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第十一話

 次の日から、昼間は技術面も含めての模擬試験に挑み、閉心の特訓にあてるはずだった夜間の空き時間は護身術の稽古で埋めた。

 女武官のサヤから暗器を使用した柔術の基礎を以前から徐々に学んではいたのだが、キラの要望で狐武官たちを相手により本格的な戦闘訓練を開始した。


 しかし、驚異的な早さで身体が成長しているキラにとって激しい運動は毒である。成長痛も酷いため、キラが満足いくまで鍛練を積むことはできなかった。その分、彼女は武官たちの稽古を鋭い観察眼で見て学び、暗器に早く慣れるため常に手に持って過ごした。


 湯浴みの時も食事中も、就寝時さえも暗器の類を手放さないキラを女官たちは大いに不気味がっていた。


 「・・・キラ、暗殺したい奴でもいるわけ?」


 ある時、女官のテテが大真面目で質問した。片手でナイフを器用に回しながら朝食を取っていたキラは無言で首を傾げた。

 「だって今のあんた、殺し屋の見習いみたい。」


 それを聞いてキラはきょとんとした。

「まさか。自分の身は自分で守りたいだけだよ・・・。」


 不意に、後ろから誰かがナイフを取り上げた。驚いてキラが振り向くと、背後に立っていたのはアンだった。


 「せめて食事中は小刀も寸鉄も仕舞いましょうね。お行儀が悪いから。」アンは華麗な手さばきでナイフを回転させ、キラに戻した。


 東の女官達は皆、それなりの護身術を身につけている。不服そうな面持ちのキラに、アンは狐面を近づけた。


 「そんなんじゃ、ヘルに嫌われちゃうわよ。」

 「・・・・。」


 アンに耳元で囁かれたキラは、大人しくナイフを鞘に収めた。アンは面白がるように忍び笑い、キラの隣に座った。


 「武官を見学するのもいいけど、彼らを支えてる私たち女官の仕事もたまには観察してみてはどう?きっと役に立つわ。」

 アンの意見に、サヤが静かに賛同して頷いた。

 「キラ、本日は女官の仕事を手伝ってはどうでしょう?彼女たちから学ぶことは沢山ありますよ。」


 サヤに提案され、キラは戸惑った。試験を明後日に迎え、精神状態を万全に整えるために今日と明日は自由に過ごすことになっている。

 キラは朝から柔術の稽古に励む気で満々だった。少しでも早く、実戦で使えるだけの護身術を身につけたかった。気が進まないながらも、キラは1日だけ見習い女官を務めることに同意した。


 女官用の装束に着替えたキラは、アンの指導で早速仕事に取り掛かった。まずは、武官たちが食べ散らかした膳を厨房に下げる。

 そんな簡単なことだけでも、キラと女官たちとの動きの差は大きかった。アンは膳を何段にも重ねたものを両手に持ち、掃除をしている他の組の女官たちを避けながら絶妙の安定感で足早に通り過ぎていった。キラは4段重ねの膳を両手で持ち、食器を鳴らしながら慎重に回廊を渡った。


 「うわ!?」


 食器を落とさないように集中していたキラは、足元の段差につまずいた。重ねられた陶器製の器が3つ、衝撃に耐えられず膳の上から転げ落ちた。


 「!」


 それらが床に落ちる前に、近くで雑巾がけをしていた女官が見事に受け止めた。そして何事も無かったかのように器を膳の上に戻した。


 「あ、ありがとう・・・。」

 「気をつけて。」


 その女官は短くキラに忠告し、雑巾がけを再開した。


 「キラ、とろとろしてたら日が暮れちゃうわよ!」


 アンに急かされ、キラは慌てて膳を運んだ。厨房担当のキナ達に食器洗いを任せ、キラ達は衣類の洗濯に当たった。



 地底湖から水車で汲み上げられた水が水路を通って流れ込むため池で、何十枚もの衣類を一気に踏み洗う。汚れた水は下水道を通って浄水場を経由し、都の中央にある泉から再び噴き出す仕組みになっている。

