第六話
紫色のフードから現れた白く発光しているような顔が、アグニたちの方へ向けられた。彼女は赤い唇の両端を上げ、微笑みかけた。ヘビのような黒い瞳のつるりとした表面に、紫色の光が映って炎のように揺らめいている。
金に近い茶色の髪は金属のような光沢があり、照明の色と重なって複雑な色合いに輝く。紫色のローブをまとった妖麗なその女性は、アグニたちの席へとしなやかな足取りで歩み寄ってきた。アグニに、 刀剣を投げたアマゾナスだった。
ファルコは彼女が差し出した白い手をとり、その長く細い指に軽く口づけした。
「またこうして君に会えて嬉しいよ、ターニャ。」
アマゾナスのターニャは、くすっと上品に笑った。
「おかしな人ね、先程お会いしたばかりじゃないの。」
甘く滑らかな声。まるで、蕩け落ちる蜜のようだ。
彼女はアグニに向き直り、恍惚とした満面の笑みをうかべた。
「あなたの戦い、とくと拝見させていただいたわ。素晴らしかった・・・素晴らしいアウラだった。」
「・・・どうも。」
アグニはどう受け答えしていいかわからず、しどろもどろしてぼそっと答えた。
「お前をターニャに会わせたかったんだ。それで、ここに来てもらった。俺と彼女は、以前からの知り合いでね。」
困惑しているアグニに、ファルコが事情を明かした。
ターニャはローブを脱いでウエイトレスに預けた。なめし革のボディースーツが、見事な曲線を描いている。
ファルコは椅子の背を引いて彼女を座らせた。彼女が座りきるのを見届け、アグニとファルコは席に座りなおした。付き添いのドップ・ファミリーは少し離れた席についた。
ターニャの挙動はどれをとっても女性らしく、色っぽかった。猛々しく戦う姿など想像もできない。だが戦闘になれば、一変して残虐な猛獣と化す。それがアマゾナスの女戦士だ。
「素敵なお店ね。紅蓮洞にはもったいないわ。」
ターニャは白い歯を見せて笑み、ファルコに感想を述べた。
アグニは食べかすが乗った皿をちらりと見やった。ターニャはアグニの気まずそうな視線に気付き、慈愛に満ちた笑みをこぼした。
「いいのよ。あなたに充分な食事をとらせるよう、私が彼に頼んだの。成長期の男児はもっと食べなきゃダメよ。がりがりじゃないの。」
まるで母親のような口調だ。アグニは苦笑いした。
「不思議ね・・・そんなに痩せてるのに、いったい何処からあれだけの力が引き出せるのかしら?」ターニャは頬杖をつき、アグニを観察するように見た。
「・・・飢餓状態の獣が強暴なのと同じかな。」
「間違いないな。」
アグニの冗談に、ファルコは真顔で相槌を打った。
ターニャは、真に受けたように顔を顰めた。
「それは好ましい状態じゃないわね。遠慮しないでもっと食べて。私はもう済ませてきたから。」
アグニが残りの料理を片付けている間、ターニャは酒を飲みながらアグニにいろいろと質問した。アグニはそれらに正直に答え、時々ファルコが口をはさんだ。
家族や友人のこと、仕事のこと、デスマッチに出場することになったきっかけなど、特に面白みもないアグニの生い立ちを、ターニャは飽きる事無くこと細かく聞いてきた。アグニが話すたびに、彼女は彼の言葉を一音一句聞き逃すまいと真剣に耳を傾けた。
アグニは彼女がなぜここまで自分に関心を示しているのか疑問に思いながらも、嫌な顔ひとつせず彼女に付き合った。初対面の相手に対し、何の警戒もない自分に戸惑いはあった。ターニャの甘く蕩けるような声と母親のような眼差しが、いつになくアグニを素直にさせていた。
「あなたって本当に無垢な子ね。彼が話してた通りだわ。」
ターニャは感嘆のため息をもらした。
アグニは自分を無垢な子供だと思ったことは一度も無い。彼女の言い草だと、ファルコにそう思われていたことになる。疑問はあったが、アグニは聞き流すことにした。
(探していた〝器〟に間違いないわ。)
「・・・・?」
ターニャがくつろいで足を組み替えた瞬間に、アグニの中に届いた彼女の意味深な思考。同時に、アグニの中に違和感が走った。悪寒といってもいい。アグニは、優しく微笑むターニャの黒い瞳の奥に隠された何かを感じ取った。それは一瞬だったが、アグニが気づくには充分だった。
ターニャは、アグニに対する強い関心を利用して閉心している。一瞬のわずかな気の緩みが閉心に亀裂を生み、アグニに本音を垣間見せた。
「・・・もう質問は終わり?」
アグニが急に不機嫌になったことを感じ取り、ターニャは少し戸惑った。
「そうね、大体は。」
「じゃあ、おれの番だな。」
ターニャは背もたれにもたれ掛かり、手を差し出してアグニに質問する権利を与えた。
「何が目的?」
「・・・と、言うと?」
