「私は本気だった!」
沙月が強い口調で遮る。
その声には、涙が混じっているようだった。
「ずっと......ずっと本気だったの!」
街灯の明かりに照らされた沙月の顔に、涙が光る。
悠真は慌てて言葉を探す。
「ご、ごめん......でも、沙月は俺の大切な親友で......」
「親友......」
沙月は苦く呟く。
「本当に大切だから! 幼稚園の頃から、ずっと一番の......」
「じゃあ」
沙月が顔を上げる。
涙は残っているのに、表情は意外なほど強気だ。
「いつか、ちゃんと本気で婚約してくれる?」
「は? なんでそうなる!?」
しかし、街灯に照らされた沙月の笑顔を見て、悠真は言葉を失う。
涙に濡れた瞳が、まるで星のように輝いていた。
心臓の鼓動が、少しだけ早くなる。
これは、親友だからだろうか——。
「ねぇ、答えてよ」
夜風に吹かれながら、悠真は自分の心の内を必死で探っていた。
それから数日が過ぎ、沙月の「婚約者」発言の意味を知った悠真は、彼女との関係を改めて考え始めていた。
幼い頃の何気ない約束を、これほど大切に心に留めていた沙月の純粋さに、戸惑いと同時に温かな感情が芽生えていた。
ある放課後、二人で下校する道すがら、紅葉が風に舞う中を歩いていた。
「ねぇ」
突然、沙月が立ち止まる。
「私、本気で悠真のそばにいられる未来がいいな」
夕陽に照らされた彼女の横顔に、悠真は言葉を詰まらせた。
「まあ......そばにいるのは、悪くないかな」
照れ隠しのような言葉に、沙月は柔らかく微笑んだ。
学校では相変わらず、二人の関係を囃し立てる声が絶えなかった。
「相沢君と桜川さん、やっぱり付き合ってるんじゃ......」
「違うって。友達だから」
悠真はいつものように否定する。
でも、その言葉を口にする度に、何か違和感が残るようになっていた。
友達という言葉では、もう収まりきらない何かが、確かにそこにあった。
季節は移ろい、桜が散り、新しい桜が咲く。
そうして高校生活が終わりを迎えようとしていた。
そして、それから数年後——
「悠真、ちゃんと手をつないでよ。今日は私が主役なんだから!」
純白のウェディングドレス姿の沙月が、タキシード姿の悠真の腕を引っ張る。
結婚式場の前で、春の風が二人の間を優しく吹き抜けていく。
「分かってるよ。緊張してるんだからちょっと待て」
「まだそんなこと言ってるの? 私の婚約者なんだから、もっと堂々としなさい」
「はいはい......って、もう婚約者じゃなくて......」
悠真の言葉を遮るように、沙月が彼の手を強く握る。
かつて「冗談」と片付けた約束が、今、現実になろうとしている。
幼い頃からずっと信じ続けてきた沙月と、その想いに少しずつ応えてきた自分。
結婚式場の扉が開く。差し込む陽光の中、沙月の横顔が輝いて見える。
(結局、お前の思い通りになっちまったな)
そう思いながら、悠真は沙月の手を優しく握り返した。
扉が静かに閉まっていく。
春の光の中、幼なじみだった二人の新しい物語が、今始まろうとしていた。