 元々は天然の地底湖だったのだが、すでに水脈は途絶えている。そのため人の手で管理しなければ、すぐに汚れて枯れてしまうのだ。


 洗った衣類は空調装置の前に干し、風力を利用して乾かす。洗濯物を乾かしている間に浴場の掃除を済ませ、壊れた家具の修繕に取り掛かった。そうこうしているうちに昼食の時間になり、厨房で用意された飯を武官たちのもとへ運んだ。


 午後は厨房で〝竜鱗〟を作るのを手伝った。雑穀の粉末とハオマカビを練り混ぜ、小片状にして乾燥させた武官の携帯食である。雑穀に含まれる成分がハオマカビの毒素を中和し、効率よく栄養を摂取できる兵糧だ。


 「!」


 棚から器具を取り出している時だった。何か長くて平たいものがキラの腕を掠めて床に落ちた。その姿を捉えた瞬間、キラは悲鳴をあげた。棚から出てきたのは、幾対もの足を持った長い胴体のガグルだった。養殖サソリの害虫、〝ムカデモドキ〟だ。


 すぐさま厨房長の年配女官が包丁を手に取り、家具の下に逃げ込もうとしたムカデモドキに向けて投げ放った。包丁はムカデモドキの頭部を貫通し、床に突き刺さった。その命中率と威力に、キラは圧倒された。


 「お見事!」


 物資を届けに来ていた馴染みの商人が称賛の声を上げた。 


 「ついでに処分しといておくれ。」


 厨房長に頼まれ、商人の男は喜んで醜悪なガグルの死骸を持ち帰っていった。ムカデモドキの毒牙は、呪術医に高く売れるのだそうだ。


 噛まれずには済んだものの、ムカデモドキの不意打ちを食らったキラは、戸棚でも何でも開ける前に必ず透視することを学んだ。


 女官たちにとって日々の仕事が鍛練そのものなのだ。彼女たちが手にする道具類は全て、技量次第で強力な暗器となる。肉体労働で自然と体力がつき、反射神経や眼力も鍛えられる。アンやサヤは、その事をキラに教えたかったのだ。


 洗濯物をとり込み、針仕事を済ました頃には夕食の支度をする時間になっていた。次から次へとやる事があったため、1日はあっという間に過ぎていった。慣れない仕事で疲れてはいたが、女官たちから沢山の事を学んだキラは充実感に満ちていた。


 キラが女官部屋で早めの夕食をとっていると、サヤが湯上り姿で戻ってきた。外出用の装束に着替えだした彼女に理由を聞くと、親しくしている南部の高官に急な食事の誘いを受けたのだという。

 普段は際立って淑やかな彼女が、忙しなく髪を梳く姿はとても新鮮だった。


 「―――それで今晩、ヘルの晩酌相手を任せても?」


 サヤの只ならぬ様子に気をとられていたキラは、彼女が口にした事をすぐには理解できなかった。


 「私が務めるはずだったのだけど、急用が入ってしまったから・・・。」

 「あ、うん。勿論いいよ。」


 キラが慌てて返事をすると、サヤは美しい微笑みを漏らした。サヤを誘った相手は、彼女にとって何よりも大事な人なのだろう。清楚にめかしたサヤのアウラは、眩しく感じるほど輝いていた。


 

 寝殿の奥室でひとり、古い巻物を片手に何か調べものをしながら食事を取っていたヘルは、盃と銚子の乗った盆を持って現れたキラの姿に些か面食らった様子だった。


 キラは、アン達の悪ふざけで艶やかに着飾られていた。仏頂面を携えてぎこちない様子で歩み寄ってきたキラに、ヘルは笑いをかみ殺していた。

 キラは盆を乱暴に置き、広げられている巻物を覗き込んだ。色あせた表面には、キラには読めない文字が綴られていた。


「・・・・。」


 ヘルは朱塗りの盃を手に取り、無言でキラに突き出した。キラは緊張気味に銚子から酒を注いだ。注がれた濁り酒を一口飲んだヘルは、視線を巻物に戻した。


 キラは妙に落ち着かなかった。試験勉強に追われていたため、この3週間まともにヘルと会話をしていない。彼がほとんど社に居なかったということもあり、顔を合わせることすら少なかった。


