第十九話
~カミツレの花~第三十八話の後書きにバース圏の組織解説を簡単にですが記載しました。お手数ですが一度目を通して頂きたいです。本文ごと編集し直すことも考えていますが、とりあえず一時凌ぎということでご了承下さい。
遥か上空、灰色に煙るスモッグの合間から大型飛行艇が姿を現した。鉄板で出来た巨大なクジラを思わせるバルタナの飛行艇は徐々に高度を下げ、粉塵を巻き上げながら砂地に着陸した。
その壮大な光景を地上の街中に聳える展望台の上から眺めていたキラは、先程までの憂鬱さが一遍に吹き飛ばされた気分だった。
ナリに誘われて気乗りしないながらも足を運んだが、見に来た甲斐はあった。飛行艇を見るのは初めてではなかったが、バルタナのそれは規格外の巨大さで、何より美しかった。空に太陽が出ていれば、機体に張り巡らされている鱗のようなソーラーパネルが青く輝き、もっと綺麗だろう。
無邪気に喜んでいるキラの姿を見て、ナリは人知れず安心した。昨晩、正式に上級アイオンとなった彼女を祝うべく社で宴を催したのだが、当人はどこか気落ちしている様子だったため気がかりだったのだ。
「風が変わった。そろそろ帰るぞ」
「もうちょっと!」
キラは吹き付ける強風をもろともせず、手摺から危なっかしく身を乗り出して飛行艇のタラップから続々と降りてくるバルタナ人を観察していた。
ナリはミミズクの面の下で苦笑し、暗い空を仰ぎ見た。雲の動きが速く、風が湿り気を帯びている。今にも酸性雨が降り出しそうだ。一応カゲがレゴリスシート製の傘を用意してはいるが、この強風では意味が無いだろう。
ナリもカゲも、試験中にキラが悪魔に攫われた一件を聞かされている。外出させることに抵抗感はあったが、何よりキラの精神状態の方が大事だ。それに彼女には断り無しで、白夜連青竜隊に属する選りすぐりの暗部数名が陰から監視しているため安全は保障されている。
ニコを名乗る南アクの魔導師を雇い、キラの命を狙った犯人の目星はついていた。先月、刺客として送られたカフの証言と照らし合わせ、それが同一犯であることも分かっていた。
カフは幾重にも人を介して雇われていたため雇い主の顔も通り名も知らなかったが、暗部の調査でニコと思しき人物がランシードで何度か目撃されていたことと、ヘルに個人的な恨みを持つ南部高官を洗うことで1人の人物に行き着いた。
両者の雇い主が南部高官であるという時点で、キラがイシュラ後継者として命を狙われているわけではないということが判明した。南部の者が北部の相続争いに関与するのは極めて不自然だからだ。
北部は四方で最も財源が低く特権も微々たるものであるため、東部や南部と比べれば継承権を巡る争いは起こりにくい。
四天王の座を狙う中央官吏たちの中には手始めにイシュラを、という輩もいるため、その南部高官が中央の誰かによって唆されたとも考えられるが確証は無い。ヘルに対する逆恨みで、単独の犯行と考えるのが妥当であった。
しかし、制裁を加えられるだけの証拠はまだ揃っていないため、容疑の掛かっている南部高官は今もコロニー内で平常業務に従事している。
ナリは腕を後頭部へ回し、凝った肩を解した。キョウに言われた通り、厚手の遮眼クロスで覆った八握剣を日常行動に支障をきたさない範囲で背負い続けているため、肩や腰に負担が掛かって仕方ない。
明日の夕刻から鎮魂祭が開催される。精霊輪舞の立役を担う身で無理はできないが、一刻も早く八握を使いこなせるようになりたいナリは多少身体を痛めても構わないと思っていた。
――相手が悪魔なら、何の呪術も持たぬ自分は聖剣で対抗するしかないのだから。
「!」
