7・1 はじめてのデート
ストラーニ邸のエントランスホールから外に出ると、そこには一頭の美しい白馬がいた。
ほかにはなにもない。
隣に立つランベルト様を見る。
「今日は馬でお出かけなのですか」
おもむろに頷いたランベルト様は、すぐに眼光の鋭さを増しましにした。
「馬車のほうがよかったか!」
「伝えていなかったんですか」と、そばにいたアランが額を押さえる。
「デートは馬で行くものだと兄上が……」
「んなわけありますか」と嘆息するアラン。「なに騙されているんですか。これだから交際経験のない恋愛音痴は困る」
ランベルト様が氷のようなお顔のまま、むぐっと言葉に詰まっている。
「令嬢が乗馬に慣れているとでも思っているんですか? 契約婚の相手と体を密着させたいと?」
畳みかけるアランさんに、ランベルト様の顔色が悪くなる。
「……わかった。執事長馬車の用意を大至急だ」
「待ってください!」ランベルト様たちのコントのような会話に、急いで割って入る。「私は馬で大丈夫です。少し驚きましたが、それは、なんというか――」
言葉を切って、考える。お出かけがまさか馬車ではなく馬だとは思わなかった。それは、なぜ?
ランベルト様が馬に乗る姿は最初に見ている。
――ああ、そうだ。
「公爵様は、私にあまり触れたくないのかと思っていたので」
食事時に倒れたときは、手を当て痛みを取り、直接抱き上げて運んでくれた。
だけど常に手袋をしているから、本当は潔癖症で女性に触れたくないのだろうと考えていたのだ。
でもランベルト様は目を見開いて(怖さがまた増した!)
「まさか」と間を置かずに否定した。「触れたくて仕方ないのだが?」
「はいっ!?」
今、なんて?
心臓が破裂したかのようにうるさくなり、顔が熱い。
ランベルト様も、
「あ……」と声を出したあと、頬が次第に赤く染まっていく。
しばらくの間、お互いに向き合ったまま動くことができなかったけれど、このままでは埒があかない。ランベルト様がガチガチに緊張しながらデートに誘ってくれたのだから、今度は私ががんばる番だろう。
「それでは、お出かけしましょうか」
声をかけて手を差し出す。するとランベルト様ののどがゴクリと鳴った。
ぎくしゃくとした動きで私を抱き上げ馬に乗せ、すぐに自分も続く。
「かっこよさが微塵もない……」とアランさんがエマにこぼすのが耳に入ったけれど、聞こえなかったことにしよう。
だって普段、いかにも切れ者に見えるランベルト様がこんな様子になっているのは、ものすごく可愛いもの。
あきらかに緊張しているランベルト様だけど、馬は無難に歩き出してくれた。見送りのひとたちに『行ってきます』と挨拶をして、お屋敷の庭を進む。
背後から、
「落ち着いて行動するんですよ――」というアランさんの叫び声が聞こえてきた。
首を巡らせてランベルト様の顔を見上げると、お顔の怖さが普段比十倍になっていた。
私も緊張で心臓が破裂しそうなほどドキドキしているけれど、きっとランベルト様もなのね。
ほほえましく思っていたら、ふと、思い出した。彼と婚約をした日のエスコート。
「公爵様。以前王宮でエスコートをしてくださったとき、異常に早足だったのは、もしかして緊張なさっていたのでしょうか」
ぎろり、とランベルト様が私をにらむ。
「……スマートな対応ができなくて、悪かった」
やっぱり!
「てっきり私をエスコートするのがおイヤなのだと思っていました」
「まさか!」とランベルト様がまた目力を増す。「いや、そう思われても仕方ないか。次は、きちんとやる」
「お心遣いをありがとうございます」
「口下手なのも、すまない」
「口達者が良いとは限りません。セストは上手いことを言って私を騙そうとしましたし」
元婚約者の名前を無意識のまま口にして、すぐになんとも言えない気持ちになった。
先日暴行罪で捕まった彼は、保釈金を支払って牢を出た。もう領地に向かっているはずだ。
ランベルト様によると、彼が主張していた『貴族社会からつまはじきにされている』というのは事実らしい。
だけど、誰かの差し金なんかではない。セストもナタリアさんの実家であるザネッロ商会も悪評まみれで、それが原因だという。
セストは婚約を解消した翌日に別の女性と婚約したことが、非難されている。
ザネッロ商会はだいぶ以前から、上位貴族の間では違法な商売をしているとみなされているとか。だから叙爵される可能性はまったくなく、ナタリアを妻に迎える貴族もいなかった。情報に疎く愚かなセストを除いては、ということらしい。
セストのことはもう、幼馴染とすらも思っていない。
それでも、かつては親しかったひとの人生が転落しかかっているというのは、悲しい。
コホンとランベルト様が咳ばらいをした。顔を見上げると、またまた恐ろしい表情だった。
「今は私とのデート中だ」
「はい。存じておりますが」
「……わかっているなら、いい」
私はよくわからない。
そもそも、ランベルト様が私をどう思っているのかも、わからない。好かれてはいる、ような気はする。だけど彼からそのような言葉をもらったことがないのだ。
もしかしたら私の盛大な勘違いということもあるかもしれない。
今日だって『デート』としてお誘いを受けたけれど、シャルロット様に勧められて婚約者としての義務を果たそうとしているだけなんて可能性もある。
――そうだとしたら、さみしいような気がする。
私は義務のデートでは嫌みたいだ。
街中を進む私たちは、ものすごく注目を浴びている。主に、ランベルト様が。
「……ミレーナ嬢」と、ランベルト様。
「よく考えたら、今日の行き先について、君の意見をきかずに決めてしまった」
思わず、クスリと笑う。
確かに私は訊かれなかった。だけどランベルト様はウルスラ叔母さまやエマにアドバイスをもらっている。私を楽しませるために。
そこまでしてもらって、不満なんてあるはずがない。だけど――
「では次は、一緒に決めましょうか」
そう言うと、ランベルト様の氷のお顔がふにゃりと崩れた。
「それは、いい案だ」
「もちろん、今日の目的地も楽しみですよ」
行く先は王立植物園だ。そこにある特別温室には、プラントハンターが集めた世界中の珍しい植物があるとか。聞いただけでもわくわくする場所だ。
「そうか。よかった。貸し切りにした甲斐がある」
「貸し切り!?」
驚きのあまり、大きい声をだしてしまった。だけどランベルト様は当然のようにうなずいた。
「兄上がデートのときは、そうするものだと言っていた」
「……そうですか」
それが王族の常識なのか、陛下の弟への配慮なのかは、わからない。
私にはなかなか慣れることはできそうにないけれど、ランベルト様が一生懸命私のために考えてくださっているのだと思うと、とても嬉しい。