 「マサに喧嘩を売ったそうだな。」


 文面に目線を落としたまま、ヘルは何気なく話題をふった。感情を表さない淡々とした口調の中に、微かな非難が込められていた。


 四獣の1人で、しかもヤマト本家の長女を怒らせるなど愚の骨頂だとヨミにこっ酷く叱られた。ヘルにも同じようなことを言われるのではないかと思い、キラは心の中で身構えた。


 「で、武官になりたいと?」

 「うん・・・。」


 キラは頷きつつヘルの顔色を窺った。ヨミやテンにはそのことを話したが、ヘルにはまだ直接伝えてはいなかった。


 「少なくとも東武官は、気に食わん相手に利益の無い喧嘩を吹っ掛けるために戦闘訓練を積んでおるわけではない。いざという時に、身を盾にして管轄域を守れるだけの力をつけるためだ。」

 「・・・・。」


 「それは自身を守る力では無く、平穏を乱す者を速やかに排除する力だ。殺傷効果が高ければ高いほど評価され、重宝される。」


 直には言わないものの、ヘルが反対しているのは明からだった。キラが武官になりたいと思ったのは、マサのことだけが理由ではない。脅威に対抗できるだけの力を得て、東官吏たちの役に立ちたいと願っていた。


 「俺としては―――。」


 ヘルは、俯いて不貞腐れているキラを覗き込んだ。


 「夜な夜な殺人術を磨かれるより、酌をしてもらえた方が有り難いのだが。」


 意表をつく彼の発言に、キラは頬を赤らめた。


 「・・・からかうな。」

 「からかっておるように見えるか?」


 ヘルは口元にうっすらと笑みを浮かべながらも、目は真剣だった。キラは堪らず顔を顰めてそっぽを向いた。


 「社で晩酌することなんて滅多にないくせに。」


 キラが不服げに指摘すると、ヘルは低い声で短く笑った。


 「お前が相手を務めるのなら、毎晩でも帰ってきてやる。」

 「・・・・。」


 キラが反応に困るようなことを、彼は軽い口調で平然と言ってのけた。それが本気なのか冗談なのか、どちらとも捉えることができなかった。

この時キラは、彼のアウラを見極めるだけの余裕が無かった。


 盃を片手に酒を飲むヘルの美麗な姿は、女はもちろん男でも見惚れてしまうという。ヘルを不機嫌にさせたくなければ、どれほど魅力的でも見つめたりしないようにと忠告を受けていたキラは、懸命に彼を直視しないよう努めていた。


 「!」


 キラが目のやり所に困っていると、ヘルが彼女の手から銚子を取り上げた。空いた盃を突きつけられ、キラは戸惑いながらも受け取った。

ヘルに注がれた濁り酒を慎重に口に含んだ。辛口でコクのある味わいで、思っていたほど悪くは無かった。


 「まあ、もう少しよく考えろ。」


 ヘルは座椅子の横に置いていた箱を手に取り、蓋を開けた。中に入っていたのは、折り畳まれた金属性の扇子とそれに付随する手甲であった。


 「護身用だ。ダガーを振り回すよりは見栄えがいいだろ。」


 キラは手渡された鉄扇を広げてみた。銀色の骨に、シェル装飾のような真珠色の短冊が連なっている。普通の鉄扇では無いことが彼女にはすぐ分かった。


 「これ・・・霊器?」


キラは半信半疑でヘルに聞いた。

彼は軽く頷いた。


 「知っておるだろうが、カク出力式の武具より遥かに精神力を消耗するゆえ無闇に発動させるな。ただの鉄扇としても充分に使える。」


 霊器は、大量の精神力から高圧なプラズマを生み出して霊体や霊的エネルギーを浄化し、消滅させることができる。〝霊具技師〟と呼ばれる呪術師が秘術によって製造し、シニの魂狩り鎌やクウの破魔の矢も同様、大量生産は不可能である。使用が許されるのはアイオン以上であるが、たとえ官吏職につく高位のアイオンでも手にできる者は一握りだ。


