第九話
ナリが案内したのは、神殿の裏に広がる野外道場だった。
透視不可の塗料が塗られた分厚い壁に囲まれており、入場するには十二神将の中の誰かに許可を得るか、許可されている者の付き添いがなくてはならない。
正門の前に立っている中枢官吏の門番は、ナリを一目見て閂を下ろした。キラとカゲは、人ひとりが通れるだけの隙間が開けられた扉からナリに続いて道場内に立ち入った。
広大な正方形の野外道場では、より実戦に近い形で戦闘訓練が執り行われている。集中している高位武官たちの邪魔をしないよう、3人は壁際に寄って見学した。
多様な霊術を駆使して真剣勝負を繰り広げる武官たちの中、ヘルとラドの姿もあった。他の試合に目を奪われていたキラは、ナリに指示されて2人の手合わせに注目した。
巨大な石盤の上で向かい合ったヘルとラドは軽く儀礼し、カク出力式の刀剣を抜いた。審判の合図と同時に、2人は動いた。
「!?」
次の瞬間には、石盤の中央で向かい合っていたはずの2人が5、6メートル離れたところで互いの首ぎりぎりに発光する刀剣を突きつけていた。審判の合図で刀剣を下ろした2人は、一歩下がって儀礼した。
「2人の動きが見えたか?」
ナリに聞かれ、キラは正直に首を横に振った。
彼女に見えたのは、僅かな残像だけだった。
「・・・全然。テレポート?」
「いや。〝開眼〟時に、通常の速度で動いてるんだ。」
キラは思わず笑った。
「そんな、不可能だよ。だって開眼は動体視力の究極形で、高速の動きを霊視によって捉えることだろ?その時、自身はもちろん周囲の動きはほとんど止まったように映るんだよな。その状態で普通に動くってことは、光の速さで移動するのと同じようなものだ。人間の肉体では無理だよ。」
「死に直面した時、大抵の者は自然と開眼に至る。スローモーション現象な。その時に動けるか動けないかの違いさ。動ければ、俗に言う火事場の馬鹿力だ。つまりヘル達は、脳内にあるリミッターを自在に外すことで超人的なスピードを保持してる。」
「・・・・。」
ナリの説明に、キラは言葉を失った。
「リミッターを解除している間は、サイキッカーじゃなくても念力が使えるようになるそうだ。そのエネルギーを操作して肉体を保護しつつ動かしてるらしい・・・まあ、トランス以上に肉体に負担のかかる技だな。武官の間では、その状態を〝高度限界〟とか〝臨界点〟って呼んでる。」
上級アイオン試験に武術の知識は必要無いため、リミッターを外すという高等武術をキラが知るわけもなかった。
「十二神将の中で突入できる者は限られてるが、八部衆は全員が臨界点の到達者だ。」
「・・・マサも?」
ナリは頷いた。
「本気で武将になる気なら、少なくとも開眼はしないとな。」
開眼できるかどうかは、霊力値は関係しない。それ相応の才能と、鍛練あるのみの霊術だ。
「ナリは、開眼してるの?」
「まあな・・・。」
キラとカゲは尊敬の眼差しを彼に向けた。開眼は、上級アイオン試験で認められる特殊能力の1つに入るほどの大技だ。にも関わらず、ナリは全く満足していない様子だった。
実の姉が臨界点の到達者である彼にとって、ただ見えるだけでは意味が無いのだ。見えて動けないことは、見えない者よりも歯痒く感じるに違いない。
キラは武将になるなどと軽々しく口にした事を恥ずかしく思った。どれだけ霊力値が高く、希少な特殊能力があったとしても、バースの武将は並大抵の努力で超えられるような存在ではない。
「蛮族には、到達者が意外と多いんだ。連中は無駄に身体が頑丈だからな・・・だが開眼状態での戦闘は、他の霊術を兼ねてこそ威力が発揮される。
