第五話
夕食を済ませた後、キラは閉心術の特訓に入った。
まずはテンに用意された書物を朗読しながら、以前に暗記した霊体に関する論述を書き出すことを求められた。
思考を分断した時、思考と思考の間に壁が発生する。それが閉心の初歩だ。その壁を塗り固め、幾重にも重ねることで閉心術は極まる。
キラはこれまでに別の方法で同じ訓練をしてきたが、どれも充分にやりこなすことができずにいた。さらに難しい思考の分断には、ただ手こずるばかりだった。
集中もできていなかった。ヤミ達が抱えている問題や、ナリの事が気になって仕方なかった。
いらぬお節介をしてしまったことをナリに謝りたかった。彼がイスラに呪縛をかけられなかった理由に、キラは感づいていた。
あの時、ナリの精神はイスラと同調していた。それでナリは、自らの手でイスラの自由を奪うことが辛くて出来なかったのだ。
「・・・・。」
キラは羽ペンを乱暴に置いた。
アバターを外し、顔を擦った。
その様子を見ていたテンは、静かに立ち上がった。
「茶でも入れてこよう。」
彼はそう言って部屋から出て行った。八部衆ともあろう者が茶を入れるため厨房に現れたら、キナ達は慌てふためくだろう。その様子を想像し、キラは思わずにやけた。
『・・・今、1人かしら?』
女の猫なで声が頭の中で響いた。
キラは顔を顰め、無視を決め込んだ。
『聞こえない振りしても無駄よ。あなたの周波数は、ばっちり捉えてるから。』
女声のマモン、タマキは楽しそうに笑った。
『今宵は何をお悩み?暇だから、ただで聞いてあげる。試験の事かしら?それとも他のこと?』
「・・・・。」
『閉心術?そんなもの必要ないでしょ、あなたは免除されるんだから・・・あら、私のせいなのね。ふふ、御免なさい。』
マモンに波長を合わせられると、キラの思考は全て読まれてしまう。今まで幾度もマモンと内心会話をしてきたため、両者の波長は極めてシンクロしやすくなっていた。
キラの力では、その波長を捻じ曲げることはできない。勿論、マモンに読心されないだけの閉心もできない。
『色々と抱え込んでるわね。いいわ、1つ教えてあげる・・・ヤミ達は今、悪魔崇拝者の間に起きている不穏な動きを調査中よ。何者かの手引きによって、逸れ者の魔導師たちが禁域に立ち入ろうとしているの・・・そこには蛮族と、テサも絡んでいるようね。』
「―――・・・!」
盆を持って部屋に戻ってきたテンは、キラの様子を一目見て事態の悪さを悟った。
「キラ・・・。」
彼は盆を置き、真っ青な顔をして身を強張らせている少女に慎重に歩み寄った。
キラは震える唇を懸命に動かし、声を絞り出した。
「て・・・テサは、何を、しようとしている?」
「・・・・。」
テンは、夜叉面に隠れて怒りに顔を歪めた。
少し目を離した隙に、魔物が彼女に告げ口したのだ。
「テン、教えてっ!」
「・・・それを、調べているところだ。」
キラのアウラは危険なほど荒れていた。テンは彼女の前に座り、アバターを外してアルビノの素顔を見せた。
穏やかな淡褐色の目で、怯えて見開かれている異色症の瞳を覗き込んだ。
「そなたが案ずる事ではない。恐れる必要もない。」
「・・・・っ。」
キラは完全に不信感に呑まれていた。精神が酷く乱れているため操作が利かず、テレキネシスで精神力を発散させることもできない。懸命に抑えているが息遣いも荒く、今にも発作を起こしそうだ。
「さて、どうしたものか・・・。」
テンは暫し考え、何かを決断して徐に立ち上がった。
テンに促され、キラも立ちあがった。
「上の間へ。今も会議中だ。」「!」
2人は部屋を出て、回廊を渡って寝殿の御座所へと向かった。
白い石壁に囲まれた金属製の襖を抜けて御簾を潜ると、室内は遮眼クロス製の几帳で仕切られていた。
灯篭の光に照らされている几帳の内側で話し合っていた者達は、気配を感じて話を中断した。
暫くして、テンとキラが姿を現した。キラの乱れた精神状態を見るなり、皆は張り詰めていた強豪なアウラを一瞬にして沈めた。
「・・・・。」
東官吏最年長のヨミは、責めの視線をテンに向けた。
テンは、御帳台からアンバーの眼をこちらに向けている青年に向かって軽く頭を下げた。
「独断お許し願いたい。この件に関して、隠さぬことが彼女のためとの考えに至った次第。」
「・・・・。」
白い巨大サソリを肘掛けにして頬杖をついているヘルは、無言のまま軽く顎で指示した。
キラは勢ぞろいしている夜叉たちの間に座り、会議に集まっている面子を見渡した。ヨミとヤミを含む数人の赤鬼と、牡鹿のアバターを被った北官吏の中級アイオン2名、そして〝青竜〟のアバターを被った中枢部の上官ラドが部下を連れて参席していた。
彼はシャイマン直属の特殊部隊〝白夜連〟の隊長だ。〝裏の四天王〟と呼ばれる白夜連の4人の隊長〝四獣〟の1人で、十二神将に入る男である。白夜連は通称〝暗部〟と呼ばれ、バース圏内全域の官吏を監視している。いわば身内を見張る内部調査班だ。
不安げに皆の顔を見渡すキラに、青竜の隣に座っているヤミが優しく微笑みかけた。彼は東官吏でありながら暗部の者でもある。
キラとは約1ヵ月振りの顔合わせ。ヤミは、心身ともに酷く疲れている様子だった。
「―――ニコの消息は未だ不明。そもそも、奴が今も生きているとは考え難い。〝黒き意思〟を継ぐ者が、師の悪名を借りて逸れ者どもを燻っておるのだろう。」
ラドの落ち着いた低音の声で話し合いが再開された。
ニコ。ランシードで会った黒山羊の男が口にした名だ。その名を聞いて酷く動揺したヤクの姿が、キラの脳裏に蘇った。
「本人かどうかは兎も角、問題は連中が何を血眼になって探しているか、だ。異色のムスリム達って以外に何か情報はねえのか、暗部さんよ?」
黒髪を短く刈り込んだ体格のいい夜叉ロウは白夜連の者たちに視線を投げかけながら、隣に座っている小柄な夜叉の頭をしばいた。
夜叉面に隠れてまどろんでいたハクは、びくっとして周囲を見渡した。彼もヤミ同様に相当の疲労を抱えているようだ。
キラは、聞き覚えのある表現に眉を顰めた。
(・・・異色のムスリム?)