 キラは、それほど貴重で危険なものを自分が受け取ってよいのかどうか迷った。キラが戸惑っていると、ヘルは彼女の右手を取って手甲を装着させた。

 琥珀石がはめ込まれた銀の腕輪と指輪が鎖で繋がっている美しい手甲で、鉄扇を固定させる器具であると同時にアミュレットとしての効果もあるようだ。緩くもきつくも無く、キラの手にぴったりのサイズだった。


 「・・・・。」


 キラは鉄扇を今一度よく見た。表面から微かに放たれている霊波動は、まるでキラの身体の一部のように彼女のアウラと同調している。


 霊器は強い霊感を持つ者の血液や爪、頭髪といった霊媒物質を材料にして作られる。キラの脳裏に、ホーグと出会った時の光景が蘇った。あの時、神獣を誘き寄せるために使った彼女の髪を、いくらか残していたに違いない。


 「もしかして、これって・・・。」


 確信しながらも、キラはヘルに答えを求めた。


 「〝モルフォの扇〟。お前の髪から偶然できた新生神器だ。」―――「!?」


 予想を上回った返答に、キラは驚きのあまり言葉を失った。


 何をどうすれば神器が生まれるのかは未だ解明されていない。現存の神器は、霊器の製造中に奇跡的な変異を起こして生じたものと資料に残されている。


 「製造した技師は半狂乱になっておった。近いうちに会わせてやる。」


 半狂乱になるのも無理はない。たとえ偶然とはいえ歴史に名を刻まれる偉業だ。キラは複雑な面持ちで華麗な鉄扇を見やった。神器となると、なおさら受け取りがたい。


 「元からお前にやるつもりで発注しておった品だ。まさか神器になるとは思っておらなんだが。」

 「で、でも・・・。」


 ヘルにひと睨みされ、キラは口をつぐんだ。


 「いいから持っておれ。それで俺の気も少しは休まる。」

 「・・・・。」


 キラが神器を所持することでヘルが安心できるというならば、返品するわけにはいかない。


 キラは今しがた自分のものになった神器を再度まじまじと見つめた。銀細工のような骨、光の加減で七色に輝く短冊。非の打ち所がない芸術的な扇だ。これが誕生したばかりの神器であるということを再認識したキラは、徐々に感動が湧き上がった。


 そして、あまりにも突然だったため渡された時点では戸惑うことしかできなかったが、これが他の誰でも無いヘルからの贈り物であるという事実に実感がようやく追いつき、今までに感じたことのない嬉しさが胸に込み上げてきた。


 「ありがとう、ヘル!一生、大切にするっ!」


 感極まったキラは、躊躇うことなくヘルに抱きついた。ヘルは眉間にしわを寄せながらも、拒むことなく受け止めた。


 「・・・当たり前だ。礼ならロベルトに言え。」


 「もちろん、その人にも言うよ。明日連れてって!」

 「明日?試験前日だろ。」


 キラは歓喜のあまり試験のことをすっかり忘れていた。特に不安は無いが、念のため明日は試験内容の最終確認に費やすべきだ。東官吏たちのためにも、確実に試験に合格せねばならない。


 「じゃあ、試験終わったらすぐな・・・。」本当は今すぐにでも神器を生み出した技師に会いたかったが、夜遅くに我がままは言えない。


 ヘルは不満げな表情をするキラの心情を察して微かに笑み、純金を溶かしたような彼女の髪を撫でた。

 「焦らずとも逃げはせん。ロベルトも、お前に会いたがっておる。」


 キラは、彼女の金髪に見入るヘルの目に浮かんだ愁いを見逃さなかった。彼が何を思っているのか、キラには痛いほどよく分かった。


 「・・・・っ。」


 キラは、ヘルを突き放すようにして彼から離れた。急に不機嫌になった彼女を、ヘルは訝しげに見やった。

 どうしようもない居心地の悪さを感じ、キラは堪らず立ち上がった。


 「・・・部屋に戻る。」


 彼女は低く呟いて踵を返した。そして、何か言いたそうにしているヘルが言葉を発するのを待たず、その場から逃れるように去った。


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