例えば、リミッターは外せなくとも開眼していれば、呪縛を有する霊体のファミリアを高速で攻撃させることが可能だ。霊体には限界速度が無いからな。マスターの頭さえ回転すれば、いくらでも速く動かせる。」
「じゃあナリは、やっぱりムスリムを持つべきだよ。護身用としても。」
「ん、うん・・・。」
ナリは曖昧に返事した。
3人のもとに女夜叉が足早に寄ってきた。
八部衆の紅一点、クウだ。
「ナリ、ラド師範が直々に稽古をつけてくれるそうだ。」
「え、マジ!?」
ナリは飛び上がるほど驚喜し、ちらりとキラを見やった。外出は午前中までとヨミに言われているキラは、そろそろ社に帰らねばならない。
「彼女には私が付き添うから、構わず行っといで。カゲも、見学したいなら遠慮はいらないよ。」
「む!で、では、御言葉に甘えて・・・。」
すでに駆けていくナリの後を、カゲはいそいそと追っていった。キラももっと見学したかったのだが、クウに促されて渋々道場を後にした。
地下の都まで戻ったキラは、クウの奢りということで暖簾の掛かった一件の飯屋に入った。2人はテーブル席に座り、アバターを外した。キラがクウの素顔を見るのは、この時が初めてだった。クウは、鼻筋が通った切れ長の目の美女だった。
イリに引けを取らない体型と緩やかなウエーブのかかるライトブラウンの美しい髪をした彼女は、いかにも大人の女性といった感じの色香が漂っている。長身で筋肉質な体つきではあるが、強豪な武官には見えない。
「・・・伸びるよ。」
クウはスープ麺を上品にすすりながら指摘した。彼女に見惚れて箸を持ったまま固まっていたキラは、我に返って麺を口に運んだ。
「診察はどうだった?」
クウの何気ない質問に、キラはどきっとした。
「・・・今年で14歳だと発覚した。」
顔を曇らせたキラを見て、クウは彼女の思いを瞬時に悟った。
「それなら、もっと食べなきゃね。」
「食べたらクウみたいに胸育つ?」
何の恥じらいもないキラのストレートな質問に、クウは思わず吹き出した。キラは顔を顰めた。彼女にとっては重大な問題で、真剣そのものだった。
「ごめん・・・。」
クウは真顔に戻り、潔く謝った。
「そうね、まずは充分な食事と睡眠と運動を欠かさない事だね。」
「・・・・。」
「後は、恋愛する事。発育を促すには、それが一番じゃないかな。」
恋愛。キラにとっては漠然としていて実感のない言葉だった。自身とは遥か遠くかけ離れたもののように思われる。興味すら湧かない。
難しい顔をして黙り込むキラを、クウは面白がるように見つめていた。
「ナリは?仲いいじゃない。」
キラは目を瞬かせた。
「友達だよ。うん・・・。」
そう言いつつ、キラは自信が無かった。これまで友達といえる存在は海竜のキトラだけで人間の友達を持ったことのないキラは、それがどんなものなのかよく分からなかった。
それに友達だと思っているのは自分だけあって、ナリはそう思っていないのかもしれない。彼はキラのことを、主の命令で守護すべき相手としか認識していないのではないだろうか。
それはナリだけではない。自分が友達感覚で接しているシニやヤクも、友達という対等な関係ではないのかもしれない。そう思うと、キラは寂しく感じた。
「クウは、誰が好きなの?」
キラが質問すると、彼女は青みがかった灰色の瞳を悪戯っぽく輝かせた。
「・・・ヘルよ。彼しか目に入らない。」「!」
それを聞いてキラは箸を落としかけた。ヘルとクウは、歳の差こそあるもののお似合いの男女といえる。キラは焦燥感にも似た胸の騒ぎを覚えた。それが何なのかよく分からないが、キラにとって面白い話ではなかった。
動揺する少女を見て、クウは可笑しそうに声を立てて笑った。
