第三十一話
東武官たちの感知能力に引っ掛からないためには、ばらばらになって潜伏する必要があった。生きた人間のアウラを集結させていては、怨霊の大群に紛れ込む意味が無くなってしまう。自分たちの存在を親切に教えるようなものだ。
早朝、ミドル・ゴーストタウンの中央地点まで移動したアグニ達は、それぞれの配置場所となる建物に上って瓦礫の陰に身を潜めた。
シュゼが光を操れるのは半径5メートルが限界なため、離れた場所にいるアグニ達を透明化することはできない。そのため、シュゼ以外の者はファルコが用意していた迷彩色の遮眼クロスで全身を覆った。
後は、とにかく各自が限界までアウラを沈める必要があった。そこら中でラップ現象が起こっているため、物音を立てることに関しては気にしなくてよかった。
あらかじめ配られていた高性能トランシーバーを片手に連絡を取り合いながら、ひたすら悪霊の視線に耐え続けた。
霊的存在に影響を受けないよう改良されたものだが、それでも度々不気味な雑音が混じった。
たとえ身の毛のよだつ笑い声や泣き声、理解不能な言葉に邪魔されたとしても、ファーストネームを教えあって送受心するよりは精神の負担が低い。今は少しでもアウラを押さえ込んで安定させなければならないため、霊たちの悪戯や訴えは完全に無視した。
それぞれの潜伏場所は、ファルコが事前に最低限の範囲で塩と鉱物を使った安全地帯を作ってくれていた。各自が持つ魔除けと重なって、何とか悪霊にちょっかいを出されずに済んでいた。
アグニは2メートル後ろに立っている血まみれの女から気を逸らそうと、懸命にトランシーバーでくだらない話をレイアにもちかけた。
どうやらレイアの周囲にも悪意を持った霊がうろうろしているようで、彼女は時々小さな悲鳴をあげながらアグニに付き合った。
工場跡を出てから、周囲に満ちる霊気のせいで左頬が焼けるように疼いていた。耐え切れないほどの痛みではなかったが、集中力が散漫になるため早めに昼食をとって鎮痛剤を飲んだ。
正午を回った頃にファルコの指示が飛び、アグニは磁石で正確な方角を確かめて遠距離透視を試みた。
目標の一行はすぐに捉えることができた。もう2、3時間でタウンに到着しそうだ。予定より少し早い。大型の四駆を停めて休憩している。
ファルコの調査通り、相手は5人だ。大笑いしているリサの姿もあった。アグニは、敵に囲まれながらも自然体でいる彼女の度胸に感服した。
安堵すると同時に、心臓が高鳴った。それぞれの体格とアウラをざっと測量し、視界を戻す。
間を置かずして、雑音と共にレイアの声がトランシーバーから発せられた。
【×××・・・アグニ、お前はどいつやる?】
「レディーファーストだ。」
レイアはトランシーバーの向こうで鼻笑いした。
【そうだな、じゃあサル面の奴。】
「おれは耳の生えた鳥・・・フクロウ?」
今度は馬鹿にするような笑い声が聞こえた。
【あれは、ミミズクっていうんだ。】
【2人とも、いい読みだわ。私はオレンジ頭の子ね。】
ターニャの声が変声機にかけたように低く太かったため、アグニは思わず吹き出してしまった。レイアも笑っていた。
【何よ、どうしたの?】
「その声すごくセクシーだよ、ターニャ。」
【・・・そう?ありがとう。】
アグニは立ち上がり、軽く屈伸した。何度も深呼吸をし、先走る感情を抑えた。白狐のアバターを被っているのがラシュトラ・ヘルであることはすぐに分かった。
戦場で見たときほど威圧的では無かったが、それは彼が戦闘モードに入っていないからだろう。それでも、群を抜いての存在感を放っていた。
【八部衆が面子に加わってないのは、ちょっと拍子抜け・・・。】
【気を抜くな、レイア。バースには連中の代わりになるパイマーはいくらでもいる。】
すかさずファルコが鋭い口調で釘を刺した。
彼の声の背後で、砂嵐のようなノイズに混ざって少女のすすり泣く声が聞こえている。
【分かってるって。でも見た感じ、3人は初級アイオン以下だ・・・手薄過ぎない?】
