第十四話
酷い頭痛と重たい身体を抱え、キラは狭い待機室のソファーに寝転がって2時間の休憩をとった。竜鱗を飴湯で胃に流し込み、さらに蜜飴を食べて精神力の回復に尽力を注いだ。回復術も実力のうちであるため、与えられた休憩時間のうちは自由な飲食を許されている。
休憩後は、最終段階の総合試験が待っている。そこで上級アイオンに相応しいかどうかの資質を見極められる。
「!」
異変を感じ、キラはソファーから飛び起きた。待機室が振動している。
(じ、地震!?)
違う、部屋自体が動いている。感覚からすると下っているようだ。この待機室は、昇降機だったのだ。
【聞こえるかね、キラ?】
部屋の隅に置かれたスピーカーから、シバの声が聞こえた。
【ここまでよく頑張った。短い準備期間でたいしたものだ。】
「・・・・。」
【早速だが三次試験に入る。今、お前の居る部屋は地下に設備された〝試練の館〟へ向かっておる。霊術による様々な仕掛けが施された迷宮だ。制限時間は1時間。お前が持つ特殊能力を存分に発揮して時間内に館を脱出してみせよ。さすれば、上級アイオン試験合格だ。】
部屋の振動が止まった。地下室に着いたようだ。
【試練の館は、外部への透視及び送受心は出来ぬ仕組みになっておる。その他の霊術、霊具は使用可能。では、幸運を祈る。】
特殊な迷路を自力で時間内に抜け出すのが三次試験であることは聞いているが、どのような仕掛けが施されているかは受験者によって違うため、何が待ち受けているかは分からない。
技術と知識はもちろん、霊感の根源とも言うべき直感が試される試験だ。命の危険性は無いものの、間違った対応をとれば怪我を負うこともあるらしい。
「・・・・。」
キラは、先程から嫌な予感に苛まれていた。すでに試験は始まっている。時間は刻一刻と過ぎていっているにも関わらず、彼女は立ち尽くしたまま動けなかった。
充分な監視下で行われている試験だ。大丈夫、ただの杞憂。キラは自分に言い聞かせ、部屋の扉に歩み寄った。
扉のノブに触れようとして、違和感を覚えたキラは一旦手を引っ込めた。彼女は白い羽衣の袖で手を覆い、もう一度ノブに腕を伸ばした。
「!」
案の定、ノブに触れた瞬間に低度のプラズマが走った。
キラはノブを慎重に回し、扉を開けた。
部屋の外は真っ暗闇だった。キラは嫌気がさしたようにため息をつき、視野を暗闇透視に切り替えた。
迷宮というよりは、何かの施設跡であるようだった。いくつかに分かれた通路と数々の部屋、古びた家具。一歩踏み出した瞬間、背中に悪寒が走った。まるで幽霊屋敷だ。しんと静まりかえった建物内を、キラは神経を研ぎ澄ませて進んでいった。
外部への透視はできないものの、館の敷地内であれば透視ができるようだ。つまり、透視ができない壁は外部に面しているということになる。キラはざっと周囲を透視し、館の骨格を把握した。今いる階には外へ抜け出す道はない。どうやら階段があるようだ。
壁際の錆びた鉄階段に辿り着いた。下へ向かう階段と上へ向かう階段が備わっていたが、キラは迷わず下へ向かう方を選択した。シバは〝特殊能力を存分に発揮して〟と言っていた。彼女が下る道を選択したのは、下の階から聖音が聞こえていたからに他ならない。
階段の下には通路が繋がっているのが見える。何事も無く下の階に辿り着いたと思ったキラは、背後を見てぎょっとした。
下ってきたはずの階段が、下に向かって伸びていた。正常なら、上りの階段になっているべきである。そしてキラが立っていたのは、紛れも無く彼女が階段を下る前の場所だった。
幻術だ。階段を下っている途中で発動して方向感覚が狂わされ、知らないうちに引き返して上っていたのだ。
