第二十話
地下の都は朝から賑わっていた。普段よりも鮮やかな提灯とのぼりが縦横無尽に連なる通りには所狭しと屋台が立ち並び、どこからともなく横笛や太鼓、三味線の音色が鳴り響いている。
鎮魂祭の開催期間中は、許可証を持つ高位商人たち以外にも多くのバオド・パイマーが地下に招き入れられる。太陽神の御霊を鎮め、死者の冥福と人々の天寿全うを祈るのが鎮魂祭の意義ではあるが、実際はバオド・パイマーの偵察と人脈作りが目的であった。
ソレやティコのように、アイオンとなる実力があっても地上で暮らすことを選ぶパイマーは少なからずいる。
そういった者たちは独自の商売を営み、ギルド運営コロニーやウィンガル自治区といった各地に点在する自治コロニーと大抵は繋がっている。それらを把握し、彼らの動きを監視することは官吏たちにとって非常に重要なのだ。
燦々と輝く泉の前で、白地に金糸の刺繍が施された巫女装束を纏う少女が中央官吏とソレの付き添いの下、参列する人々の額に指で朱墨を押していた。彼女の広いおでこには、傷跡のように閉ざされた第三の目が窺える。
ようやく自分の番が回ってきたキラは、白イタチのアバターを外してティコの前に跪いた。キラが笑んでみせると、彼女はぎこちない笑顔を返した。紅をさしてはいるが、彼女の顔は緊張と不安で強張り青ざめていた。
ティコは3歳を過ぎた頃から、毎年こうして鎮魂祭で人々に祝福を捧げる役回りを担っている。バオド・パイマーではあっても由緒正しいアスカ一族であり、また太陽神の生まれ変わりとしての大事な使命なのだそうだ。
ティコの血縁者の大半は中央および各方面の文官職に就いている。アスカは代々イシュラ後継者を輩出してきた名家で、現在イシュラの代行を担っている中央官吏はティコの叔父にあたる。つまり、ソレの息子だ。
ティコの母親は他界しており、ソレのもう1人の息子で彼女の父親である男は札付きの変わり者だったらしく、彼女が生まれる前にバオドに出たきり行方不明になったそうだ。その消息は、未だつかめていない。
あわよくばティコと一緒に屋台を見て回りたいと思っていたキラだが、どうもそれは難しそうだ。参拝者の列は一向に減る様子が無く、日が暮れるまで彼女は解放されないだろう。
先に祝福を受けて待機していたカゲとリョウ、そしてキラの次に並んでいたシニの、合わせて3人の赤鬼武官と共に混雑した商店街を歩いた。
通りには都人の他、極彩色の半仮面型アバターとローブ姿のバルタナ上層階級者が集団で闊歩していた。虹彩や髪の色素と目鼻立ちから、アールヴ人かどうかは直ぐに見分けがつく。白銀色に近い金髪に青い目、大きな鉤鼻に、団扇を連想させるような立派な耳。おとぎ話に出てくる魔法使いは、きっとアールヴ人がモデルになっているに違いない。
この3日間だけは、頭上をパトロールするインプの数が最小限に止められる。その分、警備にあたる官吏の数が普段より多い。
インプを用いて監視を務めるカグヤ一派の魔導師たちは、太陽神では無く月の女神を信仰する。そのため、太陽神を祭る鎮魂祭は彼らにとって自粛期間なのだ。
魔導師ではなくとも、月の女神を信仰する者たちはいる。北アクの人口の約3割がそうだ。月の女神――クエドナを信仰することは悪魔崇拝に近しい。クエドナは荒御霊であり、冒涜すれば祟られると信じられている。
カグヤ家はその厄神の末裔であり、災厄を恐れるからこそ人々は彼らを崇敬する。忌避する者の方が格段に多いのだが、バースはカグヤの血に宿る力を高く評価しているため優遇していた。
ちなみに西の主バクシャ・ヌトは遠縁ながらカグヤ一派の能力者で、元々は魔導師だったが、今は心死にが危惧されているため召喚術は控え、社内で元老としての執務に専念している。
「?」
人ごみの中、キラは微かな違和感を察知した。独特のアウラだ、間違いない。ざっと周囲を見渡すと、1人の人物に目が留まった。
群青色をした遮眼クロス製のローブを細い身に纏い、フードを深く被っている。目元を覆う銀色の半仮面型アバターをつけているが、その美しく整った顔立ちは一度見れば忘れることは無い。
その可憐な少女は頬を染め、ふっくらした赤い唇で弧を描き、バオド商人が営む屋台の飴細工に見入っていた。