【それだけ自信があるってことでしょ。霊力の高低だけじゃ、戦闘能力は計れない・・・アグニ、聞いてる?ミミズクの坊やは霊力自体は低いけど、私の勘では3人の中で一番手強いと見たわ・・・用心なさい。】
「・・・・。」
アグニは答える代わりにマイクボタンを入れ切りさせた。
猿面の男とオレンジ色の髪をした女はアグニより明らかに霊感が強いので、ターニャにどちらかを相手してもらうのが賢明だ。
そしてミミズクの少年は、少なくともアグニと同等の身体能力を持っているためレイアには任せられない。自分が担当すべき相手は予知夢通りだ。変更はできない。
【にしても・・・半端ないな、彼女のアウラ。微かにだけど、もうここまで伝わってきてる。シルアイラのオリジナルっつっても、これほどとは正直思ってなかった。】
【ええ。早くもっと近くで見たいわ・・・。】
通常状態を比較すれば、キラはラシュトラのアウラさえ上回っている。アウラの判別が苦手なアグニでも、ひと目でそれが分かった。
「・・・生きてるか、シュゼ?悪霊に呑まれてなかったら、何かまともな事を言ってくれ。」
アグニは、しばらく黙っているシュゼが心配になって呼びかけた。
酷い雑音に混ざって、シュゼの声が聞こえた。アグニやレイアよりも大量の悪霊に囲まれているようだ。
【×××はい・・・××・・・・キラの霊力値は、テサに居た頃よりも上昇しています。身長および体重も、予測値を上回り増幅して・・・××××!】
獣のようなおぞましい叫び声に邪魔され、シュゼの交信が途絶えた。
「シュゼ?大丈夫か!?」
トランシーバーの向こうで激しく争う物音が聞こえた。アグニがシュゼの潜伏地点を透視しようとした寸前、喧騒はぴたりと止まった。
そして何事も無かったかのように、はっきりと聞き取れる感情の無い声がアグニの耳に届いた。
【問題ありません。彼らに気づかれないようリサさんを迅速に脱出させた後、隙をついてキラの身を確保します。】
【シュゼはお前より遥かに頼もしいな、アグニ?ゴースト・ハンターも顔負けだ。】
と、レイアの声。
シュゼは魔除けの効かない凶悪な霊を1体、命を害するものと判断して即座に退治したのだ。どうやら、彼には〝祓魔師〟の才覚があるようだ。
【悪いな、シュゼ。厄介な奴等は処分したつもりだったんだが・・・怪我の具合はどうだ?】
「!」
シュゼは怪我を負ったのか。すぐさまアグニはシュゼが潜伏しているはずの建物を透視した。だが、そこにシュゼの姿は無かった。
【ファルさんに非はありません。先程のフェアリーは、ウィンガル自治区周辺よりオレ達に付いてきたものです。10分もすれば自然回復する軽症ですが、念のため治癒石で処理して配置に戻ります。勝手に持ち場を離れてすみませんでした。少々、気になっていたもので・・・。】
ファルコが感嘆するように唸るのが聞こえた。
【正しい判断だ。お前ほど頼りになる奴はいないよ。】
付けてきていたのは盗賊では無かったのか。優秀なシュゼに、アグニは改めて感心した。
「ウィンガル人のファミリアか?」
【どうかしらね・・・連中の考えることは分からないわ。分かりたくも無いけど。】
ターニャの声には嫌悪感が滲み出ていた。
ウィンガル人の仕業かどうか定かではないが、アグニ達を監視するために何者かが送ったに違いない。塵の沼地には妖精が数多く住みついているが、気まぐれな性格をした野生の妖精が縄張りを出てまで人間の集団を付け狙うわけがない。
気にはなったが、今はそれどころではない。目的の一行はすぐそこまで迫っている。アグニは透視で削がれた精神力を回復させるため、蜜飴を食べて一息ついた。
それから皆は必要以上の会話を避け、ファルコの指示がくるまで精神統一に入った。アグニは予知夢を振り返り、怒りを抑えるイメージトレーニングをした。
しかし何度やっても、タングスの傷ついた姿を思い浮かべると穏やかな気分ではいられなくなる。蛇の目を出発する前の夜に、タングスには無茶をしないよう言い聞かせておいたが、昨晩見た最後の予知夢に変化は無かった。彼女が怪我を負うことを、今となっては阻止できないだろう。