アグニの簡潔な質問に、ターニャは少し首をかしげてみせた。彼女に分かるよう、アグニは言い直した。
「おれに何の用だ?あんた達アマゾナスの〝種馬〟にでもなれってか?それなら〝器〟じゃなくて〝種子〟だよな。」
アグニの挑発的な発言に、ターニャは眉をぴくりと動かした。アグニを見据える黒い瞳に、険しさが生じる。聖母のような微笑は消え失せ、冷淡な表情に変わった。彼女のヘビのような顔立ちには、今の表情の方がよく似合う。
しばらくの間、沈黙が流れた。険悪な雰囲気の中、ファルコは落ち着いた穏やかな表情で2人を見守っていた。少し面白がっている感もある。
「・・・どうやら、私達の事を誤解してるようね。」
突き刺さるような冷気を放つ声色で、ターニャが沈黙を破った。
「じゃあはっきり教えてくれよ。閉心してないでさ。」
アグニは、内心ではアマゾナスを侮辱したことを少々後悔しながら、平常心を装って切り返した。
ターニャは生意気な若造を無言で睨みつけた。アグニは、それを真っ向から受けて見返した。しばし睨み合った後、ターニャが先に視線を逸らした。彼女は短くため息をつき、表情を和らいだ。
「子供だと思って少し見くびってたわ。」
甘い声に戻ったターニャは、ファルコにちらっと視線を送った。ファルコは無言で笑み、酒を一口飲んだ。
「じゃ、本題に入りましょう。」ターニャは仕切り直すように、一度軽く手を叩いた。「ファルコからは、何か聞いたかしら?」
アグニはちらりとファルコを見やった。
ファルコは軽く肩をすくめた。
「説明は得意じゃないんだ。すべて君に任せるよ。」
ターニャは呆れたように少し笑った。
「それなら・・・率直に言うわね。あなたは気の長い質じゃなさそうだから。」
その通りだと言わんばかりに、アグニは腕組をして見せた。
「アグニ、あなたの力を私達に貸してほしい。」
真剣な目で、ターニャはアグニに申し出た。
アグニは困惑しきった表情をしてみせた。
「〝種馬〟になるのは御免だ。」
ターニャはアグニの冷やかしにはぐっと堪え、彼を真剣な目で見据えた。
「その話は追々ね。これはもっと大事な話よ、いいかしら?」
「・・・・。」
ターニャの賢明な態度を見て、アグニは茶化すのをやめて彼女の話を聞くことにした。ターニャはそれを感じ取り、満足そうに少しだけ微笑んだ。
そして、彼女は怖いほど真剣な表情をして話を進めた。
「・・・私達アマゾナスとグールの同盟軍は一ヶ月前、北アクのバース連盟に屈辱的な大敗を余儀なくされた。それは、あなたもご存知ね?
連中は強かった。想定の範囲をはるかに超えた戦力を備え持っていた。対人戦力では我々の方が僅かに勝っていたわ。でもファミリアを用いた戦闘では、我々は連中の足元にも及ばなかった。敗因はそこにある。
北アク東部を統括する武将、ラシュトラ・ヘル率いるたった8人で構成された少数精鋭部隊、八部衆・・・それがバースの主戦力よ。彼らには、我々が現時点で持つすべての霊的戦術を駆使しても敵わない。」
ターニャは屈辱に顔を歪めた。
北アク東部の武将ラシュトラ・ヘル。アグニはその名を聞いて身震いした。彼は戦場で、その姿を見たことがあった。見たとは言っても直接ではない。アグニは前線に立っていなかったため、肉眼ではなく遠距離透視で彼を捉えたのだ。
切り裂かれた死体で埋め尽くされた、粉塵舞う戦場に立つ白い影。それは目を見張るほど強靭な大男でも、発狂して暴れる獣でもない。
アグニと大差のない体格をした、整った顔立ちの青年だった。だがその青年は、異質で威圧的な存在感を放っていた。
鋭い琥珀色の目が、周囲に散る炎の明りで照らされ金色に輝く。そのあまりの美しさに、アグニは戦場にいることを忘れてしばらくの間見入ってしまった。
「あれは人じゃない。人の皮を被ったおぞましい化け物よ・・・!」
ターニャは声を震わせて吐き捨てた。
「・・・・。」
人の皮を被った化け物。それは人肉を食らうグールにも言えることだ。彼を見たとき、アグニもターニャと同じことを思った。だがそれはグールの怪物性とは別物で、もっと恐ろしい何かであった。
「必ず、必ず報復してみせる。あの忌々しい化け物を捻じ伏せ、バース・ヒルスタンのパイマーどもを殲滅してやる・・・!!」
「・・・・っ。」
ターニャの迫力ある憎悪と怒気に、アグニは思わず身を引いた。
「・・・報復するも何も、あれを制圧できるだけの戦力が無いだろ。それに、こっちが手を出さなければ向こうは何もしてこない。そりゃ悔しいし、憎くもある。でも、やり返して何の利益がある?また痛い目見るだけだぜ。」
アグニは、ターニャの気をなだめるように穏やかな口調で意見した。