「――ユユ?」 「!」
キラが声を掛けると、ユユはびくっと身を竦ませて振り向いた。その額にはしっかり朱墨の丸印がついている。黒曜石の瞳が白イタチを捉えた途端、白い首筋が真っ赤になった。自身の醜態を人に見られた恥辱に、彼女は唇をわなわなと振るわせた。
カグヤ家の者が太陽神の祝福を受けるのは体裁が悪い。キラは侮辱する気は全く無かったのだが、好奇心から声を掛けてしまったことを申し訳なく思った。
ユユはキラの傍にいるシニ達を一瞥し、苦虫を噛み潰したような顔をした。そして唐突に踵を返し、逃げるように去っていった。
「・・・澄ましてても、やっぱまだガキだな」
シニ曰く、ユユとティコは地下の都にある寺子屋で数年間一緒に学芸を学んだ仲なのだそうだ。寺子屋は旧家の子供たちが伝統芸や学問を学ぶための教育施設である。ティコは3歳も4歳も年上の女子と同級で寺子屋に通っていたわけだが、ユユと友達だったとは意外だ。
対照的な2人が仲良く並んで机に向かっている姿を想像すると、キラはつい可笑しくなって口元が弛んだ。なぜか、少し羨ましくも思った。
「・・・・。」
この間はユユの酷い仕打ちに腹が立ったが、その時受けた印象ほど意地悪な子じゃないのかもしれない。
ユユの見ていた飴細工に視線をやった。長い尾鰭をなびかせる蜜色の魚だ。ヤクの見舞いがてら、邪魔してしまったお詫びに買っていこうか。そう思い、作業に集中している店主に呼びかけようとした時だった。
「キラ!」
「チッパ!」
後方で溌溂とした二通りの声が上がった。キラが振り返ると、液晶画面に表示された顔文字の笑顔と出くわした。
つなぎ服を斬新に着こなし、小幅の電動車椅子と画期的なアバターがとてもシュールだ。別の時代、別の次元の住人かと思われるほど奇抜な風貌をしたロベルトは、周囲の目が自身に注がれていることにまるで気づいていない様子で、嬉しげに寄ってきてキラの手を取った。
「会わせたい人がいるんだ、来て!」
ロベルトの膝に乗っていたリギー・バータンの幼虫ポポたん2世が胸に飛びついてきたため、キラは反射的に片腕で受け止めた。
「え、あ、ちょっ・・・」
ポポたんにまた会えたのは嬉しいが、突然現れたかと思いきや強引に引っ張って連れていこうとするロベルトには苛立ちにも似た抵抗感を覚えた。
「ロベルト、あまりキラを連れまわす訳には・・・」
「はいはい分ってる、ちょっとだけ。すぐそこの店だよ」
シニが諌めたのをロベルトはうざったそうに聞き流し、キラの気持ちなど無視してずんずんと進んでいった。赤鬼たちは溜息をつきながら、その後に付き添った。
テレキネシスで車椅子ごとひっくり返してやろうかと思ったが、この人混みの中でそんな危険な真似をすると怪我人が出るかもしれない。社の外では衝動的な行動を控えるよう、耳にタコができるほどヨミに言い聞かせられているキラは、ぐっと我慢してロベルトの先導に従った。
まだ店開きしていない遊郭の開け放たれた三階窓から、通りを行き交う群集の波を気だるそうに眺める天狐面の青年。
「・・・・。」
窓枠に凭れ、何の温かみも無い合成繊維製の畳に片膝を立てて座っているヘルは、薄暗い座敷に上がってきた花魁を一瞥し、無言のまま視線を外に戻した。
「・・・そないに格子開けてはったら、隠れてる意味ありゃしまへんよ」
華美な半仮面型アバターと淡い菫色をした長襦袢姿の花魁は、独特の冷ややかな口調でヘルに文句を垂れた。
「今頃ヨミはん、きっと血相変えて探してはるやろし。気の毒やわぁ・・・まったりしとらんと、はよお行きよし。あて、そろそろ準備せなあきまへんのや。バルタナの旦那様方がおいでる前に、たんまりやつさなあかへんさかい――」
「玄武、俺に何か朗報はないのか」
ヘルが明け透けに切って返すと、彼女は一瞬きゅっと口を真一文字に結んだ。
「・・・ここでその呼び方は止めとくれやす」
白夜蓮玄武隊隊長――四獣が一角、玄武のキノスラ。遠耳(離れた場所の物音、人声を聞き取る能力)の持ち主で、情報収集の練達者である。
四つの隊に分かれる暗部は本来、各隊の持ち場で官吏たちの監察活動を行っている。青竜隊は東部、朱雀隊は南部を、そして玄武は北、白虎は西を管轄下として監視に当たる。
