10・1 ランベルト様の隠し事
ランベルト様の白い手袋に包まれた指が、私の頬をゆっくりとなぞる。
晩餐のあと応接間に移動して、ふたりで過ごす寝るまでのひととき。セストが来たころから、距離感がだいぶおかしなことになっている。
ランベルト様は私を自分のひざにすわらせるのだ。私はいつも心臓がバクバクとうるさくなるけれど、ランベルト様はまったく平気な顔をしている。
わたしばかりが翻弄されて、ちょっとずるいような気がする。だけれどランベルト様の目をのぞき込めばそこには静かな熱があるようで、彼が平然としているように見えるのは気のせいなのかもしれない。
うるさい心臓をなだめながら、思い切ってランベルト様の手に自分のそれを重ねて彼の目を見た。
「ひとつ、よろしいでしょうか」
「なんだろう」
「お答えしてくださらなくても、構いません」
そう言って彼の手を両手で包み込む。
「なぜ、いつも手袋をしているのかが気になります。陛下との契約書にも『直接触れてはならない』と書かれていました」
ランベルト様は表情を変えることなく、私をじっとみつめている。
「尋ねてよいものかどうか、ずっと迷っていました。でも、このことに触れないのは不自然かな、と」
ふい、と視線をそらされた。
うつむいたランベルト様が、長く息を吐く。
「お気分を害してすみません」
「いや」と、彼はうつむいたまま答える。「いつかは話そうとは思っていた。私はミレーナに誠実でありたい。だが同じくらい」彼がゴクリと唾をのみこむ音がした。「嫌われることが怖い」
「『話さないから不誠実』だなんて思いませんし、ランベルト様を嫌うことなんてありません」
ランベルト様が顔をあげて私を見た。アイスブルーの瞳が、不安げに揺れている。
「セスト・デマルコよりも最低な男だとしても?」
「それはちょっと想定外ですね。とてもそんな風には見えませんけれど」
手にそっと力をこめる。
「無理に話さなくていいのです。どちらかと言えば、そのことを伝えたかっただけですから」
セストはランベルト様が魔女に呪われていると話した。それが本当かどうか、気にならないと言えば嘘になる。けれど、絶対に真実を知りたいというわけでもない。
彼の手に直接触れてみたいとも望んでしまう。でも、そのワガママを押し通そうとも思っていない。
すべてランベルト様が望むままに、というのが一番の気持ちだ。
勇気をふるってランベルト様にもたれかかり、
「今日はウルスラ叔母さまがきて――」
と、話題を変えた。いつもどおりの夜にするために。
◇◇
目を丸くしたノエルが応接室をぐるりと見渡す。
「予想以上の豪邸だ。公爵位というのはすごいんだね」
ノエルは長旅を終えて、ストラーニ邸に先ほど到着したばかり。予定より半日ほど早まったおかげでランベルト様の出勤時間に当たってしまった。ノエルは屋敷の主がいない今のうちにとばかりに、ストラーニ邸を値踏みしているみたいだ。
「やっぱりさ、普通に考えたらこんな屋敷の当主が、落ちぶれた伯爵令嬢を妻に迎えるなんておかしいよ。姉上、大丈夫? だまされていない?」
「大丈夫よ。ノエルが信じられない気持ちはわかるけど。それよりすわって。お父様のお話をきかせてほしいわ」
「そうだね」と言った彼と長椅子に並んですわり、お互いの状況を話す。
会うのは三ヵ月ぶり。それほど長い期間ではないはずなのに、ノエルは記憶の中よりも背が伸び大人びている。
もともとしっかりした子だったけれど、陛下に派遣された医師と魔術師の対応や予想外の叔父の犯罪の対処で、より立派になったみたいだ。お父様よりも当主としての貫禄がありそうに思える。
「でも、姉上だって。オレフィーノ邸にいたときよりもずっと生き生きとしているよ」
「お食事がおいしいからかしら」
ぶふっと吹き出す音がした。目を向けると扉のもとに、いつの間にか帰ってきたランベルト様とアランさんがいる。吹き出したのは、明らかにアランさんだ。肩が震えているもの。でも、部屋の片隅に控えているエマも同じ様相だった。
「私と一緒にいるからと言ってほしい」とランベルト様が不満そうにとがめる。
すかさずノエルが立ち上がる。
私が彼らを紹介し終えると、ランベルト様は凍てつきそうな目をノエルに向けて、
「私のことはぜひ義兄上と呼んでくれたまえ」と頼んだ。