「冗談さ!弟か、息子くらいにしか思ってない。何よりも大事ではあるけど。」
「・・・・。」
何がそこまで面白かったのか、クウは暫く笑い続けていた。
「!?」
背筋に悪寒を感じ、キラとクウは同時に同じ方向を振り向いた。
その直後、都に爆発音が轟いた。
店の中にいた者たちは何事がと外に飛び出した。喧騒の中、見張り役の中央官吏たちが慌しく通りを駆けていく。
「出るよ、アバターつけて。」
クウに指示され、キラは急いで白イタチを装着した。
店を出た2人は、爆発があった方向を見やった。商店街から外れた居住区の一角で、不吉な煙が立ち上がっている。
「行き着けのムスリム屋だね・・・。」クウは険しい表情で呟いた。
片足のムスリム屋だ。キラは衝動的にそちらへ向かって走り出した。クウも後に続く。
人ごみを掻き分け、現場に辿り着いた。青緑色に炎上する店の周囲を中央官吏たちが取り囲み、他の建物に引火しないよう結界を張っていた。
バースでは禁止されている黒魔術を使った呪いの炎だ。そう簡単には鎮火できない。
「寄るな、危険だ!」
野次馬の合間を縫って前に出たキラを、中央官吏が鋭く引きとめた。
「まだ中に店主が・・・!」
「下がってな。」
キラの背後からクウが前に歩み出た。
女夜叉の姿を捉えた中央官吏たちは素早く道を開けた。
クウは背負いの金属製の弓を手に取り、矢は使わずに指で弦を引いた。しなった弓が、銀色に発光し始めた。
彼女が矢無しの弓を構えると、実体の無い光の矢が弓と弦の間に出現した。霊器〝破魔の矢〟だ。
「・・・・。」
クウは何かを見極めるように、青緑色の炎の渦を見据えていた。黒魔術による呪いには必ず急所がある。彼女は、それを霊視で探っているのだ。鋭く研ぎ澄まされたクウのアウラに圧倒され、中央官吏たちは唾を飲み込んだ。
大蛇の群れのように複雑に絡んでうねり上がる炎。その急所を捉えるには、ずば抜けた眼力と感知能力が無ければ不可能だ。
「!」
ついに、光り輝く矢が放たれた。呪いの炎に向かって一直線に走った光線は、炎の波を裂いて塵ほどの黒い点に命中した。急所を粉砕した破魔の矢のエネルギーは光の波動となって広がり、建物を呑み込んでいる炎を一瞬にして吹き消した。
人だかりで歓声が沸き起こった。呪いの急所は目で捉えるだけでも至難の業。それを破魔の矢で射抜くなど、まさに神業だ。
「・・・あ、キラ!」
クウが一息ついている隙に、キラは今にも崩れ落ちそうな建物の中に飛び込んだ。
煙が舞う黒焦げの店内は、金属とガラスが溶岩のように熔けて流れていた。高温の釜の中にいるような熱気を念力で吹き飛ばしながら、奥で倒れておる黒い塊に駆け寄った。
赤黒く焼け爛れた片足の店主は、まだ辛うじて生きていた。キラは彼の上に倒れている棚を触れる事無く慎重に持ち上げて脇に退けた。
「・・・・っ。」
店主の身体を見渡し、助かる見込みが無いことを悟った。彼の最期を看取るべく、傍まで行ってしゃがんだ。
「!?」
突然、瀕死状態の店主が腕を上げた。
そしてキラの胸倉を掴んで引き寄せた。
「異色の、ムスリムを、守れ・・・!」
焼けた喉から絞り出された濁声は、確かにそう言っていた。キラは何度も頷いてみせた。店主は無残に焼け焦げた顔で満足したように笑み、キラから腕を放した。
そして、息を引き取った。死滅した肉塊から、魂の光が散っていった。
「・・・・。」
キラは袖から酸素石を一粒取り出し、僅かに開かれた店主の口に押し込んだ。アクラシア流の弔いだ。
「キラ・・・。」
背後でクウが呼んだ。キラは彼女の手を取って立ち上がり、急いで建物内から抜け出した。2人が外へ出た直後、ムスリム屋は音を立てて崩れ落ちた。