11・2 魔女様のお見立て
長い間夜空を覆っていた分厚い雲に切れ目が生じた。隙間から金色に輝く月が見える。
湖面に視線を転じると、わずかにその姿を映していた。
「アラン!」
「ええ!」
間髪いれずに返事をしたアランが、猛然と櫂を動かす。わたしたちを乗せた小さなボートは湖面をすべるように進んだ。
夏至の晩。澄んだ水をたたえる湖にうつる月に向けて、銀貨と壊れた馬の蹄鉄を投げ入れる。
それがステファンさんが連れてきた老人の教えてくれた魔女を呼ぶ方法だった。
夏至の晩は魔女が集まって宴を開いているのだそうだ。水面の月に向かってふたつの品を投げ入れると、宴の場所に届いて、運よく魔女がそれに気づいて興味を持ってくれると、現れるとか。つまり、現れない場合もあるのだ。
そして現れるのが良い魔女か悪い魔女かはわからないという。
だとしても、試さないなんて選択肢は私にはなかった。
アランは自分がやると言ってきかなかったけれど、どうしても私がやりたいと譲らなかった。私は自分の力でランベルト様を取り戻したい。彼が氷像になって、もう三週間になる。
ボートが十分な距離まで近づいたところで、ふと魔女様が気に入ってくれた歌を思い出した。小さく口ずさみながら、銀貨と壊れた馬の蹄鉄を月に向かって投げ込む。
ぽちゃんと音がして、沈んでいく。
あとは祈るしかない。奇跡が起きるように、と。
今日を逃したら、チャンスは来年までない。来年だって、曇り空だったり新月だったりすればこの儀式はできないのだ。
どうか、魔女が現れますように――。
「呼んだのは、あなたたち?」
頭上から声がふってきて、慌てて空を振り仰いだ。
宙空にほうきに腰かけた魔女様が浮かんでいる。私に祝福をくださった魔女様だ。
「魔女様!」
「ん? あなた、見たことがあるわね」
「ミレーナです! ミレーナ・オレフィーノ!」
魔女様の顔がパッと明るくなる。
「ああ! ご飯をくれた子ね。大きくなっていたから、わからなかったわ。どうして私を呼んだのかしら? あなたの願いなら、きいてあげてもいいわよ」
よかった。魔女様は私たちを助けてくれるかもしれない!
◇◇
氷像になったランベルト様は、熱で溶けるし衝撃で簡単に破損するらしい。だから筆頭魔術師様が強化魔法をかけ、厳重な警備をして守ってきた。
でも今は、魔女様に助けてもらうために魔法を解いている。
「ふうん。コレがねえ」
と言って、魔女様は湖岸に置かれた氷の像のランベルト様を、しげしげとみつめた。それからランベルト様の額に触れて、ふむふむと呟いている。
私とアランから説明を受けた魔女様は、とりあえずランベルト様を見ると言ってくださった。
『とりあえず』というのは、ほかの魔女がかけた呪いを解けるかどうかは、実物をみないとわからないからだそうだ。
私たちは急いで岸にもどり、待機していた陛下ご夫妻や筆頭魔術師様たち、そしてランベルト様を魔女様に紹介した。
月の光を浴びて、氷のランベルト様はキラキラと輝いている。美しいけど、悲しい。
「魔女様。どうでしょうか」
「うん、私には無理」
「……っ!」
即座に返された答えにめまいがして、よろめく。なんとか足を踏ん張ったけれど、『無理』? どうして?
「まず、これは呪いじゃないわ」と魔女様。
「どういうことですかな!?」と陛下が魔女様に詰め寄る。
「ただの魔法よ。条件が揃うと発動する時限方式の」魔女様はそう言って氷のランベルト様に触れる。「発動前なら、私でも解除ができた。でも発動してこの状態になったものを元に戻すのは、至難の技。しかも魔法をかけたのは大魔女みたいだから、絶対に無理」
「大魔女とは?」私が問うと、魔女様は
「齢千年の古老よ。彼女に比べたら私は子供。完成した術には太刀打ちできない」と言って、肩をすくめた。
「ではその大魔女様をご紹介いただけませんか」
「それも無理。彼女、数年前に死んだの」
「そんな……」
ではランベルト様はこのままなの?
「たぶん、本人も魔法をかけたことを忘れていたんでしょうねえ」と魔女様。「私たちって長生きなぶん、日々の出来事を覚えていることが苦手なのよね」
「魔女様。ほかになにか手立てはないのでしょうか」
「あるわよ」
「えっ!」
すがるような気持ちでの問いに、あっさり良い返事が返ってきた。
「どうすればいいのですか!」
「ちゃんと元に戻す条件も組み込まれているわ。さすが大魔女、魔法に死角なし!」
「教えてください!」
魔女様は急に口を閉ざすと、首をかしげた。
「魔女様?」
「私、あなたを気に入っているのよ。この男のことは諦めたら? 大魔女は短気ではあるけど暴虐ではないもの。それなりに理由があって、彼は氷になったのだと思うのよね」
「それは否めません」とアランは言うと、その場に平伏した。「魔女様。方法をお教えください。私が行います」
「無理」とまたも言下に否定する魔女様。
「なぜです!」と叫ぶアラン。
「最低限、女じゃないとダメだから」魔女様はそう答えて、私を見た。「この男を真実愛している女がキスをすれば元に戻れる。ただし、愛が真実でなければキスした女も氷像になる。大魔女ってば、相当に怒り心頭だったのね」
「ミレーナ様!」とエマがやって来て私の手を取る。「無理をしてはなりません! ノエル様が帰りを待ってますよ」
「そうね」とウルスラ叔母さまも来る。「あなたの安全が保障できないのなら、やらないほうがいいわ」
「恐らくランベルトもそう望むでしょう」と王妃様。
「……君の意思を尊重する」と陛下が苦悶の表情で言う。
アランだけが、泣きそうな顔をして頭を地面にこすりつけた。
ランベルト様の前にひざまずく。
うつむき加減の彼の唇にキスをする。たじろぐほどの冷たい感触。