ランベルト様は兄妹の一番下だ。
「もしかして弟妹を持つことに憧れていましたか?」
私がそう尋ねると、
「違いますよ」とアランさんが答えた。「単純にミレーナ様の弟君に、『家族』として認められたいだけです」
ランベルト様が真顔でうなずく。
「えっと……」とノエルが少しだけ戸惑いの表情を見せてから、「それでは、義兄上と呼ばせていただきますね」と言う。
そのとたん、ランベルト様のお顔が明るくなった。喜んでいるらしい。
私は『ほらね、心配ないでしょう?』という気持ちをこめてノエルを見る。
ノエルも私の伝えたいことがわかったらしい。軽くうなずくと、
「義兄上、姉をどうぞよろしくお願いいたしますね」とまるで保護者のようにお願いしたのだった。
◇◇
晩餐後の、ランベルト様とふたりで過ごすひととき。今夜も彼の膝の上にすわらされている。
「ノエルはずいぶんとしっかりしているな」とランベルト様。
「父と私が頼りないせいか、大人びてしまって。うちで一番頼りになるんです」
「君はふわふわしているが、芯があるではないか」
そう言ってランベルト様が口角をあげる。微笑んでくれたのだ。
ドキリとして心臓が跳ね回る。
「そうでしょうか」
「そうだとも。ミレーナはとても素敵だ」とランベルト様が頬にキスをする。「ノエルも家族に愛されて、まっすぐに育ったのだとよくわかる」
「母を早くに亡くしましたから。淋しい思いはさせたくなくて、家族三人で過ごす時間を大切にしました」
そっとランベルト様の片手に自分のそれを重ねる。彼の幼少期はあまり楽しいものではなかったはずだから。
そこに、ランベルト様のもう片方の手が重ねられた。
「ノエルに会って、ますます思ったよ」
「なにをでしょう?」
「ミレーナのお父上に、きちんと挨拶をしに行かねばならないとね」
「でも、近衛騎士団長としてご多忙ではありませんか」
「非礼の言い訳にはならないさ」
実はランベルト様は婚約が決まったときから、いずれお父様に挨拶に行くつもりでいたという。陛下も了承ずみだとか。ただ、ザネッラ商会の調査を秘密裏に進めていたために、長期休暇を取れなかったそうだ。
だけどザネッラ商会の犯罪を立証し、関係者をほぼ全員逮捕できた。あとは残務処理さえ済めば都を離れられるという。
「ランベルト様。いつも私のことを気にかけてくださり、ありがとうございます」
「当然ではないか。私の大切なひとだ」
彼は私の手を持ち上げると、ちゅっとキスをした。だけど、目を伏しそのまま動きを止める。
「どうかなさいましたか?」
ゆっくりとランベルト様は目をあげて、私を見た。
アイスブルーの瞳は私を凍らせんとばかりに、力強い光を放っている。
「ミレーナ」
「はい」
「君には、以前会っている」
「それは冬の中央広場ではなく、ということですか」
「そうだ」
美しい瞳を見つめながら、記憶を探る。
というか、探るまでもないと思う。だってこんなに美しい人に会っていたら、絶対に忘れるはずがないもの。もしかして――
「絶対に私だとはわからない格好をしていた」
やっぱり。でなければ、記憶に残っていないなんておかしいもの。
「それはいつのことでしょうか」
ランベルト様の喉がコクリと小さく鳴った。彼の緊張がひしひしと伝わって来る。
それだけ、彼にとっては言い難い話なのだ。
無理に話さなくていいと伝えるべきなのか、黙って待つべきなのか。いったいどちらがランベルト様のためになるのだろう。
「ザネッラの件が落ち着いたら」しばらく逡巡していたランベルト様が、かすれた声を出す。「そのときに、すべて話す。君に出会ったときのことと、なぜ私が手袋を外せないかを」
「わかりました」
相当な覚悟をしての宣言なのだと、私でもわかる。
「話を聞いてなお、君が私でも構わないと思ってくれるなら、結婚してほしい」
ランベルト様は、それが叶わないことであるかのようにつらそうな表情をしている。きっと今は、安易な返事をしてはいけない。
「それがどのようなお話であったとしても。誠実であろうとするランベルト様への尊敬の気持ちは、変わらないでしょう」
彼の目が、すこしだけ見開かれた。それからランベルト様は小さくうなずくと、
「嬉しいよ」と囁いた。
ただその声音は、どことなく淋しそうなものに聞こえたのだった。