「・・・・。」
キラは再度、集中して階段を下り始めた。一段一段、慎重に足を運んだ。足元に毛先が触れるほどの微かな静電気を感じ、歩みを止めた。そして振り返った彼女は、下ってきた階段を上り始めた。キラの見極めは正しかった。階段を上りきって振り返ると、背後は上りの階段になっていた。
下の階は大規模な倉庫であるようだった。都市遺跡から運び込まれたのであろう故障した機械類や様々な器具が、幾重にも連なる棚に無造作に収納されている。
バース・ヒルスの地下には、キラが知らない空間が他にも沢山あるのだろう。そう思うと、試験の途中ながらも好奇心と冒険心でワクワクしてきた。
上の階と同様、キラは周囲を透視した。広いが、単純な長方形の部屋だ。向かいの壁に機械仕掛けの大きな鉄扉があった。物資の搬入口に違いない。他に出口が見つからなかったので、とりあえずキラはそちらに向かった。
重層な扉を端から端まで隈なく調べたが、どうも開けられそうになかった。開閉装置は備わっているのだが、電力が落とされているようだ。念力で動かせそうにもない。オーンは、まだ下から聞こえている。下にまだ空間が続いているのだが、抜け道が見当たらない。
きっと巧みに隠された扉があるに違いない。キラは腕を組み、しばし考えた。これだけ広い部屋に何らかの霊術で隠された扉を探し出すには、与えられている時間では余りにも短すぎる。何かヒントがあるはずだ。
「!」
目の端で何かが光ったのを捉えたキラは、瞬時にそちらを振り向いた。棚の片隅で、微弱な霊波動が放たれている。
ガラクタのような物資が積まれた棚の上に、呪術が施された卵型の黒いカプセルが置かれていた。キラは細心の注意を払ってそれを手に取り、表面に描かれている図形を確かめた。解除するには何らかの代償を必要とする封印呪術の一種だ。
卵状の頂点に赤い点。それを見て何の呪術かを見破ったキラは、腰に下げた海竜の牙の小刀を抜き取った。そして、その切っ先で人差し指の先を軽く突いた。
指から僅かに湧き出た血を、赤い点に押し当てた。程なくしてカプセルに亀裂が入り、音を立てて砕けた。中に入っていたのは、何か走り書きされた小さな紙切れだった。
〝超過した視力は、時に目を眩ませる〟
紙切れには、そう書かれていた。超過した視力とは霊視全般のことだろうか。キラは思い切って、暗闇透視を止めた。
キラの視界は一寸先も見えない暗闇に包まれた。同時に、途轍もない恐怖が襲ってきた。鼓動が早まり、息が苦しくなった。何も見えないことが、どれほど心細く恐ろしいことであるかを思い知らされた。
キラは気持ちを落ち着かせるべくゆっくり息を吐いた。その時、足元が微かに青白く発光していることに気がついた。目の錯覚ではない。確かに光っている。暗闇透視していては見ることのできない、濃度の薄い微弱なエクトプラズムだ。
その朧な光は、点々と通路の上を走っていた。キラは物にぶつからないよう気をつけながら、それを辿っていった。
棚と棚との間を縫うように進んでいくと、サークル状の光が床に出現した。キラは跪き、手で慎重に触れてみた。光のサークルに沿って、目では決して捉えられないほんの僅かな窪みが感じ取れる。
キラは、床に偽装されたハッチをテレキネシスで持ち上げた。そこから梯子で下層部へと下りられるようになっていた。
下の階は、複雑に入り組んだ古い地下道だった。これぞまさに迷路である。キラは眩暈がした。もう建造物全体を透視する力は残っていない。過度な精神力の消耗で頭痛はもちろん、手足が痺れてきてさえいた。