だがキノスラは、あらゆる区域で特殊能力を発揮して活動していた。越権行為ではるが、裏で彼女から情報を買っている官吏は少なくない。
花魁という一面はキノスラにとって暗部および情報屋としての仕事を全うする絶好の隠れ蓑で、また彼女の嗜好でもあった。
キノスラは無駄の無い足取りで窓際に歩み寄り、上げられている格子に手をかけた。その仕草が、はたと止まる。
窓の外に身を乗り出した彼女は、街中を眺めながら首をかしげた。緩く結い上げられた豊かな髪が揺れる。
「あら?あの子ら、東の・・・何や、えらい急いではるわ。お技師様が連れて行かはってますの、キラちゃんやおまへんのん」
「!」
外の景色から目を離していたヘルは、それを聞いて俊敏にキノスラが指す方向を見やった。半ば強引にキラの手を引いて道を急ぐロベルトと、その後を追う赤鬼たちの姿が透視できた。
その光景を目にしたヘルは、微かな不快感を覚えた。一種の焦燥感のようなそれは、危険を知らせる胸騒ぎとは別の燻りだ。
間もなく、ヘルは何も言わずに彼女たちから視線を離した。
「・・・放っといてよろしんどすか?」
「・・・・。」
ロベルトの行動を黙認したヘルに対し、キノスラは腑に落ちないといった様子で暫く格子を下ろすことを躊躇っていた。だが今のところ彼には動く気が無いようなので、後ろ髪を引かれながらも手早く格子を引き下ろした。
「あんさんの憶測通り・・・〝ゲオルク海賊団〟の残党が南を中心としてアクラシア各地に潜伏してるようね。連中の動きと比較しても、ニコ――ファルコは残党の1人だと考えて間違いないよ」
格子を固定して引き戸を閉めた途端、何かのスイッチが入ったかのようにキノスラの口調が変わった。
遊郭はその機能上、外部からの透視・遠耳は不可能で、ファミリア1匹通さない結界が張られている。密通する者たちの安全地帯ということだ。
「数と人相は?」
「それが用心深い連中でね。バオドの悪魔崇拝者に紛れ込んでんだけど、そこまで把握できてない。でも、お前の言う〝痣〟は確かにあった。それも巧みに隠してて、探し出すのホント苦労したんだから・・・後は、ヤミ達の諜報を待てば?潜入中でしょ」
平常を装いながらも、ゲオルク海賊団という固有名詞を聞いてヘルのアウラが一瞬乱れたことをキノスラは見逃さなかった。
彼女は壁に凭れかかり、ヘルを横目で見下ろしながら思慮深げに顎の輪郭を擦った。
「黒の魔術師ニコが発足した海賊団は、何年も前に壊滅したって風の噂で聞いてたけど・・・その痣ってのは一体何なんだい?」
「・・・呪いだ」
ヘルは置行灯の朧な光が生み出す影を見ながら淡白に呟いた。その声の人間味を欠いた響きに、キノスラは人知れず背筋を凍らせた。
「呪い、ねぇ・・・呪われた海賊か。乙な話じゃない、ちょっとばかし安っぽいけど嫌いじゃないよ」
彼女はせせら笑いながらヘルの正面に回り込み、膝を折ってしゃがみ込んだ。口元には笑みを湛えているが、その目は暗く陰っている。荒涼とした塵の砂漠を思わせる鈍色の両眼は、目の前にいる相手に温情を宿すことは無い。
「で、なぜそこまで執着している?黒魔術師の陰謀なんざ、暗部とカグヤ一派に任せて大精霊石の回収に尽力すればいいじゃないか。お前は50年以上も前にニコが起こした騒動とは無縁だろう?それとも、ゲオルク海賊団と個人的に何かあるわけ」
「・・・・。」
キノスラの言葉は一つ一つが尖っていて攻撃的だった。彼女は、ヘルが他のことに気をとられ、石の回収作業が膠着している事をこの上なく不満に思っている。
キノスラがヘルに協力するのは、その胸中に彼と同じ野心を灯しているからだ。2人は意志を同じくするも仲間意識は皆無で、ましてや情を交わすような仲とは程遠い。
「ふん、まあいいさ・・・どうであろうと、テフを裏切るような真似は許さないから。彼との約束通り、大精霊石は必ず集めきってもらう」
互いの利害関係と妄執からなる彼らの繋がりは、どこまでもシビアだ。
「――あてもランも、お前を見張ってるからね」
まるで銃口を突き付けるかのように、キノスラは人差し指でヘルの胸を突いた。