「アグニ。連中は、あなたが考えてる以上に私達にとって危険な存在よ。私達の生命を脅かす集団なの。バースを制圧せずして、私達に未来は無い。」
「なぜ、そう言い切れる?」
「資源問題と民族性、それが理由よ。」
「・・・・。」
「南アクは、北アクよりもずっと早い速度でレゴリスに浸食さている。あと10年もすれば、紅蓮洞をもっと北に移動させなければならないくらいにね。
北アクとの和解も考えはした。でも、向こうは私達の習慣を受け入れはしない。私達のことを〝蛮族〟と呼び、蔑んでいる。決して平等に扱ってくれはしないわ。
グールが人肉を食べることを止め、アマゾナスが男児奴隷制を撤回したとしても。私達種族は一生、連中に見下され続ける・・・歩み寄ることはできないわ。
南アクがこのまま塵の海に沈もうと、北アクは私達を救済しやしない。連中にとって私達は、滅びて当然の野蛮な種族なの。
でも、土地は別よ。このまま南アク大陸が塵の海に呑まれることを、北アクが黙って見過ごすはずが無い。いずれ近いうちに、我々の手から南アクを奪い取りに来るわ。少しでも多くの資源を確保するためにね。」
ターニャの話は、少なからずアマゾナスの主観によって脚色された事実だ。アグニはそう解釈した。アマゾナスとグールが考えを改めれば、北アクは受け入れてくれるだろう。
確かに歓迎はされないに違いない。だが、生きてゆけぬほどの侮辱を受けるとも思えない。北アクには、それくらいの包容力はあるはずだ。
資源確保が目当てならば、北アクはもうとっくに南アクを攻め滅ぼしていてもおかしくない。そうしないのは、彼らにとって南アク大陸が取るに足りない領土であるか、南アク民との穏和な関係を求めているかのどちらかだ。
しかし1ヵ月前の戦いを知るアグニには、ターニャの北アクに対する不信感は理解できた。彼女ほどの復讐心は無くとも、降伏して言いなりになる気にはなれない。
「バースは、必ず攻めてくる。そう確信できる大きな理由があるの・・・。」
そう言ってターニャはアグニの方へ身を乗りだし、声を潜めた。
「ここからは、まだ公にされてない極秘情報よ。念のため読心してもらえるかしら?」
「・・・おれを信用してもいいの?」
ターニャは魅惑的な笑みをこぼし、身を元に戻した。
「私達があなたに信用してもらいたいのよ、アグニ。」
「・・・・。」
アグニはターニャに従い、彼女の思考を読んだ。
(バースが必ず攻めてくると確信できる理由。それは、この紅蓮洞に保管された1つの精霊石にある・・・大精霊石をご存知?)
アグニはうなずいた。
「聞いたことある。」
(結構。紅蓮洞の中枢部には、1つの大精霊石が厳重に保管されているの。それを手に入れたのは、ほんの数週間前のことよ。
ここの名にちなんで〝紅蓮の大精霊石〟と呼んでいるわ。業火を生む石よ。南アク一の財産といっても過言ではない。
それをバースは狙っている。私達は、何が何でもあれをバースから守らねばならない。あれがバースの手に渡れば、大変な武力になるわ。北アクと敵対する我々にとって、それはとても恐ろしい事であることは説明しなくてもわかるわね。)
大精霊石がどれほどの力を秘めているのか、アグニは知らない。だが、他のパイとは比べ物にならない物質であるということくらいは分かる。
紅蓮洞に大精霊石が保管されているという事実を聞かされ、アグニはたいして驚かなかった。大精霊石がどれだけ貴重なものであっても、彼には縁も所縁も無い話だ。
ただ納得はいった。バースほどの強大なコロニーが、大精霊石を求めないわけが無い。ここにあると知れば、必ず手を伸ばしてくるに違いない。
「・・・なるほどね。それで、そうならないよう連中を叩きのめしたいんだな。」
「ええ、その通り。」
「で?下級兵の端くれに何をしろってんだ?おれは読心術と、人の役に立たない予知夢しか能の無いパイマーだ。自慢じゃないが、ファミリアもろくに操れない。ジャーンが限界。
アウラを判別することすら苦手だし、バースの怪物どもみたいな霊能術を秘めてるわけでもない。まあ、肉弾戦には自信があるけど。」
ターニャは意味深に笑み、アグニの目を真っ直ぐ見た。
「あなたは、大きな可能性を秘めている。そしてそれは、バースに対抗し得る兵器となるものよ。」
「・・・おれが?」
アグニは思わず吹き出した。
「悪いが、頭も良くないんだ。分かるように説明してくれ。」
ターニャは自分の頭を指差し、思考を読むよう促した。
(ここからが、話の核心よ。心して頂戴。)
「長い前置きだったな。」
アグニはぼやいた。
「これでも相当かいつまんで説明してるのよ。あなたに、現状を把握してもらえる程度にね。」
ターニャは、回りくどい嫌味で言い返した。