負担を減らすため、暗闇透視は止めて発光石で道を照らして進むことにした。オーンは、この階の奥から聞こえてきている。出口は近い。キラは焦らず、慎重にオーンの聞こえる方に向かって歩いていった。
進行方向で何かが動くのが見え、キラは足を止めた。それは、ゆっくりとこちらに向かって近づいてきていた。
「―――・・・っ!」
その姿を捉え、キラは思わず叫びかけた。通路の奥から現れたのは、腐敗した屍だった。ネクロマンサーのファミリア、アンデットの一種だ。以前、アンデットに酷い目に遭わされたキラは反射的に身構えた。
「・・・・。」
ところが工事用の道具類を背負ったそのゾンビは、キラの横をのそのそと通り過ぎて消えていった。そのアウラから邪気は全く感じられず、彼女がアバターをつけていたため見えてもいなかったようだ。
キラは気を取り直し、先を急いだ。地下道では、至る所でアンデット達が作業していた。どうやら地下道の修復を担っている者たちのようだ。
本来、アンデットは農作業や土木作業の労働力として生み出されたファミリアで、非常に大人しく、マスターの指示さえなければ人を襲ったりはしない。
それでも姿かたちが不気味なため、キラはアンデットに出くわすたびに鉄扇を握る手に力が入った。
「?」
十字路に差し掛かった時、キラは不可解な痕跡を見つけた。微かに残る霊波動と、破壊された装置の破片。生物の侵入を妨げる高圧の結界が張られていたようだが、何者かが破ったようだ。
恐らく結界は試験用に仕掛けられたものだ。キラは十字路の中心に転がっている半球状の結界装置の残骸に歩み寄った。
「・・・・!」
不安定にプラズマをほとばしらせている結界装置の破損部分に、黄色い粉と煤がこびり付いていた。周囲に硫黄の臭いが漂っている。キラは途轍もなく嫌な予感がした。心臓が破裂しそうなほど激しく鳴った。早く地下道を抜け出さなければ。
十字路から適切な道を選び、そちらへ足を運ぼうとした時だった。
「きゃっ!」
キラは何かにつまずいて転倒した。すぐに立ち上がろうとしたが、足が何かに引っかかったように動かない。自分の足元を見た瞬間、キラは血の気が引いた。
地面から生え出た黒い紐のような物体が、彼女の足首に絡み付いていた。振りほどこうと無我夢中で暴れたが、黒い紐はどんどん太くなって足に巻きついていった。
キラは鉄扇を広げ、残された精神力を注ぎこんだ。そして、輝きだした短冊の刃で黒い紐を切りつけた。紐は生き物のように縮み、キラの足を一瞬放した。その隙に、キラは急いで立ち上がり、十字路を抜けようとした。
しかし、彼女は再び転倒した。その衝撃でアバターが外れる。黒く染まった地面に、足がめり込んでいた。まるで泥沼のような地面の黒いしみは見る見るうちに広がり、キラの両足、両手を飲み込んでいった。
キラは逃れようと必死でもがいた。もがけばもがくほど、全身に絡みつく蛇のような黒い紐がきつく食い込み、キラを黒い沼の中へと引きずり込んでいく。
「誰か・・・た、助け・・・!」
キラは咽ながら懸命に大声を出そうとした。それを阻むかのようにドロドロの黒い物質が口に流れ込み、紐が喉を締め付ける。
恐怖と絶望感に支配される思考で、キラは2匹のファミリアを何としても逃がさねばならないと思った。自由の利かない腕を懇親の限りに動かし、胸元に収められた封筒を引きずり出した。
封筒の蓋を指ではじき、イスラとサラマンを空中に放った。サラマンは慌てた様子でキラの頭上を旋回し、イスラは自発的に黒い物質に向けてプレスを放った。キラは、2匹の忠実なファミリアに心の中で〝逃げろ〟と命じた。
その直後、キラは完全に沼の中に沈んだ。
真っ暗闇の中、彼女の意識は次第に薄れていった。
ヘル―――
キラは虚ろな思考で彼に謝り、別れを告げた。