キラに視線を戻すと、彼女はこちらを向いていた。いったい、何時から見られていたのか。白イタチの覗き穴に潜む異色症の眼光に、一瞬ぞくっとする。彼女のその超自然的な双眸だけは、どれだけ一緒にいても慣れそうにない。
「無理は禁物だよ。ナリだって成長期なんだから」
「・・・言われなくても分ってる」
でも、と言いかけ口を噤んだナリに、キラは呆れたような溜息をついた。そして景色に背を向け、階段の入り口へと向かって歩き出した。
「帰ろっか。〝黒衣〟も暇じゃないだろうし」
社を出た瞬間から、キラは暗部の存在に気づいていた。あのような事件があった矢先、護衛がナリとカゲの2人だけで外出許可が出るとも思っていなかったため特に疑問は湧かない。
外出はいつだってしたい。でも外に出るたびに護衛がつくことで、中にいる時より息苦しさを感じる。東官吏たちが気を使ってくれるのは有り難いが、一緒に外出すれば何かあったとき彼らを巻き込むことになるという不安もある。それが気乗りしなかった理由だ。
アザゼルは、魔導師界では誰もが知る大悪魔だそうだ。第3次異世界大戦時に猛威を振るった悪魔のひとりとして書物に記載されているという。次に遭遇すれば、自分に同行している誰かが殺されるかもしれない。
特に心配なのはナリだった。この頃、どうも彼は身を酷使し過ぎている気がしてならない。通常の鍛錬に加えて舞の稽古をこなし、さらに今では昼夜問わず厄介な大剣を携えている。シンクロ率を高めて飼い慣らすためらしいが、かなり辛そうだ。この様子では、いざという時に身体が動かず回避しそびれてしまう。
ナリが何を急いでいるのか、キラには分かりたくなくとも分ってしまう。やり切れなかった。彼に怪しげな大剣を渡した相手を恨みたくもなった。ヤマト家の当主、キョウ――ナリの父親で、あのマサの父親でもある。
(・・・何が聖剣だ。〝魔剣〟の間違いじゃないのか?)
キラは螺旋階段を下りながら、ナリのアウラを圧迫し痛めつけている〝禍々しい荷物〟をひと睨みした。その物が放つ気は、空中を飛び交っていたインプが一斉に退散するほど強烈だ。どうもキラには、それが神聖な力では無く邪悪な力のように思われ、とても嫌な感じだった。
「?」
前を行くナリが突然立ち止まり、振り返った。キラは心中の恨み言が聞こえたのかと思い、一瞬どきっとした。
彼女の後ろにいるカゲが首を傾げる。ナリは、彼に先に行くよう目で訴えた。最初から打ち合わせでもしていたのか、カゲは何も訳を聞かずにあっさり頷き、足早に2人の脇を通って下りて行った。
足音が遠ざかり、やがて聞こえなくなった。しんと静まり返った階段塔。キラが立つ場所から2段分だけ下にいるナリは、真剣な眼差しで彼女を真っ直ぐ見つめていた。
「――イチレン。おれのファーストネーム」
「・・・・!」
ナリは消え入るような囁き声で、だがはっきりとキラの耳に届く大きさで打ち明けた。
「数字の〝1〟に、ハスの〝蓮〟だ」
一蓮。キラは音の意味を捉え、頭の中で変換した。ナリは面の下で満足そうに笑み、前に向き直った。そのまま彼が下りていこうとしたのを、キラは引き止めた。
「あたしはテトラ。古代語で数字の〝4〟を意味する単語」
キラは声を潜めて早口で一気に告げた。そうしないと、ナリに拒まれるような気がしたからだ。
ナリは一時硬直した。表情は見えないが、顔を顰めた気配があった。神経質に細かく頷き返した彼は、キラの手首を掴んで気忙しく階段を下りた。少し怒っているようだ。
教えられたから、教え返した。ナリと対等な関係でいたいからだ。それの何が気に入らないというのか?
せっかく互いのファーストネームを知る仲になれたというのに気持ちが晴れず、鼻から大きな溜息が出た。