「先程も申しましたように、ニコと名乗る黒魔術師が約10年前〝アウトロー〟と何らかの取引を交わした事には違いないのですが、その詳細について誰も口を割りません。彼らの間で異色のムスリム達と呼ばれるものを、アウトローが取引の代償として仮のニコに求めているのは確かです。そのせいで今、魔界は酷く荒れている。」
ヤミの言うアウトローとは、過激派の悪魔のことだ。
「魔界の勢力図を揺るがすほどの何かって事だよな。それを連中は、蛮族と北極人も交えてエス中を探し回ってる・・・10年間も?」
「テサの動きが活発化したのは、つい最近のことです。まあそれは・・・彼女の事も関わっているやもしれませんが、連中は複数のものを手分けして探しているように見受けられます。恐らく、ここ数ヶ月の間に探し物の手がかりを掴んだのでしょう・・・或いは、その一部を見つけ出したとも考えられます。」
北官吏の1人がキラの様子を窺いながら語った。
シバが以前に言っていたテサの監視役に違いない。
『アウトローが魔界を支配すれば、人間界は終わったのも同然だ。着々と俺様の出番が近づいているようだな、クックック・・・。』
マモンが男の声色でキラに話しかけた。彼女が人といる時に声を届けてきたのは初めてだ。彼女の思考を通して会議を聞いているようだ。
キラは顔に出さないよう努めながら閉心を試みた。マモンは余裕綽々といった様子で不気味な忍び笑いを立てていた。
悪魔崇拝者たちが何を目的で何を探しているのか、様々に意見が飛び交った。だが確証の無い推論ばかりで、話は行き詰まっていた。
官吏達が頭を悩ます中、ヘルがくわっと大きく欠伸をした。
「・・・・。」
彼の暢気な態度を見た北官吏とヨミは、これ見よがしにため息をついた。ヘルは素知らぬ顔で伸びをした。
「分からんうちは動きようが無かろう。俺は狩りに出る。ヤミ、新しい情報が入り次第送心しろ。今夜はもう休め。」
「ラシュトラ・・・!」
ヘルは鋭い眼光をヨミに向けた。
「端っから約しておったはずだ。南アク戦の落着次第、俺は残る大精霊石の回収に当ると。バルタナもそれを求めておる。同盟先を失望させる訳にはいかんだろうが。すでに3週間も弄んでしまった・・・キラのせいじゃない、中枢とここに居らっしゃる糞ジジィどものせいだ。」
「・・・・っ。」
ヨミは言いたいことが山ほどあったが口をつぐんだ。ヘルに睨みをきかされては、口答えできる者などいない。特に今夜の彼は、いつに無く機嫌が悪かった。
ふいに、青竜の面の下から低い笑い声が漏れた。
「・・・相変わらずだな。まあ、お前がバースに来た理由を奪う訳にはいかぬか。シバには、わしが話をつけておこう。」
ラドの申し出に、ヘルは少しだけ機嫌を直した。
「流石は物分りがいい。ヨミも少しは師範を見習え。」
「ただし〝鎮魂祭〟には出席するように。どうせ後1週間は動けんのだろう?今年は南部主催ゆえ、ド派手に盛り上がるぞ。」
「・・・・。」
弟子のしかめっ面を見て、ラドは愉快そうに笑いながら立ち上がった。部下を引き連れて御座所を出て行こうとした際、ラドは思い出したようにヘルを振り返った。
「言い忘れるところであった・・・ヘル、たまには道場にも顔を出せ。〝狩りを口実に1人で何を探っておるのか〟は知らんが、息抜きも必要であろう?」
「!」
赤鬼と夜叉が一斉にヘルを注目した。ヘルはそっぽを向いて知らん顔をした。
ラドは渋味のある笑い声を残して堂々と去っていった。