アグニは、自分を制御する自信がなかった。もしもタングスが命を落とすようなことになったら、彼女の命をミミズクの少年が奪うようなことになったら、アグニはきっと自身の平常心を保つことはできないだろう。だが、そこをどうにかしなければ大きな損害を負って任務は失敗する。
アグニに考えが浮かんだ。それは、決して賢い手段とはいえない。だが、他にいい案は何も思いつかなかった。
「・・・・。」
アグニは徐にベルトを外し、背負っていたヒート・エッジを床に置いた。キラの命を奪う危険性がある得物を、この場に残していくことを決断したのだ。ヒート・エッジの重量では、一旦振り下ろせば途中で止めることができない。
アグニは、愛用の合金製トンファーだけで東武官の少年と向き合う覚悟をした。
これが吉と出るか凶と出るかは分からない。アグニは夢を見始めたときから何度もイメージトレーニングを繰り返してきたが、予知夢の内容は変わらなかった。
つまりそれは、今のアグニには自身の精神を制圧するだけの力が無いということだ。ぎりぎりのところで、その力に目覚める可能性はある。しかし、そのような危険は冒したくない。
ここにミアは居ない。
今の時点では、キレた自分を彼女無しで止めることはできないだろう。アグニはそう判断し、ヒート・エッジから手を離した。
【―――掛かったぞ。こっちへ向かってくる。】
ファルコの合図で、皆は武器を構えて視界をターゲットに向けた。まだ距離はある。タングスが建築物をうまく利用しながら連中を挑発している。
後尾、少し距離を置いてリサが付いてきている。タングスに集中しているため、リサの動きに誰も注意を払っていない。
リサがシュゼの潜伏地点を通過しようとした瞬間、彼女の姿が忽然と消えた。シュゼの動きは完璧だった。リサも、ばっちりタイミングを読んでいた。2人の息はこれ以上にないほど合っていた。
しかし、彼らの中の1人が気づいた。キラだ。彼女は背後を俊敏に振り返り、リサが居なくなったことに驚いた。そして、すかさず前を走る者たちを呼び止める。
彼女の一声で神獣狩りを中断した東武官たちは、リサの蒸発には全く動揺する事無く、タウンの建物を上から下まで慎重に見渡し始めた。
いつの間にか、連中は全員アバターを外していた。
(まずい・・・!)
あの調子で透視されては、一溜まりも無く見つかってしまう。まだ、シュゼの存在に気づかれるわけにはいかない。
【流石は東武官ね。タウンに入る前から賊の存在には気づいてたんだわ。】
ターニャは移動しながら話しているようだ。
【ちょいと早いが行くぞ。】
落ち着き払ったファルコの声。
アグニはようやく出遅れたことに気づき、急いで建物の中を移動した。警戒態勢で立ち止まっている東武官たちとの距離を高速に詰める最中、アグニは潜伏地点に留まっているコヨーテの姿を捉えた。
「何してんだ、レイア!」
建物と建物を飛び越えながら、アグニはトランシーバーで彼女に鋭く呼びかけた。彼の声で我に返ったレイアは、素早く立ち上がって動き始めた。
一足先に東武官たちの頭上に到着したファルコは、連中の注意を引くためにわざと足元の瓦礫を落とした。
眼下にいる者たちが彼を一斉に見上げる。ファルコは愉快そうに彼らを一望し、北アクの言語で陽気に話しかけた。姿を消しているリサとシュゼから連中の気を逸らし、さらに出遅れたアグニとレイアが充分な距離を詰めるための時間稼ぎだ。
アグニはファルコが立つ建物の向かい側へと走り込み、分厚いコンクリートの壁を背にターゲットを窺い見た。
霊たちが周囲で五月蝿く騒ぎ立てているため、ファルコに気を取られている連中にはアグニの足音は聞こえなかったようだ。
レイアは別の建物に忍び込み、いつでも撃てるよう弓を構えた。
2人の到着を感知したファルコは、自分を見据えているラシュトラ・ヘルを挑発的に直視した。
「・・・ところで、ホーグ。この〝刻印〟に心当たりはないか?」
ファルコは遮眼クロス製の上着をめくり、自らの胸元を指差した。鋭い光を放つ琥珀色の瞳が、ファルコの胸元にある入れ墨のような痣を捉えた。
その直後、アグニは周囲の時間が止まったような感覚に襲われた―――