9・2 殺害計画?
ストラーニ邸の応接室に入ったセストは不安そうにあたりを見回してから小声で、
「この屋敷の人間は全員を信用できるか?」と尋ねてきた。
私が「もちろんよ」と答えても、彼のおどおどとした態度は変わらなかった。相当に怯えているみたいだ。
「今日は近衛騎士団長はいないのか。彼にも話を聞いてもらいたいんだが」
「勤務中よ」
セストはため息をつくと、椅子に浅く腰かけた。部屋にはわたしたちのほかにエマと執事長、さきほどの護衛がいる。
「近衛騎士団長をのぞいて、ここだけの話にしてほしいんだ」とセスト。
「大丈夫、安心して。あなたの百倍は信用できるひとたちだから」
セストは顔をしかめた。
「……婚約破棄したことは悪かった。どうかしていた」
驚いた。この前王宮で会った時とはえらい違いだ。
「いったいなにがあったの? 『殺される』って、どういうこと?」
「ナタリアに――というか、ザネッラ一族に殺される。たぶん」
セストが身震いをする。
「結婚してから、少しづつ体調が悪くなっている。でも、あまり気にしていなかった。父上が急死してからはかなり忙しくなって、そのせいだろうとも思った。だけど」
言葉を切って、ごくりと唾を呑み込むセスト。
「オレフィーノ伯爵が叔父に毒を飲まされていたと聞いた。少しづつ体を弱らせられていたとか。今の僕は伯爵と同じような症状に思える。きっと同じ毒を飲まされているんだ」
「ちょっと待って。どうしてそう思うの? ナタリア様と相思相愛で結婚したのでしょう?」
「父上の事故」と、泣きそうな表情のセスト。「不審な点がいくつかある。でも父上が狙われる理由なんてないから、不幸な偶然が重なったんだと思った。でも僕の調子は日に日に悪くなり、ザネッラの人間が理由をつけては領地経営に首をつっこんだり、うちの財産をこっそり調査したりしている」
判断に迷い、執事長を見る。彼は、
「それだけでは、なんとも……」と言葉を濁した。
「これ」と言って、セストはふところから薬包紙のようなものを取り出して卓上に置いた。「ナタリアの私物をあさってみつけた謎の粉だ。数えられないほど沢山あった。騎士団長ならば、ちゃんとした機関で調査をしてくれるだろう?」
「そうね。相談してみるわ」
「相談じゃなくて!」と彼は声を荒げた。「絶対調査を頼みたい。怖くて生きた心地がしないんだ。ミレーナを騙そうとしたことは謝る。だから頼む。助けてくれ!」
セストが深々と頭を下げる。
こんなに参っている彼は、見たことがない。たぶん本当に怯えているのだ。
「セスト、前伯爵夫人は? 都にお連れしているの?」
セストの予想が仮に事実だとしたら、ひとりで領地に残っているのは危なくないだろうか。
「母上は『ナタリアの振る舞いを許せないから』という口実で、実家に帰ってもらった。俺は金策のためと嘘をついてひとりで都に来ている。実際ナタリアの浪費は激しいし、そのせいもあって母上と彼女の仲は悪い。かといっていつまでも都にいたら、ザネッラに伯爵家を乗っ取られるだろう。頼む、助けてくれ」
「自業自得では」とエマが私にしか聞こえないように囁いた。
確かにそうだけれど、彼の憔悴ぶりは嘘ではないだろう。それにここで見捨てるには、私たちの付き合いは長すぎる。最後は嫌な別れ方をしたけれど、楽しいこともあったのだ。もし本当にセストが死んだら、私はきっと後悔する。
「わかった。絶対に調査してくれるよう、お願いする」
セストはほっと息をついた。
「ついでに、ここに滞在させてもらえないだろうか」
「断るわ。さすがに図々しいわよ」
「……ごめん」
驚いた! セストが素直に謝った!
「どこにいても、ザネッラに見張られている気がするんだ。タウンハウスにいても落ち着けない。勿論、街中でも」
本気で恐怖を感じているらしいセスト。なんとか助かりたくて近衛騎士団長の婚約者になった私に助けを求めたものの、手紙に返事はなく。必死になって、私の尾行と待ち伏せをしたらしい。今日でなんと三日目だったとか。
さすがに可哀想に思えてくる。でも――
「セスト。ひとつだけ伝えておくわ」
これはとても大事なことだ。
「今回は命がかかっているというから、助ける。でもあなたのしたことを、許したわけではないわ。こんなことでなければ、関わりたくもない」
セストが力なくうなだれる。
ごめん、という言葉が聞こえたような気がした。
◇◇
その晩帰宅したランベルト様にセストの話をしたら、最近柔らかくなってきていた表情が、一気に険しいものへと変貌した。
いくら事情があるとはいえ、やっぱり彼の留守中に勝手に人を――しかもセストを――招いたのはよくなかったのだろう。
『ごめんなさい』と謝ろうとしたら、それよりも先に抱き寄せられた。
「君が優しい人柄なのはわかっている。だが、あいつに近づいてほしくない」
耳に囁かれたのは苦悩に満ちた声だった。
「ごめんなさい。でも無視をしたら私は罪悪感に捕らわれそうで。ほうっておけなかったんです」
「わかっている。君はそういうひとだ」
ランベルト様がぎゅうぎゅうと私を強く抱きしめる。
「でも、できることならあいつと話してほしくないし、目を合わせてほしくないし、同じ空気を吸ってほしくもない」
「…‥‥」
えっと?
「おかしなことを言っている自覚はある」とランベルト様。「だがあいつは、私が出会う前のミレーナを知っている。悔しくてたまらない」
胸が痛くなった。ランベルト様を苦しめたくはない。
だけど、こればかりはどうしようもないと思う。言葉を探し、
「今の私にとって大切なのは、ランベルト様です」と伝える。
「わかっている。私が狭量なのだ」
そう言ってランベルト様は私の額にキスをした。
「あの男のことはひねりつぶしてやりたいほど嫌いだが、君の頼みならば薬は鑑定に出そう」
「ありがとうございます」
「……まあ、あれだけやった私を頼って来たのだから、相当参っているのだろうしな」
「禁忌の精神攻撃ですか」
あとになって知ったのだけど、禁忌術は王族しか閲覧できない魔術書にしか載っておらず、またかなりの魔力量を持つ者しか扱えないのだそう。そんな背景を知らずとも、ひとたび攻撃を受ければ、その恐怖は心の奥の奥までに染みつくとか。
「まだ猶予はあるみたいですけど、彼は心底怯えていますもの」
私の言葉にランベルト様がうなずく。
殺されると確信しているセストだけれど、まだその時期ではないとも考えてもいる。
殺害が実行されるのは、ナタリアがセストの子供を産んだときだと思われる。
誕生前にセストが死ねば、伯爵位が縁戚のものになる可能性があるからだ。
「子が生まれるまで、残り三ヵ月」とランベルト様。「君と婚約をしていたころから別の女性とそのような仲だったなど倫理に反することだ」
それは私も思う。
「だが、きちんと白黒はっきりさせるさ。ザネッラ商会の犯罪の証拠が増えれば兄上の憂いも晴れるしな。この件は私が引き受けるから、ミレーナはもう彼に会わないでくれ」
わかりましたと約束をする。
元婚約者に会えなくなったって、なにひとつ困ることはない。
彼なんかよりもずっと、ランベルト様のほうが大切だから。




